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小説

文豪堂書店アクション純文学シーズン1 エピソード9「三大怪獣真夏の大決戦」(その2)

怪獣ラスト2

1

「逃げられちゃいましたー」と力なく隊員が砲塔のハシゴを降りてきて、丸太を放り投げた。隊長はちゃぶ台を離れ、すでに運転台についていた。

「行くぞ。掴まってろ」
 隊長はそう言うと、乱暴に土手を駆け下り、老人が丹精込めて耕した畑をめちゃくちゃに掘り返し、畑の脇の道には戻らず、そのままあれやこれやを踏み散らかしながら、元の2車線道路の土手に飛び載った。そして激しくアスファルトを削り、猛烈な土煙を上げて急旋回し、道路の進行方向に頭を揃えて停止した。

 そこへ後ろから、黒い車が追い越していった。交差点でもないところに突然現れた泥だらけの黒煙を吐く大きな鉄の塊に驚いて、急ブレーキも間に合わず、間一髪、戦車の脇をすり抜けたのだ。それは、タイヤまでピカピカの高級海外ブランドのSUVだった。危ないところで衝突を免れたSUVは、数十メートル前方で赤いブレーキランプを光らせて急停止した。
 
「なにあれ?」
 SUVのハンドルにしがみつき、色白で痩せ型の、縁なしメガネをかけた中年男性が声を震わせた。ルームミラーを覗き込み、リアウィンドウを振り返り、後方に停止して黒い煙をあげている泥だらけの緑色の物体に目を凝らす。助手席でキュウリの輪切りが入った水を飲んでいた、都会的な意識高い系っぽいロングヘアーの妻もゆっくり後ろを振り返ると、「戦車?」と呟いた。

「な、なんでこんなところに戦車が?」
「自衛隊かしら。でも一台だけだし、ずいぶんボロだし、民間の戦車かしらね」
「民間の戦車なんて、聞いたことないけど」
 怯える夫とは対象的に、妻はまたゆっくり前に向き直り、どこに視線を合わせるでもなく落ち着いた声で言った。
「右翼よ、決まってるでしょ」
「ウヨク……」
 夫はまだ後ろを向いたまま落ち着かない様子でいる。
「田舎だから道も悪いし、クマとかも出るし、だから戦車に乗ってるのよ」と妻は相当田舎に偏見がある。
「恐らく、バカすぎて村八分にされてヤケクソになった若者が、ユーチューブかなんかで同レベルのネトウヨの扇動動画を見て、そのわかりやすいパターナリズムに傾倒して、サル程度の意識レベルだから上下関係がハッキリした群の中の特定の階級に自らを置いて上位の人たちに服従することで承認欲求と帰属欲求を満たして、とにかく難しい理屈を言う人は全部サヨクってことにして、他のネトウヨに言われるままに個人的な不満をすべてサヨクのせいにして、旭日旗振ってバンザーイとか言ってれば世の中なんとかなると思い込んでる不憫な人間よ。要するに、戦闘服を着て丸太振り回して喜んでるような連中ね」
「どうして丸太なの?」
「田舎だから、丸太はいっぱい落ちてるじゃないの」
「そうなのか……」
 夫も前に向き直ったものの、まだルームミラーで後方を気にしながら妻の説明に納得した。
 
「おい見ろ、あの車! 絶対カーナビ付いてるよな」
 隊長は戦車の小さな曇った防弾ガラスの向こうに見えているSUVを指さして隊員に言った。
「当然、付いてるでしょう」
「あれについていけば、かならず道の駅に行く」
 隊長は断言した。
「どうしてわかるんです?」
「こんな山の中で品川ナンバーの高級車だぞ。観光客に決まってる。観光客は道の駅に行くに決まってる。よーし、逃がさんぞ」
「あ、でも気をつけてくださいよ。黒いSUVは煽り運転とかする輩が乗ってる恐れがあります。厄介事に捲き込まれないように……」
「こっちは戦車だ。煽りやがったら大砲をぶっ放す」

 日ごろは市民に愛される地球防衛隊であれと口を酸っぱくして言っている隊長だが、時と場合によるらしい。隊長は思いっきりアクセルを踏み込んだ。戦車のエンジンがガオンと大きく吠え、戦車後部の上を向いた太い排気管の先から黒い煙がキノコ雲の形に噴き上がる。ボロとは言え、無駄に大馬力のエンジンを積んでいる。急加速の勢いで戦車の前方が持ち上がり、隊長は座席から投げ出されそうになった。びっくりして慌ててブレーキを踏むと、今度は急停止の慣性で戦車の後方が持ち上がる。隊長は前につんのめり、アクセルの上で脚を踏ん張った。するとまた戦車は急加速し……を繰り返すうちに、戦車は前後に大きく揺れながら、じりじりとSUVに接近し、あやうく衝突しそうな距離でやっと落ち着いた。

「煽ってきたよ!」
 SUVの夫は妻に助けを求めるように言った。
「急ぐなら先に行けばいいじゃないの。先に行けって言ってやりなさいよ」
 妻は冷静に夫に指示を出した。夫は怯えながらも、煽り戦車よりも妻のほうが怖いと見えて、運転席側の窓をわずかに下ろして腕を突き出し、先に行けと合図を送ると、すぐに腕を引っ込めて窓を閉め、ドアをロックした。夫は左手で右腕を払いながら、「これでいいの?」と口には出さずに妻の顔を伺った。

「おいおい、何言ってんだよ。こっちが先に行っちゃったら意味ないだろがー。いいから早く道の駅に行けってんだ!」
 隊長は乱暴にクラクションを鳴らした。クラクションというより、ちょいと威勢のいいトラックに付いている、あの威圧的な船の汽笛のみたいな轟音が響くやつだ。

「こら、動け!」
 隊長はクラクションを鳴らし、アクセルを小刻みに踏みながら、戦車をじりじりと動かす。
「動かんか、こら!」
 正真正銘、誰がどう見ても完璧な煽り運転だ。しかも戦車で。

「あなた、警察に電話!」
 妻は毅然として夫に命じた。夫は震える手でスマホを取り出し画面を見る。
「だめだ、圏外だー」
 夫が情けない声で言う。
「静かにしていましょう。刺激したら軍服が飛び出てきて丸太を振り回すから。そしたら、絶対に目を合わせちゃダメよ。足を噛まれるわよ」

「しょーがないな。おい、お前、降りて道の駅までの行き方を聞いてこい」
 隊長は隊員に命令した。
「えーっ、またですか?」
「お前は人に道を聞くのが好きなんだろ?」
「別に好きってわけじゃないです」
「だが嫌いじゃないよな」
「ええ、まあ」
「私は嫌いだ。だから、お前が行くのが道理だ。丸太を忘れるなよ。どーもすいませんと、自分の頭をポコポコ叩いて市民に愛嬌を振りまくんだ」

 その「市民」をさんざん煽って威嚇したのは隊長なのに、その埋め合わせを丸太でしろというのかと、隊員は少し不満に感じたが、上官の命令には逆らえない。不本意ながら隊員は丸太を手に取り、ハッチへのハシゴに足をかけた。

「地球防衛隊の誇りを忘れるなよ」

 隊長は言った。丸太で自分の頭をポコポコ叩きながら誇りを保てとは、並大抵の修行では敵わない技だ。隊員は地球防衛隊の任務の厳しさを痛感した。

 隊員は丸太を手に取り、戦車の砲塔のてっぺんにあるハッチを開けて、元気に外に飛び出した。そして前方のSUVに向かって、挨拶のつもりでにこやかに愛想よく丸太を振り回し、自分の頭をポコポコ叩いた。

