2015年09月
今日のおさむらいちゃん
社長のショートストーリー『落語・置きみやげ』

ある日、隠居所の前で小僧さんが水をまいていると、のっそりと大きな猫がやってきて、小僧さんをじっと見ております。
定「なんだい。どうしたんだい。こっちおいで」
撫でようとして手を伸ばすと、その猫が
猫「長佐衛門さんのお宅はここかい」
定「ひっ。猫がしゃべった」
すると後ろから、
仙「長佐衛門さんのお宅はここかい」
振り向くと、おじいさんがにこにこ笑いながら立っています。
身なりは粗末ですが、白い長い髭をあごに蓄え、大きな杖をついて、鶴が降り立ったかのように、どこか人品卑しからぬ様子。
定「何だい、今のは、じいさんかい。猫がしゃべったのかと思った。」
仙「ここは、長佐衛門さんのお宅だろう」
定「そうだけど・・・なんだか、へんなじいさんだな。お前にじっと見られると、むずむずして、駆け出したくなるんだけど・・・」
仙「わしは長佐衛門さんに会いに来たんじゃよ。呼んでくれないかな」
定「あ、あの・・・ご隠居さーん、なんか変なのが来ました」
長「なんだい、変なのとは。・・・子供が失礼しました、私が長佐衛門でございますが、どちら様ですかな」
仙「わたしの顔に見覚えがありませんかな」
長「ふむ。・・・不躾ながら、そのお身なりにしては、何やら気品のあるお顔に見受けられます。ただのお方とは思われませぬ」
仙「あなたとわしは昔、会っておりますぞ」
長「お会いになったことがある、と。ふーむ」
仙「どうですか。この顔を思い出しませぬか。・・・あなたの故郷の村で、むかし一緒に遊んだ茂作という子供がおりましたでしょう」
長「・・・あー。茂作、おめえ、茂作でねえか。いんやあ、皺だらけになっちまっただども、確かに、おめえ茂作だんべ」
仙「思い出してくれただか、長吉どん。」
長「あんれまあ、おらが村出てから、いっぺんも会ってなかったべさ。」
仙「長吉どん、立派になっちまってえ」
長「茂作、おめえは何してただ」
仙「いんや、話せば長くなるだども、今日は、あんな話こんな話してえと思って、長吉どん訪ねて来ただよ」
長「そんだ、そんだ。うれすいなあ。・・・おい、定吉、お客さあ、座敷さ案内すっだべよお」
定「あの、ご隠居、言葉がおかしくなっているんですけど」
長「あっはあ、面目ねえ、こら、おらが生まれた村のなまりだっぺよお」
定「直ってないですよ。それに、長吉って呼ばれてましたよ」
長「まずは、座敷さ落ち着いてから、話すべよお・・・・
いんやあ、定吉がびっくらこくのも無理はねえ・・・じゃなかった、定吉が驚くのも無理はない。わたしは、今でこそ、江戸で生まれ育ったような顔をしているがな、田舎の生まれなんだよ。言葉も身なりも後から身につけたものなんだ。」
定「え、じゃ、ご隠居は、生まれたときから大店のご主人だったんじゃないんですか」
長「そうじゃない。まあ、なんというか、村に埋もれたくないような気持ちが起こってきてな、十二の時、人の紹介もあって、一人で江戸に出てきたんだ。もともとは、長吉という名だったんだが、小さいながら自分の店をもてるようになったとき、長佐衛門と改めたんだよ。」
定「じゃ、あのお店も、お名前も江戸の言葉も・・・」
長「ああ、何もないところから始まったんだ。まあ、今日、こうして思いがけず昔の友達にあって、思わず国の言葉が出たというわけなんだ」
定「そうだったんですか。おいらは、また、ご隠居さんがもののけに取り憑かれたのかと思いましたよ」
長「もののけてえのがあるか。・・・うん、そうだ。茂作どん、お前さん、酒の方はいける口かい?ああ、そうかい。いや、ちょうど下りもののいい酒があるんだよ。定吉、ちょっと、お燗をつけて持ってきてくれ
定「お酒はありますが、お肴になりそうなものが、なにもありませんよ」
仙「ああ、小僧さん、いいよ、いいよ。肴はわしが持ってきた。」
定「また、このおじいさん、杖一本持ってきただけじゃないか。杖かじってお酒を飲むのかい」
仙「いや、持ってきたよ。この通り」
ひょいと手を翻しますと、ごちそうの載った皿や小鉢が空中から出て参ります。
長「こりゃ、驚いた。お前さん、手妻を使いなさるか。」
仙「手妻じゃないよ。一口、食べてご覧。本物だよ」
長「うん・・・おや、本物だ。おいしいね」
仙「それから、ほれ・・・」
また、手を翻しますと、空中からきれいなお姉さんがぞろぞろ出てきて、歌や踊りを始めます。
