ショートストーリー『お奉行様の怪』

急に決まった出張とはいえ、もう少しマシなホテルはなかったものか。どうやら、この町で、何かの医師の学界があるとかで、ホテルはあらかた押さえられてしまっているらしい。
こんな部屋でよく眠れるだろうか。明日の仕事に差し支えないだろうか、と内心でぶつぶつ言いながら、缶ビールを飲んでベッドに横になると、昼間の疲れが出たのか、うとうとと眠ってしまった。
「面(おもて)をあげい」
夜中である。暗闇から、そんな声が聞こえた気がする。夢だろうか
「面をあげいと申しておる、山田一郎」
間違いなく俺を呼んでいるらしい。だが、動けない。胸がひどく圧迫されている。金縛りというやつだろうか。
薄目を開けてみると、俺の胸の上に白く光るものが乗っている。猫や犬の大きさではない。それが口を聞いた。
「株式会社ムサシノカミに奉公しおる山田一郎とは、その方だな」
奉公とは古くさい言い方だが、俺のことに間違いないらしい。
「そ、そうだけど、お前・・・なに?」
「『お前』とは、お奉行様に向かって無礼である。本来、手打ちにいたすところじゃが、お裁きの場ゆえ、しばし差し許す」
「お奉行様?」
そういえば、胸の上の白いものの中に、ぼんやりと人間らしき像が浮かんできた。裃、ちょんまげ、脇差し、扇子、なるほど映画にでも出てきそうなお奉行様だ。
ただ、座布団ではなく、俺の胸の上に座っているのが迷惑である。
「あの、どいて欲しいんだけど」
「ええい、頭が高い」
こっちは寝ているんだから、これ以上低くなりようがない。
「重たいんだよ。だいたい、こんな夜中にお奉行様って何よ」
「人呼んで、夜のお奉行様」
「夜のお菓子みたいな?」
「ええい、黙れ。わしは、南町奉行・大岡山越前守。そちを押し込み強盗の件で取り調べる」
「強盗? 俺が?」
「さる閏六月三日、夜陰に乗じて日本橋の両替商・大黒屋に押し入り、奉公人を含む全員を殺害、金一千両を盗みし罪状は明らか、大人しく市中引き回しの上、打ち首獄門となれ」
冗談ではない。
「なんで、俺が打ち首にされなきゃならないんだ」
「おぬし、山田一郎とは世を忍ぶ仮の姿、而してその正体は、江戸八百八町を騒がす大泥棒・般若の又三郎であろう」
「知らない。そんな人知らない」
「証拠は挙がっておる」
「そんなはずはない。やってないもん
「ふっふっふ。証言があるのだ。このような大胆な犯行、必ず内通者がいるはずと考え、三ヶ月前に女中として大黒屋に雇われし、お兼と言う女を捕らえて詮議せしところ、やはり又三郎の一味で、事件当夜内側から掛け金を外したのは、まさしくこの女」
お奉行様は得意げに俺を見下ろしている。相変わらず重い。
「この女が、首領の名は般若の又三郎だと白状しておるのだ。これでも、シラを切る気か」
「ダメだってば。俺と、その又三郎とやらが同一人物だって証明しないとダメでしょ」
お奉行は、しばらく腕組みをして考えながら、「お兼、又三郎、山田一郎・・・」とぶつぶつ呟いていた。しかし、それにしても重い。
「ふん。こういう時のために拷問というものがあるのだ」
「滅茶苦茶だ
百叩きだの、石抱きだの、木馬責めだのという言葉が頭の中に浮かぶ。
だが、お奉行は動かなかった。どういう拷問にするか、考えているのだろうか。
そのうち、だんだん、ただでさえ圧迫感のある胸が、さらに苦しくなってきた。
「お、お奉行・・・重くなっている・・・?」
「ふふふ。どうだ、苦しいか。苦しかったら白状せい」
「なぜだ。なぜ、どんどん体重が増えていくのだ。お奉行、実は妖術使いか?」
「君子は怪力乱神を語らず。極めて合理的な理由があるのじゃ。わしの手元をよく見てみよ」
いつの間にか、その手には丼と箸が握られていた。隣には、メシの入ったお櫃を抱えた下役もついていた。ものすごい勢いでメシを食っていたのだ。
「もうら、めひをくえふぁ、かららがおもうなうは、ろうい」
口の中に、メシがいっぱい入っているので聞き取りにくいが、「どうだ、メシを食えば身体が重くなるは道理」と言っているらしい。
こんな拷問聞いたことがない。だが、どんどんお奉行が重くなっていることは事実だ。
とはいえ、ニセの自白をしたところで打ち首獄門とやらになるのだったら、耐えるだけ耐えるしかない。
「だ、誰が、やってもいない犯罪を白状したり、す、するものか」
苦しい息の下から、やっとそれだけ言った。
「むう、うおようにゃ、にゃふめ(むう、強情なやつめ)」
お奉行は、丼を傍らに置くと、
「では、責め方を変える」
少なくともこれ以上、重くなることはなさそうだ。それどころか、
「?」
やや、軽くなったような気がした。
同時に、妙な匂いが漂ってきた。いや、「妙
などと曖昧な言い方はやめよう、はっきり言って臭い。それも、強烈な臭気だ。
俺の推理が正しければ、すべての人間が日常的に目にする、それも屋内の特定の場所で、まあ、一日に一回か二回程度だが、中には何日もお目にかからないで悩んでいる女性なども多いといわれるが・・・・・・あれの臭いじゃない、といいのだが・・・・・・。
