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2014年02月

社長の業務:ショートストーリー『ウサギとカメ』

社長1  ウサギとカメが鬼ごっこをしました。初めは、ウサギが鬼になりました。どうせ、カメなんか、すぐにつかまえられるだろうと思ったのです。
 ところが、カメはなかなかつかまりませんでした。
 ウサギがカメのいたところに行くと、その間に、カメは少し前に進んでいます。また、そのカメの進んだ先にウサギが到着した時には、また、ちょっと前進しています。
 その繰り返しで、ウサギはカメに追いつけません。

 ウサギは考えました。
「そうだ、地球は丸いということを聞いたことがある。今、あいつは西へ西へと逃げているが、僕が東へ東へと進めば、いつかカメのやつと出くわすことになるぞ。第一、あいつの方から近づいてくるなんて、こんなにうまい話はない」
 ウサギは、自分の頭の良さにほれぼれする思いでした。早速、くるりと向きを変えると東へ向けて走り出そうとしました。ですが、
「待てよ・・・」
 と思いとどまりました。
「カメのやつが、真っ直ぐ行けばいいが、曲がったりしたらどうしよう。僕らは、いつまでたっても会えないことになるぞ」
 そこで、ウサギはまた振り向いて、向こうへ遠ざかっていくカメに向かって、
「おい、カメ。お前、真っ直ぐ行くんだぞ。曲がったりするとひどいからな。ぶん殴って、蹴飛ばして、手足を切り刻んで、目をえぐり出して、はらわたを・・・」
 その仕打ちの恐ろしいこと、ウサギは自分で考えていて、目が眩みそうになるほどでした。
「これでよし。カメが方向を曲げるなんて馬鹿な考えは起こさないだろう」
 ウサギは、東へ向き直ると走り出そうとしました。

「だが、待てよ」
 また、思いとどまりました。
「世界には海というものがあるって話だぞ。塩辛い水のでっかい水たまりだそうだ。海を前にして、あいつが進むのを止めちまったら」
 またウサギは振り返り、西へと向かうカメの背中を見ながら、
「おい、カメ。海というのに出ても、真っ直ぐ進むんだぞ。お前の親戚にはウミガメというのがいるんだからな。そいつに頼んで背中に乗せてもらって、どんどん真っ直ぐ行くんだぞ。そうでないと、ひどいぞ。甲羅を剥いで、歯を引っこ抜いて・・・」
 ウサギは、またまた自分の言うことの残酷さに驚いて、卒倒しそうになりましたが、これで大丈夫と東に向き直って、出発しようと思いました。

「待てよ・・・」
 また、ウサギは思いとどまりました。
「山というものがあるらしいな。それを避けて曲がったりしたら」
 三度目、ウサギはカメを振り向きました。
「おい、カメ。おまえ、山があっても真っ直ぐに行くんだぞ。避けたりしたら・・・」
 ウサギは今度もカメがどんな目に遭わされるか克明に教えてやろうと思いましたが、思っただけでもその赤い目が青ざめそうになったので、止めました。

 これくらい言っておけば大丈夫でしょう。今度こそ、東に向けて走り出そうとしましたたが、
「待てよ」
 また、ウサギは止まりました。
「こう言っている僕自身が曲がったり、海や山を避けようとしたらどうなるだろう」
 ウサギは断固たる声で自分自身に呼びかけ始めました。
「おい、ウサギ。お前、曲がったり海や山を避けたりしたら、どんなことになるか、わかってんだろうな。お前なんか、ああしてこうして・・・」
 そこまで言うと、ウサギはしばらく黙ってしまいました。が、やがて、
「うえーん」
 と自分の想像の恐ろしさに泣き始めました。
「よし」
 とウサギは泣きやむと、
「これで、僕は断固たる決心が出来た。こんな断固たるウサギは、ウサギ多しと言えど他にいないだろう。もちろんカメなんかは、この半分だって断固としていない。僕は、断固たる決意で断固行動する断固たるウサギなんだ」
 ウサギは、断固という言葉の断固たる調子に酔ったような気になりました。
「よし、僕は行くぞ。断固として断固として断固として」
 ウサギは一歩を踏み出そうとしました。

