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2015年04月

ショートストーリー『夢境の町』

社長1 たまたま通りかかった町で、情けないなあと思いながら、足は飲み屋を探している。
色々なことがあって、中年という年になって、箱から放り出されるようにひとりぼっちになってしまった。世間というヒツジの群れからはぐれて荒野を彷徨っているような心細さにさいなまれている。
男というものは、人生の激変にかくも弱いものかと、自分で呆れながら、酒杯をまさぐる指がある。

カウンターにテーブル席が三つという小体な店だった。混んでいて、カウンターの席がひとつ空いているだけだった。やめようかと思ったが、亭主と目が合ってしまって、「どうぞ」と促されるままに座ってしまった。
窮屈な感じがしたが、私が座ってしばらくすると、周囲の町の常連らしい賑やかなおっさん、おばさん達が立ち上がり、急に閑散としてしまった。いまや、私と隣の中年男の二人だけである。
年格好は同じくらいだが、私が小柄で痩せぎすなの比べて、でっぷり太って背も大きく、にこにこしながら酒を飲んでいる。
「騒がしかったでしょう」
 と亭主が、閑散としてしまった店内でテーブルを片付けながら愛想を言うと、隣の客は、
「いえいえ、ご繁昌で」
 と言った。その声が、しみじみとふっくらとしていて、人を安心させる何かがあった。それに、かすかに混じる訛りに聞き覚えがあって、思わず訊ねた。
「あなたは、N地方の方ですか」
「おや、おわかりですか」
「N市出身の友人がいたのです。言葉のイントネーションが・・・」
「はは、訛りは国の手形とやら。わかってしまいますか。もっとも、私はN市からも、かなり離れたところからやって来たのです」
「なんという所です」
「ご存じかどうか。夢境(ゆめざかい)という小さな町です」
「そういえば・・・・・・」
 聞き覚えがあった。だいぶ昔のことになるが、旅行ブームなるものが起こった頃、その変わった地名のせいか、話題になったことがあった。
「そう、まだ若い頃でしたな。我々土地のものは、あまり気にしなかったのですがね」
「今、よその土地だったら、地名で町おこし、村おこしに躍起になるのではないですか」
「そうですね。でも、町に旅館が一軒しかないし、押しかけられても困るのですよ。そういえば、その話題を利用して開発しようとやってきた都会の業者がおりましたが、失敗して逃げるように去りましたよ」
「住民の協力が得られなかったからですか」
「そうですねえ。まあ、町名をご覧なさい。夢境。つまり、夢と現実の境ですからね。都会の業者が何かを出来るような所じゃないのです」
「ははは」
 私は笑った。冗談だと思ったのである。彼の実直そうな顔にも笑みが宿っている。
「親父さん、お酒をもう一本」
 酒を注文しようとして、カウンターの向こうを見ると、亭主はいなかった。カウンターには、大きな黒猫がうずくまっていた。
「まあ、これでよければ、お飲みなさい」
 彼は、太い指で自分の徳利をつかむと、私の盃に酒を満たした。

 からからと音を立てて、入り口の戸が開いた。外は真っ暗闇だった。
 おかっぱ頭に、チューリップのアップリケのついた赤いスカートという姿の小さな女の子が立っていた。真っ黒な瞳の光が強かった。
「こんばんは。桃子です。いつものを、いただきにきました」
 手に、縁の欠けたラーメン用の丼を持っている。
 足は裸足だった。それに驚いた私が思わず、
「君、靴はないの?」
 彼女は、裸足の足をもじもじとこすり合わせて恥じらった。私は、聞いてはいけないことを聞いてしまった、と思った。
 すると、隣の客が、
「いつも残飯をもらいにやって来るのですよ。いえ、亭主は優しいから、ちゃんとした食べ物をあげますがね。お父さんがどこかへ出奔し、お母さんが病気になって、この子が乞食をして食べさせてあげているのです」
 なんで、この人は、そんなことを知っているのだろう、と、ぼんやり思った。たしか、何とかいう遠い町から来たようなことを言っていたはずだが。
「あなたは、この子のことを知っているのですか」
「はい」
「じゃあ、この店によくいらっしゃるのですか」
「よく来るもなにも、この町で、ただ一軒の店ですから」
「この町って」
「夢境ですよ」
「ここは東京ですよ」
 男の顔に苦笑いが浮かんだようだった。私にまた酒を注いでから、女の子に向かって、
「ごめんね。今日は、ここのご亭主、猫になっちゃったんだよ。今、おじさんが何か食べる物をあげるからね」
 そういって、女の子の手から丼を取ると、カウンターの上に置いた。そして、猫をつまみ上げると女の子に渡した。猫はおとなしく抱かれている。
 また徳利を手にすると、女の子の丼に向けて傾けた。
「子供に酒を?」
 しっかりしたようでいて、酔っているのだと思った。それも、かなりタチの悪い酔い方だ。さっきから、妙なことを口走ると思っていたが、それも酒乱のせいだったのか。
「おやめなさい」
 私が止めようとするや、徳利の口から、野菜と蛸か何かを煮たものが出てきた。それから続いて、湯気の上がった炊きたての白いご飯が出てきた。
「今日は、これで我慢してね。お母さんによろしくね」 
 女の子は、丼を手にすると、ぺこりと頭を下げ出ていった。ぴしゃりと戸の閉まる音が後に残った。