長「これは、びっくりしたねえ。この人たちも、お前さんが出したのかい。・・・茂作どん、わしが村を出てから、どうしていたんだね。話を聞かせてくれるかい。ほら、一杯やりながら」
仙「うん、それがいいのお。ちょっと、女の子たちには消えていてもらおう(そでを翻す)」
長「あれ、消えちまった。驚いたね。・・・そうだ、おい、定吉、お酒を頼んだよ。・・・どうしたんだ、定吉」
定「こ、腰が抜けております。」
長「だらしがないな」
定「お、おじいさん、あなた、何者なんですか」
仙「まあ、仙人の端くれじゃよ。」
定「仙人?」
仙「・・・まあ、長吉どんが村を出て行って寂しくなったが、わしの方には、出て行くほどの甲斐性もない。村に残って、畑仕事や山仕事をやっていたが、ある日、山の中で深い深い穴に落っこちてしまっての。出られなくてどうしようかと思っていると、そう、ちょうど、今のわしのような格好のじいさんが現れて仙術で引き上げて助けてくれたんだ。わしは、その人に夢中になってしまって、弟子にしてもらったんだ。名前も、茂作じゃ何だから、鉄仙という名を付けてもらってな。
・・・それからというもの、修行に明け暮れ、日本中を回って修行を積んだな。で、もう日本では行くところがなくなると、ここだけの話、御法度ながら唐天竺にまで渡って修行を積んできたんじゃ。
・・・で、こうなると、もう人間界では、やるべきことはやり尽くしてしまった。そろそろ、仙人の世界へお暇しようかな、と考えていたところ、ふと、子供の頃を思い出してな。あちらへ行く前に、是非とも、長吉どん、お前さんに会っておきたいと思って来たんじゃよ」
てんで、これから、幼なじみ同士、杯をやったりとったりとったりやったり、尽きるところがありません。
長「いやあ、茂作どん、こんなに立派になるとは思わなかっただよ。お前、昔は力は強いのに、意気地なしでのお」
仙「なあに、気は優しくて力持ちっつうやつだ。そこへ行くと、長吉どんはちっこいのに気が強くってのお。」
長「おう。体はちっちゃいけど、相撲を取っても負けたことはなかったべさ」
仙「いんや、ほかのことはともかく、相撲ばかりは、おらの方が強かったべ」
長「何を言うか。おめえ、おらが足さ払うつうとコロコロこけておったでねえか」
仙「いんや、その前に、おらが上から押しつぶしとっただよ」
長「なにい、じゃ、ここで白黒つけるだべさ。相撲とるべよ」
仙「おおう。負けていねえだよ。そらあ、はっけよい、のこった」
長「のこった、のこった」
仙「のこった、のこった」
どたーん、ばたーん。
もう、二人とも子供にかえって遊んでおります。
長「いやあ、茂作どん、本当に今日は来てくれてありがてえだ。江戸に出てきてから、こんなに笑ったのは初めてだ。うん。よく来てくれただよ。ありがてえ」
仙「いやあ・・・長吉どん、さっきも言っただが、おら、もうすぐ仙界に行っちまうだ。おめえと会えるのも、今日が最後になると思うだ。そこで、置きみやげ代わりに、おらが仙術で何かお前の望みを叶えてやりてえだ。なにか、欲しいものはねえか?」
長「欲しいもの?・・・うーん。茂作どん、おら、一人で田舎から出てきて、運にも人にも恵まれて、おかげさまで店が持てたし、思いがけなく大きく出来た。おまけに、跡取りもできて、これ以上のものを望んだら、そら、罰があたるっつうもんだ。・・・うん、気持ちはありがてえが、気持ちだけ、もらっておくだ」
仙「それでも、何にも望みがないてこともねえだよ」
長「いや、しいて言うならば、ま、おめえと遊んでいた子供の頃や、おっかさんに抱かれていた赤ん坊の頃に、もう一度戻ってみてえだが、それは無理ってもんだ。な。だから、茂作どん、おめえの気持ちはうれしいが、気持ちだけもらっとくだ。いや、無理だっちゅうことはわかっとる・・・うん?いやいや・・・まさか」
定「あれえ・・・さっきまでうるさかったのに、すっかり静かになっちゃったな。どうしたんだろう。お客さん、帰っちゃったのかな。・・・ご隠居さん、どうしたですか。・・・あれ、お客さん、いない。ご隠居もいないよ。・・・なんだい、赤ん坊が、杯持って座っているぞ。」
長「こらっ。定吉、わちだ」
定「わ、赤ん坊がしゃべった」
長「驚くんじゃない。ばぶ。わちは、隠居の長佐衛門だ。」
定「え、この赤ん坊がご隠居?なんです?仙人のおじいさん?望みを叶えてやるって?それで赤ん坊の姿に変えられちゃった?・・・こ、こ、こ、こりゃあ、大変だ」
びっくりした定吉、赤ん坊を背負いますてえと、お店のあります日本橋目指して駆けだします。
