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2013年02月

今週のおさむらいちゃん

新作14

忍者さん……。
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社長の業務 きんどるを使ってみる

社長 きんどるである。あのAmazonのKindleである。電子書籍端末である。
 まあ、蕪式会社文豪堂書店は電子書籍の製作、頒布を主たる業務としているくせに、社長は端末にぜ~んぜん無関心であったのである。
 自慢じゃないが、PCや通信に限らず、その他キカイ全般、技術系全般に弱いのである。このブログだって社長は文章や絵を描くだけで、あとは相棒の金井君に丸投げなのである。だから、別に本なんて、紙のやつでいいじゃん、と社長にあるまじきことを思っていたのである。
 それにi-Padを持っている友達が、ありゃあ、読書には向かねえなあ、てなことを言っていたのである。寝っ転がって読むには重たすぎるというのである。
 そりゃあ寝っ転がって本を読みながら、いつの間にかヨダレくって眠ってしまうというのは人生最高の喜びのひとつであるから、それが出来なきゃ意味ないのである。
 ところが、ある日、電気屋で別のメーカーの電子書籍端末を持ってみたところ、すっごく軽かったのである。「これなら、ヨダレ垂らして眠れる!」と思った途端に、急に欲しくなってきたのである。

 Kindleには、一万五千なんぼとか、一万二千なんぼとか、七千なんぼとか、色んな値段のものがあるのだが、貧乏な社長は選択の余地なく、一番安い七千なんぼのである。Kindle Paperwhiteちゅうやつである。
 ヤマトに届けてもらって、わーいわーい、と早速使おうと思ったら、これが接続するのにwi-fiというやつを使わなきゃいけん、ということがわかったのである。
 なんせキカイに弱い社長であるから、wi-fiなんちゅうのに強いわけもなく、なんか聞いたことあるけど、まあ別の惑星の話だろうくらいにしか思っていなかったのである。
 慌てて調べてみると、家で環境を作るには、また別の機材が必要だし、ホテルとか公共的なところで使えるのもあるが、大抵、月額何百円だかかかるのである。
 こちとらは、単に書籍をダウンロードするのに使うだけだから、ひと月に3分とか5分くらいしか使わないと思うのである。それどころか、全然使わない月だってあるかもしれないのである。てんで馬鹿馬鹿しいのである。
 べそをかきそうになりつつ、さらに調べると、スターバックスの店内で使えるタダのwi-fiがあることがわかった。これなら、欲しい本があった時に出掛けていって、ちょろっと接続すればいいので、私向きである。
 私は別にスタバの回し者ではないが、私と同じようなおっちょこちょいがいるといけないので、一応リンクを貼っておくのである。http://starbucks.wi2.co.jp/pc/index_jp.html(ただし、すべてのスタバの店で使えるわけではないので、要注意)

 それから二、三日して、ようやくスタバに出掛けることが出来た。wi-fi初体験である。意味もなく緊張したりするのである。
 接続はあっけなくできた。できたらできたで、何故か逆上してしまって、どんな本をダウンロードするのか忘れてしまった。事前に調べて、興味のある本に目星をつけておいたのだが、あらかた頭から蒸発してしまった。
 辞書機能を使ってみたくて、とりあえず英語版のシャーロック・ホームズ全作品というのを買ってみた。
 お代は100円である。緋色の研究も、四つの署名も、バスカヴィルの犬も、全短編も入っていて100円である。なんか気の毒になるくらいである。
 これじゃ紙の本屋さんも苦しいよね、と各方面を気の毒がりつつ開けてみる。単語の上を指で長押しすると辞書が開いて意味を教えてくれる。
 私の脳みその英単語を格納する部分は退化と萎縮を重ねて、メダカの脳みそほどになってしまっているので、こういう機能はありがたい。私程度の読解力でもそれなりにハカが行く。
 ワトソンは軍医として行ったアフガニスタンで大怪我をしてイギリスに戻ってきたというところから始まるのか、とか、だからホームズものは帝国主義の英国という背景抜きには本当にはわからないのかもしれない、などと、様々なカンガイに耽ったりも出来るのである。
 