「だが待てよ」
 ウサギはまた、思いとどまりました。
「念には念ということがある。そうだ、神様仏様にお祈りしておこう」
 ウサギはその場にひざまずくと、
「神様、仏様、観音様、阿弥陀様、お釈迦様、お薬師様、弥勒様、お地蔵様、お閻魔様、金比羅様、恵比寿様、大黒様、弁天様、布袋様、寿老人様、福禄寿様、毘沙門様、帝釈様、どうか私をお守り下さい。お守りいただければ、金の燈籠千燈籠、銀の燈籠千燈籠、銅の燈籠千燈籠、奉納いたしますので、どうかよろしくお願いいたします」

「これだけ祈っておけば大丈夫」
 とウサギは、東へ向かって走り出そうとしました。
 すると、ウサギの行こうとする方から、オオカミがこっちへ向かって走って来るではありませんか。
 ウサギは逃げようとしましたが、
「ダメだ。僕は東へ真っ直ぐに行かなければいけないんだ。でも、それだとオオカミの来る方へ真っ直ぐ行ってしまう」
 オオカミは、目を血走らせ、大きな口からだらだらと涎を垂らしながら、
「うおー、腹が減ったー。あそこに、うまそうなウサギがいるぞ。ひと飲みにしてやろう」
 と走ってきます。
 ウサギは、再び跪き、手を合わせて
「神様仏様、どうかお助け下さい。お助け下さったら、金の燈籠千燈籠、銀の燈籠千燈籠、銅の燈籠千燈籠、必ず奉納いたします」
 すると、あと一歩で食べられてしまうというところで、
「あ、用事を思い出した」
 というとオオカミは、どこかへ行ってしまいました。
「ああ、神様仏様、オオカミに用事を思い出させて下さって、ありがとうございます。お礼に、金の燈籠千燈籠、銀の燈籠千燈籠、銅の燈籠千燈籠、奉納いたします」
 
 と、ウサギが神仏へのお礼を言い終わるか終わらないかのうちに、今度は東の方から、大きな岩がごろんごろんと転がってきました。
「ああ、どうしよう。僕が行く方から、大きな岩が転がってくる。でも、真っ直ぐ行かなくちゃいけないんだ」
 ウサギはまたお祈りを始めました。 
「神様仏様、どうかお助け下さい。お助け下さったら、金の燈籠千燈籠、銀の燈籠千燈籠、銅の燈籠千燈籠、必ず奉納いたします」
 すると、もう少しでウサギがぺしゃんこになってしまうというところで、岩は真っぷたつに割れてしまい、ウサギは事なきを得ました。
「ああ、神様仏様、岩を真っぷたつにして下さって、ありがとうございます。お礼に、金の燈籠千燈籠、銀の燈籠千燈籠、銅の燈籠千燈籠、奉納いたします」

 と、ウサギが神仏へのお礼を言い終わるか言い終わらないかのうちに、今度は東の方から鉄砲を構えた猟師がやってきました。
 鉄砲の狙いは、まさにウサギに向いています。このままでは撃たれてしまうでしょう。ウサギはまたお祈りを始めました。
「神様仏様、どうかお助け下さい。お助け下さったら、金の燈籠千燈籠、銀の燈籠千燈籠、銅の燈籠千燈籠、必ず奉納いたします」
 すると、その指がまさに引き金を引こうというところで、急に猟師は鉄砲を放り出して言いました。
「やめた、やめた。おらあ、この稼業がいやになっちまっただ。こんなのは、おらに向かねえ。やっぱ、前から考えていた通り、勉強してフィナンシャル・プランナーの資格をとるだよ」
 そう言って、帰ってしまいました。
「ああ、神様仏様、猟師にフィナンシャル・プランナーになりたいと思わせて下さって、ありがとうございます。お礼に、金の燈籠千燈籠、銀の燈籠千燈籠、銅の燈籠千燈籠、奉納いたします」

