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2013年03月

社長の業務:ショートストーリー『弁当侍・幕の内箸蔵』

社長 風の吹きすさぶ草原に武士が向かい合っていた。一人は刀を正眼に構えている。それに対するのは本編の主人公、弁当侍・幕の内箸蔵と中間(ちゅうげん)の箱助であった。
「抜け」
 刀を構えた侍が促すが、箸蔵は動かない。その腰には、刀ではなく、「おてもと」と書かれた袋に入った箸を手挟んでいる。中間の箱助は、懐かしの駅弁売りよろしく、首から紐で弁当が積まれた箱を腹の前に吊り下げている。
「それでは、こちらから行くぞ。とりゃあ!」
 焦れた武士が斬り込んでいく。体をかわした箸蔵は、一瞬で箱助から弁当を受け取り包みを開くと、
「エビフライ!」
 という気合いとともに、腰から箸を抜きエビフライを相手の口に押し込んだ。
「むう・・・」
 気を呑まれながら、もぐもぐとエビフライを噛む侍。足の止まった相手に、さらに箸蔵は箸を振りかざして襲いかかる。
「かまぼこ!ご飯!鳥の照り焼き!ご飯!煮豆!ご飯!梅干し!ご飯!卵焼き!ご飯!」
 次々と弁当の中の食い物を侍の口の中に押し込んでいく。もはや、侍は抵抗できない。
「なんだか、お腹いっぱいになったら、果たし合いなんて馬鹿馬鹿しくなっちゃったなあ」
 侍は、刀を鞘に収めながら言った。箸蔵はにっこり笑って、
「それでいいのでござるよ」
「今度は、濃いお茶が一杯こわい」

 幕の内流弁当剣法で連戦連勝の弁当侍・幕の内箸蔵、今日も、中間・箱助とともに武者修行の旅を続ける。
果たし合いだけではない。街道筋を旅する人は、箸蔵とすれ違うと何故か満腹になってしまう。その一瞬で、箸蔵は相手の口の中に幕の内弁当一人前を押し込んでしまうのである。
 たとえ相手が、昼飯を食ったばかりだろうが、ダイエット中であろうが容赦しない。修行は厳しいのである。

「お侍様」
 声を掛けられて箸蔵が振り向くと、そこには、腰をかがめた若い農民の姿があった。
「なんじゃ」
「お願いがございますだ。おら達の村は野武士の集団に襲われて困っていますですだよ。どうか、わしらを助けてくだせえ」

 若者に案内されて村へ行ってみると、村人達は泣いていた。
「野武士達に、せっかく取れた作物を根こそぎ奪われてしまっただ」
「牛や馬も連れて行かれてしまった」
「わしなんか娘をかどわかされた」
「預金通帳を盗られた」「ベンツを持ってかれた」「ダイヤの指輪と真珠のネックレスを」「五千万円入っていた金庫を」「裏は花色木綿」
 箸蔵がびっくりして、
「本当か」
「まあ、ちょっと嘘が入りましたが」
「それで、野武士というのはどんなやつらじゃな」
「へえ。向こうの山に砦を築いていますだ。人数は十人前後。みな、でっけえ身体で、馬を乗りこなし、槍や刀を振り回して襲ってきますだ」
「強いのか」
「強いなんてもんじゃねえ。お侍様なんか、ひとたまりもないですだ」
「じゃあ、何故、わしを呼んできたのじゃ」
「まあ、気休めで、いないよりはマシかな、と」
 いささか気分を害した箸蔵だが、そこは修行を積んだ身である。腹を据えて、野武士どもを待つことにした。