こちら、日本橋のお店のご主人、徳兵衛さん。ご隠居の跡取りでございます。
徳「なんだい、表の方が騒がしいな。なんだって?根岸から定吉がやってきた?こりゃまた、急だな。・・・それで?ご隠居さんが、ご隠居さんが、って言って泣きじゃくっている?・・・どうしたんだろう・・・そうか・・・うん、丈夫だ丈夫だと思っていたが、考えてみれば、親父も、もう年だ。そこへ来て、ここのところ妙な天気が続いたからな。年寄りにとっては毒だ・・・いつ何があってもおかしくはない・・・うん、わかった。定吉をこっちへ入れなさい・・・あ、定吉、よく来てくれたな」
定「旦那様、ご隠居様が、ご隠居様が・・・」
徳「わかっているよ」
定「・・・え、わかっていたんですか」
徳「親父も、もういい年だ。いつ何があってもおかしくはない」
定「ええ?じゃあ、こんなことって、ちょくちょくあるんですか」
徳「ちょくちょくどころか、誰でも一度はあることだ。おまえも、わたしも、いつかは、そうなる」
定「そんなことは、ないと思うんですけど。あたしのお爺ちゃんは、そんなことはありませんでしたけれど」
徳「それは、まだお元気なんだろう。」
定「いえ、去年、亡くなりました」
徳「だから、そうなっただろう?」
定「いや、こうはならなかったと思うんですが・・・」
徳「なんだか、話がわからないね。定吉、落ち着かなくちゃいけないよ。どうしたってんだい」
定「いえ、ですから、ご隠居様が、その・・・」
徳「お迎えが来たんだろう」
定「いえ、あたしが連れてきたんです」
徳「目をつぶったんだろう」
定「いえ、ぱっちり明いています」
徳「亡くなったんじゃないのかい」
定「若返っちゃったんです(と、赤ん坊を差し出す)」
徳「な、なんだい、この赤ん坊は」
長「わちじゃ。ばぶ」
徳「赤ん坊がしゃべったあ。おい、定吉、なんだい、どうしたんだい・・・なに、親父の幼なじみがやってきて?・・・うん、仙人?望みを叶えてやるってんで?・・・赤ん坊に変えられちゃった?・・・じゃ、これがおとっつあん?・・・こ、こ、こ、こりゃあ、大変だあ」
長「せがれ。あわてるんじゃない。ばぶ。なんぢゃ。わちが、死んだなんて。縁起でもない。親を殺すやちゅがあるか」
徳「だ、だって」
長「ばぶ!(一喝)」
徳「へへえ・・・(平伏)」
長「せがれ、お前はあるじだろう。あるじが慌ててどうちゅる。あきんどというものは、なすべきことを見定めて、きちんとちていけば、何も怖いものはないと、いつも教ちえているだろう。ばぶ」
徳「だがね、おとっつあん、親父が赤ん坊になっちゃったあきんどなんてのは、そうそういないよ。どうしたらいいんだい
長「落ち着け。まず第一にじゃ」
徳「まず第一に?」
長「おしめを替えてくれ。もらしてしまった」
社長のショートストーリー『落語:虫の知らせ』

「おう、誰じゃ思うたら、田吾作でねえか。まあ、こっちお入り」
「あ、庭の木に桃の実がなっとりますのう」
「ああ、よく実を付けてくれたのう」
「庄屋どんの庭の木には、たんと果物がなりますわいのお。桃やら、ザクロやら、秋には柿、ほんに一年中、うめえ実がありますのお。食うてもいいかのう」
「まあ、食うて悪いこともないが、みんなに好きに食べられたらたちまちなくなってしまうからのう。いいことをした者に褒美で食わせることにしとるからのう。それより、田吾作、今日はなにか用かいのう」
「あ、そんだ。いやあ、実は、庄屋どん、どうも今朝から気になって仕方がないことがありましてのう」
「おんや、田吾作、いつものやつかいの。おめえが何か気になるっつうと、必ず何か起こるでのう。最初は、お寺の仏さんじゃったのう」
「そうだったかのう」
「そうじゃ、木念寺の本堂の仏さんが、尻が痛え、尻が痛えっつうて、夢に出てきた、ちゅうたのが、始まりじゃがのう」
「そんなこともありましたのう」
「おめえが、わしのところ来て、『木念寺の本堂の仏さん、痔を患うておりゃせんかいのう』つうてきたんじゃわいのう」
「そんたらこともありましたのう」
「わしゃ、そん時、言うたわいのう。
『おめえ、バカこくでねえ。木念寺の仏さん、ありゃ、ありがたーい仏さんじゃが、あれは仏師ちゅう職人が作ったもんじゃでのう。それが、痔を患うことは、ありゃせんわいのう』
『いやあ、そんなこと言うが、この2,3日、毎日、仏さん、おらの夢に出てきて、尻が痛え、尻が痛え、ちゅうでのう』
『そりゃ、おめえの夢じゃわいのう』
『夢じゃ言うても、仏さん、のたうち回って苦しんでおるだでのう』