 もう、ウサギに向かってくるものはありませんでした。東の空はきれいに晴れて、遠く遠くの方まで見通せました。
「色んなことがあったが、もう大丈夫だ。なにしろ、僕には神様仏様のご加護があるんだからな。もう、なにも怖くはないぞ」
 そういうと、ウサギは堂々と第一歩を踏み出しました。そして、走り始めると、どんどん早くなりました。
 風のように、というか、風がびっくりしてウサギを見送ったものです。

 そのころ、カメは南へと進路を変えたのでした。


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社長の業務:ショートストーリー『雨の日の歌』

社長1  その部屋で母は眠っていた。
 医者も手を尽くしてくれたものの、甲斐なく、最後の時を待つばかりになっていた。
 娘の私は、一日の多くの時間を母のベッドの傍らで過ごすようになった。
 もう一度母となにかを話したいような気もするが、そのまま眠りの延長として逝ってくれればいいとも思った。
 母の顔は、病み疲れた後だというのに、昏睡に陥ってから美しくなったような気がする。 

 母は父の世話をする傍ら、絵を描く人だった。父が高名な作家だったせいもあって、母が絵を描いていることが人に知られるようになり、画家として紹介されることもあった。
 私は、ジャズ・ピアニストだ。
 もっとも、生計の大半は、ピアノの個人レッスンや子供向けの音楽教室の講師で稼いでいるのだけれど。

 ある日。
「園子ちゃん」
 と私の名前を呼ばれたような気がして、読んでいた本から顔を上げた。母が長い眠りから覚めたのかと思って、ちょっとどきどきした。
 だが、母は目を閉じたままだった。
「どうしたの」
 私は声を掛けてみた。だが、その顔面筋はデスマスクを先取りしたように動かない。
 空耳か、と思った瞬間、
「園子ちゃん」
 と、はっきりした声が聞こえた。
 それも、若い頃、私が子供の頃の元気な母の声だ。
「なあに、お母さん

 私は返事をした。すると、相変わらず動かない顔から、私の頭の中に直接響くように、だが少し笑みを含んだ声で、
「私がここに腰掛けて、何を見ていると思う?」
「どこに座っているの?」
「いやだわ。ここよ、海の見えるテラスよ」
 何か夢を見ているのかもしれない。その夢の中にあるのは、どこの海だろう。母と行ったことのある色々な海の光景が私の中で明滅した。
 母が口を動かしていないのに話をしている、という不思議はどこかに飛んでしまっていた。人の寝言に受け答えするのはよくない、ということを聞いたことがあったような気がしたが、答えないわけにいかなかった。
「それなら、海を見ているんじゃないの?」
 母の声は、きゃらきゃらと笑った。
「違うわよ。虫よ。あの木の葉に止まって眠っている虫。お父様に買っていただいたブローチと同じで、とてもきれいなんですもの」
「虫? カナブンみたいな?」
「虫よ。何かを私に教えてくれるのね」
「虫が?」
「ほら、虫の知らせって言うじゃない」
 そう言って、また笑った。寝言に駄洒落を言う母に、私は呆れて黙った。 

 ある日。
「だめよ、ジロー、畑に入っちゃ」
 また、母の声が聞こえてきた。といっても、前と同じように私の耳を通さずに、頭の中へ届いてくる声だ。
「どうしたの?」
 私は、また聞き返した。あまりにはっきりした声だったもので。だが、今日は彼女との対話は成り立たなかった。
 ジローというのは、母の少女時代に飼っていた犬だというのを聞いたことがある。あまりにも可愛がっていたので、死んだ後はもう犬を飼う気がしなくなった、と話していた。
 ・・・はい、もうしません。許して下さい。
 独白とも、一人芝居ともつかない言葉が続いた。
 ・・・謝らないで、ジロー。私は、こうして可愛がるふりをして、何度もあなたを苛めたのだから。
 ・・・許して下さい。謝るのさえ禁止されたら、私はどうしたらいいのですか。
 ・・・そうです、あなたを壊したのは私です。いつも、優しい演技をしていたのです。私が優しければ優しいほど、あなたから逃げ場を奪っていくのを私は知っていたのです。

