文豪堂書店アクション純文学シーズン1 エピソード9「三大怪獣真夏の大決戦」(その2)

1
「逃げられちゃいましたー」と力なく隊員が砲塔のハシゴを降りてきて、丸太を放り投げた。隊長はちゃぶ台を離れ、すでに運転台についていた。
「行くぞ。掴まってろ」
隊長はそう言うと、乱暴に土手を駆け下り、老人が丹精込めて耕した畑をめちゃくちゃに掘り返し、畑の脇の道には戻らず、そのままあれやこれやを踏み散らかしながら、元の2車線道路の土手に飛び載った。そして激しくアスファルトを削り、猛烈な土煙を上げて急旋回し、道路の進行方向に頭を揃えて停止した。
そこへ後ろから、黒い車が追い越していった。交差点でもないところに突然現れた泥だらけの黒煙を吐く大きな鉄の塊に驚いて、急ブレーキも間に合わず、間一髪、戦車の脇をすり抜けたのだ。それは、タイヤまでピカピカの高級海外ブランドのSUVだった。危ないところで衝突を免れたSUVは、数十メートル前方で赤いブレーキランプを光らせて急停止した。
「なにあれ?」
SUVのハンドルにしがみつき、色白で痩せ型の、縁なしメガネをかけた中年男性が声を震わせた。ルームミラーを覗き込み、リアウィンドウを振り返り、後方に停止して黒い煙をあげている泥だらけの緑色の物体に目を凝らす。助手席でキュウリの輪切りが入った水を飲んでいた、都会的な意識高い系っぽいロングヘアーの妻もゆっくり後ろを振り返ると、「戦車?」と呟いた。
「な、なんでこんなところに戦車が?」
「自衛隊かしら。でも一台だけだし、ずいぶんボロだし、民間の戦車かしらね」
「民間の戦車なんて、聞いたことないけど」
怯える夫とは対象的に、妻はまたゆっくり前に向き直り、どこに視線を合わせるでもなく落ち着いた声で言った。
「右翼よ、決まってるでしょ」
「ウヨク……」
夫はまだ後ろを向いたまま落ち着かない様子でいる。
「田舎だから道も悪いし、クマとかも出るし、だから戦車に乗ってるのよ」と妻は相当田舎に偏見がある。
「恐らく、バカすぎて村八分にされてヤケクソになった若者が、ユーチューブかなんかで同レベルのネトウヨの扇動動画を見て、そのわかりやすいパターナリズムに傾倒して、サル程度の意識レベルだから上下関係がハッキリした群の中の特定の階級に自らを置いて上位の人たちに服従することで承認欲求と帰属欲求を満たして、とにかく難しい理屈を言う人は全部サヨクってことにして、他のネトウヨに言われるままに個人的な不満をすべてサヨクのせいにして、旭日旗振ってバンザーイとか言ってれば世の中なんとかなると思い込んでる不憫な人間よ。要するに、戦闘服を着て丸太振り回して喜んでるような連中ね」
「どうして丸太なの?」
「田舎だから、丸太はいっぱい落ちてるじゃないの」
「そうなのか……」
夫も前に向き直ったものの、まだルームミラーで後方を気にしながら妻の説明に納得した。
「おい見ろ、あの車! 絶対カーナビ付いてるよな」
隊長は戦車の小さな曇った防弾ガラスの向こうに見えているSUVを指さして隊員に言った。
「当然、付いてるでしょう」
「あれについていけば、かならず道の駅に行く」
隊長は断言した。
「どうしてわかるんです?」
「こんな山の中で品川ナンバーの高級車だぞ。観光客に決まってる。観光客は道の駅に行くに決まってる。よーし、逃がさんぞ」
「あ、でも気をつけてくださいよ。黒いSUVは煽り運転とかする輩が乗ってる恐れがあります。厄介事に捲き込まれないように……」
「こっちは戦車だ。煽りやがったら大砲をぶっ放す」
日ごろは市民に愛される地球防衛隊であれと口を酸っぱくして言っている隊長だが、時と場合によるらしい。隊長は思いっきりアクセルを踏み込んだ。戦車のエンジンがガオンと大きく吠え、戦車後部の上を向いた太い排気管の先から黒い煙がキノコ雲の形に噴き上がる。ボロとは言え、無駄に大馬力のエンジンを積んでいる。急加速の勢いで戦車の前方が持ち上がり、隊長は座席から投げ出されそうになった。びっくりして慌ててブレーキを踏むと、今度は急停止の慣性で戦車の後方が持ち上がる。隊長は前につんのめり、アクセルの上で脚を踏ん張った。するとまた戦車は急加速し……を繰り返すうちに、戦車は前後に大きく揺れながら、じりじりとSUVに接近し、あやうく衝突しそうな距離でやっと落ち着いた。
