みなさまと共に歩む…… (*個人的な感想です)

社長の業務:ショートストーリー『秋に思う夏の海』

社長1  昔の話。私がちっぽけな女の子だった頃の話。

 縁側に面した障子が開け放たれていて、畳の上に外の光がさしていた。障子の紙の影は薄いねずみ色で、桟の影はくっきりと濃い色。
 秋の空が美しい日で、雲が羽根を生やして飛んでいた。
 私は、夏に海から持ってきた、サザエのような巻き貝の下の穴ぼこを右の耳に押し当てて、その洞窟を吹き抜ける風のような音を楽しんでいた。
「かな子ちゃんにあげるよ」
 そう言って隣のお兄さんが、私にくれたもの。学校のプールで使う紺色の水着を着た私に手渡された時、がらんどうの貝の穴からちゃぽちゃぽと海水がこぼれ出た。
 いつまでもいつまでも終わらない夏の一日。もう泳ぎくたびれてしまった私は、貝を手に持ったまま生温かいシャワーを浴びて、水着を脱いだ。
 短いワンピースにサンダルという姿に着替えて、畑の中の白く続く田舎の道をくらくらするような西日に照らされて、もう何千里も歩いてきた旅人のように歩いて、宿まで戻った。
 貝を耳に押し当てていると、そんな、ついこないだ過ぎ去った夏が何百年も昔のことのように思い出されて、少しだけ寂しいような気がした。
 私の頭の中が、海の中になる。おとぎ話の絵本の海の中のように、海草が揺れて、あちこちにごつごつした岩があって。魚はどこにいるのだろう。
 岩陰や砂の中に隠れているのだろうか。泡だけがぷくぷくと立って、何もいないと、なんだか迷子になったような気分。
 水族館の隅の方の、あまり大きくない水槽の前に立って、そこには、それはそれは珍しい生き物が入っているそうなのだが、覗いてみると何もいない。どこかの陰に隠れているのかと、目を凝らして頭を傾けたり捩ったりして探してみるのだけど、寄り目になるくらい見つめても、魚一匹、貝ひとつ見つからない。
 私の頭の中の水槽も、そんな感じ。私の頭が空っぽだということなのだろうか。そうでないと、いいけれど。

 するっと、何かが何かを通り抜けたような感じがした。あの夏、海の岩場で小さなイソギンチャクを突っついてからかっていたら、いきなり指先をすぽりと吸われそうになった。あんな感じ。
 何だろう。 
 庭に向かって縁側のあるお座敷に、乾いた風が吹き込む。今まで、水の中のことを考えていたので、なんだか変な感じだ。
 そうだ、夏は去ったのだ。
「あれ?」
 と私は、一人なのに声に出して言ってしまった。
 手にしていたはずの巻き貝がない。畳の上にも転がっていない。
 立ち上がって、スカートをぱたぱたとはためかせてみたが、捜し物がぽとんと落っこちて、こそこそとかすかな音を立てて少し転がってから、ぴたりと止まると畳の上にごつごつとした形のおごそかな影が浮かぶ、ということもない。
 猫がくわえていったのだろうか、と、どうみてもありそうもないことを考えた。
「たま、たまや、こっちへおいで」
 と呼んでみるが、しん、としている。どこかで昼寝でもしているのだろう。
 私は改めて目をぱちくりさせてみた。
「あ」
 ここか、と思った。まばたきの、その閉じた一瞬に映る映像。鮮やかな貝が、私の頭の中の水槽に転がっていた。目蓋をぱちぱちと上下させると、なんだか古い無声映画のように見えた。

 そうか、わかった。さっき、私にいそのイソギンチャクを思い出させた、あのするっというか、ぬるっというか、変な感じは巻き貝が私の耳を通り抜けて、頭の中に入ってしまった時の感触だったのだ。
 ふむ、と難事件の解決に辿り着いた私は、ちょっと生意気そうな顔になって、これは大仕事だ、といわんばかりの決意で目蓋を閉じた。
 ゆらゆら揺れる昆布のような海草、頑固そうな岩の前の柔らかな砂の上に、静かに置かれている巻き貝。
 だが、水槽の中は余程静かで、あぶくが上の方へ行列を作って昇っていく以外、何も起こらない。 
「そうだ!」
 どういう筋道で、そんなことを思いついたのか、私は箪笥の置かれた部屋に行くと、あちらこちらの引き出しを開けて、せっかく母が畳んでしまっておいた衣類を引っかき回し、散らかしながら捜し物を始めた。
 いくつか目の引き出しから、あの紺色の水着が出てきた。
「あった」
 私はそれをひっつかむと、箪笥の前の惨状をほっぽらかしたまま、もとの座敷に戻ってきた。
 そんなところで、裸になったり、水着を着たりするのは、足やお腹がすうすうして恥ずかしいのだけれど、ともかく夏と同じ姿になった。そして、その恰好で座り込むと、水着のお尻で畳に触れるのは、なんだか変な感じだが、気合い一閃という感じで目をつぶった。
 見えてきた、見えてきた。
 まわりは、全部水だ。少し薄緑がかっている水がゆらゆらと揺れている。上を見てみると、透明な水がきらきら光って、あれは
太陽の光を反射しているのだろう。私は水着を着て海の底にいる。
 見回せば、昆布も岩もあの通りで、あった、あった、砂の上に巻き貝が転がっている。
 拾って耳に押し当ててみると、あの嵐のような音は聞こえない。ちょっとがっかりしかけたが、水の中だもの、響きが違うのは当たり前だな、と分別くさく取り繕っていると、か細い音が聞こえてきた。
 ガラスの風鈴が幾つも吊されている中を、弱い風が通りすぎていくような音。寂しい女の人が小さな声で歌っているようにも聞こえる。
 私は目を閉じて聞いていたが、だんだん、目蓋の裏に光が広がってきた。最初白っぽかった光が、次第に青みを帯びてくる。そして、空だ。白鳥のような雲が飛んでいる。
  四角い格子のようなものが見えてくる。なんだ、あれは障子の桟じゃないの。てっぺんの二、三枚の葉が黄色くなりかけた庭の木。なんだ、家の座敷じゃないの。でも、ゆらゆら揺れている。私は水の中から、お座敷を眺めている。頭の中の水槽から、ガラスを通して見ているんだ。近いけれど遠い、遠いけれど近い。
 縁側に猫のたまが姿を現した。座敷を覗き込んで、きょろきょろ見回している。私を捜しているんだ。見つかりゃしないよ。私はここにいるんだもの。ここに隠れているんだもの。

