2014年04月
今週の
社長の業務:ショートストーリー『アルマジロ売り』

奥まった場所の木の下で、男が一人、足下に「アルマジロ売ります」と書いたボール紙の看板を置いて立っていた。
スキンヘッドにサングラス、派手な色のTシャツを着てジーパンをはいた、体格のいい男だ。
どうやら彼がアルマジロ売りらしいことは(少なくとも彼自身がそう言う自己認識を持っていることは)、そのボール紙に書いたマジックの字で、この上なく明瞭にわかるが、彼の周囲にはアルマジロなど一匹もおらず、それどころか商品らしきものも何もない。(何でもいいから物が並んでいれば、それがアルマジロという商品名の何なんだな、と察しはつくのだが)
これはどうも、アブナイ人らしい、関わり合いにならない方がよさそうだ、と思ったところに彼が視線を上げたので、私と目があってしまった。
話しかけられたらいやだな、と思ったところに、
「どうです、アルマジロはいかがですか」
と話しかけてきた。これは黙って通り過ぎるにかぎる、と思ったのに、つい、
「アルマジロって、どこにあるんだい」
と、さっきまで疑問に思っていたことが口をついて出てしまった。
「よくぞ聞いてくれました」
と言うと、彼は地面に置いていたバッグから、双眼鏡をひとつ取り出した。
「これを覗いてみて下さい」
「どこを見るんだ?」
「まあ、あのあたりですか」
彼は、公園の中央の鮮やかな緑の芝生の方を指さした。子供達が遊んでいる。あの中にアルマジロがいるのだろうか。
「裸眼じゃなくて、双眼鏡で見てみて下さい」
促されて、それを目に当てると、
「なんだ、こりゃ」
ただ赤土の大地が、真っ青な何もない空の下に拡がっているだけである。
「いましたか」
「何も見えない」
「ちょっと、こう角度を変えてみて・・・」
と、彼が私の身体の向きを変えさせると、
「あ、いた」
赤土の大地の上に、確かにアルマジロ、被甲目アルマジロ科に属する動物が横を向いているのが見える。
「あ、こっちを見た。あ、こっちに向かって歩き始めた」
いつの間にか、アルマジロのいちいちの動きに、子供のように大声を上げている自分がいる。
双眼鏡を目から外すと、赤土の大地は消えてしまって、もとの昼下がりの公園ののんびりした光景が広がっている。
要するに、双眼鏡の中に動画が見える仕掛けがあるだけなのだろうか。
「まあ、ちょっと続きをご覧なさい」
私の不審を察したのか、男がそう言った。考えてみれば、ここで立ち去ってもよさそうなものなのに、私は素直に双眼鏡を覗いた。
どこか外国の港町らしい。波止場に荷物が積まれたり、車や人足達がうろうろしている。
「南米のとある港ですな」
と男が解説する。すると、慌ただしく行き来する者達の足下に、ちょこちょこ動く影が見えた。
「アルマジロだ」
アルマジロは停泊している大きな船に近づいて、梯子を登り初めた。
「なんだ、船に乗ろうってのか」
「そりゃね、アルマジロにはエア・チケットは買えませんからね」
思わず私は男の顔を見た。真面目なんだか不真面目なんだか、サングラスのためにわからなかった。
再び双眼鏡を覗くと、船の甲板であろうか、デッキチェアに寝転んでいるアルマジロがいた。(私は、寝転んでいるアルマジロの姿を初めて見た)
どうやらプールサイドらしい。よほど大きくて豪華な客船らしい。
「お」
よく見ると、アルマジロは、髪の色も肌の色も、ビキニの水着の色も様々な女性に囲まれて、にやにやしているようだ。アルマジロの口吻が細くて顔全体も小さいのでよくわからないが、確かに笑っている。(笑っているアルマジロを見たのも初めてだ)
次に、どこかで見た景色が写ってきた。尖塔のような高い建物、その横の大観覧車、海を渡ってアーチを描く巨大な白い橋。
「横浜港じゃないか?」
「いよいよですね」
何がいよいよだか知らないが、アルマジロは横浜の街をちょこちょこと走り回り(不思議なことに、周囲の人はこの奇怪な動物に無関心なように見えた)、さらには電車に乗り(どうやって切符を買ったのだろう)・・・。