 そして、数日が過ぎた。
「野武士が来たぞ!」
 見張りにでていた百姓が叫んだ。なるほど、大地を蹴立てて馬に乗った野武士達がやって来るのが見えた。
「箱助、行くぞ」
 箸蔵が、中間とともに野武士達の前に出て行くと、髭むくじゃらの大男が馬上から
「なんだ、お前は」
 と聞いてきた。野武士の首領である。
 百姓の一人が、
「このお侍は強いぞ!お前らなんか、ひねりつぶしてやる!」
 と言うと、さっと物陰に隠れてしまった。
「前は気休めだとか言っていたのに」
 と箸蔵はぼやいた。
 野武士の首領は大声で笑うと、
「面白い、用心棒ってわけか。それでは、お前から片付けてやるわ」
 箸蔵と野武士達の睨み合いが続いた。どちらから先に仕掛けるのか。固唾を呑んで見守る村人達。

 すると、箸蔵がその場に、がばと土下座をしてしまった。
「どうか、お許し下さい。わしは、この百姓どもに頼まれただけです。命ばかりはお助け下さい」
 農民達から、驚きと失望の声が上がる。野武士達はせせら笑って、
「なんだ、情けないヤツだ。許してやってもいいが、ただじゃ許すわけにいかんな」
「この箱助が持っております、自慢の幕の内弁当をみんな差し上げます。弁当は、わしの武器ですから、差し上げてしまえば、手向かうことも出来ません」
 箸蔵は、自分から武装解除を申し出てしまったのである。
「それなら許してやろう」
 箱助が野武士達に弁当を配ると、
「こりゃ、うまそうだ。早速、食うとするか」
 と食べ始めた。

 彼らが食べ終わった時、異変は起こった。野武士達は馬から転げ落ちると、のたうち回ってくるしみ始めた。
「ど、どうしたんだ」
 と訝る農民達を尻目に、箸蔵はかんらかんらとうち笑って、
「見たか。ピロリ菌入り賞味期限切れ弁当の威力を!」
 こうして野武士達は全滅し、村には平和が戻ってきたのである。
「また、勝ちましたな」
 と箱助が言うと、箸蔵は首を振って言った。
「勝ったのは弁当達だ。わし達ではない」
 それは七人の侍のラストのパクリでは?と言いたげな農民達を残して、箸蔵と箱助は再び修行へと旅だったのであった。 
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社長の業務:ショートストーリー「お笑い・蜘蛛の糸」 

社長 極楽の蓮の池のほとりに、仏様・Aが座って、その中に細い細い蜘蛛の糸を垂らしておりました。この池の深い深い底の方は地獄に繋がっていて、仏様・Aはこの糸で地獄の亡者どもを救い上げてやろうとしていたのです。
 そこへ、仏様・Bが通りかかって、
B「よう、A、釣れるかい」
A「駄目だ。雑魚一匹かからねえ」
B「早く釣らねえと、やばいぜ。Cなんか、ノルマをこなせなくて左遷の憂き目だ」
A「ちぇっ。全く誰だろうなあ、極楽に成果主義を導入しようなんて言ったやつは。人間や亡者どもを救って極楽に釣れてこないと、減給とか降格だもんなあ」
B「『効率第一』とか『生産性重視』なんて言っているが、それと極楽となんの関係があるってんだよなあ」
A「おかげで極楽の空気がぎすぎすしてしょうがねえ。人間や亡者どもは、極楽に来たがらなくなっちまった」
B「西方浄土から迎えに行くと逃げ出すヤツもいるし」
A「これじゃノルマが達成できないってんで、下界から無理矢理人間を拉致してくる仏様もでてくる始末だ」
B「せっかく釣り上げた亡者を別の仏様に奪われる事件もしょっちゅうだし」
A「なんだか、仏様連中の顔もだんだん、悪人面になってきたよなあ」
B「いけねえ。こんな無駄話をしている場合じゃない。ノルマ、ノルマ、と」
 仏様・Bは向こうに行ってしまいました。