 その日の夕方、私は水着姿で座敷で居眠りしているところを、外出から戻ってきた母により発見された。傍らには、脱ぎ捨てたブラウス、スカート、下着、靴下。そして、巻き貝。
 母に揺り起こされると、私はまず第一にへくしょん、とくしゃみをした。
 続いて母は、開けっ放しの箪笥の引き出し、散らかった衣類を発見。
 水着のまま現場に連行された容疑者(私)は、母による簡単な尋問に、あっさりと犯行を自白。こっぴどく叱られた。
 もっとも叱っているうちに、母も犯行の動機の馬鹿馬鹿しさに呆れたのだろう、笑い出してしまった。
「早く服を着なさい。風邪引くわよ」
 その後、犯人は散らかった衣類を片付けるという刑に服した。
 夕食の時、母は何度も笑いがこみ上げてくるらしかったが、訝しがる父への報告はついになされなかった。娘の愚かしさを夫に知らせるのに忍びなかったのに違いない。
 
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社長の業務:ショートストーリー『怪に守られた話』

社長1  甚兵衛さんの所で話し込んでしまったら、さすがに秋の日はつるべ落としと言うだけあって、日暮れ時になってしまいました。
 泊まっていったらいい、と言ってくれましたが、翌日、用があったものですから、提灯を借りて帰ることにしました。
 池の脇の道に出た頃には、とっぷりと日が暮れて暗くなってしまいました。
 片側には武家屋敷の塀が続いており、片側は淀んだ陰気くさい池です。なんだか、背中が薄ら寒くなってくる。
 ただでさえ気味の悪い道だというのに、この頃は日が沈むと江戸の町はたいそう寂しくなってしまうのです。
 亜米利加のペルリが黒船に乗って浦賀へ押し寄せてきて以来、攘夷とやらを叫ぶ人がおりましたが、この頃は、だんだん物騒なことになってきた。桜田門外で井伊様が殺されてからでしょうが、無闇と暗殺というものが流行るようになったらしい。
 さらには、刀をひらめかせて商家などに押し入って「攘夷の軍資金を寄こせ」などと言う連中も現れるようになった。侍の恰好をして志士を気取っていますが、なに、実は近郷近在から流れ込んできたごろつき同然の奴らで、ただの強盗に違いありません。
 それから辻斬りというものが流行る。夜陰に乗じて、通行人を斬るのです。持っている金を狙ったり、刀の試し切りだったり、なかには楽しみで人を斬るという恐れ入ったやつもいるらしい。
 だから、日本橋のような江戸で一番賑やかな通りでさえ、日が暮れると店を閉めてしまうようになった。
 ましてや、私が歩いていたのは、むしろ江戸の中でも指折りの寂しいところです。こんな世の中になる以前だって、河童にからかわれたり、水の中に引きずり込まれるなどという話があったところです。
 そんな化け物にしても、いきなり暗闇でずんばらりんと人殺しをするようなことはなかった。人間に比べれば可愛らしい、というものでしょう。

