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2014年08月

社長の業務:ショートストーリー『不条理落語・落下傘』

社長1熊「ご隠居さーん」
隠「おや、なんだい熊さんじゃないか。まあ、こっちにお上がり」
熊「お上がりったって、上がるわけにいきませんや」
隠「なんでだい」
熊「だって、ご隠居さん、あっし達は今、パラシュートで降りている途中じゃないですか。空中で、どこに上がるってんですか」

隠「そうだったな。落下傘で降りている途中だった」
熊「落下傘だって、古いなあ」
隠「そうかね。あたしなんぞには、パラシュートなんていうよりも、落下傘の方がしっくりくるな」
熊「ところで、ご隠居さん、しばらく見えませんでしたね。どこかへ行っていたんですか」
隠「どこへ行くったって、風の吹くままさ。自分で、どこに行こうと決められるものじゃない」
熊「そうですかね。こうやって、えいっ、えいっ、足を掻けば動くんじゃないですかね」
隠「動きゃしないよ。そんなのは、あたしだって若い頃に試してみた」
熊「若い頃って・・・ご隠居さん、いつからこうやって降りているんですか」
隠「そうだなあ、ものごころついた頃には、こうしていたなあ」
熊「じゃあ、その頃から、ずっとこうやっているんですか」
隠「うん。お陰で、今じゃ上っているんだか降りているんだか、わからないよ。落下傘というからには落下しているんだろうというだけでね。パラシュートなんていわれたら、あたしなんぞには、わからなくなるよ」

熊「しかし、いいお天気ですね」
隠「いい天気だな。一点の曇りもない、とは、このことだな」
熊「ですが、こう、どっちを向いても青い空だと、なんだか張り合いがないですね」
隠「うん。上を見ても青い空、下を見ても青い空だからな」
熊「あっし達が降りていく先には、本当に地面てものがあるんですかねえ」
隠「まあ、まだだいぶ先なんだろう。下を見ても、何も見えないからな」

熊「ご隠居さん、ご隠居さん」
隠「うん? なんだ、熊さんか」
熊「熊さんかじゃありませんよ、空っとぼけて」
隠「空だけに、空とぼける、なんぞはうまい洒落だな」
熊「さっきは、なんで聞こえないふりしていたんですか」
隠「いや、空耳だと思ったんだ」 
熊「ご隠居さん」
隠「なんだい」
熊「パラシュートで降りながら聞く洒落ってのは面白くありませんね」
隠「まあ、地上なら滑ったと言うところだが、ここだと空回りした、てなもんだな」

熊「ご隠居さん、ご隠居さん、これを見てくださいよ」
隠「なんだい・・・あれ、いつの間に双眼鏡なんか持っていたんだい」
熊「まあ、いいじゃありませんか。これ、よく見えますよ」
隠「よく見えるったって、まわりは青い空ばかりじゃないか。そんなものを見たって仕方なかろう」
熊「そんなことありませんよ。大きく見えるんですよ」
隠「ただ青いのが見えるだけなのに、大きいだなんて」
熊「八倍ですよ、八倍」
隠「ただの青が八倍になったって、ただの青に違いないだろう」
熊「いいから試しに見てくださいよ」
隠「何を馬鹿なこと言ってるんだ・・・あ、本当だ、大きい」

熊「ご隠居さん、こう、青いのを目の前にしていると、だんだん、これがガラスかなんかで出来ているような気がしてきますね」
隠「うん、なんだか手を伸ばせば触れそうな気がしてくるな」
熊「ちょっと伸ばしてみましょうか」
隠「よせよせ、空が触れるわけがないじゃないか」
熊「まあ、ものは試しって言うじゃありませんか・・・あっ」
隠「どうしたい」
熊「ご隠居さん、見てください、指先が青く染まっちまいました」
隠「ははあ、それはきっと、空の濃いところに指を突っ込んじゃったんだな」