『そう言うても、おめえの夢の話、わしにどうしろっちゅうんじゃ』
『村の医者の先生ところ行って聞いたら、痔にはイチジクがよう効く、いうて教えてくれたで、おら、このイチジクを仏さんにお供えしてえと思うとるだ』
『ま、なんにせよ、お供えするっちゅうのは、いい心がけじゃ。おまえんとこに、そんな立派なイチジクがあったかのう』
『こりゃ、庄屋どんの庭のだ』
『こりゃこりゃ。人んちのを勝手に持ってくるやつがあるかい』
『そんで、おら、仏さんの尻にお供えしてえ』
『尻に供え物するじゃなんて、和尚さんに叱られるわいのう』
『だとて仏さん苦しんでおられるんじゃい。尻の下の床下にお供えせにゃならん』
お前が言い張るもんじゃから、和尚さんに許しをもらって、しょうがなく床の下に潜り込んでみたら、びっくり、なんと人間、それも凶状持ちが逃げ込んで隠れておってのう。江戸で人殺して金盗んで逃げたちゅうわるーいやつじゃ。それからは、代官所の役人が出るやら、大捕物が始まって村中、ひっくり返るような大騒ぎじゃ。
それでも、何とかお縄になって、ああ、よかった、これで安心じゃちゅう思うたところに、さーっと雨が降り出してのう、おめえが言うたのう『雨降って痔固まる』・・・」
「そんだらこと言いましたかいのう」
「ああ、言うた言うた、あれを言わなければ、おめえ、もう少し利口な男に見えたんじゃがのう」
「そったらこともありましたのう。おら、なんか夢が気になって気になって仕方がなかっただけじゃでのう」
「虫の知らせ、っちゅうやつじゃのう。」
「虫の知らせっちゅうと、おらの中に知らせてくる虫がおるですかいのう」
「おるんじゃろうのう。俗に、虫が好かんとか、虫がいいとか、虫の居所が悪いとか言うからのう」
「はあ、さすが庄屋どんは物知りじゃのう。どこにおるんですかいのう」
「どこにおるかわかるかい。さて、その次は、こんなことがあったのう」
「どんなことがあったかいのう」
「おまえ、わしのところへ来て、
『庄屋どんのところで、誰か産気づいておらんかのう』
ちゅうて来たんじゃ。
『誰も、そんなモンはおりゃせんがのう』
『そんなことはなかろう、この家で赤ん坊が、産まれたーい、産まれたーい、ちゅうておるような気がして仕方がないんじゃがのう』
『そんなことは、ないと思うがのう』
『お嫁のお咲さんどうじゃろうかのう』
『ありゃ、先月、赤ん坊が産まれたばかりじゃ。お前も知っておろうがのう』
『ああ、そうじゃ、そうじゃ。お咲さん、先月、子供が生まれて、めでたーい、めでたーい、ちゅうてみんなで祝ったんじゃのう』
『そうじゃ、覚えとるじゃろう』
『赤ちゃん、今月は産まれないかのう』
『バカこくでねえ。そう毎月産まれとってたまるもんかいのう』
『そんじゃ、庄屋どんのおかみさんはどうじゃろうのう』
『ありゃ、わしと同い年じゃぞ』
『心当たりはないかのう』
『バカ。そんな恥ずかしいこと聞くもんでねえ』
『それならのう・・・ああ、庭を歩き回っとるニワトリはどうかいのう』
『ありゃ、毎朝、卵を産むだで、そったらもんをいちいち産気づくとか言っとったらキリがないでのう』
『犬は』
『そんなことありゃせん』
『猫は』
『そんなことありゃせん』
『ああ・・・じゃあ、残ったのは・・・庄屋どん』
『バカ・・・わしゃ、男じゃ。なんで、わしが産気づかんといかんのじゃ』
『すると・・・ご先祖様が産気づいてないかのう』
『何を言うておるんじゃ。とっくに成仏なさった方が産気づいてるわけなかろう』
『いやあ、おら、どうしても気になるんじゃ』
ちゅうて、それからが大騒ぎじゃ。仏間に入り込んでのう。仏壇をじーろじろ、じーろじろ見ておったが、不思議なもんじゃ。よく見てみたら、仏壇の下が二重になっておる。試しに開けてみたら、五百貫文ちゅう銭が出て来よった。ご先祖様が、子孫のためにちゅうんで、隠しておいてくださったんじゃのう。まあ、仏様が銭を産んでくれた、っちゅう話じゃ」
「ああ、そんなことがありましたのう」
「やれ、めでたい、ちゅうて喜んでおったら、お前、言うたのう、
『仏の顔も産気づき』
そりゃ、『仏の顔も三度まで』じゃ。お前、ああいう駄洒落を言わなければ、もう少し利口な男に見えるんじゃがのう」
「そんなこと言いましたかいのう」
「ま、それからも色々あったわい。村の堤防のこと、田んぼの水やりのこと、お前の虫の知らせのおかげで、大事にならんで済んだちゅうことが、色々あるわい。ほんに不思議なことじゃのう。ありがたいと思うとるわい。