「・・・・・・」
 おや、と、私は思わず立ち止まりました。今、闇の中から何か聞こえなかったか。
 提灯の光りが照らせるのなんて、わずかなものです。おまけに、その夜は雲が出て月も隠れてしまっている。真の闇というものです。
 ふと、提灯の灯を消した方がよくはないか、という考えが浮かびました。その提灯を目当てにして、例の物騒な手合いに狙われているのではないか、という気がしてきたのです。
 そう思うと、足の裏から頭の上まで、ぞっとしてしまって、却って手が動きません。歯の根が合わなくなります。息が短くなります。手元の提灯が、大きくなったり小さくなったりするように見えます。
「おじちゃん」
 おや、子供の声。ついに、子供までが辻斬りをするようになったのか。世も末とは、このことだ・・・。
「おじちゃん」
 再び声がして、小さなすべすべした柔らかい手が、私の手を握ってきました。
「お前、私を斬ろうってえのかい」
 あとで思えば馬鹿なことを聞いたものですが、その時は真剣です。
「いやだなあ、おじちゃん、そんなわけがないじゃないか」
 そして、からからと笑いました。確かに無邪気そうな小さな子供の声です。
 それを聞いて、身体が少し緩んで動くようになりました。声の方へ提灯を近づけると、暖かそうな灯に照らされて闇の中に七、八歳くらいの子供の顔が浮かびました。
「なあんだ」
 と、ほっとしかけて、今度は何故、こんな子供が今時分、それも一人でこんな寂しいところに立っているんだ。今度は、そのことが怪しくなってきました。
「お前、こんなところで何をしているんだい」
「あたいかい? おじさんを待っていたんじゃないか」
 私はまた、ぞーっとしてきました。こんな所で、私に用がある子供がいるわけがない。 
 すると、子供は、私の気配を察したかのように、ちらりと笑むと、握っていた手を離して後ろに一歩退いたようで、闇の中に吸い込まれるように消えてしまいました。
 私は、そのままじっとしていました。提灯の蝋燭が、ぢぢぢ、と音を立てました。
 子供は、まだそこにいるのだろうか。立ち去る足音も聞こえなかったのですが、さっきまであった身体の温みが消えてしまったようです。子供の形に、ひんやりとした気があるようです。
「おい」 
 声をかけたが返事がありません。腕を伸ばしてみましたが、ただ空を切っただけで、子供には触れません。
 また、背筋を悪寒が走り、小便を漏らしそうになりました。
 私は、そこで立ち小便をすることにしました。そうすれば、気が落ち着くのではないかと思ったのです。提灯を地面に置いて、着物の裾をまくりました。
 真っ暗な中で、傍らにぽつんと蝋燭が光っている。その傍らで、そんな用を足すというのは妙なものです。
 他人に見られたら、それこそ、何かの怪だと思われるかもしれません。そう思うと、なんだか可笑しさがこみ上げてきました。気持ちが落ち着いてきたのでしょう。

 あまり恐いという気持ちが過ぎて、何か幻でも見たのかもしれない。あるいは、その気持ちに怪がつけ込むのかもしれない。
 それなら、もう、構わずにさっさと帰るにかぎる。私は、再び提灯を手にすると、家の方へ足を速めました。
 ところが、いくらも行かないうちに、こんどはあたりの闇がこちらにのしかかって来るような気がしたのです。なにか、闇が岩にでも化けて私を押しつぶしに掛かっている、というような。
 私は立ち止まりました。息が苦しくなりました。
 ちゃり、という銭でも落としたような音が聞こえました。
「一人だな」
 闇の中から野太い男の声が聞こえました。すると、別の声が、
「商人らしい。金を持っているかもしれない」
 さっきの、ちゃり、という音は、刀の鯉口を切った音かもしれない、という恐ろしいことに思いついてしまいました。今度こそ、足が震え始めました。立っているのが不思議なくらいです。ゆらゆらと震えるのです。安政の頃の大地震よりも揺れているような気がします。
「おい、金を出せ。出せば、命までは取らぬ」
 私は答えられません。声が出ないのです。確かに、懐の財布には何両かありました。ですが、手は固まってしまって、財布を差し出すとも出さないとも、どうにも動かないのです。
「ふん。先に斬ってから金を捜せばよいわ」
 刀を抜く音が、聞こえました。もう一人も続けて抜刀したようです。もう駄目だと思いました。別に覚悟が決まったというようなものではありません。ですが、声も出ない、逃げることも出来ない、どうにもこうにも、しようがないのです。ただ、頭の中で、もう駄目だ、もう駄目だ、と繰り返すばかりです。

「おじちゃん」
 と、声が聞こえたようでした。また、空耳かと思いましたが、闇の中の辻斬り達が、
「む」
「子供の声か?」
 と呟きました。彼らにも聞こえたと言うことなのでしょう。確かに声はしたということになります。
 私同様、というより、奴らの方が戸惑った気配がしました。刀という物騒なものを構えながらも、それをどう動かしていいのかわからなくなった、そんな感じがありました。
「どこだい」
 自分でも知らないうちに聞き返していました。
「ここだよ」
「どこだい」
「ここだよ、ここ」
 何やら不思議な感じがしましたが、声の聞こえるあたりへと目で辿っていきました。目は上へ上へと昇っていきます。
「あっ」
 ずいぶん上の方で、青白く輝くものがあります。その光りで、武家屋敷の高い木の梢が照らし出されているくらいでした。
 光りのまん中に、あの子供の顔がありました。まぶしいので、どんな表情をしているのかわからないのですが、確かにあの子供だと思いました。
「わあああああ」
 声を上げたのは奴らでした。光りに照らされて、確かに浪人者だというのがわかりました。もとは百姓でもあったような四角い無骨な顔でした。どこかの村の暴れ者が、近頃の攘夷騒ぎに紛れて一稼ぎしに江戸に出てきたのでしょうか。
「逃げろ、逃げろ」
 こけつまろびつ、とは、このことでしょう。刀も放り出してよろよろしながら逃げていきます。一人は、余程恐ろしかったのか、
「わあああ、うぎゃああ、わわわわわわわ」
 ずっと、わけのわからない叫び声を上げていました。もしかすると、既に狂ってしまったのかもしれません。
 光りの中の顔は、しばらくゆらゆら揺れていましたが、すっと小さくなって人魂のような火になり、ふらふらと宙をさまよって、一回りしたかと思うと、どこかに行ってしまいました。
 武家屋敷の中から、
「見たか」
「怪しの火」
「彗星か」
 と騒ぐ声が聞こえました。