「あ、あそこです」
と、男が大きな声を出した。双眼鏡を離すと、彼は芝生の方を指さしていた。そちらを見てみると、遊ぶ子供達の中、緑の上を一点、黒い点が移動しているのが見える。こちらに向かっているようだ。犬でも猫でもない。
「アルマジロですよ」
そう言われて目を凝らしてみると、確かにその黒い粒のような物はアルマジロであるようだ。
「だんだん近づいてきますな」
黒い粒はだんだん大きくなり、いよいよアルマジロらしくなってくる。芝生を抜け、アスファルトの道の上に出た。
「まさにアルマジロだ」
「まさにアルマジロです」
いったい自分が何を期待しているんだかわからないが、胸が高鳴る。
もうあと三十メートルほど、というところまで来て、アルマジロは前身をやめた。
「止まった」
「止まりましたね」
「どうしたんだろう」
「考えてますな」
「考える? アルマジロが? なにを?」
すると、アルマジロは身体の方向を変えると、もと来た芝生の方へと歩き始めた。
「戻っているじゃないか」
「忘れ物でもしたんですかね」
「忘れ物? アルマジロが?」
どんどん、アルマジロは遠ざかっていく。心なしか来た時より速いようだ。
「行っちゃうぞ」
「双眼鏡です!」
男に言われるまま、双眼鏡を目に当てた。電車に乗っているアルマジロ、横浜の街を歩くアルマジロ、船に乗り込むアルマジロ、ビキニの美女に囲まれる、外国の港町・・・さっき見た通りの逆コースを辿っているようだ。
ついに、双眼鏡の丸い視野は、最初の光景、つまり上半分の真っ青な空と、下半分の赤い地面が拡がっている光景に戻った。
一瞬、視野が暗くなったが、それはアルマジロの背中に隠されたかららしく、だんだんその黒い影は、アルマジロの背中の形になり、どんどん遠ざかっていく。
ボールの大きさになり、豆の大きさになり、ゴマの大きさになり、ついに赤い荒野の中に姿を消してしまった。
耳元に、ぴゅう、と乾いた風の音が聞こえた。
「おーい」
私は、もう見えないアルマジロに向かって叫んだ。
双眼鏡を外してみると、私の眼前には、双眼鏡の中にあった赤い大地と青い空がそのままに拡がっていた。公園は消えていた。びょうびょうと風の鳴る音だけが聞こえ、生き物の気配がない。
見回してみると、360度、同じ風景が展開した。足下の赤土を蹴ってみた。アスファルトのそれでもなく、コンクリートのそれでもない、何千年も吹き曝されてきた赤土の感触が靴底を通して伝わってきた。
双眼鏡を、再び目に着けてみた。
あのスキンヘッドのアルマジロ売りが、あの公園で、足下に「アルマジロ売ります」というボール紙の看板を置いて、さっきと同じような恰好で立っているのが見えた。
今週のおさむらいちゃん
今週のおさむらいちゃん
社長の業務:ショートストーリー『ずぶ濡れの人、それは』

なので駅まで車で、会社へ出かける主人を送っていった。朝食の後かたづけをし、掃除を終える。本当は布団も干したいところだが、この雨ではもちろん無理だ。
午後はパートの仕事へ出かけるのだが、ぽっかりと時間が空いてしまった。
なんだかやるせない空白の気持ちでお茶を淹れていたら、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けてみると、若い痩せた男の人がぐしょ濡れで立っていた。黒のスーツは安物らしくびろびろになっているし、額に垂れた前髪からぽたぽたと雨粒が垂れていた。
あまりの惨状に、彼が誰だが確かめることもせず、思わず風呂場からバスタオルを持ってきて渡した。
「ども、ありがと、ございます」
脅えたような声で礼を言うと、彼は顔や手を拭い始めた。
「傘も差さずに? どこから?」
「はい・・・駅から・・・です」
「歩いてきたの?」
駅からは歩くと15分くらいある。そりゃあ、ぐしゃぐしゃになるはずだ。
「今日は、すごい雨だって、昨日から天気予報で言っていたじゃない」
「はあ、家を出る時は傘を持っていたんですが」