 仏様・Aの垂らしている糸には、相変わらず何の手応えもありません。
「そうだ、こんな細い蜘蛛の糸じゃ亡者どもの目に入らないかもしれない」
 仏様・Aは太い太いロープを持ってきて、蓮の池に放り込みました。
 しかし、相変わらず何の手応えもありません。
「ロープじゃ昇りにくいかな」
 今度は縄ばしごを持ってきました。それでも、誰も昇ってきません。縄ばしごを揺すってみたり、振り回しても、
「駄目だ。誰も気づかないらしい」
 仏様・Aは、今度は大量のチラシを持ってきました。チラシには、
「バイキングへご招待。このチラシをお持ちの方には、極楽で飲み放題食べ放題(制限時間2時間)」
 と書いてありました。これを、バラ撒きましたが、矢張り駄目でした。
 そこで、今度はAKB48の写真入りのチラシをバラ撒きました。そこには、
「極楽に来ると、こんな可愛い天女に会えるよ!あなたを握手会にご招待!」
 と書いてありましたが、矢張り反応はありませんでした。

 その頃、地獄では、鬼と亡者が協力して仏様・Aが撒き散らしたチラシを掃除していました。
「やれやれ、極楽の仏様も乱暴だなあ」
「しかし、自分たちの手で綺麗にするのは気持ちがいいよ」
 そうです。地獄では「美しい地獄を作る運動
を進めていたのです。 
 というのも、ある時、閻魔大王が、
「やれやれ、どうも地獄というものは住みにくいなあ。何とかしたいものだ」
 鬼も、
「私達も、亡者を苛めるのはもう嫌です。これからは、亡者と仲良くしたい」
 これには、亡者達も大賛成です。
 早速、針の山の針が抜かれて美しい花が植えられたり、血の池には万病に効くという温泉が引き入れられたりしました。
 皆、地獄では美しい環境で楽しく暮らすようになりました。いつも、笑顔が絶えません。誰も、極楽なんかに行きたくはないのでした。

 業を煮やした仏様・Aは、ロープの先に鉤をつけて振り回しました。これで亡者を引っかけて、無理にでも引き上げてしまおうと思ったのです。
 ところが、鉤は地獄に生えている大きな木にからまってしまいました。それを、思いっきり引っ張ろうとしたのだからたまりません。仏様・Aは、逆に地獄に落っこちてしまいました。
 
 落ちて伸びてしまった仏様・Aは、鬼や亡者に見つけられ助けられ、手厚い看護を受けました。
 元気を取り戻した仏様はしみじみとこう言ったそうです。
「やれやれ、これが本当の『地獄で仏』だ」

今週のおさむらいちゃん

新作17

試合はフェアーにやらないといけないよーん。

社長の業務 ショートストーリー『ジルの家族』

社長 僕は膝の上の猫のザジを床に降ろして外へ出た。いつまでも遊んであげるわけにはいかない。人間の子供は忙しいんだ。
 朝のヤギの世話から始まって、機械の修理法や測量法や肥料の勉強。畑の木柵も直さなくちゃ。
 妹のネリだって、たくさん学ぶことがあるし、ママにスダマ麻から糸を紡ぐやり方を習うんだ。ママが紡ぐ糸はこの国で一番だ。
 空を見上げると、パコさんの配送ヘリが陽炎の中から空き地へと降りてくるのが見えた。僕はヘリの方へ走っていった。
「やあ、ジル」
 とパコさんは髭面の奥の目を微笑ませた。そして僕に食料や日用品の包みを渡しながら、
「君のパパのお墓参りをさせてもらうよ」
 パコさんとママとネリと僕は、家の裏手に上っていった。
「もう、スダマ麻が生えてきた」
 この糸の材料になるスダマ麻は、どういうわけか人を埋葬した跡に勢いよく生えるんだ。おじいさんやおばあさんや、僕が会ったこともない人達の埋まっている跡はスダマ麻畑になっている。
「三十歳か、長生きだったな」
 とパコさんはしみじみとした声で言って、
「西の谷のリリは駄目だった。私が食料を届けに行ったら、ベッドの中で死んでいた」
「可哀想に」とママが答えた。
「これで西の谷の一家は、皆死んでしまった。リリもあと二年経てば十四歳で結婚の資格が出来たんだがな」
「十二歳。うちのジルと同じだわ」
 僕には、まだ結婚の資格というものがぴんと来ない。僕はどんな女の子と結婚するんだろう。
 西の谷は離れたところにあるから、僕はリリとは二回会ったことがあるだけだ。五歳の時と、去年と。
「今年はよく人が死ぬよ。ジルのパパは六日前だったな」
「五日前よ」
 あの夜、夕食の終わったあと、パパは、
「私は、今夜死ぬよ」
 と言った。僕とネリは、なんのことかよくわからずに、目をぱちくりさせるだけだった。ママは、立ち上がってパパにキスして手を握り、
「今まで、どうもありがとう」
 と言った。
 そして、翌朝目覚めてみると、パパはベッドに仰向けになり、胸の前で手を組んで目を閉じて死んでいた。
「村は広いのに、だんだん人が少なくなっていく。私の仕事もしんどくなるよ」
 そういってパコさんはヘリに乗り込み、青い空の中に消えていった。そうだ、今度会った時、ヘリの操縦法を教えてもらえるよう頼んでみよう。
 