 それきり、何も起こりませんでした。私は、無事に家まで帰り着きました。
 つまりは怪が辻斬りから守ってくれた、ということになるのでしょうか。
 もう、ずいぶん昔の話になりますが、あれが何だったのか、いまだにわかりません。なぜ、あの子供、のようなものは私を守ってくれようとしたのか。 
 この話を聞いた人は、
「あなた、生き別れになった子供をお持ちだったのではありませんか」
「あるいは、どこかで子供を助けたことがあるのではありませか」
 などと言います。
 その霊のようなものが私を救ったのではないか、というのですが、こちらは一向、思い当たることがないのです。
 例の甚兵衛さんは、私の話を聞いて、こんなことを話してくれました。
「この間、日本橋であなたの後ろ姿を見かけたのですよ。声をかけようとしたのですが、ふと見ると、あなたの後ろを小さな男の子が付いていく。
 それも妙なのです。真っ白な着物を着ていましてな。お日様が当たると、真珠か何かのようにぴかぴか光るのです。
 誰だろう。あなたの息子さんはもっと大きいし、店の小僧さんにも見えません。
 あなたは、心当たりがありませんか。そうですか。なんだか、橋の上を風が吹き抜けると煙のように消えてしまったようです」
 よくわかりませんが、ともかく何かに守られているのだったら、有り難いと思わなければなりません。

 いえ、御一新以来、文明開化とかで、人々はこんな話は聞きたがらなくなりましたが、あなたがたってに、とおっしゃるので久しぶりに申し上げたような次第です。

社長の業務:ショートストーリー『メタモルフォーゼ』

社長1 だいたい、このアパートは造りのよくわからない建物なのだ。長方形の建物に整然と部屋が並んでいるわけではない。箱が組み合わさっているとか円筒形とか、そういうわかりやすい形ではない。
 ひと言で言うと・・・いや、ひと言では言えない。そう、ひと言で言うと、形がないのだ。言いかえると、いつも形を変えているのだ。

 最初、つまり僕が入居した当初は、よくある団地のような、つまり、わかりやすい形だった。
 それが少しずつ変形していったのだろうか、ひと月も経つとニワトリのような形になっていた。ゆっくりとした変化なので、日々の移ろいの中では、それがわからない。そういえば、廊下が歪んだかな、とか壁が曲がっているのかな、と、むしろこちらの目の錯覚のせいにしてしまう程度の変化なのだ。
 僕が、その変化に気づいたのは、友達を連れてきた時だ。
「お前、ここに住んでいるのか?ずいぶん奇妙な形じゃないか」
 友達は言った。
「なんだか、ニワトリの銅像の中に住んでいるみたいじゃないか」
 何を馬鹿な、と初めは思ったが、改めて虚心坦懐に見てみると、なるほど、ニワトリに似ていないこともない。
 部屋へ入っても、友達は落ち着かなそうだった。ごく普通の部屋に小さなキッチンがついただけなのに、
「変だ。この部屋は変だ」
 と繰り返している。もはや、ニワトリともカエルとも、形容の仕方が思いつかないくらい変な居心地の悪いものに感じるらしい。
 缶ビールを出すと、どこにでも売っているありふれた銘柄なのに、ためつすがめつ缶を眺め回したり、匂いを嗅いだり、何度も何度も怪訝な表情で味を確かめたりしていた。

 友人のおかげで、僕はこのアパートが刻々姿を変えていることに気がついた。ある時は、長い蛇が何匹も絡まり合っているように見えたし、ある時は、蜘蛛のように見えた。
 他の住民は、このことを知っているのだろうか。
 そう言えば、この頃、アパートで人を見かけない。いや、見かけるのだが、それは郵便や宅配の配達人だったり、集金人だったりと外部の人ばかりだ。
 もちろん、そういった人は、時々は僕のところにも来る。落ち着かないか様子で荷物や書留を渡し、伝票にサインを受け取ると、逃げるようにして立ち去る。一度、こちらがトイレに入っていて、ドアを開けるのがおくれた時など、真っ青な顔をして、顔中にぐっしょりと汗をかいていたので、僕の方がびっくりしたくらいだった。
 引っ越した当初は、廊下で、エントランスで、前庭で、よく住人に会った。隣の部屋の人とは、毎朝挨拶をしていたのだ。
 彼ともこの頃会っていない・・・彼? 彼だったっけ、彼女だったっけ。
 不思議だ。さして昔のことでないはずなのに、その隣人が男だったのか、女だったのか、思い出せない。若かったのか、年配だったのか、はっきりしない。顔かたちなど、もちろん、濃霧の中のように漠然としている。
 だいたい、僕は彼、あるいは彼女と会ったことがあるのだろうか。それさえ、夢の中のように、怪しくはかない記憶に思えてくる。