「どうしたの?」
「駅を出る時、知らないおじさんに呼び止められて、あの正面に見えるコンビニで煙草を買ったらすぐ戻ってくるから、ちょっとの間、傘を貸してくれと言われまして」
「貸したの?」
「はい。ところが、おじさん、コンビニとは全然違う方向へ歩き出して、そのまま戻ってこないんです」
「盗まれたの?」
「でも、別のところで煙草買って帰ってくるかも知れない」
「あきれた。人がいいのね」
「で、仕事もあるし、おじさんには済まないけど出かけることにしました。戻ってきたら悪いけど、その時は、傘をあげることにして勘弁してもらおうかと」
「何が勘弁よ。盗まれたに決まっているじゃない。第一、そんなに濡れるんだったら、そのコンビニで傘を買っても良かったんじゃない?」
「あ、そうでした」
そこまで言うと、知り合いの若い人に説教してでもいるかのような自分に気がついた。本当は、この人が何者なのか、わからないのだ。まあ、悪い人ではなさそうだが。
「で、あなた、仕事って何しているの?」
「あ、申し遅れました。私、詐欺師です」
悪い人だった。だが、ヘンな悪い人だ。
「あのね、あなた、自分で自分を詐欺師だって言う詐欺師がいると思う?」
「お疑いですか」
彼はびろびろになった上着の内ポケットからカードケースを出すと、
「私、こういうものです」
と名刺大のラミネートのカードを出して見せた。
「日本詐欺師協会・正会員証・真野正義・・・まの・まさよしさん?」
「いえ、セイギです」
なるほど、今風の読み方なのかも知れない。それにしても、詐欺師協会って何だろう。
「はい、詐欺師の質の向上と、タチの悪いいかがわしい詐欺師の追放を目的として設立された会です」
なんだか、マニュアルに書いてあることをそのまま口に出しているみたいな口調だ。
「本当に、そんなのあるの?」
「あります・・・あると思います」
「思うって何よ」
「いえ、入会費と一年分の会費と正会員用セミナーの受講料を払い込んだんですが、この会員証と薄っぺらいテキストが送られてきただけで、あとはなしのつぶてで・・・」
「電話してみた?」
「はい。でも、番号が変わったらしくって、誰も出なくて。で、その場所に行ってみたんですけど空き家でした。だから、今のところ連絡待ちかなと思って」
「あなたは騙されてるの!」
「え?でも、そんなに人を疑っちゃ駄目じゃないですか」
「第一、なによ、こんな訪問販売みたいにやって来て、『私、詐欺師ですが』、そんな詐欺師があると思う?」
「テキストに書いてあった通りやってみたんです」
「はっきり言う!あなた、今すぐ、別の仕事探しなさい。あなたは絶対詐欺師には向いていない」
「そんな・・・そんなはずはない・・・僕、ちゃんと『天職を見つけるセミナー』に行って教えてもらってきたんですから」
「それも怪しいんじゃないの?」
「50万も払ったんですよ」
「それが怪しいっていうのよ」
急に彼は冷や水を浴びせられたような・・・そう、土砂降りでずぶ濡れになった上で、さらにバケツ何杯か分の冷や水を浴びせられたような顔になった。
「帰ります」
振り返りドアを押して出るところで、敷居につまずいて、マンションの廊下に転がり出た。
「大丈夫? これ、忘れ物よ」
と、私は例の会員証を差し出した。
「こんなものいりません
泣き声だった。
「取っておくのよ。で、これを見るたびに、もう騙されるもんかって自分に誓いなさい」
彼は会員証を受け取ると、それを右手に持ったまま、とぼとぼと歩き出した。人がこんなにしょげかえった姿、見たことがない。幽霊でも、もう少し元気なんじゃないかと思われるほどだった。マンションから飛び降りやしないかと、その影がエレベーターの中に消えるまで見送ってしまったほどだ。
なぜかいいことをしたような気持ちになって、部屋のテーブルに戻ると、お茶はもう冷え切っていた。
「あんな詐欺師、いるわけないじゃないの」
と、お茶を淹れ直しながら私は呟いた。
そう、いるはずがない・・・すると、今のは何だったんだ?