 その音に打たれた私は何かに突き上げられるように腰を浮かし、彼女の後ろ姿を追おうとした。
「どうなさいました」
 男は私の盃に向けて徳利を傾けていた。そこから出ているのは、元のように酒だった。
「僕は、やらなきゃならないことがあると思ったんだ

「それは、なんですか」
「あの子に靴をプレゼントしなければならない・・・・・・」
「是非、そうなさるべきでしょう」

「あの子は、どこへ行ったんだろう」
「あなたご自身が人生に不如意をお感じになり、ご自分の存在価値に疑問を抱いておられる時に、人を助けようとお考えになるのは、敬服に値します」
 酔いが回っていたのかもしれない。それでも、やはり私は「おや」と思った。なぜ、この男は、私の人生がうまく行っていないことを知っているのかな。
「僕は、そんなにしょぼくれて見えますか

 彼女に靴をあげるのが、実は自分のみじめさを覆い隠そうとする行為であるような気もしてきた。
「外見は、ここでは問題になりません」
 男の言葉は静かで、しかも確固としていた。
「外見は、ここでは存在しません」
「もしかして・・・」
 石のように飲み込みにくいものが、精神の喉を通過していくようで、私は言葉を苦労して吐き出した。
「やはり、ここは夢境なのですか」
 屈服した、という感がないでもなかった。先に女の子に抱かれていた猫は、またカウンターの上に丸くなっていた。
「彼女は夢境に住んでいるのですか」
「もちろん、あの子は夢境の住人です」
 男の声で猫が答えた。男は姿を消していた。猫が口を聞くのに驚くよりは、この店の中で自分と猫しかいない、という寂しさが身に迫ってきた。
「そうか。ここは、夢境なのですね。もう、東京には戻れないのですね」
 そう言ってみて、実は自分が東京に戻りたくない、ということに気がついた。いや、現実に戻りたくないのかもしれなかった。
「戻るか戻らないかは、あなた自身が決めることです」
 猫は答えた。
「だって、これはあなたが見ている夢なんですから」
「そうか、それで僕は、こんなにもひとりぼっちなんですね」
「夢は一人で見るものですから」
 猫はそう言うと、もう話はおしまい、と言わんばかりに目を閉じて眠ってしまった。

 学生時代に、例のN市出身の友人の実家に寄ったことがある。彼によく似たお母さんが歓迎してくれた。
 たぶん、マスコミで夢境のことが取り上げられた当時だったのだろう。私はしきりに、彼に夢境に連れて行け、と頼んだ。しかし、結局、言を左右にして行かなかった。行きたくなかったのだろうと思う。
 今、その理由を聞いてみたいような気がする。だが、彼は十年も前に、彼によく似たお母さんを残して死んでしまった。