 だんだん、声が苦しげになっていった。自分を責めているかのような声は、今まで母から聞いたことがないものだった。
「やめてよ、お母さん。それ、なんのこと?」
 私がいたたまれなくなって聞き返すと、母は、黙ってしまった。 
 私は考えた。
 普通の夢だったら、覚めれば消えてしまう。大半は忘れてしまう。でも、今の母には夢しか生きる場所がなくなっている。
 夢を見て、夢を見て、ただひたすら夢を見て、そして覚めないままに、どこかの時点で死の淵へと木の葉のように吸い込まれてしまう。
 夢の中に、母の生きてきた様々な風景がある。飼い犬もいる。私もいる。母は、もう二度と現実の私を見ないかもしれないのに、夢の中で私に会っている。
 静かになった母の寝顔を見て、私は少し泣いた。

 ある日。
「園子ちゃん。私が何を見ていると思う? この小川のほとりに座って」
「小川のほとりだったら、小川を見ているんじゃないの?」
 この間の海のバリエーションだろうか。
「(馬鹿にしたように)小川のほとりだから、小川? ・・・あなたには想像力ってものがないのね。そうなのよ、それが、あなたの致命的な欠陥。それがあなたの音楽を低いものにしている。確かに、あなたの指は鍵盤の上をすごい速さで動き回るわ。ジャッズだけじゃなくて(母は昔の人らしくジャズをジャッズと発音した)、クラシックの難曲だって弾きこなすわよね。だけど、楽譜どおりに指が動くと言うだけ。マシーンよ、あなたは。聴衆は、初めのうちはマシーンの性能にびっくりするけれど、そのうち、耳が驚いている割には心が躍らないことに気が付きだして、退屈するの。あなたの演奏は理知的なんじゃないわ。心がないだけ」
 母の言葉はだんだん高ぶり、早口になっていった。
 私は、驚きのあまり、口を挟むことも出来なかった。母から、そんな残酷な批評を聞くとは思わなかった。
 いや、残酷なのではない。めちゃくちゃだ。
 そもそも、私は感情過多な女だ。おまけに自分でも妄想狂ではないかと思うほど、あらぬ空想に身を任せていたりする。(おかげで、上の空で歩いて転んだり階段から落ちたり、生傷が絶えないのだ)
 それを自覚していればこそ、ピアノの上では意識的に抑制的な部分を取り入れ、今のスタイルを作っているのだ。
 なにもわかっちゃいないんだ、お母さんは。ついに、私のことをなにも理解しないまま死んでいくのだ。心がないのは、お母さんの方じゃないか。
 私のことが嫌いだったのか。 
 こちらの感情も吹き出しそうになった。
(お母さんは、私のライブに来たことないのに・・・)
 何を根拠に、そんなことを言うのだろう。

 ある日。
「園子。ピアノの前に座りなさい」
 また母の声が聞こえ始める。でも、ここにピアノはないのだから、答えようがない。それに音楽のことでは、こないだ傷つけられたばかりだ。
 でも、今日の母の声は、静かでしみじみとしていた。
「あの曲を弾いてちょうだい。あの、あなたの死んだお兄さんが作った曲。なにものにも比べようがないほど美しい曲。でも、この上なく憂鬱な曲。そう、『雨の日の歌』という題名だったわね」
 死んだお兄さんとは何のことだろう。私は一人っ子なのだ。母の心の中には、ついに私の知らない世界があるのだろうか。
 でも、そんな兄がいたような気がしてくる。なにより、わたしの頭の中に、その曲が聞こえ始めたのだ。
 ピアノのソロだ。聴いたことのない曲。そして、母の言うように、美しい憂鬱というものがあるとすれば、まさにこの曲だ。
 私は、ノートを取り出すと、採譜し始めた。
 今、眠っている母の耳の奥にも、この曲が響いているのだろうか。死にゆく人の中で鳴っている音楽を共有している私は幸せなのだろうか、不幸なのだろうか。