「騙されたのかもしれない・・・」
社長の業務:ショートストーリー『桜子、散る』

海沿いの元は漁師町だったHという場所に飛行場が出来てから、二十キロほど内陸に入ったこの町でも飛行機が見られるようになった。
単発機や双発機が、ぼんやりとしたエンジンの音を響かせて上空をゆっくりと通過していくのを見るのが桜子は好きだった。
桜子は首都の有名な女学校に通っていたが、休みの日など、川の土手に立って飛行機が飛んでくるのを待ちぼうけていることもあった。プロペラを回しながら飛んでくるそれは、いかにものんびりしていて、「おおい、雲よ」という山村暮鳥の詩でもって呼びかけたくなる。
実際には、びっくりするような速度で飛んでいるそうなのだが、桜子には、操縦席にいる人がパイプでも吹かしたり、うつらうつら昼寝でもして、のんびり顔でいるように思えてならなかった。
なんだか、あの爆音が好きでならなかった。だから、おじさんが「ありゃあ、大仏さんの屁のような音じゃの」とひどいことを言った時には真剣に抗議したものだ。
もっとも、実際にH飛行場に行ったことのある人によれば、近くで聞くと、そりゃ凄まじい音で、しかもものすごい風を立てるのだそうで、ぴんぴんと小石や砂が巻き上げられて飛んできて、とても痛いのだそうだ。
それが、女学校の低学年の頃だ。
いつも桜子は、もう少し低く飛んでくれれば、操縦席の人の顔が見えるのに、と思っていた。そうしたら、挨拶ぐらい出来るか、大きな声を出せば話が出来るかも知れない。
ある日、その風防で被われた操縦席が、いやにはっきり見えるような気がした。低く飛んでいるのか、自分の目が突然良くなったのか、飛行機が大きくなったのか、ともかくよく見えるのはうれしかった。
「あれ?」
操縦士というのは、不思議な形の帽子とか、目をすっかり覆う眼鏡をしているのだと、話しに聞いていたが、今、桜子の上空を飛んでいるのは、帽子どころか鎧兜を着ていたのである。芝居や絵で見る、九郎判官義経や木曽義仲が身につけてるあれだ。
あれを着けて「やあやあ、遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも身よ」と名乗りを上げるのだろうか。あんなものを着て飛行機に乗って何をするのだろう。
それが女学校のまん中へんの学年の頃だ。
そして、最上級の学年になったある日。
担任の木常コン子先生が、こう言った。
「皆さんもご存じの通り、我が神国は獰猛にして悪辣なる敵国と戦っております。我が神国軍の兵隊さんは、もちろん敵国の軟弱で怠惰な兵隊共に負けるはずはありませんが、我らが正々堂々と戦っているのに比べ、敵国は実に卑怯千万な作戦に出てきます。
この陋劣なる敵国軍を殲滅するためには、南洋の某島の沖合に人工島を築き、そこに敵国攻撃用の飛行場を作るのが喫緊の課題となって参りました」
桜子は飛行場と聞いて、あの鎧兜を思い出した。
「ところが、この沖合の海底の具合が悪く、工事は困難を極めております。内閣の大臣方や神国軍の方々が、お話し合いをなさったところ、これは是非とも人柱が必要であるとの結論になりました」
クラスの皆が、ざわざわとし始めた。
「お静かに。さらに、その人柱は、美しく賢い乙女、百人が必要であるというのが、我が神国の最高首脳の方々の結論でした。その名誉ある人柱は、全国の女学校から各若干名を選ぶことになりました」
さっきより大きなざわめき。
「お静かに。このクラスからも一名を選出することになりました。私は、担任として、このクラスがそのような栄誉に預かることが出来たのは、皆さんの日頃からの勉学や神国の婦人たるに相応しい生活態度が認められたものと考え、誠に欣喜に堪えない思いです」
しんと静まりかえる。