「出た! 軍服で丸太を振り回してる。本物だ! 自分の頭を丸太で叩いてるぞ」
「よっぽどね。ああいうのには、下手に逆らわないほうがいいわ。すぐに車を出して!」
 言われるよりも早く、夫はアクセルを踏み込んだ。黒い高級SUVはきゅきゅきゅとタイヤを鳴らして急発進していった。
「追いかけてこない?」
 妻は後ろを気にする。
「最初から逃げてればよかったんだよね」
 震える手でハンドルを握り、夫は少しずつ冷静を取り戻していた。
「どっか飲み物買えないかしら」
 キュウリ水を飲み干してしまった妻は、ちょっと後ろを振り返りながら夫に言った。
「すぐこの先に道の駅があるけど、追いつかれると怖いから、急いで東京に帰ろう」
 そう言い終わらないうちに湖畔の周回道路に突き当たると、交差点を左に曲がり、すぐそこにあった道の駅の前を「東京」と道路標識に書かれた方向へ猛スピードで走り抜けて行ってしまった。

 黒いSUVが猛スピードで走る抜けた道の両側で、今にも溶けて消えそうな大雪女と、今にも茹だりそうな大山椒魚と、今にも干からびそうな大河童が向かい合っていた。最後は派手に怪獣大決戦でもってこの話を締めくくって、すっきりした気分で涼しいところに帰りたいと三匹は願っているのだが、なかなか動き出さない。

 どうやら彼らは、地球防衛隊の到着を待っているようだ。怪獣たちも、世間の人たちと同様、地球防衛隊を怪獣の仲間だと思っているらしい。彼らが来なければ怪獣バトルも形がつかない。強烈な日差しの下、三匹は「耐えろ耐えろ」と自分に言い聞かせながら地球防衛隊の到着をまんじりともせず待ていたのだ。

 道の駅とは反対岸の山の中腹にいた大河童からは、道の駅の交差点からほんのちょっと内陸の道がカーブしたところに地球防衛隊の戦車が停まっているのが見えていた。何をしてるんだ、早く来い! と大河童はやきもきしながら暑さに耐えていた。

2

 またしても空振り終わり、蒸し暑い戦車に戻ってきた隊員は、ちゃぶ台の上に空の麦茶のペットボトルが転がっているのを見た。
「隊長、一人で飲んじゃったんですか?」
「あ? うん……」
「じゃあ道の駅でなんか買いましょうよ」
「や、もう帰る」
「えー、道の駅に行くんじゃなかったんですか? 楽しみにしてたのに」
「お前が外に出てる間に、ジュネーブから早く来いと催促の電話があった」
「でも飲み物買うぐらいはいいでしょ」
「ダメだ。このまま行っても、道の駅には辿り着けん」
「どうしてわかるんです?」
「これまでさんざん走ったのに、道の駅はぜんぜん現れないじゃないか。もうどんなに走っても同じだ。こういうときの私の勘はよく当たるんだ。さあ、帰るぞ」
 
 隊員は、何か飲み物はないかと冷蔵庫を開けた。その奥には、去年、恋人の味だとか、水玉の紙に包んであるやつじゃないとダメだとか、隊長が駄々をこねるので散々探して買ったのに、案の定、ちょっとしか飲まずに放置されていたガラス瓶入りのカルピスがあった。カルピスは生きているから腐らないとか言って、隊長は捨てずにずっと冷蔵庫に入れっぱなしにしていたのだ。

「あ、隊長、去年のカルピスがありましたよ。どっかで水だけ買ってカルピス飲みましょうよ」
「えー、去年のだろ? やだよ、お腹壊すよ。飲みたきゃお前だけで飲め。それに、わざわざ水を買うんなら、水をそのまま飲んだ方が早いじゃないか。だから逆に、水を買わずにカルピスをそのまま飲めばいちばん早い。あ、私はカルピス完熟巨峰ね」

 何の話をしているのか、誰のために何を買って何を買わないのか、結局、誰が何を飲むのか、飲まないのか、隊員は頭がぐるぐるして鼻血が出そうになったので、とりあえず戦車を走らせることにした。だが、帰り道がわからない。無闇に走り回っていたので、イキもカエリもわからなくなってしまった。
「帰りはどっちでしたっけ?」
 隊員はつい隊長に聞いてしまってから、しまったと思った。方向音痴の隊長に道のことを聞いても仕方がない。しかし隊長はこう即答した。

「帰りは反対方向に決まってるだろ。前に進めばカエリじゃなくてイキだ。カエリなんだから後ろだ」

 なるほど、これは筋が通っている。方向音痴でも、さすがに隊長は物事の通りをよくわきまえている。隊員は納得して戦車をUターンさせ、全速力でその場を走り去った。

 あとちょっとで道の駅という地点から、戦車はきびすを返して走り去ってしまった。それを見ていた大河童は、「あの馬鹿!」と言わんばかりに舌打ちをし、大山椒魚と大雪女に「ダメ」の合図を送った。大雪女は力が抜けてその場で消失し、大山椒魚も水中に没した。最後に大河童も背中を丸めて山奥に消えた。結局、決戦は流れてしまった。

「羽田空港で降ろしてくれ」と隊長は言った。そうか、ジュネーブに行くのだから、秘密基地ではなく空港に寄らなければならない。羽田空港のVIP専用ゲートから入ると、地球防衛隊の超音速特別機が待っているに違いない。隊員は胸を躍らせながら戦車を走らせた。やがて、羽田空港に近い環状八号線の大鳥居の交差点を過ぎたあたりで、「ここでいい」と隊長は戦車を停めさせた。

「え、ここから歩くんですか?」
「うん、すぐそこだから。お前は先に帰って、上がっていいぞ」
 そう隊長は言い残して戦車を降り、京浜急行の線路の方向へ歩いて行ってしまった。

 傾いた黄色い午後の日差しを浴びて、ひょこひょこと空港とは反対方向に歩いてゆく隊長の背中を眺め、大丈夫だろうかと半ば心配しながら、隊員は旅の無事を祈った。

シーズン1完


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文豪堂書店アクション純文学シーズン1 エピソード9「三大怪獣真夏の大決戦」(その1)

著者注:「あんたの文章は長くて読むのがイヤになるのよ」と女房が活字離れ世代の現代っ子のようなことを言うので、2部構成にしました。

「がおー」と怪獣の咆哮がダム湖を取り囲む山々にこだまする。
昼過ぎの日差しは真上から押しつけるように照りつける。周囲の山肌からは数万人の僧侶の読経のようなセミの声が緑色の湖面に集中する。その中央には、丸いつるりとした島がうかんでいた。島には黒いつぶらな目が2つ付いている。大山椒魚だ。

大山椒魚は、少し右に目をやる。その視線の先の山の中腹には、黒ずんだ巨大な人影がうずくまっていた。それは水かきのある巨大な手を挙げて、大山椒魚の咆哮に応えた。

続けて大山椒魚は水面からそれ以上頭をださないようにして、目を左に移す。その視線の先には、湖畔の道の駅の脇の杉の木立の中に白い人影がある。その人影も右手を弱々しく挙げて大山椒魚に合図を送った。

三匹の怪獣がこのダム湖に集結した。この三匹が登場するシリーズの最終回を、三大怪獣大決戦で締めくくろうという寸法らしい。道の駅では、観光客がスマホを掲げて、その世紀の瞬間を動画配信しようと身構えている。湖を取り巻く周遊道路には、ところどころにパトカーと消防自動車が待機し、赤色灯を点滅させながら人や車が怪獣に踏みつぶされないよう警戒している。
だが、戦いは一向に始まらない。彼らはいったい、何を待っているのだろうか。

「隊長、道、合ってます?」
 そのころ、真夏の日差しに焙られた動く鉄の箱である地球防衛隊の戦車の中で、戦闘服の上を脱いでTシャツ姿になった汗だくの隊員は、きっちりと戦闘服を着込んだ、やはり汗だくの運転中の隊長に声をかけた。しかし隊長は答えない。

