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金井哲夫の入院日記 最終回 手術編「深夜になるとやかましい3人のじいさんに囲まれて眠る1週間の総括」

夕食が済み、歯を磨いて顔を洗って、ベッドに戻って本を読んだ。そして消灯の時間。静かな1日が終わった。さあ寝ようと枕に頭をつけて目を閉じると、突然、隣のベッドから猛烈ないびきが響いてきた。

隣は、整形の手術をした70か80ぐらいのじいさん。ぐーぐー、なんてかわいいものじゃない。ンガー! グホグホ、グルァァァ! みたいな、不規則な爆音。ときどき止まって静かになる。だがまた突然始まる。なのでリズムが掴めず体が慣れない。常に不意打ちなので、静かになると逆に緊張する。

すると、反対側から不意を突かれた。反対隣のじいさんのいびきだ。それほど悪質ではないものの、やっぱりうるさい。両側からステレオでいびきに攻められる。それらは同期していないから、2つのランダムな騒音がボクの両耳から浸入し、脳味噌の中心で合流して不協和音を生む。バイノーラルビートってやつだ。ただしヒーリング効果はない。

そうかと思うと、斜め向かいのじいさんが寝言を言い始める。何を言ってるのかよくわからないが、なんだか長々としゃべってる。夜中にイビキが聞こえてくるのは、まあ自然なことだ。音量にもよるけど、ある意味、夜の情景のひとつと言える。でも、深夜いきなり話し声がするとドキッとするもんだ。するはずのない人の話し声がする。しかも病院。怖い。

そんなこんなで、ぜんぜん眠れない。考えてみれば、こんな小さな部屋で3人のじいさんに囲まれて寝泊まりするなんて、ボクも半ばじいさんなのだが、この歳になって初めての経験だ。自分がどれだけ恵まれた穏やかな環境で人生を送ってきたことかと、あらためて感謝してみたところで、眠れるわけではない。

翌日、左隣のいびきじいさんは、また昼間からすーすー寝ている。不思議と昼寝のときはいびきをかかない。世間話のじいさんは、向いのベッドのじいさんに声をかける。それが気のいいじいさんで、にこやかに「世間話」に応じる。だが、その向かいのじいさんのベッドへ看護師が来て何やら処置を始めると、今度は若い女性看護師に話しかける。処置中なのに、お構いなしだ。優しい看護師が嫌な顔をせず朗らかに応対するものだから、調子に乗っていつまでも話してる。それでも話し足りないのか、夜中に寝言を言う。

そんなじいさんアタックに悩まされた入院だったけど、いいこともあった。手術中に尿道カテーテルってのを入れられていた。おしっこを管で出して袋に溜めるやつだ。最初、説明を聞いたときはゲゲッと思った。神経難病で全身マヒだったうちのオヤジがやっていて、ボクも袋の尿の量を測って記録してトイレに流すなんてことをやってた経験があるので、尿道カテーテルについてはよく知っていた。お義父さんも現在進行形でやってる。だから、ずいぶん不自由なものだとは想像していたのだけど、やってみたらあら意外。夜中にトイレに行かずに済むってのが、とっても楽ちんだった。ボクの場合、看護師さんが適当に尿を捨ててくれるから、面倒がひとつもない。

ただ、ひとつ問題は、手術後数日でこの管をチンチンから抜くときのことだ。担当看護師が若い女の子だったら恥ずかしい。どうしようかとドキドキしていた。だけど幸い、その日はあの注射が上手なベテランの男性看護師が担当になった。「ちょっと変な感じがしますからね」と言ってすっと抜いてくれた。男の人でほんとによかった。

もうひとつある。点滴が取れた次の日に、あの前回ボクの両腕にブスブス注射の穴を開けてくれた女性看護師が担当になった。もう点滴はしないので、痛い思いはしないで済む。これも幸運な巡り合わせだった。