 夜は、パコさんが持ってきてくれたベーコンや畑で取れた野菜で、ママが温かいスープを作ってくれた。
 ご飯の前に、僕たちはリリのお葬式をした。
 「村のアルバム」という大きなノートがあって、村人一人一人の名前を書いたカードが貼ってある。その中から「西の谷のリリ」と書かれたのを取り出して、飾り棚に置き、両脇に蝋燭を立てて、リリの死後の幸せを皆で祈った。村でも遠いところにいる人のお葬式は、こうやることになっているんだ。
「昔の人は、もっと長生きしたって、本当?」
 ご飯を食べている時、ネリがそう聞いた。
「誰に聞いたの?言い伝えよ」
 とママが言った。
「昔は、七十年も八十年も人が生きていたと言うけれどね。見た人がいるわけじゃなし」
 ママはしばらく、黙ってスープを口に運んでいたけれど、急にスプーンを置くと、
「ママも、あと一、二年で死ぬと思うの。それまでに、二人にはママが知っていることをすべて教えておくわ。出来ればジルのお嫁さんの顔を見てから死にたいけど」
 皆が黙ると、床の敷物の上で丸くなっている猫のザジが喉をごろごろ鳴らしているのが、いやに耳につく。まったく猫は呑気なものだし、人間は忙しい。
「ママ、なんで今日はそんな話をするの?パパのお墓参りをしたから?リリのお葬式をしたから?私が昔の人のことを聞いたから?」
 ネリが訊くと、ママは少し考えていたが、
「あのね。許そうと思ったの」
 と答えた。僕たちが思わずママの顔をのぞき込むようにすると、照れたように笑って、
「さっき、ネリが訊いたことは本当よ。昔の人は、もっと長生きだったの。それがなんで今のような事になってしまったのかも、わかっているわ。そのうち、教えてあげるけど」
「昔、なにかあったの?」
 黙っていた僕も思わず聞いてしまった。ママは、曖昧な微笑みを浮かべただけだった。
「なにか、いやなこと?」
 今度も、ママは黙っていた。
「いやなことだったら、僕は知りたくないな」
 ザジが起きあがって伸びをすると、また向きを変えて丸くなってしまった。僕は、リリのカードの脇の蝋燭の炎が揺れるのを見ていた。随分、長くママは黙っていたような気がしたけど、本当はそれほどでもなかったのかもしれない。
「知らなければ、生きる意味がないわ」
 生きる意味?なんだろう、それって。僕は、そんなこと、誰からも聞いたことがない。
「知って、許して、死んでいくのよ。パパもきっと許し終えたのだと思うわ」
「パコさんも知っている?」
「きっとね」
「リリは?」
「リリは・・・子供だったから・・・知らなかったかもしれない」
 気がつくと、ネリは泣いていた。ママは、手を伸ばすとネリの髪を撫でながら、
「大丈夫よ」
 と言った。
 僕はその夜、夢を見た。パコさんのヘリに乗せてもらった夢だ。空高く上って見下ろすと村全体が見えた。知らなかった。僕らの村は鳥の形をしていたんだ。