 怪獣が現れると、どこからともなく地球防衛隊の戦車が現れる。地球防衛隊とはどんな組織なのか、どこが運用しているのか、国連なのか、国なのか、地方自治体なのか、それとも民間なのか、わからない。ただ、隊長一人、隊員一人のためのこの戦車は、内部にお座敷とトイレ(和式)と冷蔵庫を備えた落ち着きある和の風情漂う特製の戦車であり、大砲の弾は撃ち放題という贅沢な仕様になっている。
 彼らが地球防衛隊であることを示す唯一の手がかりは、戦車の後ろに掲げられた、煤けて端がほつれた「地球防衛隊」の幟旗だ。それがあるから、みんなは「ああ、地球防衛隊なのだな」と思っているだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
 怪獣が現れると一緒に現れて、住宅街だろうが人がいようが、あたり構わず大砲をぶっ放す。怪獣をなかなか倒せないときは、その破壊行為は広範に及ぶ。みごと怪獣を倒せば倒したで、巨大な死骸を残して帰ってしまう。怪獣駆除が目的だとは言え、結果からすれば大変な迷惑組織だ。

 市民から猛烈な反対運動が起きてもおかしくはない。それが起きないのは、怪獣に反対運動を起こす人がいないのと同じ理由だ。怪獣に理屈を並べても始まらない。なにせ相手は怪獣なのだから。地球防衛隊に文句を言っても始まらない。なにせ相手は地球防衛隊なのだから。つまり、地球防衛隊は、世間一般には怪獣の付属物だと思われている。

「たいちょー、大丈夫っすかぁ? 運転、代わりますよ」
 隊員は、戦車内の座敷に置かれた丸いちゃぶ台の下に両足を投げ出し、ペットボトルの生温い麦茶を生温いコップに注ぎながら、生意気な口を利いた。

「運転中に横から口を出すな!」

 隊長はいらいらしている。自分でも今走っている道が正しいのか、確証が持てないでいるのだ。頭皮からは次々と汗が流れ出て額をつたい、カーキ色の戦闘服のズボンにポタポタと垂れる。

 戦車の運転は隊員の役割だ。いつもなら、隊長は戦車内の座敷に半分寝転がって現場に到着するまで居眠りをしている。今日も、怪獣出現の通報を受け、大田区糀谷の町工場に挟まれた秘密基地を出発して現場近くに出るまでは、隊員が運転していた。しかし、いつになく落ち着きがない隊長は、隊員の運転にしびれを切らし、自分が運転すると言い出したのだ。

「今日は、ほれ、ジュネーブだから。急ぐんだよ。お前の運転では間に合わん。代われ!」

 隊長は運転がうまいわけでも道をよく知ってるわけでもない。じっと待つのがもどかしいという理由だけで運転すると言い出した、ただのわがままだ。だが、運転がうまい方の隊員は無免許だ。「戦車は普通の車とは違うから大丈夫」という隊長の言葉を信じて、入隊以来ずっと戦車で公道やら道なき道やらを走ってきた。それなりに運転技能はついた。「こんだけ運転できるんだから、もう免許はいらないな」と隊長に褒められた隊員は、自動車運転免許証を取る必要性を感じていなかった。

 それに対して、運転免許を持っている隊長は、バックと大きな交差点での右折ができない。絶対に右折をしないから、どこへ行くかわからない。「三回左折すれば右折と同じだ」と豪語するのだが、そう都合のいい道路ばかりではない。三回左折を繰り返して、千葉に行くはずが山梨に出たことがあった。バックをすれば、かならず何かを壊す。ファミレスで食事をするために駐車場で戦車をバックさせたらファミレスの建物を潰してしまい、サービスランチにありつけなかったことが何度もある。

「こんな人にでも取れる免許なら、なくても同じだ」と隊員は思っていた。

 ところで、「ジュネーブ」とは隊員が初めて聞く言葉だった。いや、基地でちらっと見たような気もする。事務所に置かれている電話機の短縮ボタンに貼られた手垢で汚れた紙のお名前シールに幼稚な字で「ジュネーブ」と鉛筆書きされていた。それを見たときはあまり気にしていなかったが、こうして隊長の口から直に聞くと、何やら意味ありげな感じがする。

 隊員は以前から、地球防衛隊とはどんな組織なのか、うっすら疑問に思っていた。超法規的な国際秘密組織が背後にあるのだろうか。だが、知らないことはいくら考えても妄想にしかならない。第一、答を知って何になるのか。こうして毎日、平穏に生活できているのだから、それでいいじゃないか。

 普通に怪獣が出現して、普通に怪獣をやっつけて、普通に帰ってきて、風呂屋に行って、缶ビールとコンビニ弁当で夕飯を済ませて眠る。そんな平凡だが安定した日々が淡々と続くことを隊員は何より願っていた。余計な詮索はよそうと、隊員は心に決めていた。

 そこへ「ジュネーブ」という言葉が飛び込んできた。やっぱり、これは国際的な組織だったのか。ジュネーブに本部を置く、もしかしたら、国連よりも上に位置する機関なのか。隊長は、ジュネーブの国際会議に出席するのか。

 でも、隊長はどう見てもジュネーブという顔をしていない。地球防衛隊ジュネーブ本部には、ジュネーブに相応しい顔をした人が参加するべきなのだろうが、ジュネーブとは髪の毛一本たりとも結びつかない隊長が行くということに、むしろ妙なリアリティーが感じられる。やっぱり本当なのだ。そう考えると、胸がぞわぞわしてきた。

「今どきカーナビも付いてないなんてな。ったく!」と、隊長がぼやく。隊員は我に帰った。いつものジュネーブらしからぬ隊長が、ジュネーブらしからぬことを言っている。隊員は目の前の任務に集中しようと勢いつけて起き上がり、隊長が座る運転席の脇に立った。

「いったいどこだ、ここは?」
 隊長はガタガタと揺れる操縦桿を握りしめ、奥歯を噛みしめたままぼやいた。
「うそ、迷っちゃいました? 怪獣の出現場所は湖ですよ。さっき教えた道を真っ直ぐ行けば着くはずですけどー」
「着くはずデスケドーじゃねーよ。着かないんだから」
「どこ走ってるんです?」」
 隊員は、カラーボックスにのかってる知らないメーカーの液晶テレビよりも小さな戦車のフロントガラスの外を覗こうと、運転台の前方に身を乗り出した。すると、運転している隊長の上半身を押しのけ、視界を遮る形になる。前が見えないし、だいいち暑苦しい。
 道は明らかに違っていた。畑と山の斜面に挟まれた細い田舎道だ。戦車は道幅を少しはみ出して走っていた。
「これ、絶対違いますって。あ、あの人に道を聞きましょうよ」
 隊員が指さした方向には、畑で作業をす老夫婦がいた。
 無神経にも運転車の目の前に頭を突き出してあれこれ指図する隊員を脇に押しのけ、隊長は大声で怒鳴った。
「人に道を聞くなんて、みっともないことができるか! よくそんなことが平気な顔で言えるもんだ。自動販売機の前で人に小銭をせびるようなもんだぞ。お前には地球防衛隊のプライドというものがないのか」
 隊長は戦車を止めることなく田舎道を進むと、山の急斜面と土手に挟まれた道がどんどん細くなっていった。前方で軽トラックが道を塞いでいる。隊長は急ブレーキをかけた。
「こんなところに車を停めやがって、非常識な。これだから田舎もんは困る!」
 隊長は舌打ちをすると、戦車のクラクションを乱暴に鳴らした。