こう考えると、総合的にラッキーな入院だったのかな。もう胆嚢炎になることもないし、栄養士さんからは「何を食べてもいいですよ」と言ってもらえた。お陰様で、今は唐揚げとポテチ三昧であります。

おしまい
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金井哲夫の入院日記 その3「ナースコールでゲームの質問をする小学生」

入院日記3
隣のベッドの小学生は、ずーっとゲームをしている。看護師との会話から、入院が決まって父親が買ってくれたという。ソフトはポケモンひとつだけ。「これしか買ってくれなかったんだもん」と看護師に不満を伝えていた。なんだかちょっと生意気な感じだ。

この坊主は、しょっちゅうナースコールを押すのだが、看護師から「どうしましたー?」と聞かれても返事をしない。だが看護師が来るまで呼び続ける。その都度「返事ぐらいしろ!」とボクは心の中で少年を叱咤する。よっぽど甘やかされて育ったのか、看護師を召使いとして扱っているように感じられて不愉快だった。

ここは大人として、ちゃっとカーテンをめくり、「ボク、ちゃんと言わないとわからないよ」と注意してやるべきかと悩んだ。だが、「うん」と素直に聞いてくれればいいが、怒られたと思って泣かれたりしては困る。子どもをいじめた悪いじじいにされてしまう。親以外の人間が子どもを叱ると、大変な社会問題に発展する恐れもあるのが今の世の中だ。泣かれないまでも、無視されたらこれまた困る。気まずく顔を引っ込めるのも格好が悪い。「聞いてる?」なんてせっつけば、また怒られたと思って泣くかも知れない。面倒臭い。だから黙っていた。

しかし黙っていると、あれこれ考えてドキドキしたりイライラしたり悶々としたりする。やらずに後悔するよりも、やって後悔したほうがいいなんて言う人がいるが、どっちみち後悔するのだから、やらずに後悔するほうが得に決まってる。やらなければ自分の頭の中だけで始末できる問題を、現実にやってしまって騒ぎを起こせば、後悔どころの話ではなくなる。じつに馬鹿馬鹿しい。

若い女性看護師たちは、それでもその生意気なガキに、あり得ないほど優しく対応していた。女性にすれば、小さい男の子は可愛くて仕方ないようだ。ボクの姉は、子どものころ母がボクばかり可愛がるので腹が立って仕方なかったと、大人になってから話していた。しかし、自分が男の子を生んで、その気持ちがよくわかったという。「思いっきり甘やかす」とまで宣言していた。

ある日、少年はまたナースコールで看護師を呼び出した。ちょいと年配の女性看護師が来て「どうしたの?」と聞くと、「このステージのクリア方法がわからない」と言った。ゲームの敵キャラの倒し方を教えろと言うのだ。アホか、このガキは? 看護師をなんだと思ってるんだ。親の顔が見たい。

すると看護師は「◯◯くん、そんなこと私に聞いてもわかるはずないでしょ」と少しきつい口調で答えた。さすがに、これには優しい看護師も我慢できないはずだ。ほらほら怒られるぞ、いい気味だと期待に胸を膨らませ、読んでいた本を閉じて世紀の瞬間を待った。

「こんなおばさんにゲームのこと聞いてもダメよ。わかる人を探してきてあげるね」と予想外の親切対応にベッドからずり落ちそうになった。彼女がナースステーションに戻ってほんの数分後、若い女性看護師がやって来た。

「どうした? なんのゲーム?」と、ちょいと姉御風の話し方をする看護師が少年に聞くと、ポケモンのなんたらだと言う。「◯◯と◯◯と、どっち?」と看護師。◯◯だと少年が答えると、「ああ、それなら全クリしてるから、わかるよ。どうした?」と、こっちが泣けるほど優しい。看護師さんも、ポケモン世代だったんだ。そうだよね、若いんだから。そこに妙に感心すると同時に、逆説的に自分がすでに年寄りであることを実感させられて、複雑な気分になった。それはそうと、ゲームを攻略できたお陰で、ある事件が発生してしまった。