 酒もなくなった。話し相手もいない。かといって、夢の中ではなにをどうするという事も出来ない。所在なさにうろたえそうになると、入り口の戸が勢いよく開いた。
 先ほどの女の子だった。口をきける相手が現れたことに、私はほっとした。
「どうしたの? 忘れ物かい?」
 女の子は、黙ったまま視線を足下に落とした。
 白い靴下とぴかぴか光る黒い靴を履いていた。
「どうもありがとうございました」
 少しキンキン響くくらいの大きな声でそう言うと、戸を閉めて行ってしまった。先ほど同様、ぴしゃりという音がした。
 私は胸が詰まって、後を追って戸を開けた。
 深い沼のような夜だった。女の子が、どちらの方向へ行ったのかもわからない。
 闇に向かって耳を澄ますと、意外なことに心の底の方から、こつこつという遠ざかっていく靴音が聞こえた。


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ショートストーリー『彼女は思考機械』

社長1  少し考えごとがあったので、カフェに入った。店は混んでいて、二人がけのテーブルがひとつ空いているきりだった。
 その席に落ち着いてみると、隣の席には、椅子にバッグが置いてあって人の姿はない。
 ここは、ショッピングモール内にあるカフェなので、このように席を占めたまま、共用スペースのトイレに行ったり、ちょっとした買い物に出てしまう人もいるようだ。不用心な気もするが。
 テーブルの上には、飲みかけのコーヒー、ペンケースとペン、そしてノートが開いたまま置いてある。ノートには、いろいろ書き込まれているが、私の位置からは文字の判読までは出来ない。
 いや、別に読まなくてもいいのだが、こうも開けっぴろげにされると、まるで読んでくれと言われているような気になってしまう。無意識のうちに、身体がそちらの方へ乗り出しそうになる。
 そこへノートの主が戻ってきた。若い男である。学生だろうか。モール内にある書店の袋をぶら下げていて、それを座席の上に置くと、また、何処かへ行ってしまった。
 ノートぐらい閉じて行ったらいいだろうと思う。
 さて、私も自分のノートをテーブルの上にひろげる。考え事をするときは、ノートにあれこれ思いついたことを書き連ねながら考えるのが習い性になっている。
 さて、と集中しようと思ったが、隣の席のノートが気になる。ちょっとだけ覗き見してみようか。ちょっとだけ。まあ、どんな分野のことを書いているのかわかるだけでも、落ち着くだろう。
 少し首を伸ばしかける。