熊「ご隠居さん、上を見てください。何か落ちてきますよ」
隠「なになに・・・あ、本当だ、おい熊さん、ありゃ人間だよ」
熊「人間ですね。あっし達みたいにパラシュートつけていませんよ」
隠「だから、どんどん落ちてくるな。あ、近づいてきた」
熊「ひゃっ、あっという間に通り越して下に行っちまいましたね。ありゃ何ですかね」
隠「思うに、飛び降り自殺だな」
熊「へえ。どこから飛び降りたんでしょう」
隠「上からだろうな」
熊「どこへ行くんでしょう」
隠「地面・・・あればの話だが」
熊「なかったらどうなるんですか」
隠「そうだなあ。せっかく飛び降り自殺したのに、落ちている間に年を取っちゃって、死因は老衰ってことになるかもしれないな」

熊「ご隠居さん、この話、いつまで続くんでしょうね」
隠「うん、どうにもまとまりがつかないな」
熊「落ちはあるんでしょうか」
隠「落ち? 始まった時から落ちっぱなしじゃないか」
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金井哲夫のあたくし小説 『ピサロ』

あたくしから散歩に出るときは、家の前の坂を上るか下るかで大きく2つのルートに分かれる。その日は上ることにした。
 このあたりは丘陵地帯の先端にあたり、平らな川沿いの地域に、低い丘が指を伸ばしたようにところどころ突き出ている。その丘のてっぺんはことごとく平らに削られて、道路が通り家が建てられている。その斜面にも惜しみなく使って家を並べてある。その中心的な丘の上の丘の親玉に通じるバス通りを歩いていると、左に入る細い道の先にこんもりとした木立が見えた。何度も歩いている道だが、そこにそんな木立があるとは今まで気がつかなかった。確かめてみようと左に折れる。
 その道はすぐに木立に突き当たり、道は左右に分かれていた。右に折れて木立の高くなっているほうへ歩いていくと、どうもそれは、わずかながら丘の「指」の先の里山が昔のまま残されている区域であるようだった。そこだけはてっぺんを削られることなく、丸い形に杉の木が生えて、黒々と葉を茂らせている。
 木立に沿って坂を下ると、下のほうには杉の木に囲まれて、小さな畑や農家の建物が点々としていた。だが、農家の入り口の壊れた木戸の周囲には、収穫して出荷されなかった作物が放置され腐っている。白っちゃけたみすぼらしい丸太の柱には、うまくも下手でもない手書き文字の「セールスお断り」や「駐車禁止」の看板が取り付けられていた。もう何年もそのままなのだろう。だらしなく曲がっているのに直そうという気配がない。懐かしい里山の風景を保護しているというよりは、あえて田舎臭い、田舎特有の汚らしい材料を厳選して陳列しているようだ。
 そんな幻滅を包み込んだ里山の周りの複雑な地形を上ったり下りたりするうちに、丘の上のある家と家に挟まれた細い道の先に、思いがけない景色を発見した。
 正面はT字路で、ガードレールの向こうには、下り斜面に建てられた家の平らな屋根が見えている。両脇の家の擁壁とその屋根とによって、その先の光景が、天井を取り去った正方形にトリミングされている。
 それを見て僕は「ピサロだ」と思った。
 なぜカミーユ・ピサロの名前が出てきたのかよくわからない。特別に好きな画家として常に意識していたわけでもない。ただ、その景色を見て、ピサロだと感じたのだ。
 おそらく若い頃に、印象派の祖としてピサロの名前を聞き、代表的な作品を何点か見ていたのが無意識下の印象に残っていたのだろう。それが、この景色から自動的に曖昧検索が実行されて、その記憶の持ち主がすっかり忘れていた、ただひとつのアイテムとして「ピサロ」がヒットしたといった具合か。