 その後。
 母を見送った。
 普通の意味で言う意識を取り戻すことは、ついになかった。
 仕事を始めてからは、母とは離れて一人暮らしをしていたので、日常に大きな変化があるわけではない。
 相変わらずピアノを教え、ソロやバンドや他のアーティストのバックで演奏して生きている。

 自分のライブがある時は、かならず『雨の日の歌』を弾くことにしている。お客は自分の心をのぞき込むような顔をして聴いている。この曲が好きだと言ってくれる人もいる。
 作曲者には、母の名をクレジットすることにした。
 だって、死んだ兄の名前なんて、知りようがないのだから。

社長の業務:ショートストーリー『王と石つぶて』

社長1  ヘルニア王国の首都、王宮前の広場は戦勝の報に沸き返っていた。国境沿いでジフテリア王国軍と戦っていたヘルニア軍は激戦の末、コレーラの丘を奪取したというのだ。
 先週も、国の反対側の国境でクリミジア国の兵と戦って勝利したという報が入ったばかりだ。このところ、毎週のように戦勝報告が届けられ、その度に民衆は王宮前に集まっては、
「ヘルニア王国万歳!クルエル三世殿下万歳!」
 と歓呼の声を上げる。そして、次の吉報が早くもたらされるよう、新たな期待に膨れあがっていく。
 それは、国王クルエル三世とても同じだった。自分を讃える民衆の声が、強い酒のように頭の芯をしびれさせてくれる。自分が強国の英雄的な王だという確信を運んでくる。

 去年、彼が王位を継いでから、戦争へ出掛ける回数が目立って増えた。出兵理由は隣国が侮辱的な態度を取ったらしいとか、敵対的な発言があったとかいうものである。
 そして、連戦連勝の報がもたらされた。国民は自国の軍隊がこんなに強かったのか、と目の覚めるような思いをした。クルエル三世の軍事的天才を崇拝した。

 彼の方針に逆らったり疑問を呈したりするものは、ただちに処刑された。公開処刑である。
 ありとあらゆる残酷な方法で行われるそれは、また国民の熱狂に膨らみきった気持ちに適うものであった。国民は戦争と公開処刑を心待ちにするようになった。
 中でも人気のあった刑罰は、集まった群衆が鎖でつながれた死刑囚に死ぬまで石つぶてを投げるというものであった。最初の日で死ななければ、死ぬまで何日も続けられた。大抵は、一時間経たないうちに死んでしまったし、中には一発こつんと当たっただけで、あの世に行ってしまい、群集をがっかりさせるやつもいた。 
 国民は、王に異議を唱えた者に石を投げる時、自分が強国の一部であることを強く感じ、強国の正義がなされることに参加しているという気分に浸ることが出来た。

 王も国民も雲の上を歩いているような気持ちでいた時、クルエル三世は国中を行幸することを思いついた。中央のみならず地方の国民にも我が勇姿を見せて回ろうというのである。
 その計画が練られた。道筋の整備、宿舎の手配、各地での行事の日程。
 念入りに考えられたのは、いかに、その行列を美しく飾り立てるかであった。王の前後に付く兵隊のために、装飾のついた甲冑が新しく手配されることになった。供揃えの帽子を飾る羽毛を取るために、湖から水鳥が消えてしまった。衣装のために国中の仕立屋が徹夜の目を赤くしていた。
 中でも、王自身をいかに勇者として演出するかが問題であった。

 そんな時、王宮の庭に、美しい白馬が現れた。どこから来たのかわからないが、雪のように純白な光り輝かんばかりのその馬こそ、王を乗せて国を巡るのに相応しい馬ではないか、と思われた。
 王は一目見てそれを気に入った。というより惚れ込んでしまった。馬に向けて右手を差し出すと、馬の方も甘えるように頭を差し出すのだった。
 相思相愛。
 王は、ただちに宝石をちりばめた鞍を装着させ跨った。もちろん取り巻きの者達は賛嘆し止むことがなかった。
 宮廷詩人は、地上で最高の王と天から使わされたかのような馬を、歯の浮くような言葉を並べて讃えた。
 涙を流すものさえいた。もっとも、彼が立ち去った後、皮をむいたタマネギが落ちていたのだが。
  