「なんだぁ?」
 白っぽく乾いた畑の土から、まばらに生えた貧相なホウレンソウみたいなのを収穫していた老夫婦が顔を上げた。
「ウチの車が邪魔なんだよ。どけてあげなよ」
「どけろって言ったって、お前……」
 麦わら帽子の老人は戸惑う。クラクションが鳴り響く。
「ほら、困ってんじゃないか。早く退けて通してやんなよ」
「通せって、お前……」
と老人は躊躇するが、女房がきっと怖い目を向けると、仕方なく軽トラに向かう。気乗りしない様子でトボトボと歩く間も、戦車からはクラクションが鳴り響く。おまけに、ガオンガオンとエンジンを空ぶかしする轟音も響く。非常に行儀が悪い。
 ようやく老人が軽トラックに辿り着くと、土手から転落しないギリギリのところまで車を左に寄せた。だが戦車が通れるだけの幅が確保できたかわからない。老人は車を降り、親切にも戦車の前に出て軽トラとの距離を見極めながら、「オーライオーライ」と手招きをした。

「何やってんだ、あのじじい? あんなところで踊ってやがる。ボケてんのか。ふざけやがって。邪魔だ、どけっ! 轢くぞ、くらっ!」
 ジュネーブの国際会議のプレッシャーのためか、隊長の言動がどんどんジュネーブから遠ざかる。隊長はさらにクラクションを鳴らし、エンジンを吹かし、車体をちょっとずつ前に進めて威嚇する。

 老人はびっくりして土手の下に走って逃げる。同時に隊長は勢いよくアクセルを踏んだ。戦車は急発進し、案の定、軽トラの左後部に激しくぶつかった。戦車はびくともしないが、軽トラでは紙くずのように跳ねとばされ、土手を転がり落ちた。

「あんた、大丈夫かい?」
農園フードの奥さんが駆け寄る。老人も土手の下へ転がり出され、ぽかんと口を開けて黒煙と轟音を残して山道に分け入る戦車を見送っていた。
「なんだー? ありゃ」
「右翼だよ、右翼。決まってんだろ。緑色の大きい車に旗が立ってるのは、右翼なんだよ。とうとうこの村にも入ってきたんだねぇ。気をつけないと、もうすぐ来るよ、オレオレ詐欺とか、サクラを見る会とか、なんとかのマスクとか……。関わらないほうがいい。下手に刺激したら、軍服のイカレポンチが丸太振り回して飛びかかってくるからね」
「だけどお前、あんなに勢いつけてどこへ行くつもりだ? この先は行き止まりだぞ」

 大山椒魚も大雪女も大河童も動かない。大河童は頭の皿が乾燥してフラフラしている。大雪女は蒸発しかけている。大山椒魚は水から出ようともしない。なぜわざわざこんな時期に日取りを調整したのだろうか。よっぽど日程があわなかったのか、とにかく何がなんでもこのシリーズを完結させたかったのか、理由は定かではないが、ともかく彼らは動かない。じっと何かを待っている。

 地球防衛隊の戦車は、軽トラを蹴散らして百メートルほど進んだ湿っぽい雑木林の中で立ち往生していた。大きなバリケードが道を塞いでいる。その先は崖崩れで道が土砂や大きな岩に完全に埋れてしまっている。

「隊長、どーすんですか? 引き返してあの老人に頭を下げて道を聞きます? もうバックするしかないですよ。そのままバック……」
と言いかけて、隊員は口をつぐんだ。

隊長はバックができなかった。今の言葉で隊長を傷つけてしまっただろうか。こう見えて隊長は繊細な人間なのだ。去年の夏のことだ。カルピスを買ってきてくれと頼まれて、コンビニでペットボトル入りの五百ミリリットルのやつを買ってきたら、口を利かなくなった。じっと押し黙って、恨めしそうな顔をしていた。数時間後、大好きなシャケ弁当で昼食をとっていたとき、ようやく口を開き、どうして瓶入りの原液のやつを買って来なかったのだと隊員に不満を漏らした。

カルピスはあのガラスの瓶に入った原液で濃いめに作って飲むのがうまいのであって、最初から水で薄めたペットボトル入りのやつなどは本当のカルピスを知らない、コーラスとの区別もつかない最近のチャラチャラした若者の飲み物だと批判する。

そういう細やかな心を持つ隊長を傷つけてしまわないよう、隊員は常に気を配ってきたのだ。それなのに……

「お前がバックして謝って道を聞いて来い」
隊員の煩悶を遮って、隊長が言った。
「え、隊長、地球防衛隊のプライドはいいんですか?」
その意外な命令に、隊員はつい聞き返した。
「私はそのプライドが邪魔になるが、プライドの欠片もないお前がやるのだから、まったく問題ないだろう」
理屈は通っているように聞こえるが、どうもすんなり受け入れることができない。何か引っかかる。しかし、今はそんなことに拘っている場合ではない。隊員は隊長から運転台を引き継ぐと、早速戦車をバックさせ、軽トラの位置まで戻った。

プライドの欠片もないと言われて反論できない隊員ではあったが、極まりが悪いことこの上ない。せめて身だしなみを整えようと、制服をきちんと着直して、深呼吸をしてハッチへ続く梯子に手をかけた。そのとき、ちゃぶ台の前にあぐらをかき、残りの生温い麦茶を飲み干した隊長は、こう隊員に助言した。
「国民に安心安全をお届けするのが地球防衛隊の責務だ。市民にはあくまでも親切丁寧に。忘れるなよ」

どの口が言っているのか、などと隊員は思わなかった。隊長の言葉は常に重い。
「それから、そこに丸太があるだろ。もしものときのために拾っておいたんだ。それを持って出て、へー、どーもすいませんでしたと、そいつで自分の頭をポコポコ叩いて誠実に謝れ。そうすれば、きっと相手にも通じる」
他人事のように言うもんだ、などと隊員は思わなかった。地球防衛隊員とは、そういう存在なのだと隊長は教えてくれている。むしろそれに勇気をもらった隊員は、元気よく丸太を持ってハッチから飛び出した。

「ほら来た! 軍服が丸太を振り回してるよ。言った通りだ。あんた、逃げるよ!」
老人とその女房は、農具も作物も放り投げて走って逃げてしまった。

つづく

ついに文豪堂書店アクション純文学シーズン1完結! の前に……

性懲りも無くまだ書いていたのかと呆れ返るやら、とうに忘れ去ってしまったみなさま、大変長らくお待たせしました。文豪堂書店アクション純文学シリーズ・シーズン1の最終章を発表いたします。

 中川善史社長がこの世からずらかった後、あのすっとぼけた挿絵がなければ書いてもつまらないと執筆を中断しておりました。しかし、じつはこの後のシーズン2を三作書いていたのです。それには、病床で描いてくれた中川社長の最後の挿絵が入る予定なので、どうしてもシーズン1をテキトーに終わらせて、次に進む必要があるわけです。

 そんなわけで、みなさま、どうか今しばらくお付き合いいただき、シーズン2を大いに楽しみにして欲しいと願うのであります。

 しかしその前に、このアクション純文学の始まりのエピソードを前書き代わりにお届けします。今明かされる、文豪堂書店アクション純文学の誕生秘話!