 それはともかく、四角く切り取られたその光景は、まさにピサロがパリ郊外で描いた農村の風景画だった。四角い中に、斜めに緑の草地が広がり、中央に小屋が建っている。そこへ斜めに午後の黄色い陽光が当たっている。そんな作品があったか知らないが、ピサロのようだと感じた。
 しばらく見とれていた。しかし、おそらく両脇に並んでいる住宅の住人か、それらの家に用事がある人間しか入ってこないであろう細い道の真ん中に立ってあらぬ方向を眺めているボクは、不審者そのものだ。人に会わないうちにその場を立ち去った。
 数日後、またピサロを見に行こうと思った。前回は急いで帰ってきてしまったので、場所をよく覚えていない。また、あの田舎くさい木立をぐるぐると上ったり下りたりして、やっと見覚えのある道に出た。
 振り返ると、そこにピサロがあった。今度は時間が早かったせいか、光の色と角度が違うが、小屋が建っている斜面の向こう側に、前は気づかなかったが別の斜面が発見された。小さな波状丘陵のような景色だ。これもまたいい。
 ボクは特別な絵を一点手に入れたような気分だった。絵というものは、それが風景画であれ具象であれ抽象であれ、ほとんどが見た瞬間の印象で好き嫌いが決まる。いろいろ難しいことを言う人はいるが、見る側にしてみれば、その意味で絵も風景も写真も同列だ。
 となると、画家の意図は関係ないということか。いやいや、画家の側にも相応の意志がなければ、天然の風景を見たときの感動に匹敵するものは描けまい。風景をそのままに写し取るだけでは絵にはならない。画家はむしろ、風景ではなく、その上に重なって見えている感動を写し取るのだ。そして我々は、あらかじめ感動が盛り込まれた風景を見ることになる。そこに価値があるのだ。
 その感動だけを抽出できれば抽象画になる。実際の風景と感動を、どれぐらいの割合でブレンドするかも画家の裁量だ。
 ボクが見た風景は、上手い具合にトリミングされて、上手い具合に光が当たっていたために、ちょっとした感動のフィルターが乗っかっていた。だからこの風景は、ボク自身の感動のフィルターがかかって初めて”絵”となるわけで、他の人が別段なんとも感じることがなければ絵にはならない。
 ボクにはその感動の部分を絵にする技能がないので、見るだけにしておく。この風景は、画家が絵にしようと思って眺めた感動フィルター付きの景色だ。言わば、生の絵画だ。ちょっと得をした気分だ。
 その数日後、ボクは散歩ではなく用事で毎日使っている道を歩いていたとき、ふと右に入る細い道を覗いてみると、なんと、そこがあのピサロの道であることがわかった。あれほど苦労して辿り着いたように思っていた道は、じつはいつも歩いていた道をひとつ折れたところだったのだ。
 なんだか、いきなり感動のフィルターが薄くなった。ロマンスカーに乗って箱根の温泉に行ったつもりが、旅館の周囲を散歩していたらじつは家の近所だった、みたいな。ハワイ行きの飛行機に乗って離陸を待っていると、飛行機はなぜか一般道路をゴロゴロと走ってうちの前に止まり、タラップから下ろされた、みたいな。ピサロがじつは隣の家のおじさんだった、みたいな。
 ピサロだから有り難い、というわけではない。純粋にあの光景に感動したのは確かで、ピサロはむしろ後付けだ。
 でも、こう身近になると有り難みが薄れるのは確かだ。隣のおじさんが描いた近所の絵に、どんなに感動して気に入っても何百万円も払う気にはならない。せいぜいご近所の手前もあって、三万円だ。
 ボクはその道を曲がることなく、用事を果たすために真っ直ぐ歩き続けた。感動には、そこへ至るまでの移動距離が関係しているのだとわかった。
 ちなみに、あの道の入口から眺めると、四角い枠の外側がよく見えた。あの斜めの草原は墓地だった。枠のすぐ近くまで真新しい白い墓石の列が迫っていた。やがて、ピサロは墓石で埋め尽くされる。そう思うと、もう一度ぐらい見ておこうかという気になった。