・・・で今日は、どうしたかいのう。」
「おら、今朝から気になって気になって仕方がないことがあってのう」
「なんじゃい、また虫が知らせとるんかのう」
「ようわからんが、東の空に、なんかあるんじゃないか思うてのう」
「東の空?(見る)いんやあ、今日は、雲一つない、珍しいようないい天気だで、なんにもあるようには見えんがのう」
「いやあ、おら、気になって気になって仕方がないでのう。ちょっくら、東の方まで様子を見に行ってみようと思うだ」
「東の方ってどこまで行くだ」
「どこまでもどこまでも行くだ」
「どこまでもどこまでもって、ずうっと行ったら、国境の峠じゃ」
「峠まで行ってみれば、すこしは空に近づくだ」
「ま、そうかも知れんが、うん、まあ、おめえの虫の知らせじゃからのう。国境は越えるんでねえぞ。日暮れには帰ってくるだぞ」
「ああ、もちろんじゃ。時に庄屋どん。どうも、この庭になっている桃の実を持っていくと、気になることがわかるような気がするだ。弁当代わりに持っていっていいかのう」
「そんなことがあるんかいのう。ま、しょうがない、おめえの虫の知らせじゃからのう、好きなだけ持ってけ」
「悪いのう。ああ、大きくてうまそうな実がたんとなって・・・これをもらっていくかのう。これも、これもうまそうじゃのう。これもいいのう」
「おい、ずいぶん持っていくんじゃのう」
「虫の知らせじゃからのう。仕方ないのう。これも、これも、・・・ああ、もうこれ以上持てねえだ。じゃあ、これで、おら行ってみるでのう」
「おう、気いつけてのう」
「へっへっへ・・・庄屋どん、おらの虫の知らせ持ち出すと、なんでも言うこと聞いてくれるわい。今日は、本当は虫の知らせなんかじゃないのじゃい。庄屋どんの庭の桃の実があんまりうまそうだったんで、あれ食って、どっかで昼寝でもすると面白かろうと思うただけじゃで。
庄屋どん、うまくひっかかりよった。庄屋どんも、ちょっとケチなところがあるだでのう。いいことをしたもんに褒美で食わせるいうだが、おら、今まで、どれだけ庄屋どん助けたか知らんで、おらくらいは、好きなように食わせてくれてもいいがにのう。
まあ、東の方へ行くちゅうただで、ちょっとばかりは、峠の方行くかのう。よいよいよい、っと。この辺でいいかの。あ、ここなら村が見渡せるだでのう。いい景色じゃ。
さて、桃を食うか・・・あ、うまいのう。汁気がたっぷりあって・・・どうして庄屋どんの庭の実はこんなにうまいんじゃろうかのう。うまいうまい。いくらでも、食えるだで。
桃はうめえし、天気はいいし・・・。
・・・ああっと。あれ? あれなんだべ。
空に何か、浮かんでいるべ。なんか白いものがちらちら、なんだべな。なんか、だんだん近づいてくるような。なんだべな。青い空に、ひらひら、ふらふら、って、なんだべ。うん? なんか、紐のように見えるの。
あれ、紐のような、じゃなくて、紐じゃ。どっから、垂れてきているべか。いやー、高すぎてわからねえだよ。だんだん、こっちへ降りてくるべな。
ああ、降りてきた降りてきた。長え長え紐だんべ。ああ、もう、届くところまで降りてきたべさ。
空から、紐が降りてくるなんて、おかしいのう。おら、東の空になんかあるって、口から出任せ言うたんじゃが、本当になんかあったのう。出任せでも当たるようになっちまったかのう。不思議なことだで。
よし、ちょっと、引っ張ってみっかな。うん、なんじゃ、桃食ったで、手がべとべとするがのう。まあ、いいわい。よし、それっ。どうじゃ。
うん? これ以上、引っ張れねえべか。いや、なんか、向こうから引っ張ってんど。おう、なんじゃ、身体持ってかれそうじゃのう。あぶねえわ。
よ、あれ、手が離れねえ。桃の汁で、手がべとべとしてたからかのう。それにしても、こんなに離れねえわけねえべ。ありゃ、ありゃ、ありゃ、身体が、持ちあがっちまうだよ。おう、足が、地べたから離れっちまっただよ。手が、手が離れねえ。
ああ、どんどん、上がってく。どんどんどんどん、上がってく。
ありゃあ、地面がどんどん下になって、あああ、田んぼや畑や、ありゃ、庄屋さんちまで、小さく見えてきただ。おおっ。今、カラスが、おらの横飛んでいっただよ。カラスってば、びっくりした顔してたで。そりゃあ、無理もなかんべな。おらだって、びっくりしてるだ。
ああ、まだまだ、上がってく。まだまだまだまだ、上がってく。まだまだまだまだ、まだまだまだまだ上がってく。
どこまで昇ってくだかな。上見ても、雲っこひとつない青い空がずっと広がっているばかりだで。あ、お天道様、まぶしいな。