「選出方法ですが、私が指名しても良いのですが、このような名誉ある役目ですから、私がヘンに贔屓をしたと見られてもいけませんので、クラス委員の華子さんを中心に心ゆくまで話し合って決めて下さい。それでは」
最後の「それでは」をものすごく早く言うと先生は教室を出て行ってしまった。出ていく勢いで巻き起こったつむじ風が静まると、みんな、ものすごい騒ぎ。
「人柱だって」「どうなるの」「埋められて死ぬのよ」「なんで」「神国のためよ」「美しく賢い乙女って言ってたわ」「わあ、私、賢くもないし美しくもない」「このクラスで一番、賢くって美しいのはクラス委員の華子さんよね」
たぶん、こうなるのを見越して、先生はずらかったのだろうと思われる騒ぎだったが、
「お静かになさいませ」
のひと言で静めてしまったのは、さすがクラス委員の貫禄だった。
「今、どなたか私の名前をおっしゃっていたようですが、もちろん、私は行く覚悟がございます」
教室全体に感動とも驚愕ともつかない溜息が拡がる。
「クラス委員を仰せつかっている上に、成績も学年で一番、当然、私と言うことになりましょう。ですが、この私が行ってしまったら、このクラスは誰がまとめて行くのでしょう。この非常時、団結して神国の銃後をまとめていけるのも、私しかいないということは、なんと悲しいことでしょう」
おやおや、という声が聞こえた。
「となれば、この名誉ある役目を他の方にお譲りしなければなりません」
しん、とする。唾を飲み込む音も聞こえる。それだけ、華子の発言は重いと見なされているのである。
「このクラスで成績が私に継いで二番の方。桜子さんにお願いしたいと思います」
きゃーっという声が上がる。拍手するものもいる。だが、大部分は押し黙って、一番後ろの席の桜子を振り返る。
「桜子さん、立ち上がってちょうだい。あなたは、お勉強はよくお出来になるのに、私のようにクラスに貢献することにおいては、少し消極的でいらしたわね。でも、こんな素晴らしい役目をお願いすることが出来て、私、うれしいわ」
手がふるえてならなかった。涙が出そうなのに、目が喉同様にからからに乾いてしまった。
「良くできるお勉強だって、私の次。私がいなくなるのは先生もお悲しみになると思うの。桜子さんは、ちょうどいいわね。
それから、あなたのおうちは、お爺さまの代から、田んぼを開墾したり、没落した農家の土地を買い取って大きくなった、ちょっと大きなお百姓の家柄だったわね。だいたい、この良家の子女が集まる女学校に、あなたのような土臭い家柄の娘さんがいらっしゃるのも、少し場違いかしらね。
そこへ行くと、私のお婆様は、南品川伯爵家の出ですもの。貴い血が私の中には流れているのだわ。これを失うことは、我が神国の大いなる損失ではないかしら。
そう思うと、私、行きたくても行けないんですの。本当に桜子さんが羨ましい」
家に帰ると、なぜかクラスの決定が知らされていたらしく、なんとか婦人会の偉いおばさんが家に来て、涙を流して桜子の手を握り、神国のためによくお役目を果たすように、と言って帰った。
次に紋付き袴の、なんだか知らないが近所で先生、先生と呼ばれている老人が来て、コン子先生や華子や婦人会が乱用したような単語を、さらに乱用したような演説をした。もっとも、先生は桜子のことをよく知らないらしく、「咲子さんは、咲子さんは」と名前を間違えるのだった。
それから一ヶ月後、桜子は、Y港から乗ったことも見たこともないような大きな客船に、他の少女達と一緒に乗せられて出港した。客船の中ではきれいな部屋があてがわれ、食べたこともないような豪華な食事が出てきたが、食べる気にはならなかった。
後に新型爆弾を落とされることになる、西の方の内海の港湾都市で客船を降り、数日を過ごした後、軍艦に乗りかえて南洋に向かった。
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