 近代文学を中心にタダのコンテンツというのも、いっぱいあるのである。
 漱石も芥川も太宰もタダである。ポーもカフカもドストエフスキーも魯迅もタダである。関係ないけど、我が文豪堂書店の出版物もタダである。タダという意味において、東西の名だたる文豪と肩を並べているのである。
 文豪堂の名に恥じないといえよう。
 さすがさすが、偉い偉い、立派立派、と自画自賛しつつ、タダを何か試みてみようかな、と思っているうちに、さしたる理由もなく、カフカの「城」をダウンロードしてしまった。
 こんな長編がタダである。こんな長いの、今の私に読めるかな、という懸念もあるのである。とはいえ、まあ、タダなんだからいいや、という開き直りもあるのである。
 しかし、あれもタダ、これもタダ、と無闇にダウンロードして全然読まないという危険性もあるな、とは思うのである。
 それじゃあ、単なる「電子積ん読機」になってしまうのである。
 

今週のおさむらいちゃん

新作13

なんかこー……、ね?

社長の業務:ショートストーリー「坂道の空き缶」

社長 僕の家は、長い坂道の下にある。ありふれた住宅街だ。
 夜、勉強していると、中島から「来たぜ」というメールが入った。耳を澄ませてみると、確かに遠くの方から聞こえてくる。
 からころからころという空き缶が転がる音だ。それが坂道の上の方から、下の方、つまり僕の家の方へ近づいてくる。あたりが静かなので、よく響く。
 今日はどの辺かな、と思っていると、「うわーっ」という男の叫び声が上がった。僕は窓に駆け寄って道路を見ると、坂の中程の街灯の下で太った中年男が尻餅をついているのが見えた。
「妖怪・空き缶転がし」だ。いつの頃からか、人がこの坂道を上っていると、上の方から空き缶が転がってくる。缶はありふれた缶詰のものだが、人間というものは、空き缶が向こうから転がってくると例外なく反射的に蹴飛ばしたくなるものだ。そこで、一発キックをくれてやろうとすると、空き缶はふっと消えてしまう。空振りした人は、勢い余ってもんどりうって尻餅をついてしまう。
 中島は、学校で同じクラスなのだが、坂の上の方に住んでいる。それで、空き缶の音が聞こえるとメールを寄越すのだ。「そっちへ行ったぞ」とか「残念。今日は、うちより上」などと知らせてくる。暇なやつだ。
 
 誰かがネットで噂をばらまいたらしく、物好きな人が見物にやってくる。とはいえ、妖怪だって、しょっちゅう出るわけではない。昼間の時もあるし、夜の時もあるし、何日も出ないこともある。一度などは、テレビが取材に来ていたが、その日は結局、現れなかった。
 そうすると、「妖怪・空き缶転がしは恥ずかしがり屋なのだ」などと噂に尾ひれをつける人が出てきて、どうも妙に妖怪像が具体的になってきた。さらに、
「自分は、坂の上で着物を着た男の子がしゃがんで空き缶を転がすところを見た。話しかけると、姿が消えてしまった」
 と言い出す人が出た。
 あれが空き缶転がしだ、いや、それは「しゃがみ小僧」という別の妖怪だ、などという、どうでもいい議論が沸騰し、ついに町内会が動き出して、「妖怪の似顔絵」を描いたビラを配り「目撃した人はご連絡を」と呼びかけたりした。
 結局、空き缶転がしも、しゃがみ小僧も捕まらず(捕まえたらどうするつもりだったのだろう)、いつしか騒ぎは収まっていったが、それでも、坂で転ぶ人がいなくなったわけではない。
 人々は不思議に思いながらも、別に死者や重傷者が出たわけでもないので、それなりに事態を受け入れる、ということになっている。中には、中島や僕のような楽しみ方をしている不埒なやつもいるわけだ。

 ある朝、中島からメールが入った。「今日は、長いぞ。まだ転がっている」
 寝惚けた頭ながら、耳を澄ませてみると、確かにずっと向こうから、からからという金属音が聞こえてくる。
 「そろそろ誰か転ぶかな」と、半ば楽しみにしながら待っているが、なかなか音は止まない。
 「坂は、こんなに長かったかな」と、なんだか変な気がしてきて、ベッドから這い出すと窓のところへ行ってみた。
 カーテンを開けてびっくりした。ものすごい霧だ。向かいの家さえ、灰色に霞んで見える。そして、その中から、空き缶が魔物のように現れ、僕の家の前を通り過ぎて、また霧の中に消えていった。
 まだ、空き缶の音は続いている。「あれ?坂はもう、終わりのはずなのに」
 いくら惰性で転がる分があるとしても長すぎる。まるで、坂が延びてしまったようだ。僕は、急に不安に駆られて、自転車に跨ると霧に包まれた通りへ飛び出した。
 