金井哲夫のあたくし小説 『ペンギン』

あたくし階の仕事部屋の窓からは、隣接する小さな畑が見える。このあたりの地主が生産緑地として売らずに残している一角だ。今どきの建て売りなら四軒は詰め込める広さがある。
 その端には六坪ほどのキウイの棚がある。夏になると丸く特徴的は葉が塊になって密生し、棚の下を暗くする。
 六月の晴れた日、キウイの葉がそろそろ棚の上を覆い始めたころ、ふと窓から目をやると、そこに見慣れない一羽の鳥がとまっていた。
 鳩ほどの大きさだが、頭は鳩よりも大きい。全体にずんぐりしていて黒く、腹のあたりだけが白い。棚の上で、何やらしきりに啄んでいる。
 子どものころから鳥類図鑑が好きで絵本がわりによく見ていたボクは、野鳥についてひととおりの知識を持っているつもりだ。少なくともこのあたりに飛来する鳥は大抵判別がつく。しかし、こいつは難しい。
 鳥に関して知っていることを頭の中に一度に並べて、あれこれ考えた。各部の特徴を足し合わせたり、反対に既知の鳥から目の前の鳥の特徴を引き算してみたり、そうしてひとつの論理的な答が導き出された。
 あれは、フンボルトペンギンだ。
 これはあらゆるデータから割り出された帰納的結論であり、「ペンギンであろう」とか「ペンギンのようだ」と主観的に演繹されたものとはまったく異なる。
 フンボルトペンギンの特徴として、あごの下の一本の黒い線がある。ここからでは遠くてよく見えないが、どうもありそうだ。あるはずだ。ないわけがない。なぜなら、フンボルトペンギンだからだ。
 あれがフンボルトペンギンではないという理由がない。つまり、あれがフンボルトペンギンでなければ、地球上のすべてのフンボルトペンギンは、フンボルトペンギンではなくなるのだ。
 たしかにペンギンは南米の太平洋岸に棲息する海鳥であり、日本の内陸の住宅街のキウイ棚にぽつんととまっているはずなどないと反論する者がいるだろうが、それは今日まで人が知り得たペンギンの生態から敷延しているに過ぎない。世界中の推論をかき集めて山のように積み上げたとしても、目の前にフンボルトペンギンがいるという現実を掻き消すことはできないのだ。百聞は一見に如かずだ。
 では、このペンギンはどうやってここまで来たのか。答は明白だ。飛んできたのだ。鳥なので、そう考えるのがもっとも合理的だ。
 ペンギンは飛ばないとされているが、それとてペンギンが飛んでいるところを見た人間が一人もいないというだけのことで、飛ばないという証拠にはならない。あの小さな羽根で飛べるはずがないと言うのは、鉄の塊のジャンボジェット機が飛ぶはずがないという妄言に匹敵する。浅学の恥を晒すのみだ。
 同様に、フンボルトペンギンが木の上で餌を啄むことはないと考えるのも、それを見た人間がいないというだけのことだ。それは単なる思い込みだ。よしんば、南米ではそうしないとしても、動物は環境が変われば、生きるために行動を変えるものだ。何をしたっておかしくない。
 もしかしたら、南米から魚のお弁当を持ってきているのかも知れない。それとて誰にも否定はできない。獲れたての新鮮なやつを一匹、一旦腹に収めて、ここまで飛んできて、腹から戻してゆっくり食べているのかも知れないのだ。
 そんなことなら、最初に新鮮なやつを腹いっぱい食べてから飛んでくればいい、まったく非合理な行動だ、などと思うのなら、雨風を凌ぐ立派な建物を建てておきながら、屋根も壁もない庭にテーブルを出して、わざわざそこで食事をして喜んでいる人間の行動と比較してほしい。大差ないではないか。
 ここまで言って、まだあれがフンボルトペンギンであることに懐疑的だと? あーら驚いた。実際ボクの眼の前にフンボルトペンギンがいて、それをボクはこの目で見ているにも関わらず、キミは見てないにも関わらず、否定しようというのか。
 恐らくキミは、ラーメン屋で四川風激辛担々麺を注文して、眼の前に天丼セットが出てきたとき、それは四川風激辛担々麺でなければならぬと自らに言い張り、天丼セットを強引に汗をかきながらすすり込むのであろう。
 意味も根拠も無い常識という思い込みの棺桶に収まって何も考えずに日々ただ墓場までの道をベルトコンベアーに運ばれていくことこを平穏な人生と思い込み人と生まれた上の理想である有り難がっているキミは、変化や意外性を悪逆無道の極みと決めてかかっている。そうした野蛮が世界の正しき改革を阻み、幾千年も相変わらず愚かな戦争を繰り返す結果に繋がるのだ。
 おっと、こんなことを話しているうちに、フンボルトペンギンは頭上を通過する椋鳥の群れを見上げて「ぴー」とひと鳴きして、釣られるように飛んでいってしまった。
 ボクは感動した。ボクは世界で初めて、ただひとり、フンボルトペンギンの飛行を目撃したのだ。