ひやあ、もう、村が米っ粒みえてに小さくなって。もう、上も下もまわりも、空の青しか目にはいらねえだ。なんか、昇ってんだか下ってんだかもわからなくなってきただなあ。
どうなるんだ、こりゃ。・・・ありゃ、なんじゃ。上の方からなんか聞こえてくるだよ。なんじゃ、ありゃあ、人の声だべ。
うん?『先生、先生』って言っとるだな・・・ありゃ、どっかで聞いた声だ。庄屋どんのおかみさんの声に似とるの。
なんだべ、なんか、話をしとるようだの。
『わしのこの薬で間違いはない』ちゅうとるの。ありゃ、村のお医者様の声だ。
誰かが、『庄屋どんは、助かるかの』ちゅうとるの。これも村の誰かの声だの。どっかで聞いたような声だの。
先生がそいつに話しかけておるの。『大丈夫じゃ、田吾作どん』、て言うとるの。
・・・田吾作どん? 田吾作どんちゅうたら、おらじゃねえか。ありゃ、おらの声か。おら、あんな間抜けな声しとるだか。おら、ここで、紐にぶら下がっとるのに、なんであそこで先生と話しとるんじゃ。
また先生、なにか言うとる。
『心配ない。こうやって、薄い紙でこよりを作って、その先にこの薬を付けて耳に垂らす。なあに、大丈夫じゃ。庄屋どん、頭が痛い痛いちゅうて、転げ回っていたそうじゃが、いや、昼寝でもしていた時に、虫が耳から入り込んだのじゃ。そいつが、頭の中を囓るだで、痛うてかなわんのじゃ。こうやって、薬を付けたこよりを垂らせばの、そこに虫がくっついて出て来るちゅうわけじゃ。ほうら、出てきた出てきた』・・・
・・・・ちゅう先生の声が聞こえたもんで、紐を掴んだまま、ふっと目を開けると、ほれ、先生の大きなお顔が目の前にあって、おらをじーっと見ていたちゅうわけだ。な、先生、そったらわけで、おら、虫じゃねえ。田吾作だ。なあ。あの虫の知らせで何回も庄屋どんを助けた田吾作だ。先生も、ようご存じだで。
おらが、なんでこんなに小ちゃくて、先生がそんなに大きいだか、わからんだども、おら田吾作には違えねえだ。おら、庄屋どんの頭の中囓ったわけではねえ。桃の実を食っただけだ。なあ。おらの話、わかったか。わかったら、降ろしてくんろ。」
「先生、先生」
「ん?」
「なんで、出てきた虫を不思議そうにじーっと見ておられますだか。」
「・・・・・・いんや、なんでもない」(と握りつぶす)
社長のショートストーリー『国際山田救助隊3 チャイルドプレイ International Yamada Rescue: CHILD PLAY』

こんなところが、まあ、いつもの山田家の夫婦の会話のひとときだ。
ふとイチロウが顔を上げて、
「そういえば来週だったな。ダイスケの学芸会。劇やるんだろう。桃太郎とか言ってたっけ」
「そう。だけど揉めちゃってさ。役のことで」
「ははは。役もめってやつか。誰なんだよ、桃太郎やるのは」
「それがうちのダイスケ」
「おいおい、そりゃ、揉めるよ。我が子ながら言うのもなんだが、あいつに主役なんか務まるわけ無いじゃないか」
「それが、いろいろすったもんだの挙げ句、ダイスケに回って来ちゃったのよ。ほら、クラスメートにペア夫くん、という子がいるでしょう」
「ああ、そうそう、苗字がなんか、変わったやつだったな」
「モンスダ・・・門須田さんっていうんだけど、親御さんが超弩級のクレイマー夫婦なのよ。親戚に教育委員会のお偉いさんがいるとかで、やりたい放題なの。校長なんて、全然頭が上がらないのよ」
「ありそうな話だな。めんどくせえから、やりたいようにやらせたらいいんじゃないの」
「そ。やりたいようにやらせたのよ。当然、最初の案ではペア夫くんが桃太郎。そしたら、あの子がまたワガママな子でさ、大道具も小道具もリアルなもんじゃないと嫌だ。特に、最後の鬼ヶ島の戦いのところは、ど迫力でやりたい、と言い出したのよ」
「おい、小学生の劇だろう」
「そうなのよ。だけど、門須田さんのお父さんが調子に乗って、じゃあ、うちの秘蔵の日本刀を桃太郎に持たせるとか言い出しちゃってさ」
「そりゃ、鬼の役の子に取ったら命に関わるじゃないか」
「そ。で、その時点では、うちのダイスケは鬼のうちの一人。下っ端だけど」
「おいおい、ということは最初にやられる役じゃないか
さて、先生は困ってしまいました。最初の桃太郎が入った桃が流れてくるシーンから、リアルな大きな桃を流せ、と言うのです。そんなもの、どうやって調達したらいいのでしょう。
その時、ある声が聞こえました。