 と……。
 人の気配を感じた。素知らぬふりをして、あさっての方へ視線を向ける。
 若い男が帰ってきただろう、と思って何気なく目を戻すと、彼の座るべき椅子には、なぜか女が座っていた。
しかも、真っ赤なミニのワンピースを着た、髪の長い、肉感的な美女である。私の方を見て挑発的な笑みを浮かべている、ような気がする。手には、ポーチを持っていた。
 戸惑っていると、彼女は椅子を私の方へ寄せてきた。身体がぴたりとくっついた。
 女の体温を感じる。甘い香りが漂ってくる。
 女は口を開くと、
「君は、つまり僕が、あの男の不可侵入性を侵犯しているのではないか、そう思っているのだね」
 私は思わず、顔を見直した。セクシーでハスキーな声だが、いやに言葉遣いが堅苦しい。しかも、第一人称が「僕」である。
「あるいは、彼が戻ってくると、同一空間にふたつの物体が、つまり彼と僕の身体のことだが、存在することになると懸念しているのかな?」
 彼女の使う難しげな言葉が、私の頭にうまく収まらない。
 なにしろ私の考え事というのは、お馬鹿ショートストーリー『おなら侍・ぷーざえもん』のネタを考えることなので、まるで性質が違う。熱い油に水を落としたように、頭の中がぱちぱちと音を立てて混乱している。
「だが、空間とはいったいなんだろう。いや、平たく言えば『ここ』とは何かということになるのだが」
 全然、平たくない。
「彼がいた時の『ここ』と、今の『ここ』が同じであると、厳密に証明できるだろうか。すでに、我々を載せた地球は宇宙空間の中を移動してしまっているのだ。『ここ』が『ここ』である基準とは何だろう。ましてや、時間も空間も伸び縮みするとすればだ。そもそも、『彼』なるものが確かに存在したといえるのかね。つまり、この議論は成立するものなのかどうか」
 私は、ただ悲しげに彼女の顔を見つめるだけだった。すると、不意に
「おっと、戻ってきた」
 彼女は、そう呟くと、ポーチからなにやら布きれのようなものを引き出し始めた。白いハンカチかと思ったが、そんな小さなものではなかった。なぜ、ポーチに収まっていたのか不可解だが、シーツほどもある大きさだった。しかも、白い毛がたくさん生えている。毛皮のようだった。
 次に、彼女はそのもじゃもじゃした物のなかにパンプスの足を突っ込んだ。そして、いやらしく腰を振りながら、たくし上げていって、その中に姿を隠してしまった。
 犬であった。シロクマのようにも見える、大きな犬の着ぐるみだった。
 そこへ、あの若い男がやってきた。モール内の商店の袋をぶら下げて、我々の前に突っ立っている。
 当然ながら、彼のものであるはずの席に座っている大型犬をいぶかしげに見ている。次に、もの問いたげな視線を私に向けた。私は視線をそらした。
 何度か視線が彼女と私の間を往復した後、そのまま袋を椅子の上に置いて、またどこかへ行ってしまった。
「うまく、やり過ごしたな」
 着ぐるみから首を出した女が言った。うまくやり過ごしたことになるのだろうか。
 彼女は、着ぐるみをポーチにしまって、元の姿に戻ると、また私に身体を寄せてきた。
 そして、私の耳に息を吹きかけると、
「君は今、お笑いのショートストーリーを考えている。そうだろう?」
 私は驚いて、
「あなたは、何者ですか?」
 女はたっぷりと間を取ってから、
「思考機械とでも呼んでもらおうか。あらゆることを光速で考える奇跡の頭脳だよ。もう自分で考えることなど考え尽くして、近ごろは、他人の考え事を考えてあげるのが楽しみになっているのさ。君の考えなども、とっくに読めている。君を一目見れば、バカなことしか考えられない顔だとわかるからね」
 私は、腹を立てるどころか、呆れて彼女の顔を眺めるばかりである。
「ちなみに、君の今のアイデアでは、主人公の決めゼリフは『こりゃ参った、うぴょぴょーん』にするつもりらしいが、『参った参った参ったちゃんのぷっぷくぷー』の方が切れがいい。そう思わないかね」
 もはや、私の頭の中はガラス張りらしい。彼女の言うことが正しいように思われたので、さっそくノートする。
「主人公も、おなら侍より、ふんどし大将の方がいいと思うが、どうだろう」
 私はメモを取り続ける。
「ところで、先ほど君は、この僕の前のテーブルの上のノートの中身を読みたいと思っていた。そうだね?」
 ノートを取る私の手が止まった。
「図星らしいね。他人のことを覗き見したい、というのは、いかにも君らしい小市民的な欲望だ。一方で、そういうことはみっともない、というモラルのかけらも残っていたので、そこに葛藤が生じた。違うかね?」
 違わない。まったく違いません。
「さて、君の位置からは読めないのだろうが、僕の位置からは、よく見えるのだよ。例えば、僕が気まぐれに、このノートを朗読したとすれば、君は、その内容を知ることができる。どうだい、読み上げてみようか」
 そうして下さい、とは言い出せなかった。私の中の「モラルのかけら」のなせる技であろうか。それとも、ちいさな見栄とか恥じらいなのだろうか。
「ふ、思いとどまったか。だが、まだ葛藤が続いているね。では、このノートの中味が小説のアイデアだとしたら、どうする? それも、今までにない斬新なものだ。僕は、古今東西の文学作品に通じているが、このアイデアが実現されれば、文学に革命が起こるだろう。それくらいの画期的なものだ。さて、僕が、今、僕の自由意志でこれを朗読する。君には、まったく責任はない。しかし、たまたま耳に入ってきた、その思想をもって君は作品を書くことができる。この男よりも、先に発表することもできる。どうだい?」
 私の喉がぐびりと鳴り、身体が前へ崩れそうになった。
 ここには、私の名声が待っているのかもしれない。いや、富も輝かしい人生も待っているのかもしれない。今、私が、首を縦に振り、「モラルのかけら」など蹴飛ばしてしまえば、それが手に入るかもしれないのだ。振ろう、うんと言ってしまお……。
「おっと、また来やがった」
 彼女は、再びポーチから着ぐるみを取り出すと、それで身体を包んだ。再び、私の隣に大型犬が現れた。
 若い男が戻ってきて、私の前に突っ立った。先ほどより、はるかに厳しい顔で私をにらみつけている。私の顔から血の気が引いた。
「お前、僕のノートを読んだだろう」
「そ、そんなことはない」
「嘘をつけ、ノートの方をじっと見ていたじゃないか」
「違う、違う、それはこの犬が……」
「犬だって? おい、犬くん、君はこの男が僕のノートを覗き読みしようとしたのを見ていたよね」
 彼女、いや犬は、大きくうなずきながら、うおんと吠えた。とても、あの女が出した声とは思えなかった。
「ほら、犬くんだって、そういっているじゃないか」
 私は、彼女、だか犬だか、もはやわからなかったが、肩をつかんでゆさぶった。
「おい、あんた、本当のことを言え。あんたが、そそのかしたんだろう。あんたが、あんなことを言わなければ」
 男は冷たく言った。
「まだ、白を切る気か。それに犬のせいにしようとしやがって。犬くん、責任をなすりつけられて、どんな気持ちだい?」
 犬は、泣く真似をして、うおーんと悲しげに吠えた。
「そうだろう、そうだろう。悲しいだろう。かまわない、犬くん、こいつをやっつけてしまいなさい」
 うおっと犬は吠えた。私のほうを向いて口を開けた。けもの臭い息が私にかかる。もはや彼女ではない。白い大きな牙が近づいてくる。目の前が真っ赤になる。