 
 
 
 

金井哲夫のあたくし小説『心療内科』

あたくしかやらなければならないと思いつつも、何も手に付かずに焦っては溜息ばかり出る。鏡に映る自分のつまらない顔と眼を合わせることができなくなったので、これはまずいと、心療内科を受けることにした。
 待合室は大学の食堂のように広く、大きなテーブルが並んでいる。ボクは窓際のテーブルに着いて呼ばれるのを待った。
 テーブルの向かい側では、髪の長い女性が「嫌だ嫌だ」と言いながらうどんを食べていた。
 待っている間にボクは眠ってしまったようで、何度か名前を呼ばれていた。はっきりと聞こえないので、3回目ぐらいに気がついた。
 席を立って診療室に歩いて行くが、どうにも眠い。眠くて足が重い。診療室の前まで行くと、眼鏡をかけた五十代の髪の薄いやせ形の先生が出てきて、こっちだと言って歩き始めた。
 ボクは先生の後をついていった。天井の高い倉庫か劇場の舞台裏のような廊下を歩きながら、先生は「まず痛みのテストをしてもらいます」と嬉しそうに話した。やがて廊下の突き当たりの大きな鉄の引き戸を開けると、太陽の眩しい運動場のようなところに出た。
 運動場の真ん中には、工事現場に置かれているような、カンナをかけていない粗い木材で簡単に作られた、約90センチ四方で腰ほどの高さの木の台があり、その上に大きな金盥が載っていた。
 先生はそこにヤカンから湯を注ぎ入れ、指先ほどの小さな船のオモチャを3つぐらい浮かべた。セルロイドの樟脳船のような簡単なもので、さまざまな形をしているが、色は淡い青系のパステルカラーで揃えられている。
 それをひとつずつ指で摘まんで取れという。どこまで熱さに耐えられるかを調べるのだそうだ。
 熱いぞ熱いぞと先生が言うものだから、ボクはおそるおそる指を差し入れ船を摘まんでみたが、湯は大して熱くない。「先生、ぜんぜん熱くないですよ」とボクは言いながら、湯に手を突っ込んで、一度にすべての船を掬い上げた。
「そうですか。そのまま続けてください」と先生は言って立ち去ってしまった。
 盥を見ると、眠い目が眼がだんだん慣れて来たようで、他にも小さな船が浮かんでいて、直径5ミリほどの淡い紫色をしたタピオカのようなボールもいくつか浮かんでいるのが見えた。
 ボクは睡魔と戦いながら盥に浮かんでいたすべてのものを掬い上げて台の上に置くと、先生が引き上げていった方へ歩いた。
 そこには運動場の脇に建つ、赤いトタン屋根に黒ずんだ下見板張りの古い木造平屋建ての家だった。薄暗い土間を入ると、脇にはやはり薄暗い畳の部屋が二つある。その片方で先生は横になって眠り込んでいた。もうひとり、もう少し年配の医師らしき人が壁に寄りかかって雑誌を読んでいた。
 隣の部屋には空の段ボール箱がだらしなく散乱していた。先生を起こしてはいけないと考えたボクはその部屋に入り、段ボール箱を畳んで整理し始めた。ガムテープを剥がして箱を畳み、あとで紐で縛りやすいように、大きなものから順番に積み上げていく。
 その作業を続けていると、起きていたほうの先生がやってきて、「何をしているんだ」と聞いた。
「つい気になって」とボクは頼まれもしないことを勝手にやっていたことに少し恐縮して、箱のガムテープを剥がしながら答えた。
「ダメダメ、そういう気を遣っちゃダメなんですよ。盥のやつを夕方まで続けなければいけないんだ。何も考えずに続けなさい」と彼は言った。
 ボクは、ガムテープを剥がしかけの段ボール箱を部屋の片隅に置き、運動場に戻った。
 盥にはまたたくさんの船が浮かんでいた。ボクは眠いのを我慢しながら、左手を台の上に突き、重い体を支えながら右手で船をひとつずつ摘まみ上げた。摘まんでも摘まんでも船は減らない。
 どれだけ続けただろうか。もう日が傾いている。なんとなく気持ちが軽くなってきたような気がする。ははあ、こういうことだったのかと思った。