「煽ってきたよ!」
SUVの夫は妻に助けを求めるように言った。
「急ぐなら先に行けばいいじゃないの。先に行けって言ってやりなさいよ」
妻は冷静に夫に指示を出した。夫は怯えながらも、煽り戦車よりも妻のほうが怖いと見えて、運転席側の窓をわずかに下ろして腕を突き出し、先に行けと合図を送ると、すぐに腕を引っ込めて窓を閉め、ドアをロックした。夫は左手で右腕を払いながら、「これでいいの?」と口には出さずに妻の顔を伺った。
「おいおい、何言ってんだよ。こっちが先に行っちゃったら意味ないだろがー。いいから早く道の駅に行けってんだ!」
隊長は乱暴にクラクションを鳴らした。クラクションというより、ちょいと威勢のいいトラックに付いている、あの威圧的な船の汽笛のみたいな轟音が響くやつだ。
「こら、動け!」
隊長はクラクションを鳴らし、アクセルを小刻みに踏みながら、戦車をじりじりと動かす。
「動かんか、こら!」
正真正銘、誰がどう見ても完璧な煽り運転だ。しかも戦車で。
「あなた、警察に電話!」
妻は毅然として夫に命じた。夫は震える手でスマホを取り出し画面を見る。
「だめだ、圏外だー」
夫が情けない声で言う。
「静かにしていましょう。刺激したら軍服が飛び出てきて丸太を振り回すから。そしたら、絶対に目を合わせちゃダメよ。足を噛まれるわよ」
「しょーがないな。おい、お前、降りて道の駅までの行き方を聞いてこい」
隊長は隊員に命令した。
「えーっ、またですか?」
「お前は人に道を聞くのが好きなんだろ?」
「別に好きってわけじゃないです」
「だが嫌いじゃないよな」
「ええ、まあ」
「私は嫌いだ。だから、お前が行くのが道理だ。丸太を忘れるなよ。どーもすいませんと、自分の頭をポコポコ叩いて市民に愛嬌を振りまくんだ」
その「市民」をさんざん煽って威嚇したのは隊長なのに、その埋め合わせを丸太でしろというのかと、隊員は少し不満に感じたが、上官の命令には逆らえない。不本意ながら隊員は丸太を手に取り、ハッチへのハシゴに足をかけた。
「地球防衛隊の誇りを忘れるなよ」
隊長は言った。丸太で自分の頭をポコポコ叩きながら誇りを保てとは、並大抵の修行では敵わない技だ。隊員は地球防衛隊の任務の厳しさを痛感した。
隊員は丸太を手に取り、戦車の砲塔のてっぺんにあるハッチを開けて、元気に外に飛び出した。そして前方のSUVに向かって、挨拶のつもりでにこやかに愛想よく丸太を振り回し、自分の頭をポコポコ叩いた。
「出た! 軍服で丸太を振り回してる。本物だ! 自分の頭を丸太で叩いてるぞ」
「よっぽどね。ああいうのには、下手に逆らわないほうがいいわ。すぐに車を出して!」
言われるよりも早く、夫はアクセルを踏み込んだ。黒い高級SUVはきゅきゅきゅとタイヤを鳴らして急発進していった。
「追いかけてこない?」
妻は後ろを気にする。
「最初から逃げてればよかったんだよね」
震える手でハンドルを握り、夫は少しずつ冷静を取り戻していた。
「どっか飲み物買えないかしら」
キュウリ水を飲み干してしまった妻は、ちょっと後ろを振り返りながら夫に言った。
「すぐこの先に道の駅があるけど、追いつかれると怖いから、急いで東京に帰ろう」
そう言い終わらないうちに湖畔の周回道路に突き当たると、交差点を左に曲がり、すぐそこにあった道の駅の前を「東京」と道路標識に書かれた方向へ猛スピードで走り抜けて行ってしまった。
黒いSUVが猛スピードで走る抜けた道の両側で、今にも溶けて消えそうな大雪女と、今にも茹だりそうな大山椒魚と、今にも干からびそうな大河童が向かい合っていた。最後は派手に怪獣大決戦でもってこの話を締めくくって、すっきりした気分で涼しいところに帰りたいと三匹は願っているのだが、なかなか動き出さない。
どうやら彼らは、地球防衛隊の到着を待っているようだ。怪獣たちも、世間の人たちと同様、地球防衛隊を怪獣の仲間だと思っているらしい。彼らが来なければ怪獣バトルも形がつかない。強烈な日差しの下、三匹は「耐えろ耐えろ」と自分に言い聞かせながら地球防衛隊の到着をまんじりともせず待ていたのだ。