今週のおさむらいちゃん

新作16

今週は、ちょっと難しいかなー。数学的な問題だからなー。

社長の業務 歌舞伎プレ入門

社長 以前、このブログで私が歌舞伎の掛け声に挑戦したということを書いた。その後も月に一度は出掛けて、掛け声の研鑽を積んでいるんである。
 二月に日生劇場で『魚屋宗五郎』を見て研鑽にこれ努めていると、知らないおばさんから「新しい歌舞伎座の『勧進帳』は誰がやるのかご存じですか」と話しかけられた。團十郎が亡くなった直後のことである。
 掛け声をやっているんだから、相当の歌舞伎通であろうと思われたのかもしれない。まさか、その実体は、前日ネットで役者の屋号を調べて一夜漬けで暗記して、当日、プログラムを買ってストーリーをにわか勉強しているのだとは思われまい。
 私は新歌舞伎座で『勧進帳』をやることも、弁慶を團十郎がやる予定だったことも、だから、團十郎の逝去によりその辺の調整が大変なことになっているらしいことも知らなかった。「今度は三階席から、花道は見えるんですかね」などと全然関係のない方へ話を振って誤魔化してしまった。大した歌舞伎通である。
 というわけで(どういうわけだ)、新歌舞伎座のこけら落としも近いということで、今回は、ロクに知らない私から全然知らないあなたに向けて、鑑賞に入る一歩手前のガイドをしてみたい。(東京方面中心になってしまうが)

チケット購入:クレジットカードをお持ちであれば、ネットで買うのが一番お手軽であろう。松竹の系列の劇場の情報や購入は「歌舞伎美人」http://www.kabuki-bito.jp/ 、国立劇場のそれはこちらhttp://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu.htmlということになる。劇場設置の機械にカードを入れるとチケットが受け取れる。(その他電話でも購入可。支払い方法も色々あるみたい。)
 それにしても、4,5,6月のこけら落とし公演のお代は高い。普通、昼夜二部の公演のところが、三部公演になっていて、一番高い席が2万円と来たもんだ。小旅行ぐらいできそうだ。これで三ヶ月三部とも見た日には、18万円である。一番安い席でも4千円である。
 前は、高いのが1万2千円くらいで安いのが3千円くらいで、さらにお安い一幕見というのもあったのだが、ねえ、松竹さん、どうなるの、ねえねえ。
 なんだか、ガイドというよりは単なる愚痴になってしまっているが、さて、お安いということで言えば、国立劇場に1500円という席がある。一番後ろの一列が、それに当てられている。映画館より安い。
 ただ、好事魔多し(というほどでもないが)、この席は前の席との間がいやに狭くて窮屈なのである。「安い席なんだから少しは苦しんでもらわなければ」という劇場側の配慮かもしれないが、身体の大きい人、足の長い人はちょっと我慢が必要かもしれない。
 幸か不幸か、私は身体も小さければ足も短いのでなんとかなっている。(「幸か不幸か」の、「幸」はこの席に於いてのみ、その他の人生のほとんどの場面に於いては不幸)
 ただし、国立の歌舞伎は毎月やっているわけではないので、要確認。(松竹系は毎月なんかしらやっている)

お食事:通常4時間くらいは劇場にいることになるので、一回は中で飯を食わなければならない。
 もちろん劇場内に食堂もあるし、お弁当も売っている。私の場合は、何か用意していく。まあ、どこかで弁当を買ってもいいし、おにぎりでもいいし。(席で食べるのは可)
 江戸時代あたりの歌舞伎見物は、一日がかりで、また幕間もたっぷりとあったので、芝居茶屋に戻ってゆっくり飲み食いする、などという形があったらしいのだが、今の幕間は長くて35分くらいである。
 食堂は、それなりのお値段もするが、内容もそれなりにたっぷりしている。となれば、お銚子の一、二本も傾けながらゆっくりと食べたいものだ。それを、35分の間に食堂に駆け下りていって、時間を気にしながら食べて、その後トイレも行って、おしゃべりもして人の悪口も言って欠伸やおならなどもして席に戻る、というのはせわしなく思われる。
 食堂の場合、開演前にロビーのカウンターで予約をするのだが、そのカウンターにウナギの如く詰めかける上品なおばさまの群れとの競争に打ち勝たなければならない。とても自信がない。
 どうも、食事はさっさと済まして、残った時間は劇場内をぶらついたりプログラムでも眺めている方がいいような気がするんだが。売店のお土産品を見ているだけでも楽しい。お銚子の方は、劇場を出てからでいいんではないかな。
 いや、別に松竹や国立の営業妨害をする気はないのだが。(ガイドになっているのかな、これ)