 ある日、文豪堂書店編集部を、見たことのない和服姿の男性が訪ねてきた。次に大地震が来たら確実に傾くであろう古い雑居ビルの三階の、原稿用紙やらコピー用紙やらが平積みになった狭苦しい部屋の一角の、カビ臭いエアコンの風が当たるビニールの上張りがところどころ破けたソファーに彼は、誰に勧められたわけでもなく、「どうも」と低く言って腰を下ろした。

 ロイド眼鏡その男性は、私に「どうぞ」と、コーヒーテーブルを挟んだ反対側の、色も形も違うがやっぱり上張りが破れかけたソファーに座るよう促した。

「コーヒーでいいかね?」と私に聞き、座ったまま上半身で後ろを向いて、ぼんやり立っていた編集部の別の人間に「コーヒー」と言った。初めて来た人とは思えない落ち着きぶりだ。落ち着きすぎて、こっちがお客さんのようだ。

すると彼は、懐から名詞を一枚取りだして、私の前に置いた。名詞には「直木三十六賞作家 大井伏鱒二」と書かれていた。いわゆる直木賞は、正しくは小説家直木三十五んが創設した直木三十五賞だ。三十六賞なんてあったのか。ひとつ多い分、格が高いのか。昭和の文豪、井伏鱒二は知っているが、大井伏は知らない。しかし、知ってなくちゃいけないような落ち着きっぷりだ。三十六に大井伏とは、よっぽど負けず嫌いなんだろう。
 しかし、どうも面倒臭いやつが来たもんだと私は思った。大井伏と名乗る男は、袂の中で腕を組んで、ソファーの背に寄りかかり、「じつはね」と切り出した。大作家先生が馴染みの編集部に企画を持ってきてやったぞ、みたいな雰囲気だ。

「大山椒魚という小説のタイトルを思いついてね」と彼は言った。

井伏鱒二の山椒魚に対抗して、大井伏鱒二の大山椒魚ということか。何がどう対抗なのか、中身を読まなければわからない。とりあえず話だけ聞いておこうと思った私は、素直に「はい」と答えたが、彼はそれっきり口を閉ざし、私の顔を見つめた。

 この人は、自分で振った話の展開を相手に依存するタイプのようだ。煩わしいことこの上ない。何を期待されているのかわからないので、「それで?」と聞き返すが、彼は私の顔を見たまま動かない。面倒臭い沈黙が流れた。

 やがて相手は根負けして、苛立たしそうに「わからんかね」と言った。「わかりません」と素直に返答すると、彼は不承不承身を乗り出し、こう言った。

「大変に素晴らしいタイトルを思いついたはいいが、中身が書けんのだ。ひとつも書けん。一字一句書けない。だから、あんたに書いて欲しい。ひとつ、想像力を働かせて、自由に書いてみてくれ」

つまり、丸投げか。タイトルだけ投げておいて、あとは全部お前が書けと。大喜利か? 作家を名乗っているくせに一字一句書けないと威張っているこの人は、馬鹿なのか? そうだ、馬鹿なんだ。馬鹿には逆らわないほうがいい。

私は注文通り、自由に書かせてもらうことにした。井伏鱒二の名作とはかけ離れた、最高に出鱈目でめちゃくちゃで下らないものを目指す。そうして生まれたのが、二十一世紀の日本文学界に衝撃を走らせる、その名も『アクション純文学』だった。

日本アクション純文学シリーズ8「大雪女対大河童」

「がおー!」
 深夜の住宅街に突如として身長50メートルの巨大な雪女が出現した。大雪女は暗い街の空を見回して、「がおー」と溜息をつき、その場にしゃがみこんだ。
 しばらくして、「がおー!」と身長50メートルの巨大な河童が出現した。大河童は大雪女の近くに駆け寄り、「がおー」と頭を掻いて苦笑いをした。
「がおー」と大雪女は大河童の顔を見ずに、うつむいたまま答えた。
「がおー」と大河童は両手を小さく広げて言い、その両手でぱたりと下ろして太腿の脇を叩いた。
 これに対して大雪女は「がおー」と、あまり興味なさそうに小さく答えると、ゆっくり立ち上がった。
「がおー?」と大河童は大雪女に声をかける。
 すると大雪女は、地面に向けていた目線を、初めて大河童に顔を向けて
「がおー」と静かに言い、またすぐに目をそらして遠くでまたたく街の明かりを眺めた。
 しばらく沈黙が続く。街はほとんど寝静まっていた。まばらな街路灯が道路を冷たく照らしている。家々の窓の明かりはほとんどが消え、コンビニの看板が平たい街から立ち上がり、薄い夜霧の中に頭を突っ込んで光っている。
 二匹の怪獣たちが立っている場所は、市内を流れる大きな川の脇にある市民公園の野球グランドの中だったので、まだ建物に被害はなかった。 
「がおー」と大河童は、大雪女に話しかけた。
「がおー」と大雪女が小さく答える。
「がおー?」と大河童は次の言葉を促す。
「がおー」と目線を遠くに向けたまま、大雪女は話し始めた。
 その一部始終をすぐ近くから注視していたのは、一台の戦車だった。地球防衛隊だ。

 戦車の砲塔上にあるハッチからは隊長が顔を出していた。戦車前部の操縦席の上にある小さなハッチからは、迷彩色のヘルメットをかぶった隊員が顔を出して、大河童と大雪女の様子を覗っていた。
「なんか、大切な話があると大雪女に呼び出された大河童が、待ち合わせの時間に遅れて来て謝ってるって感じですかね」と隊員が怪獣たちから目を離さずに、大きな声で言った。
「この二匹は知り合い同士だったのか」と隊長は誰にともなく言った。
「攻撃しますか?」
 隊員は隊長に聞いたが、隊長は少し考えて答えた。
「いや、込み入った話のようだから、しばらくそっとしておいてやろう」
 そう言うと、ハッチから頭を引っ込め、静かにハッチを閉じた。それに続いて、隊員も音を立てないようにそっとハッチを閉じた。
 地球防衛隊の戦車は、最新式ではないが、内部に小さな座敷とトイレ(和式)を備え、怪獣との長期戦を戦えるよう、居住性を向上させてある。  
 ハッチを閉めた隊長は、砲塔のハシゴを下りて、100円ショップで買ったプラスティック製のサンダルを蹴飛ばすように脱ぐと座敷にあがり、自分の所定の位置に置かれた座椅子にどっかりと座った。
 隊員もヘルメットを脱いで、操縦席の操作桿にかぶせるようにして置くと、戦車の後方を向く形でちゃぶ台の前に正座し、畳の上の丸い木の盆の上に置いてあった茶筒を手に取った。
「なんの話をしているんでしょうね」
 隊員は茶筒の蓋を取って、中を覗き込みながら何度か軽く振り、底の方にわずかに残った茶葉の量を確かめながら言った。
「大雪女はちょっと涙ぐんでいたみたいだったぞ」
 隊長は隊員がお茶を入れるのをボンヤリと眺めながら答えた。
 二匹の怪獣は動かずに立ち話をしているだけなので、ときどき「がおー」と張り上げた声が聞こえてくるものの、あとは遠雷のようにかすかに会話が響いてくるだけで、比較的平穏だった。
 隊員は、茶筒の底から苦労して茶さじを取り出すと、それをちゃぶ台に置き、急須の上で茶筒を斜めにして、半分粉状になってしまった番茶の葉を流し込んだ。
 そんな隊員の手元を見ていた隊長だが、隊員がポットから湯を注ぐときには、ちゃぶ台の上にあったリモコンに手を伸ばし、テレビを付けた。

 戦車の中の四畳半ほどの座敷、とは言え正式な四畳半ではなく、いわゆる団地サイズの小振りな畳による四畳半だが、その中央にはちゃぶ台があり、隊長の席は進行方向に向かって右側と決まっていた。反対側の壁には小さな茶箪笥が置かれていて、その上に20インチの聞いたことのないメーカー名の液晶テレビが載っている。 
 テレビでは、大河童と大雪女が出現したと臨時ニュースを流している。
「おい、今何時だ?」
 隊長はテレビの画面から目を離さずに隊員に聞いた。
「十二時五分です」
 隊員は自分の腕時計を見て答えた。
「十二時十分に何か起きるらしいぞ。テロップに、じゅっぷんに気をつけろと書いてある」
「ええ?」と隊員は頭を横に向けて、右側に置いてあるテレビの画面を覗き込んだ。
「あ、違いますよ、隊長。怪獣が出たから十分に気をつけろと言ってるんです」
「『じゅーぶん』なのか? じゅっぷんではなく」と隊長はあまり納得できていない様子だ。
「ええ、それは十二時十分のことじゃなくて、今の話ですよ。今、気をつけてくださいって」
 隊員は念を押した。
「じゃあ、今が『じゅーぶん』なんだな?」
「そうです」
「じゃあ、五分後は『じゅーごぶん』か?」
「いえー……」
 隊員は返事に困ってしまった。隊長は本気で言っているのだろうか。からかっているのだろうか。それとも、自分を試しているのだろうか。だとしたら、いい加減は受け答えはできない。隊員は緊張した。
「ちがいます……」と隊員は言葉を慎重に選んで返答した。
「ふん」と隊長は釈然としない様子で、ずっとテレビに向けて持っていたリモコンを、静かにちゃぶ台に置いた。