 外で一人で軽く酒を呑み、食事をして部屋に帰ると、もう零時を回っていた。ネクタイだけ外して、ワイシャツのままベッドに身体を投げ出した。
 天井の電灯が目に映っている。この部屋も、形を変えているのだろうか。あの友人の、気持ち悪そうな様子とか、郵便や宅配の人が逃げるように去っていく姿から推すと、僕が今見ていると思っている様子とは、かなり違った異様な姿をしているのかもしれない。
 
 コツ、コツ、コツ、コツ・・・

 どこからか、固い音が聞こえてきた。小さいがはっきりした音だ。だが、どの方向から聞こえてくるのか、わからない。
 軽い苛立ちを感じながらも、僕は音に神経を集中させた。
 手の拳の背の側の、骨の突き出たところで、テーブルか何か固いものを叩くような音。
 仮に叩く音だとして、誰が何を叩いているのだろうか。
 その疑問が、僕の背中に震えをもたらした。何故かわからないが、気味が悪かった。
 僕は、すねたような怒ったような自分を感じながらベッドから起きあがって、キッチンの方に向かった。そんなことをしても意味がないと知りながら、そこにあったテーブルを叩いてみた。
 あの音に近い音だ。だが、それが何になる。
 続いて入り口へ向かって、ドアに耳をつけてみた。何の音も聞こえない。それから、トイレ、バスも関係なし。

 部屋の中を歩き回っているうちに、音が聞こえなくなっていることに気づいた。
 釈然としないながら、一件落着という感じもして、今度はワイシャツもズボンも脱いで、ジャージに着替えて、再びベッドの上に転がった。
 コツ、コツ、コツ、コツ・・・
 また聞こえてきた。
 今度は、ベッドの足の方の壁際からだ、という確信が湧いてきた。隣の部屋からだろうか。
 僕は、その壁に耳を付けた。確かに、その向こうからだ。
 以前、僕と挨拶を交わしていたらしい住人は、今、この壁の向こう側で、ずっと単調に壁を叩き続けている。何のために。こんな真夜中に。
 僕は急に無力感にとらわれた。そんなこと、絶対にわかるはずがないじゃないか。
 隣の住人って、何なんだ。誰なんだ。そんなもの本当にいるのか。いたところで、何か僕には認識できないものに変化してしまっているのではないか。
 この部屋でさえ、かつてあった部屋ではないし、僕が、そうと思っている部屋ではないのだ。
 僕は、どうなんだろう。僕は、かつての僕だろうか。立ち上がって、バスに行き、洗面台の鏡を見る。一応、僕だ。だが、そんなことが何になるんだろう。僕にとって、鏡っていったいなんだろう。
 思わず鏡を叩き割りたくなって、腕を振り上げる。だが、そういう行為さえ無意味なものに思えて、再びベッドの上に寝転んだ。
 コツ、コツ、コツ、コツ・・・

 この世にいるのは、僕だけだ。
 毎日、オフィスに一番先に出社して、毎日、同じような味の仕出し弁当をデスクに座って仕事を続けながら食べて、毎日、一番遅くにオフィスを出る。それもだんだん、遅くなる。
 仕事を仕上げる、上司に提出する、上司からケチがつく、修正して再提出する、翌日になってNGだという、上司の上司がOKを出さないという、小さな修正に時間がかかる、なんとか再々度提出すると、今度は別の誰かが駄目だと言っている、ということで戻ってくる、最後には結局、一週間かかって最初に提出したものが採用になる。
 なんで、こんなに仕事をしなければならないんだろう。もう、何週間も休んでいない。友達にも会っていない。ましてや、恋人なんか作る暇もない。
 以前は、それほどでもなかった。きっと、僕が変容してしまったのだ。じゃなきゃ、なんであんなに仕事が増えていくのか、わからない。
 僕は、僕が誰だか、わからない。この世界で何をやっているのか、わからない。この世から出て行けと言われているような気がする。

 コツ、コツ、コツ、コツ・・・
 いる。確かにいる。
 この向こうに人がいる。人がいるのだ。僕と同じ人・・・同じ体温を持っているはずの同じ人・・・いいや、もう人じゃなくてもいいや、誰か、何か、いてくれ。