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ショートストーリー『五百年の桜』

社長3  街道沿いに山桜が一本、植わっている。その根元に年老いた僧が一人、腰を下ろして休んでいる。和らいだ彼の頬先を、一枚、また二枚、三枚と山桜の白い花びらが掠めて落ちていく。
「桜ももう、終わりか」
 と、一人旅の寂しさを紛らすためか、声に出して言ったのだった。
「お坊様、桜は終わってはいないよ」
「わしに話しかけるのは誰かな」
「私だよ、私」
 背後から声が聞こえる。振り返ってみたが、そこには山桜があるばかり。だが、その木の中ほど、花が密になっているあたりが、心なしか微笑んでいるように見えた。
「はて、桜が口をきいたかな」
「そうだよ、お坊様。桜が終わりというのは聞き捨てならないからね」
 言葉の割りには口調は柔らかい。
「私たち桜の花の頃は過ぎていくけれど、これから葉も茂らせなければならない、実も結ばなければならない。秋になれば葉を落とし、この里が雪に埋もれる間には次の花芽を準備するのさ」
「なるほど、こりゃあ、わしが悪かった。花が散るのも、お前達にとっては大きな生命の営みのひとつに過ぎないのだな。だが、古来、どういうものか人間は、お前達が花を散らすとき、なにやら切ない気持ちになるものなのだ。しづ心なく花の散るらん、などと言ってね」 
「ふふ、そうそう。私のような平凡な桜の下にも、何か溜息をついて見上げている者が出てくるよ。そんなのを見ると、人間は可愛いものだと思うがね」
「桜に、そんな風に思ってもらえる者は果報じゃな」
「そういえば、私たち桜の仲間にも変わり者がいるよ。この五百年というもの、花を散らしたことがないという桜だ」
「五百年・・・」
「そう、知る人ぞ知る木らしくて、わざわざ見に行く人もいるそうな」
「ほう。わしも急ぐ旅ではない。東国より都へ上る者じゃが、なに、特別な用事があるというわけではない。もう年じゃで、死ぬ前に一度、都の仏様達を拝んでおきたいとて旅に出たまでじゃ。どれ、その桜に会っていこうかな」
「それなら、この先で街道から右に分かれる道があるよ。それを辿って、山を越えると小さな村が現れる。その村人が花守をしているよ」