社長の業務;ショートストーリー『白昼堂々③ あてのない散歩』

社長1「しかし、どこまで歩くのかね。僕はもう疲れた」
 と、妄亭君が前を行く文豪先生の背中に話しかけた。両側には畑が続いている。妄亭君は幽霊である。
「別に僕は君についてきてくれと頼んだわけじゃないぜ」
 と文豪先生は振り向きもせずに答える。
「そういう言い方はないだろう。僕だって忙しい中、同行してやっているんだ。また君が、こないだみたいに鎧兜の幽霊に祟られるといかんからな」
「君の何が忙しいっていうんだ」
「ほら、例の美学原論さね。あの大著を仕上げない限り、僕はこの世に未練が残って成仏できん」
「全然書いていないじゃないか」
「すべては我が胸中にありさ。一見、遊んでいるように見えても、頭脳の中では一大哲理が回転しているのだぜ。君自身ものを書くのにそれくらいわからないか」

 文豪先生は、その日、ふらりと家を出ると、何回か電車を乗り換えて、ある小駅に降りた。
 駅前の商店や住宅が並ぶ一画を通り過ぎると、道は雑木林に入った。ひんやりして、頬が林の色に染まった。
 雑木林を抜けると、あたりの空気が変わり、道はだらだらと上り坂になった。
 小高い丘の道は片側にはところどころ畑地があり、反対側は視野が開けて、下が見下ろせた。

「いったい、どこへ行くのかね」
 と妄亭君が質問する。
「どこへ・・・」
 と言って、文豪先生はしばらく黙って歩いた。再び口を開くと、
「それが、よくわからんのだ」
「あきれたね。どこへ行くかもわからず、わざわざ電車に乗って出かけてくるのか。君も茶人だな」
「暑いね・・・」

 畑が尽きると、開けた野原が続いていた。野原と道との間には、太い木の柵が続いている。
「おい、牛がいるぜ」
 文豪先生が指さす先には、白と黒の乳牛が二、三頭放牧されているのが見えた。
「牧場か。ずいぶん田舎に来たものだな」
 文豪先生は、足下の草を一掴み引っこ抜くと、それを持って牛の方へ振って見せた。
「なにをやっているんだ」
「いや、餌を見せておびき寄せようと思ったんだ」
「来るものか。そんな草、彼らの足下にいっぱい生えているじゃないか」
「駄目かね」
「子供じゃあるまいし」
 また歩き出した。妄亭君は、今度はどこへ行くとも聞かずについていく。

 先生は、持っているステッキで、やたらにその辺の草むらを叩く。バッタやらの虫が慌てて飛び出す。
「やめたまえ。蛇が出てくるぜ」
 そう言われると、叩くのを止めてステッキを肩に担いで歩き続ける。
「こう君のように無闇に歩いていると道に迷ってしまうぜ」
「いや、大丈夫だ」
「目的地もはっきりしないのに、いやに自信があるんだな」
「うむ。どこへ行くのかは、わからん。だが、こっちなんだ。それだけは、はっきりとしているんだ」
「へんなやつだ」

 小さな集落があった。二人は、そこで食堂を見つけた昼食を取ることにして入った。薄暗い店で愛想の悪い太った女が一人で切り盛りしていた。
 何を言っても、「うー」と返事をするのには閉口した。女との会話は諦めた。
「君は幽霊の癖に飯を食うのかい」
「食事は一人でするより二人でした方がうまいだろう」
「幽霊と一緒なら、一人でしているのとあまり変わらんのじゃないか」
「この親子丼はまずいね」
「それが贅沢だというのだ。十分にうまい」
「まずいよ」
「うまいさ」
「まずいよ」
「うまいさ」