 少し眠ってしまったらしい。たぶん10分か、そこらだろう。30分は越えていないだろう。窓の外の夜は、まだ深い。
 ふと、あの音が変わっているのに気づいた。それまでの時計の秒針が刻んでいるようだった硬質な音から、そう、もっと曖昧な、だけど静かで、そのくせ、なにかとてつもない力を秘めていて。
 そうだ。心臓の鼓動だ。息せき切ってもいない、泣きわめいても怒り狂ってもいない、だがなにか、しみじみとした感情を底の方に、手のひらに載せるように保っている。
 壁も心なしか、温かく柔らかくなっているような気が、馬鹿な、錯覚だろう、馬鹿だなあ、俺は、弱っちくって、気がちっちゃくって、でも案外、可愛いやつなのかもしれない、夜明けまでこうやっているよ・・・
 俺、実はぐっすり眠っているのかもしれないなあ・・・

 今朝もいつもどおり、アパートを出た。寝不足の筈なのに、なぜか朝の空気が気持ちいい。光りがまぶしくってさ。
 振り返ると、アパートはニワトリでも蛇でもない、入居当初のような至極、当たり前の形をしていた。
 出勤するらしい他の住人の姿も見えた。
「おはようございます」
 振り向くと、若い女性が僕に挨拶をしていた。そうだ、この人だ。隣の部屋に住んでいる人だ。なぜ、思い出せなかったんだろう。なぜ、昨日まで見えなかったのだろう。
 あの聞こえてきた鼓動は彼女のものだったのだろうか。
 僕は、断然決めた。今度の週末は彼女を食事に誘おう。何があろうと仕事を休もう。上司が喚こうが、会社がどうなろうが、僕の知ったことじゃない。
 

 

社長の業務:ショートストーリー『蓋を巡る旅』

社長1  僕が公園のベンチで休んでいると、笠を被って杖をついたお坊さんがやって来るのが見えた。胸の前には頭陀袋をさげ、左手には托鉢の鉢、右手を拝むように顔の前に保って歩いてくる。
 今時、托鉢僧なんて珍しいなと思ってみていると、いやによろけている。かなりの年だし、ちゃんと食べていないのか、かなり痩せこけている。
 僕は立ち上がると、僧の手を引いて、
「お坊さん、こっちのベンチでお休みなさい」
 と、今まで座っていたところに導いた。
「ご親切にありがとうございます」
 と僧は、僕に向かって合掌の礼をした。
「托鉢をしておられるのですか」
「はい、このようにして旅をしているのでございます」
 西行の昔ならいざ知らず、今のお坊さんは皆、寺に住んでいるのかと思っていた。僕はなにがしかの金を、その鉢の中に入れてやった。僧は、再度、合掌して礼をした。
「大変な修行ですね」
「はい。私は、あるものを捜しておりましてな」
「あるもの?」
「はい、蓋でございます」
 僕が怪訝な顔になったのだろう、僧は頭陀袋の中から、一冊のお経の本を取り出した。
「これは、だいぶ昔に亡くなりました、私の師匠が私へ授けたものです。珍しいもので、他の寺にはまず伝わっておりませんでしょうな」
 僧の示す和綴じの本の表紙には墨で『摩訶不思議・蓋・摩波利久摩波利他止波羅止止止経』と書いてあった。
「なんと読むのですか」
「まかふしぎ・ふた・まはりく・まはりた・やむぱらやむやむやむ、と読みます」
「いやに、止まるという字が入ってますね。これを止む、と読むのですか」
「はい、私が捜している蓋には、まさにあることを止める秘密が隠されているのです」
「あること、とは?」
「悪です」
「?」
「その蓋を開けることが出来れば、この世のありとあらゆる人の心に住む悪心が止まり、この世に極楽が出現するということが、このお経に書いてあるのです」
 
 僕は、思わず僧の首を絞めそうになって、危うくこらえた。
 なぜといって、僕は悪人なのだ。
 ガキの頃から手癖が悪く、小は万引き、置き引き、こそ泥から、長じては恐喝、殺人、さらには、こっそり世界各地に紛争の火種を撒き武器を売りつけたり、隠れて世界の金融システムをいじっては、一国の経済を破綻に追い込んだり、ここ10何年か以内に起こった大事件のほとんどに関わっていると言っても過言ではない。
 すでに金など腐るほど持っているが、僕が欲しいのは金じゃない。僕の悪事のために、人が困り悩み苦しむのを見るのが大好きなだけだ。これが生き甲斐だし、悪事のない退屈な人生なんて生きるに価しないと思っている。

 これだけの悪事を働きながら、一度も逮捕されたことはない。
 なにか警察と裏で繋がっているんだろうって? そんなことはない。そんな八百長のような悪事だったら、面白くも何ともない。
 意外に思うだろうが、「いい人の振りをする」、これだけで僕は今まで一度も捕まったことがなかったのだ。
 だから、僕は老人を見れば席を譲ったり、手を引いて横断歩道を渡り、毎日、町のゴミを拾い、掃除をし、赤い羽根の募金などには、あまりにたくさん寄付をするので、全身羽だらけになって、赤いビッグバードのようになってしまう。
 自分を一人称で呼ぶ時も、「俺」ではなんだか悪人ぽいので、ちゃんと「僕」ないし「私」を使っているのだ。