大の男が何人も手をつないで、ようやく幹を取り巻くことが出来ようという大きな桜であった。木肌はごつごつとしていて、鬼が住む岩山のようである。その木の下に立って見上げると、天が桜の花になってしまったかのようであった。
「これが五百年の花」
 びっしりと分厚い花の塊を見上げ、僧は呟いた。なるほど、先ほどの山桜が盛んに花弁を散らしていたのにくらべ、こちらは強い風が吹いても、かえって花の塊がぎゅっと身を締めるかに見えて、花びらのひとかけらも落ちてこない。
 その代わり濃厚な桜の香りが立ちこめている。
 この桜を案内してくれた花守の村のものが、
「お坊様、もう日が暮れます。今宵は村の家で宿をいたしましょう」
 僧は、しばらく黙って桜を見上げていたが、
「誠にありがたいお申し出じゃが、拙僧、今晩はこの桜の元で過ごしとうござる」
「まだ、夜は冷えますが」
「なに、老いたりといえど、山野で修行を積んだ身、ご心配には及ばぬ。それに、この美しい花の下で命を落としたとしても、それはかえって本望と言えるもの」

 願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃 西行

「お坊様」
 目を開けてみると、花の上には満月があるのか、視野いっぱいの桜の花がぼうっと光を込めているようだった。
「わしに話しかけているのは桜かの」 
 昼間の一件で、桜と口をきくのに慣れてしまったらしい。
「さようでございます」
「五百年の桜と話が出来るとは望外なるものかな。先ほどの村人に酒を頼んでおくのだった」
「お酒ならここにあるではございませんか」
 見ると、桜の根元に酒の用意がしてある。
「これは花守、気が利いた。ふふ、出家の身でありながら、これが唯ひとつの悪い癖じゃ」
 僧はうまそうに酒を飲んだ。
「桜殿と、つまらぬ坊主のわしが、愉快な宴を持てるとは思わなかったわい」
 僧が笑い声を立てると、桜はかえって、しんとしてしまったようだった。
「わしが、はしゃぎすぎたかな?」
「いえ・・・」
「なにか?」
「苦しいのでございます」
 僧は、桜を見上げた。
「これは異な事。そなたは五百年の間、咲き続け、今だに一片の花弁も散らさぬと聞く。この後も、その花盛りが、いつまでも続くと思うものを。人間にあっては、藤原道長、平清盛・・・永遠の栄華を続けるものかなと見えしものも、思えばはかない。それに比べて、そなたは、なにを苦しむものじゃ」
「御物語いたしましょう。私がこの地に花を咲かせるようになった頃、都から任じられて、この土地を治めていたものは、また歌を心を向けるものでもありました」
「ほう。そのような地位にあった者、とかく利を貪るものが多かったと聞くが、そのように優しい心を持った者もいたのか」
「ある時、自分も桜を惜しむ歌人の列に入らんとして、
  百歳(ももとせ)も千歳(ちとせ)も花の散らざれば この世の春はのどけからまし
 という歌を詠み、都の高名な歌人に評を乞うて、様々な宝物とともに送ったのでございます」
「どのような評が?」
「いっかな来ないのでございます。不審に思い、人をやって都の様子を探らせてみると、その歌の田舎臭いことよ、と嘲られ、人の笑いものになっていたとか」
「ほう。歌のことは、よくわからんが、そんなに不出来な歌なのかの」
「私にもわかりませぬ。贈り物が歌人の気に入らなかったのかもしれませぬ。
 いずれにせよ、これを深く恥じ恨んだ、かの者はこの里に生えた一本の桜の幹をくり抜くと、この歌を封じ込めました。その桜が、即ち私でございます。体内に残るその歌が呪いとなり、散りとうても散れぬ桜となりました」
「なるほど。自ずからなる命の巡りを止められては苦しいやもしれぬ」
「お坊様、歌を慰めて下さいませ。私をあるべき姿に戻して下さいませ」
「愚僧のような名もない坊主に出来るかの」
「お坊様なればこそ、お頼みしているのでございます」

 僧は居住まいを正して読経を始めた。声の響きに、桜は全身を震わせた。ただ、幹の奥深く、ほんのわずかな部分が頑なに響くのを拒んでいた。ひしゃげたような歌のありようが感得され、僧の読経の声に少しばかり柔らかい笑みがこもった。
(泣いてよいのじゃ。五百年の間、恥と怒りと恨みに凝り固まった汝が、それでほどけることが出来るのなら) 
 桜がちらと涙をこぼした。いや、花びらが一枚、散ったのである。そして、また一片、そしてまた一片。
 それをきっかけにして、すべての花弁が我がちに落下を始めた。濃霧のようでもあり、轟々と音を立てる巨大な瀑布のようでもあった。
 たちまち僧の身は積み重なる花弁に埋まった。その重なった花弁の重量が、すさまじく身体を圧迫した。経を唱える息も途絶えがちになった。首の下からは、どこまでも続く花弁の雲であった。
 死ということを思った。だが、歌の供養をやめる気はなかった。この名もなき田舎坊主を桜が見込んでくれたのだ。
 それに、もはや桜の重みで動きが取れぬ。ままよ、ついでに自分の葬式を自分で挙げてしまおうよ。
 もはや目も見えぬ。息も出来ぬ。
 願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃

 僧は一人、夜空の下に座っていた。あの巨大な桜の花弁がすべて星に化したかと思われるような夜空であった。
 桜は消えていた。降り積もったはずの花弁も、太い太い幹も、そこに桜があったという痕跡がなにもなかった。
 どうやら、すべては、あるべき姿に帰ったらしい。

 夜が明けると、あの花守に礼を言おうと村を訪ねた。
 花守はいなかった。村もろともに消えていた。
 桜が消えてしまえば、花守も、その住まう村も、あるべき姿に戻るというのは、道理といえば道理かもしれない。

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ショートストーリー『アラジンくんと古い魔法のラムプ・悲観的な赤ずきんちゃんの巻』

社長3 (前回までのあらすじ:大富豪だったアラジン和雄くんは、だまされて財産を巻き上げられてしまい、ただ一つ、手元に残った魔法のランプとともに旅をしているのでした)

 相変わらず二人は黒い森の中を旅していました。あまり森が続くので、この世は始めっから森だったような気がしてくるほどでした。たぶん、明日も明後日も森で、この世の終わりまで森なのでしょう。
 その黒い森の中に、ちらりと赤いものが目をよぎりました。アラジン和雄はランプに向かって、
「おや、今、赤いものが見えたよ。あれはなんだろう。魔法使いや、ちょっと見てきてくれないか」
 魔法使いが行ってみると、そこにいたのは赤いずきんを被って、手にバスケットを提げた小さな可愛らしい女の子でした。その子は魔法使いを見ると静かな声で、
「あなたは誰? 森に住む妖怪? 私を食べに来たのね」
「おや、妖怪とは失敬だね。私はアラジン和雄という方に仕えるランプの精じゃよ」
「誰? その和雄さんって。きっと私をさらって、奴隷として売り飛ばしてしまおうとしているのね」
「とんでもない。世界で一番お優しいお方ですじゃ」
 魔法使いは和雄をそこに連れてきました。
「こんにちは。僕はアラジン和雄といいます。この魔法使いと一緒に旅を続けているんです」
「あら、優しそうなお方。もっとも、お腹の中ではなにを考えているかわからないけど。・・・私は、赤ずきんっていいます。お母さんに言われて、おばあさんのお見舞いに行くところなの。でも、おばあさんは狼に食べられてしまっていて、狼はおばあさんに化けてベッドの中で待ち構えているの。だから、私も食べられちゃうんだわ」
「どうして、そんなことがわかるの?」
「私、予知能力があるの。今まで、はずれたことがないのよ」
「それなら、行かなければいいじゃない」
「行かなくても、どうせお母さんは、私を殺そうと企んでいるに違いないわ。森の中の、お菓子の家の前に捨てたりするのよ。もちろん、その家は魔女のもので、私は捕まえられて食べられちゃうんだけどね」
「君のお母さんは意地悪なの?」
「そうなの。私のことが嫌いなの。今日も、このバスケットに美味しいパンを入れてくれたと言ってたけど石が入っているに違いないわ」
「僕、お腹がぺこぺこなんだ。もしパンだったら、半分くれないかな」
「石だって言うのに。でも、パンでも石でも、あなたにあげるわ。その代わり、ちゃんと残さずに食べるのよ」
 出てきたのはパンでした。
「きっと毒が入っているんだわ」
 とても美味しいパンでした。和雄が食べていると、赤ずきんが欲しそうにじっと見ているので、半分あげました。
「これが人生最後の食べ物だと思うと、おいしいわね」