その日の夕方、またも少年はナースコールを押し、無言で看護師を待った。看護師がやって来て、「どうしたの?」と優しく声を掛けると、少年はお母さんに会いたいと泣きだした。少年は小学校2年生。考えてみれば、幼稚園を出てまだ1年しか経ってない。半分赤ちゃんみたいなもんだ。コロナの影響で親とも面会ができないため、毎日荷物を届けに、廊下の向こうまで来ているのを知りながら、母の顔を見ることすらできないでいる。それは辛いだろう。

心配して看護したちが何人も集まってきた。人気者だ。そして代わる代わる優しい言葉を掛ける。すると、声をしゃくり上げながら少年が話し始めた。聞き耳を立てれば、ゲームをクリアしてしまったのだが、最後はお母さんとやろうねと約束していたのだそうだ。それを一人でやってしまったので悲しくて泣いていたという。

すると、ゲームに詳しいお姉さん看護師が「大丈夫、それ、クリアしてもまだまだ先があるから。◯◯との対決とか残ってるし。そこをお母さんに見せてあげなよ」と的確にアドバイス。少年は納得したみたいで、ちょっと落ち着いた。

翌朝、少年はまたナースコールを押して黙っていた。すると、あのおばさん看護師がやって来て、「◯◯くん、どうしましたかって聞かれたら、返事してね。何をして欲しいとか、おしっことか、言ってくれたら助かる」と伝えていた。すると少年は「だって……」と口ごもり、ナースコール越しに話をするのが怖いのだと話していた。生意気なわけではなかった。

そして、それから数時間後、少年はまたナースコールを押したが、「どうしました?」と聞かれ「おしっこ!」と元気に答えていた。

つづく

金井哲夫の入院日記 その2「イノセント昭和野蛮ゲロゲロじいさんの美人局事件」

入院日記2
日頃の不摂生が祟って知らぬ間に胆嚢の中に石が詰まってて、それが暴れて炎症を起こし、入院とあいなった。予定期間は1週間。最初の2日間は絶食で、点滴による水分補給と抗生剤投与を行うことになった。

病院から渡された変なパジャマを着て、点滴棒をコロコロ押しながらトイレに行くという、言うなればフルスペックの、本寸法の入院だ。入院なんてのは、小学校1年生のときに扁桃腺の摘出手術で一晩だけ入院して以来のこと。あのときは、たった一晩だけなのに、用もないのに家族全員が病室に集合し、父は自慢のポータブルテレビを「どうだ!」と嬉しそうに持ってきてくれて、なんだかわーわーやってた記憶がある。

今回はコロナもあって、面会はいっさいなし。外界とは物理的に切り離された、ごく静かな1週間を過ごすことになった。幸い痛みもなにもないし、せっかくだから、仕事のことは頭から追い出して、なーんにもしない1週間を満喫しようと決めた。

たまたま運び込まれたこの病院は、新しくはないけど清潔で、変な匂いもしないし、看護師さんたちもみんな明るくて優しくて、大変に居心地がよかった。ひとつ気になったのは、斜め向かいのベッドに入院していたじいさんだ。

今どきの多床室では、プライバシー保護のためか感染防止のためか、どこもカーテンをきっちり閉められる。ちょいとでも開けておくと、通りすがりの看護師さんにチャッと閉じられる。だから、他にどんな顔をした人がいるのかはわからない。わかるのは、その人たちが発する言葉や生活音だけだ。

そのじいさんは、足を骨折して手術をしたようなのだが、聞こえてくる病院スタッフとの会話から、なかなかわがままな人だとわかる。血栓防止のためのサポーターを足にしているらしいのだが、何度もナースコールを押しては、痛いから外してくれとせがむ。ここの看護師はとっても優しいので、やんわりと外してはいけないと伝えるのだが、納得しない。じいさん、怒って声を荒げるようなことがないのは幸いだけど、やんわりとしつこい。

