金井哲夫のあたくし小説『ニューロイヤルトチメンボー』

建物の正面には居住者用の駐車場があり、その入口の脇の植え込みには、建物の割には大仰な看板が立てられている。そこには、やけに長い名前が書かれていた。気になった私は立ち止まり、看板の文字を読んだ。
『ニューロイヤルトチメンボーききょうが丘パート3』
これまた建物の割には大層な名前だ、と思いながらまた走り始めた。
「ニュー」は新しい。「ロイヤル」は「王室の」という意味だが、一般に「素晴らしい」という意味に使われる。「ききょうが丘」というのは、ここからバスで10分ほどのところにある私鉄の駅の名前だ。本当は下中田と言うのだが、人気沿線のききょうが丘のほうが通りがいいし高級感があると思ったのだろう。ぜんぜんききょうが丘ではないのだが、そうなっている。ききょうが丘駅近くに無理をして高い家を買った私にしてみれば、ずうずうしいにも程がある。
「パート3」というからには、これが3軒目ということか。さらに「ニュー」と付いているのだから、ニューではないものがあるはずだ。けっこう手広い。
住宅の間に、地主が死ねば息子が相続税対策で売却するに決まっている、やる気のない農地が点在する中を通る片側一車線のバス通りの歩道をゆっくり走りながら考えた。
で、「トチメンボー」とはなんだ? どこかで聞いたことがあるような、ないような。最近のマンションの名前にはわけのわからないものが多いが、これはそのお手本のようなネーミングだ。どこの国の言葉かすら見当が付かない。どうせ、マンションを建設した工務店が、特徴的でユニークな名前を百科辞典か何かから引っ張ってきたのだろう。
以前、叔父が賃貸マンションを建てたのだが、その名前が『アッペンツェルアウサーローデ馬場尻』という。スイスの地名からとったらしい。工務店がいくつか候補を持ってきて選べというので、それにしたのだそうだ。
しかし、あれから何十年もたつが、その大家である叔父も叔母も、その名前を発音できないでいる。当然、住人たちにも不評だ。住民票にアッペンツェルアウサーローデ馬場尻と書かれているので、どうしても公式な書類に住所を書くときには、いちいちそう書かなければならない。迷惑な話だ。
などと、とりとめのないことを考えながら走っているうちに、家に戻ってきた。
二日後、またジョギング中に、あの賃貸マンションの前を通りかかり、『トチメンボー』のことを思い出した。
トチメンボーとはどういう意味なのか、気にはなるが、わざわざ立ち止まって汗だくの指でスマートホンを操作して検索するほどのことでもない。それほどでもないが、やはり気になるので、なんだろうかと考える。そう言えば、私が今の家を建てる前に住んでいた賃貸のテラスハウスの名前は『ロイヤルシャトー川本』と言った。
なにが「ロイヤル」だと言いたくなるほどの狭くて安普請の家だったが、明るく解放的で住みやすかった。女房と結婚したとき、ほぼ同時に落成したこの新築物件に入った。そして子どもが生まれた。だからその家には思い出がたくさん詰まっている。
ただひとつの汚点は大家だった。親が兼業農家の地主の次男坊で、土地を相続したが働きたくないので楽して稼ごうと賃貸住宅を建てたと顔に書いてあった。毎月の家賃とは別に管理費を徴収するが何をするわけでもなく、年に一度ほど思い出したように庭の垣根を剪定しに来るだけだ。
世帯ごとに小さな庭があり、そこを垣根が囲んでいるのだが、住人が大切に育てている植木までいっしょに切っていってしまう。おまけに、手入れが悪く虫がついて道路側の垣根が枯れてしまったので、仕方なく自前で木の柵を買ってきて立てていた。
ところが家を建てて、そこを引き払うとき、ウチが木を抜いて勝手に柵を立てたから敷金で弁償してもらうと大家が言ってきた。毎月管理料だけの仕事をしていれば、大家も垣根が枯れていくのがわかったはずだし、本来、垣根は外構なので大家の負担だ。腹が立ったので管理会社を怒鳴りつけて、敷金は全部返してもらった。