 おばあさんの家が見えてきました。
「可哀想なおばあさん。今頃はもう、狼のお腹の中ね。いい人って、長生きできないものなのね」
「おばあさんは、何歳なの?」
「96よ」
 赤ずきんがドアをノックしました。
「狼が出てくるから、あなた達、逃げた方がいいわよ」
「君は?」
「いいの。どうせ、ここで死ぬ運命なのよ」
すると、年のわりには元気なおばあさんが出てきて、
「おや、赤ずきんじゃないか。来てくれたのかい、嬉しいねえ」
 余程嬉しかったのか、おばあさんは赤ずきんを抱き上げると、ぽんぽん放り上げては受け止めました。
「おばあさん、狼は?」
「狼? そりゃ、なんのこったい」
「まだ、来てないのね。私たちが来るのが早過ぎたんだわ」
 和雄が口をはさみました。
「ねえ、赤ずきんちゃん。それって、君の思い過ごしなんじゃないの?それに狼が来たとしても、僕の魔法使いが追い払ってくれるよ。年寄りだけど頼りになるやつなんだ」
 おばあさんは、にこにこして和雄を見て、
「赤ずきんや。この方はどなただい」
「ここへ来る途中で知り合った旅人のアラジン和雄さん。私を誘拐して売り飛ばすためについてきているの」
「そうかい、そうかい。アラジンさんとやら、さぞお疲れじゃろう。中へ入って休んでいかれるといい」
 おばあさんは、赤ずきんの不穏な発言には慣れっこになっているようでした。

 おばあさんは、美味しいお茶を振る舞ってくれました。すると、ドアをノックする音が聞こえました。
「こんにちは、狼ですが」
「あら、狼さん、待ってたのよ。食べるのなら、私から食べてちょうだいね」
 狼は大きなバスケットを持っていました。
「知り合いの猟師からのお届け物です。今日、赤ずきんちゃんが来るというので、これでパーティーをやってくれって」
 バスケットの中には、ソーセージやチーズやパテやパンや野菜や果物やケーキやお菓子やパンやジュースやワインやビールが入っていました。
「まあ、毒入りの食べ物がたくさん。生きていたい人は手をつけないことね」
 そう言いながら、赤ずきんはタッフィーを口に放り込みました。
 そして、皆で飲んだり食べたり、おしゃべりをしたり歌ったりしました。

 赤ずきんと和雄と魔法使いは、おばあさんに別れを告げて、赤ずきんの家へと向かいました。
「たのしかったね」
「いいことの後には悪いことが待っているものよ」
 赤ずきんは、バスケットの中に入っていたプレゼントの可愛い人形を抱えていました。
「たぶん、この中に爆弾が仕掛けられているわ」
 だんだん、赤ずきんの家が近づいてきました。
「意地悪なお母さんが、途中に落とし穴を掘ったり、地雷を埋めたり、伏兵を待ち伏せさせていたりするかもしれないから気を付けてね」
 何事もなく家へ着きました。赤ずきんのお父さんとお母さんは、和雄と魔法使いを大歓迎してくれました。
 そして、美味しい晩ご飯を御馳走してくれました。
「目まいがしたり気持ち悪くなったら、すぐ吐き出してね」
 と赤ずきんは料理が運ばれてくるたびに言いました。
 和雄は、こんな御馳走、いつまた食べられるかわからないので、ワインとともにお腹いっぱいに詰め込んで、ちょっと目がとろんとしてきました。そして何気なく、
「ねえ、赤ずきんちゃん。君は、たぶん、もう嫌なことを言わなくなるよ」
 すると、はやり御馳走でお腹がふくれあがった魔法使いが、
「おお!」
 と驚いたような声を上げました。
「なんだい」
「今、お坊ちゃまがおっしゃったのは、魔法使いの世界に古くから伝わる、嫌なことを言わなくなるためのまじないですじゃ」
「なんだい、こんな簡単なのなら、お前、もっと早く唱えればよかったのに」
「いや、年のせいで忘れておりましたのじゃ」

翌日、赤ずきんは二人を森のはずれまで送ってくれました。行きも帰りも狼を初めとする森の動物たちが守ってくれたので、なんの心配もありませんでした。
「和雄さん、おげんきで。あなた方に、きっといいことがありますように」
 その後、赤ずきんはもらった人形を大人になるまで大事にし、もちろん、幸せに暮らしたそうです。
 

今日のおさむらいちゃん

新作145