「がおー」と大きな声が戦車の中に聞こえてきた。笑い声のようにも聞こえる。
「がぁおー」と女の声も大きく聞こえてきた。
「やだー」と言ってるようだ。
 深夜のコンビニの駐車場にしゃがんで話をしている若者たちの声が窓越しに聞こえてくるときのような、ぼそぼそと低い声が続いたかと思うと、ときどき大きな声が響いてくる。 
 隊員は、黙って隊長の湯飲みに茶を注いだ。
「ちょっと薄いですけど」と笑顔を作って隊長の前に湯飲みを差し出した。
 隊員は話題を変えたかった。しかし隊長は、テレビから目を離さず、湯飲みをゆっくりと持ち上げて言った。
「今がじゅーぶんだとしたら……」
 隊長は何かを考えながら、ゆっくりと言った。
「実際の十二時十分には、いったい何が起きるんだ?」
 隊長は目を小さくして、ちょっと困ったような顔で隊員を見つめていた。どうも隊長は本当に悩んでいるようだ。となれば、こちらとしても真剣に考えるべくだろう。なんと答えればいいのだろうか。十分が今なら、十分後には何がある? 改めて考えてみると、わからない。自分ではわかっていたような気になっていたが、自分には何もわかっていないことに気がついた。どこにも答の手がかりがない。何ひとつ、とっかかりがない。どこから何をどう考えればいいのかすらわからない。何が問題なのかすらわからない。

 気がつくと、外の「がおー」が聞こえなくなっていた。その場に居づらくなった隊員は立ち上がり、運転席のハッチを少し開けて様子を見ると、大河童と大雪女はまだそこに立っていた。
 大河童はちょっと顔を上げて、小さく「がお」と言った。隊員にはそれが、「そっか」と言っているように聞こえた。
 大雪女はうつむいたまま、ちょっと頷く。また沈黙が流れる。話が終わったならとっとと帰ればいいのにと隊員は思ったが、話すことがないから「じゃあ」と別れられないのが微妙な関係だ。何かきっかけがないと、なかなか帰りづらい。
 大河童はあたりをキョロキョロと見回す。時間を気にしているようだ。そして、「がーお」と両手を高くあげて伸びをした。
「さてと」と言っているように聞こえた。ここで帰るきっかけを作りたかった大河童だが、「がおー」と大雪女に言われて、はっとしたような顔をした。
「がおがお」
 大河童は何かを思い出したように、額に手を当てて言った。
「がおー」と大河童が大雪女に言うと、「がおーがおがお」と大雪女は、そうそう、そうだったわね、みたいな感じで答えた。また二匹の会話が活発になった。今度は雑談というより、表情が真剣だ。少し早口にもなっている。
 帰り際になると大切な用事を思い出すというのは、怪獣でも同じようだ。今までよりも、やや早口の事務的な口調で「がおー」と話し合っている。

 隊員は、二匹の怪獣に気付かれないように、そっとハッチを閉じて座敷に戻ってきた。
「どうだった?」と隊長が小声で聞くと、隊員は自分の場所に座り直して答えた。
「なんか、打ち合わせっぽいですね」
 隊員もつられて小声になる。
「怪獣がなんの打ち合わせだ?」
「さあ。同窓会の連絡をどう回すかみたいな雰囲気です」
 再び戦車の中は静かになった。
 隊長はリモコンを取り、右手の人差し指をリモコンの上に浮かせたまま、しばらくあちこちのボタンのラベルを見て、「画面表示」と書かれたボタンを押した。
 画面の右上に時刻が現れた。十二時八分。隊長は十分に起きる何かに備えて画面に見入った。
「何が起きてもいいように、攻撃態勢を整えておけ」
「はい」
 隊員は咄嗟に返事をし、急いで立ち上がって砲塔に向かおとしたが、隊長の「十分に何かが起きる」説にすっかり乗ってしまった自分に気付き、また座り直した。やっぱり隊長は、十分に何か特別なことが起きると思い込んでいる。

 ずしんずしんという地響きが戦車に伝わってきた。それと同時にテレビのアナウンサーが言った。
「怪獣たちに何か動きがあったようですね。現場の西山さん?」
「えー、ただいま、一匹の怪獣が、大雪女のほうですが、もう一匹、大河童の頭にですね、冷凍光線を浴びせまして、大河童の頭の皿の水が氷かけて慌てるという場面が見られました」
「戦いが始まったということでしょうか?」
 スタジオでわざとらしく似合わない白いヘルメットを頭に載せたアナウンサーが深刻そうな面持ちで尋ねた。
「その前に、何か言い争っているように見えましたので、かなり緊張して様子を覗っていたのですが、大雪女は慌てる大河童の様子を見て、ケラケラ笑っています。大河童のほうは、ちょっと立腹した感じですね。何かを強い口調で言ってましたが、すぐにいっしょに笑い出しました」
 テレビの画像は暗闇でよくわからない。アナウンサーの解説でなんとなく状況がわかるだけだ。
「大雪女、ちょっと機嫌が直ったみたいですね」と隊員は少し嬉しそうに言った。
「ああ、大雪女が怒ってないと知って、大河童も安心したみたいだな」と隊長が答えたそのとき、ちょうどテレビ画面の時刻が十二時十分に変わった。
「おっ!」と隊長が小さく言って、何かが起きるのを期待するように戦車の天井を見上げた。だが何も起きない。
「みなさん、怪獣の動きが活発になりました。どうか、十二分にお気をつけください」
 そしてテレビの画面の下には、「十二分にお気をつけください」とテロップが出た。
「おい見ろ! 十二分に変わったぞ!」
 隊長は驚いて隊員に言ったが、隊員は即座に反応できず、言葉に詰まってしまった。
「二分延びたか……」
 隊長は、噛みしめるような低い声で言った。
 ますます状況が複雑になった、と隊員は感じた。状況と言っても、物理的な状況は何も変わらず、ただ、隊長にどう返事してよいかに関する状況だ。「延びた」とは、起きるべき緊急事態は、何かの都合で延びたり縮んだりするものなのか。隊長はいったい、どんな事態を想定しているのだろうか。隊員はますます混乱した。