 霧の中から空き缶の音が続いている。確かにおかしい。とっくに、平坦な道になっていなければならないのに、僕の自転車はまだ、加速度をつけて下っていく。ますます霧は濃くなっていき、自分の手元さえ見にくくなっている。びゅんびゅんと風と霧の水滴が顔に当たる。本当は危ないことをしているのに、僕は夢中になっていた。
 どうやら、自転車の速度が空き缶のそれを上回っているようだ。だんだん、空き缶の音が高く聞こえるようになった。道の上に動くものが見えてきた。もうすぐ追いつく。

 突然、霧の向こうに人影が見えた。僕は慌ててハンドルを切った。やばい、人身事故になるかも、ということが頭をよぎったが、次の瞬間、別にショックを受けることもなく、自転車は止まっていた。
 目の前に、つんつるてんの着物を着た坊主頭の男の子がしゃがんでいた。僕が追い掛けていた空き缶は、ゆっくりと転がって、その手に掬い上げられた。
「終わりました」と、彼は言った。
「私は、今から遥かに昔、ふとしたことで『空き缶転がし地獄』に落ちたのです。この空き缶をこの地点まで転がせないうちは、抜けることが出来ず、いつまでも転がし続けていなければならないのです。そして、これは人に蹴られそうになると消えてしまう缶だったのです。今までは、いつも、人に見つかってしまっていたのですが、今日は、仏様のお慈悲が霧で空き缶を隠してくれたのでしょう。ようやく転がし終えることが出来ました」
 と彼は笑った。そして、呆然としている僕に缶を渡すと、霧に融けるように姿を消してしまった。
 僕は、なんだか昔の子供みたいだったな、とか、こういう缶詰というのはいつ頃から日本にあるんだろう、などということを考えながら、その場にしゃがむと缶を地面に置いた。
 缶は軽やかな音を立てて転がり始め、霧の中に姿を消した。
 ほどなく、中島から「また転がって来たぜ」というメールが入った。「知っているよ」と僕は返事を出した。
 

今週のおさむらいちゃん

新作12

忍者さんはどこへいく?

社長の業務:ボケ存在と時間

社長 初めに断っておくが、この文章は哲学者・ハイデガーの主著『存在と時間』とは、何の関係もない。
 私は、彼の思想もメアドも血液型も好きな女性のタイプも知らないし、向こうも私の電話番号くらいは知っているかもしれないが、1976年に死んでいるので、かかってくる可能性は極めて低い。

 さて、相対性理論では、時間が伸び縮みすると言われているが、どうも、最近、私の周辺で相対性理論の動きが活発になっている気配がある。
 某日の夕刻、私はある落語会に出掛けることになっていた。その場所までの所要時間は約1時間。6時半に開演なので、開演15分前に到着するためには、何時に家を出ればいいか、ぎりぎりまである作業をやりながら考えていた。
 そして、何度もシミュレーションをした通りに家を出、電車を乗り継ぎ、会場にたどり着くと、なんだか入り口付近はがらんとしている。
 人気の落語家なので、結構ごった返すかと思ったのに、私の知らないうちに人気が急落して客が来なくなってしまったのだろうか。
 会場に入ろうとするとドアのところにいた係員からチケットの提示を求められ、さらに席まで案内するというのである。
 入ってみて驚いた。すでに場内が満員なのはいいとして、当の落語家が高座に上がって喋っているのである。まだ、15分前のはずなのに、彼は高座に対する情熱を押さえきれずに、時間前に上がってしまったのだろうか。
 おかしいと思って時計を見て、さらに驚いた。開演15分前に着いたつもりが、開演15分後になっているのである。簡単に言えば、私が遅刻したのだが、どこでその30分が消えたのだろうか。
 私が家を出る時間を間違えたか、時間の計算を間違えたか、相対性理論が急にきつく効くようになったか、どれかだ。 