「先生、先生。そのリアルな大道具、小道具、特殊な演出まで、すべて我々が請け負いましょう。なあに、お代はいりません。ちなみに、我々は国際山田救助隊(IYR)です」
もう困り果て、疲れ果てた先生は、丸投げしてしまいました。
1日目の稽古の日、どんなリアルな桃が出てくるのだろう、と皆はワクワクしていました。
すると上空から勇壮なドラムマーチが聞こえ、ヨンダーバード2号が現れました。そこから落下したコンテナから出てきたのは、リアルに大きい桃でした。
人間一人、優に入れそうなのに、香りといい、柔らかさと言い、張りぼてではなく、本物の桃そのままです。
切ってみると、たっぷりとした甘い果汁が流れ出ました。その果肉の奥には、果汁でべとべとになったペア夫くんが入っていました。
転がり出た桃太郎の身体に、瞬時にして無数の蟻がぞぞぞーっと集まって来ました。ペア夫くんは真っ黒になり、のたうち回って苦しんだそうです。
めでたし、めでたし。
「めでたくないだろう」
「まあ、鬼にしてみれば、ほっと一息、めでたくないこともないわね。そこで、門須田さんのペアレントがごね始めたの。桃太郎は、嫌だ。今度は、犬をやらせろ、と言い始めたの」
「犬って、家来じゃないか」
「それが、ただの犬じゃないの。ドーベルマンのどう猛なやつなの。タイトルも『犬太郎』にして、犬を主人公にしろ、と言ったの」
「わけわからんな」
さて、稽古第2日です。
桃太郎がやって来ると、犬が言いました。
「おい、桃太郎。お前の腰に付けた吉備団子をよこせ。そうすれば、家来にしてやる。さもなきゃ、食い殺すぞ。がるるるる
「ひえー、お許し下さい。吉備団子はみんな差し上げます」
「よし、それじゃ俺様の家来にしてやろう。これから、鬼ヶ島に鬼退治に連れてくから、パシリとして働くんだぞ」
そういって、犬は吉備団子(製造元:IYRと書いてありました)を食べました。途端に、
「ぐわーっ。苦しい!毒が入ってる!」
犬は毒殺されてしまいました。
めでたし、めでたし。
「おい、本当に毒殺されたんじゃないだろうな」
「なんか、ダイスケの話だと本当だと言うんだけどね」
「あいつ、バカだし、話が下手だからなあ。で、そのモンペアは?」
「当然、怒ったわ。今度はキジをやらせろと言うの。もちろん、タイトルは『キジ太郎』」
「キジ?ずいぶん、地味な役じゃないか」
「もちろん、キジが桃太郎、犬、サルを連れて鬼ヶ島に行くストーリーにするのよ。それだけじゃなくて、キジが華麗に舞い飛ぶ姿を見せろっていうの」
「ああ、よく舞台で役者をケーブルなんかで吊り下げて空中で演技するってアレか。アレは、確かに華麗だけど、子供には危なくないか。だいたい、小学校の学芸会の規模でできるもんじゃ・・・」
さて、先生が困り果てて眠ってしまうと、IYRの妖精が夢枕に立っていいました。
「先生、先生。ご安心下さい。IYRの一番の得意技でございます」
そして、稽古第3日目。美しい虹色に輝くキジの衣裳をまとったペア夫くんが、
「さあ、家来ども。俺についてくるのだ。この華麗なる飛翔を見よ」
すると、キジは美しく天空に昇っていきました。
「はっはっは。俺様の力を見たか」
キジはさらに高度を上げました。ぐんぐん上げました。ばしばし上げました。
ついに稽古場の天井を突き破って、どんどん小さくなっていきました。さら速力を上げ上昇し続け、やがては成層圏を突破し、ついには燃え尽きて宇宙の塵となってしまいました。
キジを引っ張り上げていたのは、IYRの宇宙ロケット、ヨンダーバード3号だったのです。
めでたし、めでたし。
「あの、今までの中で、一番マジにめでたくないと思うんだけど
「もちろん、モンペアは大激怒。ついに、ペア夫を吉備団子にさせろ、と要求してきたわ」
「ええと、いろいろ質問したいことがあるんだけど、ペア夫くんは成層圏突破して生きてたの?」
「細かいことはわからないけど、翌日の稽古にはちゃんと出てきたらしいわ」
「で、なんで吉備団子」
「わが家の息子が、自分の足で歩かされるなんておかしい。下々の者が大事に運ぶべきだ、っていうんだけど」
「それって、悲劇が予想されない?」
さて、稽古の第4日目です。
吉備団子は桃太郎の腰の袋の中で言いました。
「ああ、袋に入っていると楽ちんじゃわい。ほれ、ちゃんと歩け、家来の桃太郎
そこへ、犬、サル、キジがやってきて、吉備団子をくれれば鬼ヶ島に家来としてついていく、と言いました。桃太郎は、吉備団子をあげました。
「むしゃむしゃ、ぱくぱく、ああ、おいしい。では、鬼退治に出かけましょう」