 駆けよ、と王は命じた。
 すると、馬は、ふわっと宙に浮いた。あっと驚く臣下達の声を後に、王を乗せたまま天の彼方に飛び去ってしまった。

 王は上機嫌だった。あの宏壮な宮殿が小さく見えるほどの高みから地上を見下ろしているのである。もしや、自分は神と等しいような存在になったのではないか。
 白馬は、山巓の頂上に降りた。あたり一面の銀世界の中でも、この馬はひときわ光り輝いていた。その身体がプリズムになってしまったかと思われるような虹色の光を放っていたのである。 
「王よ」
 驚いたことに馬は言葉を発した。
「あの鏡を見よ。あの天上の氷で作られた鏡を」
 すると岩壁が鏡に変わった。 
「その鏡こそは汝の真実の姿を映すものなり」
 王は、白馬に跨ったまま鏡の前に進み出た。国民の前に、なにより自分の心に見せるべき雄々しき姿は、どのように映っているだろうか。

 王は、三日間戻ってこなかった。
 その三日のうちに革命が起こっていた。きっかけは、第一日目に行われた政治犯の処刑である。
 例によって、足に鎖をつながれた男が猛り立つ群衆の前に引き出された。例の如くに合図とともに、群集から石つぶてが飛んでくる。弱いものなら、一発目が当たっただけで頭を抱えてうずくまってしまう。だが、その日の男は、ぐっと足を踏ん張って倒れなかった。
 それどころか血まみれになりながら、王の非を鳴らし、戦争の愚を叫び続けた。
 初めのうちは、その不遜な態度は群集のさらなる怒りを誘うだけだった。しかし、いつまでたっても倒れない彼に、群集は底知れぬような恐怖を感じ始めていた。石を投げる手が縮こまり力が抜けるようだった。
 いつしか彼の声は聞こえなくなった。飛んでくる石も弱々しく、数も少なくなった。まだ投げているのは役人が「投げろ、投げろ」と声を枯らして命令するからに過ぎなかった。
 やがて、群集は彼が立ちながら死んでいるのに気づいた。彼らの足下が空っぽになるような不安に捕らえられた。
 真に畏怖すべきもの、真に尊敬すべきものは何かと言うことを、その直立した死体が、お節介にも教えてくれているような気がした。
 気が進まないながらも、彼らは彼らの真実の姿と向き合うしかなかった。
(それは、あの山の上でクルエル三世が見たものと同じであるわけだが)

 第二日目に、最前線の戦場から逃げてきた二人の兵士からの報せがもたらされた。
 連戦連勝と伝えられていた戦闘は、逆に連戦連敗だった。下級兵士は、乏しい食料や武器を持たされるだけで、前線に捨てられるように突撃を命じられていた。それに引き替え、将軍始め幹部は自分は戦場には姿を現さず、後方の幹部用営舎で美酒美食に溺れ、そこには娼婦がごろごろしていた。
 前日の男の処刑が民衆の心に、なにか不安定なものをもたらしていたに違いない。この話が、瞬く間に「真実」として伝わった。
 官吏は、ただちに二人の兵士を逮捕し、あの石投げの刑に処することになった。しかし、石を投げに集まってきた者は一人もいなかった。
 第三日、あの処刑された男の弟を、リーダーとして担ぎ出した民衆が王宮になだれ込んだ。昨日までの支配層に対する凄まじいまでの殺戮と略奪が行われた。

 革命の端緒となった死刑囚の弟は全国民の支持を得て、新国王・ミゼラブル一世として即位した。
 新王の最初の仕事は、四日めにようやく帰ってきたクルエル三世の処刑に関する命令書にサインすることだった。
 民衆は、刑場に引き出された前王を見て、そのみすぼらしい小男なのに驚いた。それまで自分たちが見ていたのは幻影だったのだろうか。
 彼らは怒りをたぎらせた・・・フリをした。なにせ、気を抜くと、哀れみにとらわれてしまうほど情けない姿だったのである。こんな男を崇拝していたのかと思うと、普通なら恥ずかしくて強い酒でも呑んで前後不覚に酔っぱらわないといられないところだ。
 だが、彼らは、その羞恥心を偽の怒りに転化するくらいの狡猾さは持っていた。
 恥ずかしがるどころか、いつもより力を込め、いつもより大きい石を投げつけたのである。
 怒ったふりをしているうちに、いつの間にか本当に怒っているというのは、人間、よくあることである。 