 翌日は、午後から音楽のセッションがあった。友人達と時々、貸しスタジオに楽器を持って集まって、音楽というか自称・音楽を楽しむことにしている。
 これまた、余裕を持って10分ほど前にスタジオに着く計算で、電車に乗っていたら、友人から電話が入った。
 「今、どこにいるのか」という質問である。今どこも何も、これからスタジオに行くのだから電車に乗っているのは当たり前である。彼は「じゃあ、あと20分くらいで着くね」と言って電話を切った。
 なんで、わざわざ友人が電話をしてきたのか、不思議に思って時計を見てびっくりした。
 開始時刻は4時で、今は3時半くらいのはずなのに、時計はすでに4時半を示しているのである。友人は、時間が過ぎても現れない私を心配して電話をしてきたのである。
 また、時間が消えている。今度は1時間も消えている。どうも、相対性理論が私に悪意を持って不穏な動きをしているようである。
 その日の昼間、ちょいと昼寝をしたのだが、その時に夢の回路を通じて相対性理論が悪さをしたのではないかと思う。
二日続きだ。私は元々、時間は守る方なので少々不安になってきた。

 そして、つい先日、ある打ち合わせの会合があったのだが、私は会場の居酒屋の場所が不案内だったので、友人と駅前で待ち合わせをして一緒に行ってもらうことにした。しかし、その他に、また相対性理論が私を襲うのではないかと心配して、一緒に戦ってもらおうという考えもあったのである。
 その日は、どうやら相対性理論も骨休めをしていたらしく、無事に時間通りに到着することが出来たのである。

 ここまでは、無理にすべて相対性理論のせいにして書いてきたが、実はおわかりのように、「もうボケが始まったのではないか」という恐れを当然、抱いているのである。年齢的には、さすがにボケるには早すぎると思うのだが、例がないわけではないだろう。
 一方で、ボケ始めているのだったら、ボケの側から世界や生活を観察するとどう見えるのか、それを記述できるのか、という興味もちょっとあるのである。
 上にも書いてきた、時計とかカレンダーなんてのは、自分の内面と外部の世界を同期させるための物差しだろう。それが、だんだん、ズレ始めるのだ。
 人に外界と遮断して生活をさせるという実験があって、そうすると時間感覚が外部のそれと大きくずれてくるらしい。そういうことが、日常生活で起こってくるのがボケなのだろうか、などと考えている。
 とすれば、人間の内面と外部世界とは、本来、別々に勝手に動いているものであって、それをカレンダー、時計、等々の道具立てを以て、無理に同調させているというのが現実なのではないだろうか。
 まあ、無意識のうちに、随分とめんどくさいことをやっているわけで、年を取ってきたら、そんなのに飽きてしまうのも当然と言えば当然みたいな気がしてくる。実は、時間なんかどうでもよくなる方が健全なのではないか。
 などと、無理矢理、ボケを前向きに捉えて見たりするのである。

 南米のある国では鉄道の時刻がまるっきり守られない。その話を聞いた旅行者が駅で待っていると、きちんと時刻通りに列車がやってきた。「なんだ、あの噂は嘘じゃないか」と彼は思ったのだが、実は、その列車は昨日の分で、きっちり24時間遅れて来たのだった。
 てな話を聞いたことがある。そうなると、もうどうでもいいや、という気がしてくる。
 

今週の新刊 「平ぴらぴら伝 其の四」

ぴらぴら表紙4s

 一国一城の主となったイケてる男の退屈な日常・・・を引っかき回すのは、いつでも女だ。例え10歳以下であってもね。
 再び死を見る男の冒険とも言えない冒険。死に神に見込まれた彼は生きて帰れるのか? そして、イケてる男の名前に秘められた謎は?
 いよいよ、ヤツが戦国の世に名乗りを上げるきっかけとなった事件を描く、かないてつお「平ぴらぴら伝:生き返りましたの巻」。
 これを見逃すあなたは、歴女とは言えないよ!(まあ、男性は元々言えないけど:見逃しても歴女を自称するのは自由だけど)