 それなのに、この世の悪心を無くすなどと、とんでもないことを言うので、首を絞めそうになったのだが、誤魔化すために、その上げた手を老僧の肩に置いた。一瞬、悪鬼のようになったであろう顔も、再びこぼれそうな笑みに満ち満ちた。 
「お疲れになったでしょう。肩をもんでさしあげましょう、あとで足もさすって上げましょう」
「ありがたいことでございます」
「しかし、お坊さん、本当にそんな蓋なんて、あるんですかねえ。あれば、素晴らしいですが」
 冷静になって見れば、どうも作り事じみた話である。この僧も、ちょっとおかしいのではないだろうか。
「我が師は、修行を積まれた徳の高い方で、常人には出来ないような能力も身につけておりました。おそらく、晩年には、その蓋がどこにあるか、わかってはいたのでしょうが、実際に開けることは果たせず亡くなりました。私も師について及ばずながら修行をしたのでございます。師匠にはとてもかなわないが、いつか見つけられると信じております・・・そうそう」
 と老僧は僕の方を振り向き、
「お布施をいただき、また肩まで揉んでいただいて、何かお礼をさせていただきとうございますが、何か欲しいものはおありでしょうか」
 先にも言ったように、僕は金など余っている。欲しいものだって、好きなだけ買えるのだ。だが、それを口に出すわけにもいかないから、
「そうですね。喉が少し渇いたから、飲み物でも」
「何が飲みたいですか」
「そうですね。コーラでも」
 本当はビールでもあおりたいのだが、昼日中から飲んでいると悪い人と見られかねないので、あくまで爽やかな青年を装うのだ。
「コーラは、ペペシですか、コルクですか」
「では、ペペシを」
 老僧は右の掌を上に向けて差し出した。すると、ぽわっと煙が上がり、次の瞬間、紛れもないペペシ・コーラの350mlの缶が老僧の手の上に現れた。
 手品か・・・それにしては、種を仕込む時間なんてないだろう。僕は彼の師匠が常人の及ばない能力を持っていたという言葉を思い出した。
 こやつも、特殊な能力を身につけているのかもしれない。本当に、マハリク・マハリタ・ヤンパラヤンヤンヤンとかいう経にあることを実現してしまうかもしれぬ。

 僕は、こいつを抹殺することにした。
 そのお経のことをもっと聞きたい、と言って、僧を誘い出した。
 国産の大衆車に彼を乗せて(いい人に思われるには高級車はふさわしくないのだ)、ある高層ビルに着いた。
 本当は、このビルは僕の所有物で、中では僕の悪事を援助し、徹底的に隠蔽する優秀なスタッフが働いているのだが、高層ビルなど持っているのは、いい人っぽくないので、ここの掃除夫ということになっている。
 地下の電源室やら配管室やらがある部分の片隅に掃除夫のロッカールームがある。その右から三番目のロッカー、これだけは特殊な認証システムにより僕の指示でしか開けられないようになっている。
 僕はロッカーの中に入り、僧侶を招き入れた。ロッカーの奥には、秘密のエレベーターの入り口が隠されており、僕らは最上階へ向かった。
 そこが僕の根城だ。分厚い絨毯、重厚な大きなデスク、高級な応接セット。
 一方の壁には億単位の値段の絵画、反対側の壁にはたくさんのモニターがはめ込まれ、僕の企んでいる世界中の悪事の進行状況がわかるようになっている。
 今、右上隅のモニターに、三丁目のスーパーで、部下がうまい棒の万引きに成功したという報告が表示された。これは、来週、僕自らが行う予定のガリガリ君万引き計画のテストで、店内の状況、監視カメラの設置、店員の配置、逃走経路などについての情報をもたらしてくれるだろう。
 僧にソファを勧めてから、僕は机の上のパソコンから次の指示を出しながら、にこやかに
「お坊さん、びっくりしましたか。ここが僕の部屋です」
 そう言いつつも、手はデスクの引き出しに移動する。
 僧侶は黙って合掌した。デスクの引き出しの中の拳銃を取り出す。 
「滅多に外部の人は入れないのですが、お坊様は特別です」
 再び、僧は瞑目し合掌した。
 拳銃を構えた。銃口は、その丸い頭にぴたりと向いている。引き金を引いた。甲高い音が部屋に響く。僕の射撃の腕は百発百中だ。しかも、短距離だ。
 ここは僕の本拠地。あとでスタッフに命じて、家具も絨毯も取り替え、血に染まったそれらは僧侶の遺体と共に焼却してしまう。

 僧侶は、目を開けた。そして僕をじっと見た・・・のではなかった、自分に向かって飛んでくる弾丸を見つめていたのだ。
「なあんだ、こんな所にあったのか。これこれ、私の捜していた蓋はこれですよ」
 そういうと、目の先の弾丸を指で摘み、薬のカプセルか何かのように、それを開けた。中はからっぽになっていた。その空洞を僕の方に見せた。
 小さな穴なのにも関わらず、中に青空が拡がっていた。何かの花のような香りがそこから漂ってきた。
 その匂いを嗅いだ僕は、再びパソコンに向かい、現在進行中の計画をすべて中止するよう指令を出した。