観劇態度:歌舞伎は視聴者参加型の演劇である。声を掛けるなど出来なくとも、元気よく拍手をしてもらいたい。笑わせどころがあったら、わっはっはと陽気に笑ってもらいたい。
 近時、拍手をするでもなんでもなく、ぼーっと座っているおっさん、おばはんが散見されるのである。どうも、こういうやつらは、テレビを見るのと同じ受け身の態度で観劇しているのではないかと思うのである。テレビによって堕落した人間の典型である(おおげさ)。
 しかし、入門したてでは、なかなかよくわからんということもあろう。それなりに情報を仕入れることは大事である。
 一番安価なのはチラシ。切符売り場のみならず、場内でもあちらこちらに、今やっている芝居のチラシが置いてあって、演目と配役と簡単なストーリーくらいはわかる。タダ。
 同様にタダの情報源は、周囲の観客の反応。拍手の起こるところ、掛け声の多いところなど、なるほど、こういうのが見所かと教わることができる。
 プログラム。劇場売店で、1200円から1800円くらい。詳しいストーリーから見所の解説、役者の芸談、関連エッセイ等々、情報量は多い。あとで思い出すのや土産代わりにも使える。ただ、まれに事前にプログラムを読んだけど、よく呑み込めなくて、あとで芝居を見てやっと得心がいったという、プログラムが芝居の解説なんだか、芝居がプログラムの解説なんだかよく分からないケースもあった。
 私は使ったことないけど、イヤホンガイドというのが初心者には親切かもしれない。1500円前後で、そのうち1千円は保証金なので、あとで返してもらえる。芝居の進行に会わせてストーリーや見所を、物知りのおじさんやおばさんがイヤホンからそっと素敵な声で解説してくれるらしい。恋をしてしまうかも。英語版もありとか。語学に自信のある方はどうぞ(?)。
 

今週のおさむらいちゃん

新作15

毎週月曜日に載せてるんだけど、描けなけりゃ描けないで、別の日になります。だらだらやってます。

社長の業務 ショートストーリー『鬼の九斎』

社長 日本橋本石町のあたりに住居を構えた宇山九斎という医者がいた。
 江戸で最も繁華な一帯に住むくらいであるから、たいそう流行った医者で、名医だの神技だのと褒めそやす人も少なくなかった。 
 なにしろ、脈をとるでなく薬を盛るでなく、患者の身体に触れたか触れないかのうちに病を治してしまうのである。息も絶え絶えだった重病人が九斎にかかった途端に、鰻丼を三人前、そう言ってたいらげてしまったとか、飛び起きて日本橋から品川まで駆け出していったとか、逸話に事欠かない。
 そういう具合であるから、高禄の旗本だの大きな商家だのが小判を山と積んで往診を請うてくる。生活も派手で、吉原の遊郭から患者の元に出掛けたなども、一度や二度ではないらしい。
「漢方医も蘭法医もへっぽこばかりだ、本当に病いがわかるのは俺一人だ」
 などと言い放つものだから、他の医者からは憎まれていた。