 ミゼラブル一世は、クルエル三世の処刑により、民衆の公開処刑熱が萎んでしまったのを見てほっとしたらしい。
 だが、ほっとした後、深い溜息をつかなければならなかった。
 国庫から、借金の証文の山が見出されたからである。前王の戦争と奢侈で借金の山が出来た上に、わずかな宝物も民衆の略奪によって、城はスッカラカンになっていた。
 腹の虫が鳴くのを音楽の代わりに聞きながら、新王は国の立て直しに着手しなければならなかった。

今週のおさむらいちゃん (もひとつ)

新作47

東京あたりでは、よくあることでござる。

今週のおさむらいちゃん

新作46

20年ぶりの大雪を記念しまして。

社長の業務;ショートストーリー『空斎先生』

社長1 村の庄屋というのは、その頃には地方の教養階級の主たる担い手でもあった。
 この村の茂左右衛門も、この辺では蔵書家として知られており、また京や江戸から学者や詩人や俳人や絵師なんぞを招いては饗応するのを楽しみとも徳ともしていた。また、そういった著名人の酒席での揮毫や俳画などたくさん持っていたのである。

 茂左右衛門が空斎先生の名を聞き知ったのは、いつ頃のことであろうか。
 この村の後ろにある山々の奥の山国のさらに奥の秘境とも言える阿羅羅山のそのまた奥に隠遁しているという。
 和漢の書はことごとく諳んじ、占術や医術にも造詣が深く、さらには阿蘭陀渡りの書物もすらすらと読みこなし、日本国中はもちろん、清国、朝鮮、天竺から、ぺるしあやらあらびあやらを旅し、阿弗利加から欧羅巴まで行って、各地の著名の氏と歓談してきたという。
 なぜ、国禁である海外渡航が出来たかというと、空斎先生は仙術も自家薬籠中のものとなし、なかんずく飛行術を得意としていたから、欧羅巴はおろか地球上どころか月の世界まで自由自在に往復できるのだそうな。
さらには変身の術を心得、読心術までも身につけているのだから、泰西の貴紳といえども先生の前では釈迦の掌の上の孫悟空のようなものだ。
 
 いかに名士好きの茂左右衛門とはいえ、そんな脱俗超凡の仙人の如き人物、いや実在しているのかどうかさえ定かではない人物とよしみを通じることができるとは、とても思わなかったが、知り合いの商人の弥次郎兵衛が「もしかすると、わかるかもしれない」と言い出した。
 彼は薬種も扱っているので、山国で熊の胆を取る鉄砲勇助という猟師と付き合いがある。この勇助が、何度か空斎先生と会っているというのである。
 
 あるひどい霧の日、勇助が山の中を彷徨っていると、彼の前に天を衝くような巨大な影が現れた。
 これは、巨人ダイダラボッチに違いないと、勇助は恐怖感のあまり思わず、鉄砲の弾を放っていた。
 すると霧の中から、
「あぶない、あぶない。鉄砲勇助ともあろうものが、何をうろたえておるのじゃ」
 と声が聞こえ、弾丸を親指と人差し指で摘んだ、五尺に足りない小柄な老人が現れた。
 勇助は、老人が弾丸を指で摘んだのにも驚いたが、なぜか自分の名前を知っているのにも驚いた。どっちを先に驚けばいいのかわからなくて混乱している内に、老人は霧の中に消えてしまった。その間際、
「わしは空斎という。気の向かない人とは会わないことにしている」
 と言っていたようなが気がする。 

 弥次郎兵衛によれば、勇助は大嘘つきではあるが、信頼の置ける男だという。なによりも、空斎に認められたところが、すごいではないか、と言うのである。
 理屈が通っているのか通っていないのか判然としなかったが、ともかく唯一の手掛かりである。
 茂左右衛門は、弥次郎兵衛に手紙を託し、勇助を通じて空斎先生に渡してもらうよう頼んだ。