とうとう看護師はドクターを連れてきた。医者は厳しい口調で、血栓ができて頭に飛んだりしたら大変なことになるから我慢なさいと諭す。さんざん脅されて、じいさんは「わかりました」と引っ込んだ。しかし、ドクターが帰って少し経つと、またナースコールを押す。じいさんに恨みがあるわけでも、迷惑を被ったわけでもないし、決して悪人とも思えないのだけど、「いい年しやがって、すこしゃ我慢しろい!」と、そのやりとりを聞いていてイライラさせられた。嫌なら聞かなければいいのだが、どうしても聞こえるのだから仕方ない。聞こえれば気になるというのが人情なので、イライラの半分はこちらに責任があるとも言えるのだけど、原因は確実にあっちにある。

もうひとつ、このじいさんの困った点は、食事中にぺちゃぺちゃと音を立てることだ。この21世紀に、咀嚼音高らかに食事をするような野蛮人がまだ生き残っていたことに驚かされる。ボクだって決して完全無音で食事をしているわけじゃないのは承知しているし、おそらくお上品な西洋人の病院に入院したなら斜め向かいのベッドのジェントルマンに野蛮人と思われても不思議はない程度ではあるけれど、咀嚼音が四方に鳴り響かないように気をつけてはいる。ボクが子どものころは、まだそういう人がたくさんいたのを覚えてる。でもこの数十年間で日本人も進化を遂げたと見えて、まったく出会わずに済んできた。すっかり油断していた。こんな身動きが取れない状況で遭遇するとは。

さらに、食後、自立歩行ができないのだから仕方ないのだけど、ベッド上で歯ブラシをして、ガー、ゲロゲロ、ペッと、これまた懐かしい昭和の下品なおやじの定番であったあの音を部屋中に轟かせる。まだ食事中の患者もいるにも関わらず、まったく気遣う気配はない。何一つ悪びれることなく、当然の権利だと言わんばかりにガー、ゲロゲロを3回ほど繰り返す。

無自覚であるだけに、じいさんに罪はない。こうした僅かの生活音から人格を査定されては不条理に思うだろう。他所では尊敬されている人なのかも知れないし、家族からは愛されているに違いないが、カーテンに囲まれて相手の顔が見えない世界では、その人が立てる音がすべてであり、その僅かな生活音がその人そのものなのだ。だからそこからその人となりを特定せざるを得ない。気の毒だが、じいさんはイノセントな昭和の野蛮人と断定された。

そんなイノセント昭和野蛮ゲロゲロじいさんに天罰が下る日が来た。じいさんはナースコールを鳴らす。スピーカーから「はい、どうしましたかー?」といつもの若くて優しい女性看護師の応答が聞こえると、じいさんはちょいと鼻の下を伸ばしたような声で「背中のクッションをね、変えて欲しいんですよ」と訴えた。すると次の瞬間、「なに、どーしたの?」と、若くて優しい女性看護師の代わりに、若くなくて優しくない女性だけどずいぶん年配の看護助手がぞんざいに現れた。近くにいてナースコールのやりとりを聞いて、看護師の負担を減らそうと対応したようだ。

「いや、背中のクッションが違うんでね」と、少々うろたえた声で答えるじいさん。
「なに、いつものやつよ」と看護助手はつっけんどんに言う。「違うんだよ、いつものは細長いやつなんだ」と食い下がるじいさん。「細長いわよ」と、まったく様子は見えないのだけど、じいさんの背中のクッションの形状をしっかり確認したという誠実さが微塵も感じられない、なぜなら確認する時間はほとんどないはずの即答で、ぞんざいに応答した。だが、じいさんはこのおばさんと長い時間関わっていたくないと思ったのだろう。それ以上は言いつのることなく、黙ってしまった。おばさんも何も言わずに立ち去った。