 九斎には病いが見えるのである。
 だいたい、手のひらに載るくらいの大きさで、人間の赤ん坊のような姿をしている。ただ、頭に角が一本生えていて、妙にひねこびた目つきをしている。そんな小鬼が患者の頭やら肩やら腹の上に載っている。九斎は、それを摘み上げるだけだ。すると、患者の身体の温みから引き離された小鬼は急に干涸らびて、落雁という菓子のようにもろくなり、たちまちこぼたれ、風の間に消えてしまう。
 これは、九斎以外のものには出来ない仕業である。
 九斎でも手に負えないこともある。小鬼ではなく、相撲取りを三人前にしたような大きな鬼が患者の上で胡座をかいて、恐い目で見下ろしてくることがある。
 これは、もう駄目だ。摘もうとしたら、こっちが食い殺されかねない。九斎は決まり文句を言うだけだ。
「残念ですが、手遅れで」
 すると、その言葉が終わるか終わらぬかのうちに患者はこと切れ、鬼は雲散霧消してしまう。これはこれで、九斎の名声を高めるのに役立ったのである。
 
 ある時、九斎は妙な好奇心を起こして、患者から取り上げた子鬼を自分の懐ろに入れてみた。人間は成功にも倦んでしまうと気まぐれを起こしたくなるのか、それとも小鬼の生態に学者らしい興味を持ったものか。
 ところが、家に帰ってみると、背中に強烈な悪寒が走った。小鬼が背中を駆け上がったのだ。さらに頭を囓り始めると、ひどい頭痛と目眩が起こってきた。腹を抓られると下痢を催した。
 早く小鬼をつまみ出してしまわねばと思ったが、どうにも奴の動きが素早く、また九斎の方が病いのため身体が思うように動かない。下男の権助にやらせようと思ったが、考えてみれば、この小鬼が見えるのは九斎だけなのである。
「先生、医者の不養生たあ、このこったね」
 笑いながら粥を煮てくれる権助には、この忌々しさはわかるまい。
 そのうちに、病いが重くなってきた。手のひらに載るくらいだった子鬼が人間の子供ほどに大きくなってきたのである。
「先生、お医者様、呼ぶだかね」
 権助がそう言うが、他の医者に病いのことなどわからないのはわかっている。それに、憎まれている九斎のこと、どんな薬を盛られるか、わかったものではない。
 ついに、鬼は九斎と同じくらいの大きさになってしまった。これでは、どちらがどちらに取り憑いているのか、わからない。
 これを見た権助が「先生が二人いる」と言って逃げ出した。そういえば、鬼の顔が自分に似てきたような気がする。
 鬼は、どんどん大きくなり続けた。そのうち屋根を突き破ってしまうのではないか、と変なことが心配になりかけた時に気がついた。周りを見回してみると、箱枕も枕元の湯飲みも、いやに大きくなっている。どこかの時点で、鬼が大きくなっているのではなく、九斎が小さくなっていたのだ。
 鬼は、九斎を摘み上げると手のひらに載せてこちらを見ていた。九斎の顔がこちらを見下ろしているのである。
 それからまた、襟首を摘み上げて、空中で二三度、揺すぶられた。鬼の身体の温みがにわかに抜けて、自分が干涸らびて、粉っぽくなってくるのを九斎は感じた。

 その後、九斎は長寿を保ったが、最後はどこかへ姿を消してしまった。
 生涯独身であったという。
 あれほどの名声を誇っていたにもかかわらず、ある時期から医業をぷっつりとやめてしまった。その理由を問われると、
「もう、病が可哀相になったから」
 と、わけのわからないことを言ったので、九斎の発狂を疑う人もいた。

 もうひとつ、九斎の挿話といえば、いつの頃からか「二世・九斎」を名乗り始めたことだ。医者の九斎といえば、古今、この九斎しかいないのに、何故「二世」なのか、色々な人から問われたが、これには静かに笑うだけで、ついに答えなかったようである。
 筆者思えらく、おそらく鬼の九斎には干涸らびて消えてしまった本当の九斎への追悼のような気持ちがあったのではなかろうか。鬼がそういうことを考えるものかどうかわからないが。
 あるいは、「二世」=「偽」という洒落だったのかもしれない。だとすれば、なかなか気の利いた鬼だと言わねばならない。