 そして、便りはあったのである。といっても、勇助、弥次郎兵衛を通じての言付けであったが、茂左右衛門の情熱に感じた空斎先生が来月の一五日、満月の晩に茂左右衛門宅を訪問する、というのである。
 彼は狂喜乱舞した。そして、悩んだ。どのように空斎先生をもてなそうか。
 既に俗界を捨てられた先生に俗人にするような饗応をして喜んでいただけるだろうか。
 かといって、清国、天竺、欧羅巴まで御覧になった先生である。あまり、みすぼらしいものではご機嫌を損ねるのではないか。
 ともかく、弟子の端くれにでも加えて頂くべく、出来る限りのことをしよう、と考えて、切ないような思いでその日を待った。

 明くる月の一五日の晩、満月は煌々と輝いているのだが、いくら待っても空斎先生のご光臨がない。
 やきもきしているうちに、村の吾作という若者の馬小屋を覗いていた汚らしい老人のうわさが入って来た。
 これは馬泥棒に違いないと思った吾作は仲間の若者を呼び集め、老人をつかまえて殴ったり蹴ったりしたという。
「それだ!」
 茂左右衛門は飛び出した。
 吾作の家に行って、老人をどうしたかと訊くと、さんざん打擲した上で、村のはずれの方に追いやったという。
「馬鹿め!」
 茂左右衛門は、走り出した。普段なら、肥満した身体で息が切れるところなのを、構わず走った。
 村はずれのあたりで、粗末な着物にたっつけ袴の老人の後ろ影が見えた。
「空斎先生!」
 そう叫ぶと、老人はちらりと振り向いた。だが、また向こうを向いて歩き出した。茂左右衛門は泣きそうになって、再び走り出した。
 こちらは運動不足の太った身体とはいえ、相手は老人である。精一杯走っているうちに、もう少しで追いつきそうになった。
 その時、老人の姿がふと消えた。
「先生・・・」
 茂左右衛門が目をこすりながらあたりを見回すと、道の遥か先の方に老人の後ろ姿が見えた。それは満月の光を受けてか銀色に光っていた。
 彼は感動した。こんなに美しい人間の背中を見たのは初めてだ。さすがに道を極めた人は違う。
 再び、師の名を呼ばわりながら走り始めた。若い頃のように足が軽い。東風よりも早い。これなら先生に追いつける。なんだか身体が光り始め、さながら一個の彗星のようになるのを感じていた。

 翌日、村の庄屋宅は大騒ぎだった。昨夜、飛び出していった茂左右衛門が帰ってこないのである。
 そこへ、薄汚い、ちょうど茂左右衛門が追い掛けていった老人と同じような爺さんがやって来た。 
「茂左右衛門さんはご在宅かな」
 手伝いをしていた若者の一人が怒鳴るように答えた。 
「それどころじゃないよ。夕べ、空斎先生とかいう汚ねえ爺を追い掛けて、どっかへ行っちまった。これから、村の若い者を集めて山狩りだ」
「おや、空斎なら、わしじゃが」
 若者は、目をどんぐりのようにぎょろぎょろさせていたが、すぐに庄屋の女房を呼びに行った。出てきた女房は庄屋に負けず立派な体格だった。
 老人は頭を掻きながら言い訳をした。
「いや、昨晩、着くはずだったが、ちょっとした用事があって一日遅れてしまったんじゃ」
「じゃあ、うちの人が追い掛けていった空斎先生というのは何だったんだろう」
 女房は、口をあんぐりと開け、しばらく寄り目になってしまった。が、すぐに怒りで顔を真っ赤にして、
「まったく先生だかなんだか知りませんがね、あんたみたいな人がいるお陰で、うちの人は、うちの人は、うちの人は・・・」
 それから先は、言葉にならず、燃え上がるような目で老人を睨みつけるばかりだ。
 空斎先生は、べそをかいたような顔になった。