社長の業務:ショートストーリー『不条理落語・落下傘』

社長1熊「ご隠居さーん」
隠「おや、なんだい熊さんじゃないか。まあ、こっちにお上がり」
熊「お上がりったって、上がるわけにいきませんや」
隠「なんでだい」
熊「だって、ご隠居さん、あっし達は今、パラシュートで降りている途中じゃないですか。空中で、どこに上がるってんですか」

隠「そうだったな。落下傘で降りている途中だった」
熊「落下傘だって、古いなあ」
隠「そうかね。あたしなんぞには、パラシュートなんていうよりも、落下傘の方がしっくりくるな」
熊「ところで、ご隠居さん、しばらく見えませんでしたね。どこかへ行っていたんですか」
隠「どこへ行くったって、風の吹くままさ。自分で、どこに行こうと決められるものじゃない」
熊「そうですかね。こうやって、えいっ、えいっ、足を掻けば動くんじゃないですかね」
隠「動きゃしないよ。そんなのは、あたしだって若い頃に試してみた」
熊「若い頃って・・・ご隠居さん、いつからこうやって降りているんですか」
隠「そうだなあ、ものごころついた頃には、こうしていたなあ」
熊「じゃあ、その頃から、ずっとこうやっているんですか」
隠「うん。お陰で、今じゃ上っているんだか降りているんだか、わからないよ。落下傘というからには落下しているんだろうというだけでね。パラシュートなんていわれたら、あたしなんぞには、わからなくなるよ」

熊「しかし、いいお天気ですね」
隠「いい天気だな。一点の曇りもない、とは、このことだな」
熊「ですが、こう、どっちを向いても青い空だと、なんだか張り合いがないですね」
隠「うん。上を見ても青い空、下を見ても青い空だからな」
熊「あっし達が降りていく先には、本当に地面てものがあるんですかねえ」
隠「まあ、まだだいぶ先なんだろう。下を見ても、何も見えないからな」

熊「ご隠居さん、ご隠居さん」
隠「うん? なんだ、熊さんか」
熊「熊さんかじゃありませんよ、空っとぼけて」
隠「空だけに、空とぼける、なんぞはうまい洒落だな」
熊「さっきは、なんで聞こえないふりしていたんですか」
隠「いや、空耳だと思ったんだ」 
熊「ご隠居さん」
隠「なんだい」
熊「パラシュートで降りながら聞く洒落ってのは面白くありませんね」
隠「まあ、地上なら滑ったと言うところだが、ここだと空回りした、てなもんだな」

熊「ご隠居さん、ご隠居さん、これを見てくださいよ」
隠「なんだい・・・あれ、いつの間に双眼鏡なんか持っていたんだい」
熊「まあ、いいじゃありませんか。これ、よく見えますよ」
隠「よく見えるったって、まわりは青い空ばかりじゃないか。そんなものを見たって仕方なかろう」
熊「そんなことありませんよ。大きく見えるんですよ」
隠「ただ青いのが見えるだけなのに、大きいだなんて」
熊「八倍ですよ、八倍」
隠「ただの青が八倍になったって、ただの青に違いないだろう」
熊「いいから試しに見てくださいよ」
隠「何を馬鹿なこと言ってるんだ・・・あ、本当だ、大きい」

熊「ご隠居さん、こう、青いのを目の前にしていると、だんだん、これがガラスかなんかで出来ているような気がしてきますね」
隠「うん、なんだか手を伸ばせば触れそうな気がしてくるな」
熊「ちょっと伸ばしてみましょうか」
隠「よせよせ、空が触れるわけがないじゃないか」
熊「まあ、ものは試しって言うじゃありませんか・・・あっ」
隠「どうしたい」
熊「ご隠居さん、見てください、指先が青く染まっちまいました」
隠「ははあ、それはきっと、空の濃いところに指を突っ込んじゃったんだな」

熊「ご隠居さん、上を見てください。何か落ちてきますよ」
隠「なになに・・・あ、本当だ、おい熊さん、ありゃ人間だよ」
熊「人間ですね。あっし達みたいにパラシュートつけていませんよ」
隠「だから、どんどん落ちてくるな。あ、近づいてきた」
熊「ひゃっ、あっという間に通り越して下に行っちまいましたね。ありゃ何ですかね」
隠「思うに、飛び降り自殺だな」
熊「へえ。どこから飛び降りたんでしょう」
隠「上からだろうな」
熊「どこへ行くんでしょう」
隠「地面・・・あればの話だが」
熊「なかったらどうなるんですか」
隠「そうだなあ。せっかく飛び降り自殺したのに、落ちている間に年を取っちゃって、死因は老衰ってことになるかもしれないな」

熊「ご隠居さん、この話、いつまで続くんでしょうね」
隠「うん、どうにもまとまりがつかないな」
熊「落ちはあるんでしょうか」
隠「落ち? 始まった時から落ちっぱなしじゃないか」
プロフィール

Author:文豪堂
いらっしゃいませ。中川善史(自称社長)と金井哲夫(自称編集局長)が2人でしこしこ書いているふざけた電子書籍本を販売する「蕪」式会社文豪堂書店です。(社名は予告なく変更することがあります) (なおこれは個人の感想です)(効能を保証するものではありません)(おだてると調子に乗ります)

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