 道は下り始めた。再び雑木林に入った。今度の林は、先のよりも長く続いた。二人は黙って歩いた。
 雑木林を抜けると、視界が開けた。
「おい」
 と妄亭君が気味悪そうに言った。
「墓場じゃないか」
「幽霊の君が気持ち悪がることはなかろう」
「誰もいないな」
「墓地が賑わっていたら、却って変だ」
 二人は墓地の裏手から入り込んだらしい。どこかの木でアブラゼミが鳴き出したが、二、三声鳴くと、何が気に入らなかったか止めてしまった。
 文豪先生は墓の間の小道を迷いなげに歩いた。
「今日の目的は墓参りだったのかい」
「どうだかな」
 まだ、わからないらしい。

 小道を何回か折れて、先生はとある墓の前に立ち止まった。
「ここか」
「ここのようだ」
 『野中家之墓』とある。なかなか立派な墓で、墓石の後ろに大きな木が植えられている。
「野中って、誰だっけな」
 と文豪先生は自分で来た癖に、首をひねっている。
「おい、連れてきておいて、誰だっけな、は、ないだろう。未知の人の墓参りとは物好きも極まったな」
 と剣突を食わせながら、妄亭君は墓所を調べ始めた。文豪先生は、墓の前に立ちつくしたまま黙っている。
「さてね、野中、野中・・・そういえば、どこかで聞いたことがあるような気がするな・・・ほう、文豪君、一番古い仏さんは文化年間のものだ。それなりの旧家と言うことになるかね」
 妄亭君は墓の横手に立って、そこに彫られた戒名を調べている。
「おや、一番新しいのは今年だぜ。信女とあるから女性だな」

 妄亭君が振り返ってみると、文豪先生はこちらではなくて横を向いている。その視線は、小道の彼方へ向かっている。
 ごく薄いねずみ色の地の着物の裾模様に青い夏の花をあしらって、女が一人、すっと立っていた。さながら夏草図が立ち上がったという風情だった。
 女もじっとこちらを見ていた。美しい顔に、かすかな哀しみのようなものが浮かんでいた。
 彼女は、丁寧に頭を下げた。文豪先生と妄亭君も、帽子を取って、それに応えた。
 太陽の光が急に強くなった。女の姿が白い光に隠された。目が刺されるような眩しさで、二人は持っていた帽子で額のあたりを覆った。光りが弱まって、あたりの風景が元に戻ると、女はいなくなっていた。
「百合子さんだったな」
 と妄亭君が言った。
 文豪先生は、かくかくとうなずいた。
「百合子さん、亡くなったんだな」
 文豪先生は、また、かくかくとうなずいた。目が潤んでいた。

「墓石の一番新しい戒名は彼女のものだったんだ。ごく最近の日付だったよ」
 二人は、寺の門前の蕎麦屋で向かい合って、酒を呑んでいた。窓から、緑が卓の上に差し込んでいた。
「百合子さん、結局、君が好きだったんだよ」
 と妄亭君が言う。文豪先生は、黙ってぐい呑みを口に運んだ。
「百合子さん、何か家の事情で、急に嫁ぐことになったんだな。考えてみれば野中というのは、その嫁ぎ先だったよ」
 妄亭君は、そこで自分ばかりが喋っているのに気づいて、黙って酒を呑んだ。文豪先生が言いにくそうに口を開いた。
「僕は嫌われたのだとばかり思っていたのだ」
 声がかすれていた。
 妄亭君は、片口の冷酒を注いでやりながら、
「彼女、君に挨拶したかったんだね」
「昔のことだと思っていたのに」

「昔というが、考えているほど、はっきりと過ぎたものでもないのさ。今現在だって、それほど確実なものじゃないのだ。僕ら幽霊にとっては、なおさらだね」
「忘れるということは、どういうことなんだろうね」
 窓外の木立の色が、ぐい飲みの酒の上にちらちらしている。