道の駅とは反対岸の山の中腹にいた大河童からは、道の駅の交差点からほんのちょっと内陸の道がカーブしたところに地球防衛隊の戦車が停まっているのが見えていた。何をしてるんだ、早く来い! と大河童はやきもきしながら暑さに耐えていた。
2
またしても空振り終わり、蒸し暑い戦車に戻ってきた隊員は、ちゃぶ台の上に空の麦茶のペットボトルが転がっているのを見た。
「隊長、一人で飲んじゃったんですか?」
「あ? うん……」
「じゃあ道の駅でなんか買いましょうよ」
「や、もう帰る」
「えー、道の駅に行くんじゃなかったんですか? 楽しみにしてたのに」
「お前が外に出てる間に、ジュネーブから早く来いと催促の電話があった」
「でも飲み物買うぐらいはいいでしょ」
「ダメだ。このまま行っても、道の駅には辿り着けん」
「どうしてわかるんです?」
「これまでさんざん走ったのに、道の駅はぜんぜん現れないじゃないか。もうどんなに走っても同じだ。こういうときの私の勘はよく当たるんだ。さあ、帰るぞ」
隊員は、何か飲み物はないかと冷蔵庫を開けた。その奥には、去年、恋人の味だとか、水玉の紙に包んであるやつじゃないとダメだとか、隊長が駄々をこねるので散々探して買ったのに、案の定、ちょっとしか飲まずに放置されていたガラス瓶入りのカルピスがあった。カルピスは生きているから腐らないとか言って、隊長は捨てずにずっと冷蔵庫に入れっぱなしにしていたのだ。
「あ、隊長、去年のカルピスがありましたよ。どっかで水だけ買ってカルピス飲みましょうよ」
「えー、去年のだろ? やだよ、お腹壊すよ。飲みたきゃお前だけで飲め。それに、わざわざ水を買うんなら、水をそのまま飲んだ方が早いじゃないか。だから逆に、水を買わずにカルピスをそのまま飲めばいちばん早い。あ、私はカルピス完熟巨峰ね」
何の話をしているのか、誰のために何を買って何を買わないのか、結局、誰が何を飲むのか、飲まないのか、隊員は頭がぐるぐるして鼻血が出そうになったので、とりあえず戦車を走らせることにした。だが、帰り道がわからない。無闇に走り回っていたので、イキもカエリもわからなくなってしまった。
「帰りはどっちでしたっけ?」
隊員はつい隊長に聞いてしまってから、しまったと思った。方向音痴の隊長に道のことを聞いても仕方がない。しかし隊長はこう即答した。
「帰りは反対方向に決まってるだろ。前に進めばカエリじゃなくてイキだ。カエリなんだから後ろだ」
なるほど、これは筋が通っている。方向音痴でも、さすがに隊長は物事の通りをよくわきまえている。隊員は納得して戦車をUターンさせ、全速力でその場を走り去った。
あとちょっとで道の駅という地点から、戦車はきびすを返して走り去ってしまった。それを見ていた大河童は、「あの馬鹿!」と言わんばかりに舌打ちをし、大山椒魚と大雪女に「ダメ」の合図を送った。大雪女は力が抜けてその場で消失し、大山椒魚も水中に没した。最後に大河童も背中を丸めて山奥に消えた。結局、決戦は流れてしまった。
「羽田空港で降ろしてくれ」と隊長は言った。そうか、ジュネーブに行くのだから、秘密基地ではなく空港に寄らなければならない。羽田空港のVIP専用ゲートから入ると、地球防衛隊の超音速特別機が待っているに違いない。隊員は胸を躍らせながら戦車を走らせた。やがて、羽田空港に近い環状八号線の大鳥居の交差点を過ぎたあたりで、「ここでいい」と隊長は戦車を停めさせた。
「え、ここから歩くんですか?」
「うん、すぐそこだから。お前は先に帰って、上がっていいぞ」
そう隊長は言い残して戦車を降り、京浜急行の線路の方向へ歩いて行ってしまった。
傾いた黄色い午後の日差しを浴びて、ひょこひょこと空港とは反対方向に歩いてゆく隊長の背中を眺め、大丈夫だろうかと半ば心配しながら、隊員は旅の無事を祈った。
シーズン1完
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