無料で読めます。

今週のおさむらいちゃん

新作11

関係ないけど、今日は文豪堂の社長の誕生日だよーん (社長は予告なく変更されることがあります)。おめでたいよーん。

社長の業務:ショートストーリー「夜の手袋」

社長 深夜、街路灯に照らされた灰色の歩道に黒いものが落ちていた。
 風が吹いて、それは少し動いた。落ち葉のような動き方ではない。もう少しもたもたしている。生き物か、とも思った。
 近寄ってみると、黒い毛糸の手袋だった。右手だけだ。模様も何もないが、女物だと思われた。
 あたりを見回してみたが、遅い時刻なので、人がいるわけはない。このあたりは、日中は勤め人が多く行き来するので、その中の誰かの持ち物がこぼれ落ちて、今まで踏まれたり蹴られたりしながら路上にあったのだろう。
 持ち主に返すといっても、見当もつかない。俺は、元のところに置いて去ろうとした。
 すると、「待って」と手袋が言った。
 本当に言ったのかどうかわからないが、言ったような気がした。
 「置いていかないで。連れて行って」 と手袋は言う。手袋にそんなことを言われたのは初めてなので俺は戸惑った。慌ててポケットに、それをねじ込んでまた歩き出した。
 「どこへ行くの。恐いところ?」と、ポケットの中から手袋は聞いてきた。
 「うちへ帰るんだ」「恐いわ」「別に恐くない。うちはうちだ」「きっと、恐いところなのね。いやよ、行きたくない。何されるか、わからないもの」
 拾われた手袋の癖にいやに、頑固に言い張る。俺は、手袋と会話をする、という非現実的なことをしているのが愚かしく思えてきて、それを棄てようとした。
 すると、手袋は俺の指にからみついてきて。「いやー!棄てないで!」と、金切り声を上げた。俺は思わずあたりを見回した。
 深夜で誰もいないからいいが、人に聞かれたら何だと思われるだろう。俺は鞄を開けると、手袋をほかの荷物の下に押し込んだ。

 帰路、ずっと手袋のことを考えた。
 カバンの中で荷物の下敷きになって、窒息死してしまうのではないか。だが、手袋は呼吸などするのだろうか。そもそも生きているのだろうか。生命のないものは死になどしないのではないか。
 部屋に戻ると、早速、手袋を引きずり出した。
 また、さっきみたいに喚き始めるのではないかと思ったが、何も言わず俺の手からぶら下がっている。心なしか、ぐったりしているように見える。いや、それが毛糸で出来た物体の常態なんだが、どうも、俺は可哀相に思えた。そういえば、この手袋は路上で色々な靴に踏みつけられてきたのではないか。
 洗面器に湯を入れて、シャンプーを泡立てて手袋を洗ってやった。湯の中で、手袋は目をさまし(たように見え)、「うふーん」と声を上げた。「あなた、優しいのね」と余計なことを言う。
 「あなた、奥さんいないの?」「寂しくない?」手袋は、次々に聞いてくる。馬鹿馬鹿しいので黙っていると、「あたしが、慰めてあげてもいいわよ」
 手袋の分際で何を抜かすか、窓を開けて放り投げてやろうと思ったが、また手袋がしがみついてきて「きゃあ、やめてー」と叫んだ。
 近所迷惑もいいところだ。俺は手袋を無視して寝ることにした。

 目が覚めると、干しておいたはずの手袋が枕元にある。変だと思ったが、構わずに仕事に出掛ける支度をしていた。
 すると、「ねえ」とベッドの方から声がした。振り返ると、さっきは手のひらを上に向けていた手袋が、こっちを向いて横になっている。
 「出掛けちゃうの?」
 「ああ」
 「今日は、お仕事休まない?」
 「何故だ」
 「あたしと一緒にいましょうよ。あたしといると楽しいわよ」
 「何を言ってるんだ」
 「あなたを、いい気持ちにさせてあげるわ」
 俺はまた、むっとして今度こそ窓から棄ててやろうと思ったが、また手袋が叫びそうになったので思いとどまった。
 
 それからの数日は、同じことの繰り返しだった。
 仕事から帰ると、手袋が下らないことを話しかけてくる。俺が腹を立てて棄てようとすと、手袋が叫び声を上げそうになる。俺は、あきらめて思いとどまる。
 だんだん、苛立ちが募ってきた。部屋に戻っても、神経が休まらない。
 俺は、「今日はもう腹を決めよう。泣こうが喚こうがあいつを棄ててしまおう。それが出来ないんだったら、いっそ受け入れてしまおう」と決意した。
 そう考えながら、部屋に帰ってくると、手袋はいなかった。(本当は、なかった、と言うべきなのだが、いない、と擬人的な表現をしてしまうのが我ながら忌々しい)
 あんなにイライラするやつだったのに、いなくなってみると、なんだか拍子抜けがする。妙に、胸にすきま風が吹くような気がする。道を歩いていても、またどこかに落ちているのではないか、と捜してしまう。
 どこへ行ってしまったのか。何故、いなくなってしまったのか。気がつくと、そんなことを考えている。気にしまいとすればするほど、気に掛かってくる。

 二、三日して、わかった。
 その朝、靴下を履こうとしたら、片っぽなくなっていた。たぶん、手袋に誘惑されて駆け落ちしたのだ。