まったく、頭にロイヤルがつくほどの馬鹿大家だ。ああ、あいつのことを思い出したので、せっかくのジョギングもすっきりしないものになってしまった。
さらに数日後、またいつものジョギングコースを走っていたときだ。またあのトチメンボーが視界に入ってきた。するとやっぱり、トチメンボーの意味が気になる。大家は何を考えてそんな珍妙な名前をつけたのだろうか。住人は物件を場所と価格と間取りで決める。条件にぴったりの物件があれば、すぐに手付けを打つ。しかし、そこには名前という落とし穴がある。
とんでもなく馬鹿みたいな名前だったりするのだ。そのことは、しばらく生活してから気がつく。引っ越し通知や役所の届け出などを書くときに、トチメンボーがのしかかってくるのだ。
もしかしたら、これは大家の店子いじめなのかもしれない。マンション名ハラスメントだ。けしからん。大家の顔が見てみたいものだ。
走る速度を少し落として、駐車場から建物の様子を覗った。駐車場には小型のワンボックスカーが何台か停められていて、その向こうに見えるひとつの世帯の玄関前には、子どもを乗せるシートが付いた電動アシスト自転車と、プラスティックのピンクの小さなバケツが置かれていた。バケツには同じ色の小さなシャベルが突っ込まれている。
うちもロイヤルシャトー時代はあんな風だった。電動アシスト自転車はなかったが、子どものバケツとシャベルはあった。紙おむつをした丸いお尻でペタンとしゃがんで、ぎこちなくシャベルを持って砂をバケツに入れてはまた出して、こっちを見て笑う。そんな娘の写真が、どこかにあったはずだ。
あそこに小さな子どものいる若い夫婦が住んでいるのだろうと想像した。まさに人生これからという、幸せいっぱいの家族の生活がそこにある。子どもが最初に覚える住所はトチメンボーだ。彼らにとってもっとも輝いている時期の楽しい思い出は、すべてトチメンボーだ。そう考えると、あまりトチメンボーを悪く考えるのは失礼なような気がしてきた。トチメンボーはこの家族にとって大切な、神聖な場所なのだ。
そんなことを考えながら、駐車場の入口を通過すると、大きな植木ばさみで垣根の手入れをしている男性と出くわした。狭い歩道なので、私が近づくと男も気がつき、手を止めて体を垣根に寄せて道を譲ってくれた。
「すいません」と、首にタオルを巻いた男は愛想良くいった。私はそのまま走り抜けるのは失礼と思い、ちょっと立ち止まって「すいません」と挨拶した。
「暑いのに、大変ですね」と男が言う。
「いやいや、そちらこそお仕事、大変ですね」と私が答える。
「大家としては、これくらいしないと。管理費をいただいている以上はね。へへへ」と彼は照れ臭そうに笑った。
「はは、そうですか」とだけ言って、私はまた走り始めた。少し走って急に気がついた。あの顔は、ロイヤル馬鹿だ。あれから十年。頭はすっかり白くなっていたが間違いない。それにしても、ずいぶん愛想がよくなったもんだ。しかも植木の手入れも堂に入っていた。人は変わるもんだ。この十年、いくつもの賃貸マンションを持ち、プロの大家として成長したようだ。それに引き替え、十年間、あのロイヤル大家だけでなく、世の大家というものに恨みを持ち続けてきた自分が少しだけ恥ずかしくなった。この調子なら、あの若い一家はここを出るときに大家とケンカをせずに済むだろう。
胸の小さな閊えが取れたようで、帰りの行程はすっきりした気分で走ることができた。もうトチメンボーのことは気にならなく……、あ、そうか、大家に聞けばよかったのだ。
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