社長の業務:落語『砂絵の騒ぎ』

ところがどうしたことか、お咲が身体がだんだん砂になってしまうという奇病に取り憑かれた。
なんせ医学の発達していない頃の話ですから、どのお医者に頼んでも薬の盛りようがない。もっとも、こんな病気、医学が発達しても手のつけようがないかも知れませんが。
もう、砂になった身体を横たえているばかり。それでも、何とか口は聞けていたんですが、ある時、うっかりと戸を開けっ放しにしていたところへ春先の強い風が、さっと吹き込んだものだからたまらない。お咲は跡形もなく吹き飛ばされてしまいました。
後に残された善吉の悔やむまいことか。どうかして、もう一度、お咲に会いたいと、そればかり思って暮らしておりました。
折から聞き込んだのが、浅草の観音様の境内に出ていた大道芸人の婆さんの噂。これが、握った拳のうちから色とりどりの砂をさらさらと地面にこぼし、それで砂絵を描いてみせると言います。
近くにあります、歌舞伎の中村座、守田座、市村座・・・いわゆる浅草三座で評判になっている芝居の一場面を、本物そっくりに描き出す。
そればかりじゃありません、鳶の羽毛で掃いたり、火吹き竹で風を送ったりして、絵を動かしてみせる。これが本当に芝居を見ているように動くというので大評判。芝居に行く銭のないやつはもちろん大喜び。三座の方は邪魔に思うかというとさにあらず、却っていい宣伝になるというので、喜んでいるという。
人呼んで「砂描き婆あ」。
善さん、絵でもいいからお咲の動く姿を一目見たいってんで、この婆さんに弟子入りを頼み込んました。
善吉の願いを聞いていた婆さん、じっと、その顔を見ておりましたが、ハタと膝を打つと、
婆「いいじゃろう。教えてやろう。だが、絵をいじって動かすなんぞは子供の悪戯に等しい。魂を込めて、本当に生きているのと同然に動かすという技を教えて進ぜよう。これは、思いが純一なものしか会得できない技じゃ。わしも伝える相手がいないので困っておったが、お前の瞳に純なるものが見えた故、教えて進ぜるのじゃ」
さあ、それから善さん、狂ったように修行に励みます。その甲斐あってか、やがて免許皆伝。
三・七・二十一日の精進潔斎の後、長屋の部屋に紙を敷くてえと、お咲の姿を描き出す。そして、魂を込めるや、
咲「あら、お前さん、また会えたんだね。あたしゃ、嬉しいよ」
ってんで、お咲が口を聞いてくれた。絵から抜け出てくるてえと、また二人仲良く暮らし始めます。
これを聞き込んだのが、隣に住んでおります独り者の八五郎。
八「なあ、善さん、その砂絵てえのを習いてえんだよ」
善「なんでだい」
八「俺は、芸者のぽん太に痛く惚れこんじまったんだ。だが、俺みてえに銭のないやつには振り向いてもくれねえ。こうなったら、砂絵でもいいから、あいつとゆっくり話がしてみてえ」
善「そうは言うが、この技は気持ちが純でなければできねえんだ」
と、八五郎の顔を見る。瞳の奥が、らんらんと燃えさかっていますな。そりゃあ、すごいもんで、
善「いや、色ボケでもここまで来ると大したもんだ。こいつは、ものになるかも知れねえ」
というので、婆さんに紹介する。婆さんの方でも、その目の輝きに感じ入って入門を許す。
モテたいという一心も馬鹿には出来ません。一生懸命、修行に励んで会得してしまう。そして、三・七・二十一日の精進潔斎を済ませるてえと。
八「さあ、ぽん太ぽん太ぽん太ぽん太、出てきておくれよ」
と念じる。
ぽ「あら、八っつあん、今晩は。お前さん、今まで気がつかなかったけど、よく見ると様子がいいよ」
てんで、三味線を持って出てくる。
八「うひー、俺は、こんなにモテたことはねえや。そうだ、お前の妹分の小春と小梅も呼び出して、今夜はひとつ、陽気に騒ごうじゃねえか」
これも砂絵を描くてえと、
小春・小梅「お兄さん、今晩は」
八「おう、来た来た来た来た、今晩は、寝ねえぞ。夜っぴて騒ぐぞ。ありゃありゃありゃありゃ、と」
沖の暗いのに白帆が見える あれは紀の国 みかん船
あ、かっぽれ かっぽれ 甘茶でかっぽれ
もう、とんでもない馬鹿騒ぎ。
こうなると、災難なのは隣の善さんですな。
善「ありゃ、ひどい騒ぎだねえ。うちが揺れてるんじゃないかい? でも、婆さんを紹介しちまったのは俺だ。しょうがない、今晩一晩くらいは我慢するか」
というので、耳を塞いで布団を被ってじっとしている。
ところが、突然ぴたりと騒ぎが止まってしまった。
うるさいのも困りますが、急に静かになっちまうてのも、気持ちの悪いもんで。
善さん、隣へ行ってみる。戸を開けるてえと、中で八っつあんが一人でぼんやり座っております。
善「おう、八っつあん、随分賑やかだったじゃねえか」
八「ああ、善さんか。俺あ、あんなに派手に陽気に浮かれたのは生まれて初めてだ」
善「急に止まっちまったのは、どういうわけなんでえ。芸者達はどうした?」
八「ああ、やっぱり陽気に騒いでいたがなあ」
善「どこ行っちまったんだい」
八「あいつら、元が砂だろう」
善「どうしたい」
八「舞い上がっちまった」
お後がよろしいようで。
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