 返す言葉が見つからなかったので、隊員は隊長の言葉が聞こえなかったふりをして、運転席の小さなハッチを開け、頭を外に出した。すると、大河童と大雪女がゆっくりと歩きはじめるところだった。二匹は川に沿って山に向かっていく。
 隊員はハッチから頭を引っ込め、座敷に向かって報告した。
「隊長、二匹とも帰っていきました」
「ん」と隊長はテレビから目を離さずに小さく答えた。すでにテレビで見て知っていたのだ。
「みなさま、ご安心ください。たった今、二匹の怪獣は山へ帰っていきました。街に出されていた怪獣警戒警報は解除されました」とアナウンサーが伝えた。
 隊員が運転席からテレビを見ると、画面の時刻はちょうど十二時十二分に変わった。一瞬身構えたが、何も起こらないことを確認して、体の力を抜いた。
「ふーん、十二分のアレは土壇場で中止になったみたいだな」と隊長は誰にともなく言った。
 十二分のアレとは、いったい何だったのだろう。隊長の頭の中では、本来十二時十分には、そしてそれが二分延びた十二時十二分には、何が起きることになっていたのか。なんの説明もなく中止されてしまった今、もう知ることができない。そうなると、隊員はなおさら気になった。ネットで調べたらわかるだろうか。
 隊員はちゃぶ台の前に座り、そこに置かれていた共有のノートパソコンを開いた。そして、検索サイトで「十二分に何が」とまで書き込んで、手が止まった。
 ちがうちがう。あれは隊長の単なる思い込みなのだ。十二分に気をつけろとアナウンサーが言ったことを、十二時十二分に何かが起きると隊長が勝手に妄想していただけなのだ。自分もそれにつられて、十二分に何かが起きると思わされていた。すっかり隊長のペースに巻き込まれてしまった。やはり隊長はただ者ではない。
 隊員はノートパソコンをパタンと閉じて立ち上がり、運転席に向かった。
「隊長、帰還します」
「うん」
 ガオンとディーゼルエンジンが始動し、車体がブルブルと震えた。戦車はその場で百八十度回転して、やって来た道を戻っていった。幸いなことに、今回の二匹の怪獣による街の被害はほとんどなかった。唯一の被害は、地球防衛隊の戦車によって押しつぶされた無数の自動車や道路設備だけだった。

おしまい


日本アクション純文学シリーズ7「大山椒魚対大河童」

「がおー!」
 夏の避暑地として賑わう湖畔の街に、突如として巨大な山椒魚が現れた。
「がおー!」
 すると、街からそう遠くない湖の中から巨大な河童が出現した。
 湖に面したお洒落な街並みを踏みつぶし、のし歩いていた大山椒魚は、大河童の咆哮に反応して振り返った。そのとき、大きな尻尾が高くそびえる高級リゾートホテルのタワー部分をなぎ倒した。
 大河童は大山椒魚の存在に気がつくと、両手で水を掻き分け、ざぶざぶと街に近づいてきた。大河童が立てた大きな波にもまれて、係留されていたボートが次々と沈んだ。
 湖底を歩いてきた大河童は、腰のあたりまで水上に姿を現した。すると大山椒魚は、尻尾と両足を使ってジャンプし、大河童に飛びかかった。
 大山椒魚は短い手足を広げ、大河童めがけてボディープレス。大河童は背後に倒れ、大山椒魚もろとも湖に没した。
 少しして、大河童と大山椒魚は上体を起こし、水面に上半身を表すと、今度は大河童が反撃に出た。大河童は水かきのある両手を使って、ばしゃばしゃと大山椒魚に水をかける。
 大山椒魚も負けずに、短い両手をぐるぐる回して大河童に水をかける。
 大河童を大山椒魚が追いかける。大山椒魚は短い両手を必死に動かして逃げる。二匹は輪になって浅瀬でばしゃばしゃと走り回る。
 そうかと思うと大山椒魚が大河童を追いかける。河童は深いところへ逃げると、大山椒魚は大きな尻尾を動かして泳いで追いかける。
 そんな繰り返しが続き、湖畔の街は水浸しになってしまった。しかし、それに構うことなく両者の激しい戦いは続いた。大山椒魚に水をかけられた大河童は、水がかからないよう片手で顔を覆いながら、もう片方の手で水を掻いては大山椒魚に水をかける。
「きゃー!」
「きゃははは」
 楽しそうな咆哮が響く。もしかしてこいつらは、戦っているのではなく、遊んでいるのか……?