「どうじゃ、お天道様も、西に入れば翌朝、東から出てくるは道理。また、月も満ちれば再び欠けるも自然、人体とて、天然自然の道に外れることはない。入れるだけ入れれば、次は出るというのが・・・・・・」
「おいっ、おいっ」
俺の声は悲鳴になっていた。
「どうも、今日はちとゆるいようじゃ」
「やめれー!」
「これでも白状せねば、お奉行様奥伝『入れながら出す』・・・」
「うわーっ! うわーっ! うわーっ!」
・・・・・・・・・・・・
「今のは、なかったことにいたそう。お奉行の品格に関わる」
「俺もそれがいいと思う」
あることにされたら、かなわない。
「では、責め方を変える」
「しつこいなあ」
「わしも、『オトシの越前』と呼ばれたお奉行じゃ。これくらいで、あきらめるわけにはいかないのじゃ」
「さっきみたいなのは、ごめんだぜ」
「猫!」
「?」
「猫と言ったら?」
「?」
「なんでもいいから、猫で連想するものを言うのじゃ」
「ね、ネズミ?」
「犬!」
「散歩・・・」
「散歩!」
「公園、とか」
「港の見える」
「丘・・・・・・なんなの、これ」
「これぞ、和蘭陀渡りの『せいしんぶんせき』なる秘術の技じゃ。かの名医・法眼じぐむんと・ふろいど先生もお使いになったという自由連想法。これで、つかえたり言いよどんだり、という言葉を糸口に、そちの深層心理を探り、かの事件の全貌を明るみに出すのじゃ」
「やめた方がいいと思うけど」
その後も、このわけのわからない連想ゲームは延々と続いた。
「じゃあ・・・酒臭いと言えば
「常磐線の最終電車
「正解! ぴんぽーん」
「クイズか」
「ええと次はね・・・ハドリアヌス帝」
「知らないって」
「カロリング王朝」
「だから、わからんてば」
「わしも、ネタ切れでな・・・ええと、おい、小姓、小姓、あの杉田玄白先生が翻訳されたという『サルにもわかる自由連想法マニュアル』を持ってこい」
その時、俺の内部の深いところより、なんとも形容のしようがない激しい衝動のようなものが突き上げてくるのが感じられた。
「こら、小姓。その本じゃない。こら、こーら、こーら、そっちの本だってば」
もう、俺はマグマのように吹き上げてくる情動を抑えることができなかった。情動は叫びとなって噴出した。
「ご、ごめんよ! タカシちゃん! 僕が悪かった・・・・・・」
お奉行が、きょとんとして見下ろしているのはわかっていた。だが、もう、自分で自分を押しとどめることはできなかった。小学校の時の友達、タカシちゃんに対する罪の意識が、俺の魂を揺さぶったのである。
「粉薬だと騙して『コショウ』を飲ませたのは、僕だったよ・・・それから、『コーラ』だと言って醤油を飲ませたのも、僕だ」
「え? え? 小姓と『こら』がヒットしたの?」
「勉強ができて、美少年で可愛がられていた君に嫉妬していたんだ。だから、病気がちで友達の少ない君に近づいて、親友のフリをしながら、細かい意地悪で腹いせをしていたんだ・・・・・・」
「そうであろう、そうであろう、タカシちゃんいじめの犯人は、おぬし、山田一郎であろうと、わしはとっくに見破っておったぞ」
さっきまで、タカシちゃんの「タ」の字も出てなかったはずだが。
「山田一郎。タカシちゃんイジメの罪、甚だ重大である。市中引き回しの上、打ち首獄門申しつける。一同、立ちませい!」
誇らかなお奉行様の顔であった。般若の又三郎とやらは、何処かへ行ってしまったらしい。
やがて、その姿は霞みはじめ、白い光の塊になったかと思うと、煙のように消えてしまった。お奉行様が乗っていた胸の痛みは残った。
明け方、自分の首が転がるイヤな夢を見た。
「いかがでしたでしょうか。ご滞在をお楽しみいただけたでしょうか」
翌朝のフロントである。痩せた男が異常なほどの微笑みを浮かべている。俺は、口を聞く気にもならず、むすっとしたまま会計を済ませた。
「山田様なら、あの『お奉行様の怪』、さぞご満足いただけたと存じますが」
「お奉行様の怪?」
「香川からおいでの山田一郎様でいらっしゃいましょう? 当ホテル調査部の調べによれば、山田様は大変な怪奇マニアだとか。なんでも幽霊の出るホテルを探して歩いているという情報が入っております。あの部屋は、数年前からどういうわけかお奉行様の幽霊が出るようになりまして、その方面のマニアの方々には、密かに評判になっております。当ホテルでは、その他にも、『大名行列の怪』『大奥・お局様の怪』『ターヘルアナトミアの怪』など、様々な怪奇現象が起きております。山田様には、リピーターになっていただけるかと・・・」
「おい」
思わず、俺の語気が荒くなる。
「その調査部とやらに言っておけ。探偵めいたことをすること自体、気に入らないが、その前に基本的なことをちゃんと押さえておけ。俺は、確かに山田一郎だが、香川じゃなくて神奈川の山田一郎だ」
こんなところ、二度と来るか、と言い捨てて出てきた。
その後も、その町には何度も出張したが、もちろん、あのホテルに泊まったことはない。
だけど、『大名行列の怪』、ちょっとだけ見たい。
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