これって、入院病棟版の美人局だなと思った。ちょっと気分がよかった。

つづく

金井哲夫の入院日記 その1 「何を食べましたか?」

入院日記1
6月末の土曜日の夜、急に激しい腹痛に襲われ、ボクは生まれて初めて救急車で病院に運ばれることになった。

救急車が到着したので、待たせちゃ悪いと、ボクは歩いて家の外に出た。救急隊員がストレッチャーをもって近づいてきたが、あまり大げさなのは嫌だし、ご近所さんに見られたら恥ずかしいので「歩けます」と断った。でも、「念のため寝てください」と言われストレチャーに乗せられた。これまた初めての経験だ。ガラゴロとやたら振動する。星ひとつないぼんやりとした闇が広がる空がぐるぐる回る。そして体が跳び上がるような衝撃と共に救急車のお尻に突っ込まれた。

救急車に乗ると、あれこれ質問される。腹痛ということで、当然ながら「何を食べましたか?」と聞かれた。土曜日はボクが夕食係で、ちょいとごちそうを作ることになっている。そのころ、ボクは揚げ物に凝っていた。なかでも鳥の唐揚げが大好物なので、何度も挑戦しているのだけど、なかなかカラッと理想の形に揚がらない。油をケチって古いヤツを使ったり、いっぱい食べたいものだから、欲張ってたくさん揚げようとするから油が汚れて、どうしてももったりべっちょりする。鍋もガスコンロも古いし、温度調節がうまくいかない。うまくできないと悔しいのでまたやる。

そのうち鳥の唐揚げばかりでは健康によろしくないと、魚のフライに切り替えた。揚げ物に変わりはないが、魚のほうがヘルシーな雰囲気がある。とういわけで、その日のメニューはフィッシュアンドチップスと決まった。しかし、素材が変わってもその他の条件は変わらないため、衣や油の温度などの研究はしてみたものの、やっぱりべっちょりしたものが出来上がってしまった。

何を食べたかと隊員に聞かれたボクは、普段なら格好を付けて、さらっと一般的な食事をした風に相手の心理を誘導するような言い方をするところを、命にに関わることなので、このときばかりは正直に、「魚のフライとポテトのフライ」と答えた。さすがに、出来損ないであることは隠した。隊員がそれを書き取っている最中に思い出し、「あ、サザエの壺焼きも食べました」と追加した。どうもこいつに当たったのではないかと、そのとき感じた。最初に食べた1個は火の通りが悪く半生だった。隊員が「サザエノツボヤキ」と小さく復唱しながら書き取る。しかも3つ食べたのだが、数量まで言わなかった。やっぱりまだ体裁を気にする自分が横たわっている。

やがて窓のない救急車で前後左右上下に揺られながら病院に到着し、救急診療室に寝かされた。若いイケメンの当直医がやって来て、ナースの話を聞き、ボクに向かって「何を食べました?」と聞いた。さっき言ったの伝わってないのかよ、と痛いお腹を押さえながらちょっと苛立ったけど、ここでも正直に話した。

「サザエの壺焼きと、魚のフライ、ポテトのフライ……」

先生がカルテに書き取る。その直後に思い出した。
「あ、オニオンリングフライも食べました」

レントゲンとCTを撮って、1時間ほど点滴をしていたら痛みが治まってきた。ドクターは「胃がずいぶん腫れてました」と話してくれた。胃腸炎か? だがとくに診断はなく、もう帰っていいと言われ、よかったよかったと安心して女房とタクシーで家に帰った。

しかし、ベットに戻ってしばらくすると、また痛み始めた。今度もまた激痛だ。ちょっと我慢すれば、さっきのように治まるかと思ったが、どうにも痛い。脂汗が出る。疲れて眠っている女房を起こすのは忍びなかったけど、叩き起こして再びタクシーで病院に連れて行ってもらった。