 そのときだ、一台の戦車が水浸しの街に現れた。地球防衛隊だ。
 しかし、戦車は大砲を発射することなく、じっと大河童と大山椒魚の動きを伺っている。同時に二匹の巨大生物が出現して暴れ回るという、前代未聞の緊迫した状況を目の前にして、戦車の中ではこんな会話が交わされていた。
「たいちょー、お茶、ここ置きますね」
「うん」
 戦車内の座敷では、隊員と隊長が ちゃぶ台を挟んで番茶を飲んでいた。作戦会議だ。
「二匹もいたんじゃ、どっちを撃っていいかわかりませんね」
  ちゃぶ台に向かってあぐらをかいた隊員は、湯飲みを片手に持ち、後ろの茶箪笥に寄りかかっただらしない態勢で言った。
「そうだな」
 隊長は隊員の顔を見ずに、お茶を一口すすってから、うわのそらで答えた。
 作戦行動の前、隊長はいつも無口になる。作戦を考えているのだ。今度は二匹。かなり高度な技が要求される。
 隊長はもう一口、お茶をすすった。
 隊員は、それとなくハッチの方を見ると、開けたままにしていたハッチから、パラパラと雨が落ちてくるのが見えた。
「あ、降ってきたかな」
 隊員はゆっくりと腰を持ち上げ、ハッチを閉めた。
 やっぱり雨だ。湖のほうを見ると、それまで激しく動き回っていた大河童と大山椒魚は、慌てて岸に上がってきた。
 大河童は岸から少しあがったところの地面に、湖に向かって腰を下ろし、両手で膝を抱えた。
 大山椒魚はその脇に並んで、やはり湖に向かって横たわった。
 その様子を戦車の窓から見ていた隊員は言った。
「面白いもんですね。プールで雨が降ると、みんな上がってくるじゃないですか。水の中で泳いでいるのに、雨に濡れないように水から上がってくるって、おかしくないですか? だけど、なぜか雨が降るとプールに人がいなくなるんですよね。大河童と大山椒魚も、雨に気がつくと慌てて湖から上がってきましたよ。あいつらも同じなんですね」
 隊員は笑いながらそう言うと、元いた場所にあぐらをかいて冷めたお茶を飲み干した。
「今のうちに攻撃しちゃいましょうよ」
 隊員はそう持ちかけたが、隊長はあぐらをかいたまま、両手を後ろの床について天井を見上げ、ふんと鼻で息を吐いてから、隊員の顔を見ずに答えた。
「何もしてないんだろ?」
「ええ、雨が止むのを待ってるみたいです」
「じゃあ気の毒だ。無抵抗の相手を撃つのは気が引ける」
「それもそうですね」
 隊員は同意して、 ちゃぶ台の上の菓子鉢から柿の種を左手でひとつかみ取った。あぐらをかき、背中を丸めて両方の腕を ちゃぶ台にのせた姿勢で、手の中から、右手で柿の種をいくつか取り出し、肘をついたまま口に放り込む。カリカリと柿の種を噛む。
 また、握った手から柿の種をいつまみ出し、口に入れ、カリカリと噛んだ。
 戦車の中では、カリカリが続いていたが、あるとき隊員は左手を開き、握っていた柿の種を見た。やっぱりだ、ピーナッツがない。
「隊長、ピーナッツだけ食べたでしょ」
 座椅子にもたれかかり、何かを考え込むように目を閉じている隊長からは返事がない。そうだ、隊長は作戦を考えているのだ。こんな話で邪魔をしてはいけない。隊員は思った。
 そのとき、「んが」と鼻を鳴らす音がして、隊長の体がぴくりと動いた。
 隊長は目を開けて言った。
「あ、イビキかいてた?」
 寝てたみたいだ。
「いやー、自分のイビキでビックリして起きちゃうことって、あるよね」
 誰にともなく、照れ臭そうに言うと、隊長は上体を起こして菓子鉢の柿の種をひとつかみ取り、そのまま口に放り込んだ。
 しばらくカリカリと柿の種を噛んでいた隊長は、ちょっと眉を寄せた。
「おい、お前、ピーナッツだけ食べただろう」
 隊長からの意外な言葉に隊員は慌てた。
「えー! 食べてませんよー。それ隊長でしょう」
「そんなはずがあるか。無意識のうちに食ってんだよ、ピーナッツだけ」
 そう言うと隊長は、菓子鉢の柿の種を人差し指でかき混ぜて、ピーナッツを探したが、ひとつも残っていない。
「やっぱり」
「ええー、食べてませんから」
 まったく身に覚えがなく、濡れ衣を着せられた気分の隊員は、少し腹を立てた。
「じゃあ、最初からピーナッツの量が少なかったということか。どこの柿の種だ」
「蒲田の東急ストアで買ったやつですけど」と言いながら、隊員は座ったまま茶箪笥に手を伸ばし、いちばん上の小さな引き戸を開けて柿の種の袋を取り出した。
「ほら、いつものやつです」
 隊員は柿の種の袋をぽんと ちゃぶ台に置いた。
 隊長はそれを手に取り、眉間にしわを寄せてやや顔を上げ、遠近両用メガネの下の方を通して袋の裏書きの細かい文字を読みながら言った。
「柿の種とピーナッツは五対五が理想なんだ。ピーナッツが少ないなんて、おかしいじゃないか」
 五対五って……、『そりゃなくなるよ!』と隊員は心の中で叫んだ。柿の種とピーナッツの比率は、大抵、柿の種のほうが多い。今は柿の種とピーナッツは六四が黄金比とされ、メーカーもそのあたりの配合にしている。だから五対五で食べ続ければ、ピーナッツが先になくなるのは当然だ。
 犯人は隊長じゃないかー、と隊員は思ったが、口には出さなかった。言ってはいけない。そんな雰囲気が隊長にはあった。隊長が怖いからではない。むしろ、隊長には傷つきやすい雰囲気があった。傷つきやすいであろうと思わせる雰囲気があるだけであって、実際に傷つきやすいかはわからない。それは隊員が勝手に感じているものであったのだが、そう感じさせる何かが隊長にはあった。 
「苦情係に電話してみるか」
「いや、そこまでしなくても」
 隊員は慌てた。柿の種とピーナッツは五対五で入っているものと思い込んでいるのは隊長のほうで、メーカーは何も悪くない。それなのに苦情の電話なんて入れたら、恥をかくのは隊長だ。そんなことを隊長にはさせられない。
「お前、電話してみろ」と隊長が言った。
「自分っすか?」
 隊員はすっとんきょうな声をあげた。
「えー、そんな、隊長が電話してくださいよー」
「うーん、知らない人に電話するのは苦手なんだよね」
「でも、苦情があるのは隊長でしょ。自分はまったく文句ないんですから。誰かの代わりにケンカするみたいなの、いやですよ」
「ケンカしろとは言ってない。苦情を伝えてほしいだけだ。じゃあ、私が電話をかけるから、かかったら、あとは替わってくれ」
「おんなじですよ」と隊員が言っている間に、隊長はもう自分の携帯電話に番号を打ち込んでいる。
「ほらかかった!」と隊長は、時限爆弾でも渡すように、携帯電話を隊員に放り投げた。
 隊員は慌てて携帯電話を拾い上げ、耳に当てた。
『お電話ありがとうございます。鶴山製菓お客様係担当の米田でございます』
 感じのいい女性の担当者が出た。
「あ、すいません。あのじつは、柿の種のことで、ちょっとおうかがいしたいのですけど」
『はい、どのようなことでしょうか』と担当者が言うのと当時に、隊長が「おうかがいじゃなくて、苦情だぞ苦情」と小声で口を挟んだ。
「あ、はい?」
 両方の耳にからそれぞれ違う人間の話を同時に聞かされたので、隊員はすっかり混乱してしまった。
『私どもの柿の種に何かございましたでしょうか』と担当者が聞き返すのと同時に、隊長が「ピーナッツの量が少ないと言え」と言った。
 たまらず隊員は、電話のマイクを手で覆い、隊長に向かって「ちょっと黙ってて」とほとんど声を出さずに、その代わりわざと大きく口を開けて言った。
 隊員はすぐにまた電話を耳に当てた。
「あの、柿の種はとてもおいしくて、いつも愛用させてもらってるんですけど」
『それは、いつもありがとうございます』と担当者。するとまた隊長が同時に「下手に出ると舐められるぞ」と言った。
 隊員は隊長の声を聞かないようにして話を進めた。
「あの、柿の種とピーナッツの配分なんですけど、ピーナッツがちょっと少ないような……」
『はい、当社ではお客様のご意見をもとに』
「おいおい、ちょっととはどういうことだ」
『柿の種とピーナッツの適正な割合を求めておりまして』
「五対五じゃないといけないんだ、そこをハッキリ言え」
『現在は柿の種六に対しましてピーナッツ四の割合でご提供しております』
「お前のところでは厳格に五対五の割合を守っていないのかと問い詰めろ」
 苦情係の担当者の話が右の耳から、隊長の話が左の耳から同時に聞こえる。何を聞いているのかわからなくなり、「ええ、はいはい」と隊員はやっと答える。
『もちろん、それですべてのお客様にご満足いただけないことは、承知しています」
「甘い甘い、不良品を掴ませやがって、ピーナッツが足りない分、金を返せと言え」
 担当者の一言一句に隊長の言葉がかぶる。隊長がモンスタークレーマーのようになってきた。
「はい、そうですね」と答えるのが隊員にはやっとだった。
『ピーナッツが少ないというご不満ですが、そうしたご意見にも添えるよう、今後とも精進して参ります』
「甘い顔してりゃつけあがりやがって、お前じゃ話にならないから、もっと上の人間を出せと言ってやれ」
 誰もつけあがってなんかいない。隊長には担当者の声は聞こえていない。勝手に妄想を膨らませて怒っている。
「あ、はい。今後ともよろしくお願いします。頑張ってください」と、隊員はなんだかよくわからない挨拶をして電話を切ると、携帯電話を ちゃぶ台の中央に叩きつけるようにして置き、隊長を睨み付けた。
「わかんないですよ! 電話中に横からあれこれ言われても。あっちも話してるし。なんのために電話したのか、ぜんぜんわかんないですから」
 興奮する隊員に、隊長は小さく言った。
「だから、もっとガツンと言ってやればよかったのに」
「ガツンとかなんとか、そういう話じゃないし。だいたいピーナッツの数は……」
 そこまで言いかけて、隊員は口をつぐんだ。隊長が隊員の剣幕に押されて、少したじろいだように見えたからだ。ビックリしたモグラのような顔をしている。
「外の様子を見てきます」
 隊員は深く息を吐いて立ち上がり、ハシゴを登ってハッチを開いた。
 雨はまだ降っていた。 
「あれー?」
 隊員は周囲を見回した。そして、ハシゴに登ったまま頭をハッチの中に入れて、隊長に向かって大きな声で言った。
「二匹ともいなくなっちゃいました!」
 隊員はハッチを閉めてハシゴを下り、あらためて隊長に報告した。
「どっか行っちゃいました」
「あら、そうなの」
 隊長は少し考えて言った。
「たぶん、雨が止まないから、諦めて帰ったんだな」
「なーんか、緊張の糸が切れちゃいましたね」
「まあ、とくに被害がなくてよかった」
「そうですね」
「帰るか」
「はい」
 隊員は操縦席に向かった。
 隊長は、菓子鉢に残った柿の種を掴んで口に入れた。カリカリという音が、操縦席に座った隊員の耳に届いた。
「あれ、隊長、ピーナッツの入ってない柿の種でも食べるんですか」
「ん? ああ。ピーナッツなしでもうまいな」
 じゃあ、さっきのアレはなんだったんだ、と隊員は思ったが、それは自分の胸に納めておくことにした。これでいい。今日も一件落着だ。
 隊員はそう自分に言い聞かせ、戦車のアクセルを踏んだ。

おしまい