さっきのイケメン当直医は不思議な顔をしたが、よくわからないから(とは明言しなかったものの)入院しましょうということになった。

かくして、ボクはほぼ生まれて初めて、本格的な入院ってやつをすることになった。翌日、胃カメラともう一回CTとエコーで詳しく調べた結果、胃はなんともなく、胆石による急性胆嚢炎だと判明した。長年、鳥の唐揚げなどでせっせとコレステロールを溜め込んだご褒美に、大きな胆石が胆嚢の中にごろごろと詰め込まれていたのだ。炎症を起こした直接の原因は、油の取り過ぎで胆嚢がびっくりして「石が暴れた」ことだそうだ。今まで生きた中で、医者の説明にこれほど納得できたことはない。

病室のベッドに横になり、うつらうつらし始めたときにまた思い出したのだけど、食事の後、テレビを視ながら一人でポテトチップスを一袋食べていたのだった。油祭りだ。

つづく

金井哲夫の編集日記 カーナビくんのお気遣い

編集日記カーナビ
 正月明けに亡くなった義母の納骨をした。お墓は、義父のもともとの実家があった新橋に近い麻布の善福寺という大きなお寺にある。納骨を終えて、長女夫婦は彼らの車に次女を乗せて別行動で帰ることになり、我々は義父、義弟、女房を乗せて横浜の家まで帰ることになった。

 しかし、ウチの車のカーナビは古く、最近の道を知らない。まあ、あのあたりはカーナビなんて使わなくても帰れるのだけど、目の前にカーナビがあれば、ついカーナビに頼ってしまう。自宅に帰るコマンドをワンクリック。さて帰ろうと車を出すと、あれれ、逆方向だ。そうだった。昔かたぎのカーナビは麻布から六本木ヒルズの脇を通って六本木通りに出る道を知らなかったのだ。

 ぐるっと六本木のほうを回って帰るのかと思いきや、カーナビは麻布十番で右に曲がれという。これまた反対だ。車はどんどん家から遠くなる。

 ついに赤羽橋の交差点に出た。反対側の車線なら首都高芝公園の入口が使えたのだけど、こっちからは入れない。たぶんカーナビは、ぐるっとまわってそこから首都高に入ろうってツモリだなと考えた。

 しかし、東京タワーの脇をとおり、細い道を通って芝高校の脇に出た。芝高校は義父の出身校だ。そこから神谷町に出た。義父が前に住んでいたところ、つまり女房の実家は神谷町の愛宕山の脇のマンションにあった。そのすぐ近くを通って虎ノ門の金比羅様の脇を通る。

 ここはボクが子ども時代を過ごした場所でもある。女房とは区立小学校の学区が微妙に違っていたのだけど、中学で一緒になった。だから、非常に懐かしい場所だ。

 結局、車は霞ヶ関に抜けて、ようやく首都高に入ることができた。カーナビの言うことを聞かずに、あのまま知ってる道を行けば、すぐに六本木通りに出て家に帰れたのに、とんだ遠回りをしてしまった。

 そういえば、女房と結婚したてか、する直前か、亡くなった義母、義父、義弟と女房を車に乗せて、どこかへ行った帰り、下りるはずの首都高の芝公園出口を通り過ぎてしまったことがあった。たしか汐留かどっかで下りて、料金所のおじさんに「下りるところを間違えた」と告げてUターンさせてもらった。あの後、義母はことあるごとにその話をしていた。「あらー、東京タワーが遠くなってくわーって思ってたのよ」と、いつも思い出しては笑ってた。それ以来、ボクは道に迷うものとお義母さんは信じていた。

 車には、お義母さんはいないが、義父と義弟と女房と、あのときと同じメンバーが乗っている。そして、ボクたちの思い出の街をぐるっと回って帰って来た。お義母さんは、きっと笑ってるに違いない。
 
 後日、お義父さんが外を見て嬉しそうにしてたよ、と義弟が礼を言ってくれた。後ろで静かに寝ているのかと思ったが、景色を見て懐かしんでくれていたようだ。どうも、あの逆へ行け行けという奇妙な指示は、カーナビくんが気を利かせてくれたのかもしれない。

おしまい