吉備団子を食べてお腹いっぱいになった桃太郎たちは鬼ヶ島に・・・。
「ちょっと待って。それって、本当に食べたの?」
「うん」
「うん、って
「ダイスケはそう言っていたわ
「まっじで、やばくない、それ」
「どう、なのかしら、ねえ。まあ、ダイスケも話し方下手だし、本当はどうだったんだか。ねえ」
さて学芸会当日。会場は学校の体育館。
フロアの後ろ半分にパイプ椅子が並べられて、父兄の観覧席になっている。その隅っこの方に、イチロウとユリコの山田夫婦が座っていた。
「おい、配役表見ると、確かにダイスケが桃太郎になっているな」
「そう」
「でも、タイトルが『鬼太郎』になっている」
「そうなの。ついに、モンペア、桃太郎側にいては勝ち目がないと思って、ペア夫くんを鬼ヶ島の鬼の大将にしたのね。で、桃太郎一行を返り討ちにして、めでたしめでたし、というストーリー。気の弱いダイスケが桃太郎にされちゃったの
「なんだよ。桃太郎ったって、敵役かよ。リアルな戦闘シーンてのが心配だな。怪我しないように、うまく逃げ回るといいけどな」
合唱、器楽合奏、劇「シンデレラ」「浦島太郎」などに続いて、「桃太郎」上演の番が来た。
智勇仁、兼ね備えた鬼ヶ島の大将・鬼太郎は、海の遙か沖合を見つめていました。
「来るなら来い。悪の化身、桃太郎め。こちらには、無慮数千という鬼の兵隊が揃っているのだ。二度と立ち上がれなくなるまで、目にもの見せてやる」
沖に一艘の小舟が現れました。桃太郎を先頭に、犬、サル、キジが乗っています。
「馬鹿者め。われら、鬼の勇者の軍団に、そんな動物三匹でかなうと思っているのか」
すると、その後から、新たに加わった家来がやって来るのが見えました。
最新装備を搭載した、ヨンダーバード1号、2号、3号、4号、5号でした。
「桃太郎様、われら、先に参ります」
と、司令機ヨンダーバード1号から桃太郎に連絡が入りました。
「あ、そう?よろしくね
と、桃太郎は自信なさそうに返事をしました。
鬼太郎はうろたえました。
「え、なに、あ、それ全部、あいつの家来・・・?ちょっと待ってよー
あたかも、その鬼太郎の言葉が戦闘開始の合図になったかのようでした。
さて、どうなる、どうなる・・・・・・。
秋の清楚な花の咲く花壇の続く小道を、山田イチロウ、ユリコ夫妻は、校門に向けて歩いていた。
「ダイスケのやつ、下手だったなあ。セリフ棒読みだし。突っ立ってるだけだし
「それに、セリフを覚えていなくてプロンプターに頼りっきりだったしね」
「まあ最後まで舞台に立っていただけ、ほめてやらにゃいかん。俺の倅だし、主役なんかむいてないって、俺が一番よくわかるよ」
「それにしても、戦闘シーン、すごかったわね」
「IYR、小学生相手だってのに、ひとつも手加減しないんだからな」
「体育館の後ろから、まだ煙が上がっているものね」
「ペア夫くん、不死身かもしれん」
「最後まで、走り回っていたように見えたわ。煙の中で、よくわからなかったけど
「俺の見たところでは、少なくとも一発は、ロケット弾が命中して炸裂したんだがな。目の錯覚かな
「あれ、全部実弾?
「まさか・・・とはいえ、父兄席に流れ弾が飛んできて、ひっきりなしに救急車のサイレンが聞こえていたな
「私たち、運がよかったわね
「しかしペア夫くんの両親、すごいよなあ。俺だったら、とっくに、お願いだから息子を劇に出すのはやめてくれって、泣いて頼んでいるところなのになあ」
「どこまでも、人命より見栄なのねえ」
「出世する人は違うよなあ」
「それだけは、あなたが出世しなくて幸せだわ」
あちらこちら崩れた体育館から、ピアノの前奏が聞こえてきた。
続けて、元気で可愛らしい1年生の合唱の声が聞こえてきた。声は、あたりの空気の隅々にまで喜びをみなぎらせ、美しく晴れ渡った秋の空へと昇っていった。
イチロウ、ユリコの夫婦も歩きながら、昔覚えた童謡を口ずさんだ。そして柄にもなく「希望」などと言う言葉が胸に浮かんでくるのを覚えるのだった。
がんばれ!未来を生きる子供達!
(この作品は完全にフィクションであり、実在の人物、団体、山田さん、門須田さん、ペア夫くんとは関係がありません)
社長のショートストーリー『国際山田救助隊2 宇宙の黙示録』(International Yamada Rescue 2 : THE SPACE REVELATIONS)

と、銅鑼声を張り上げたのは、パワハラ課長である。
蜜子というのは、事務のパートタイマーとして入ってきた団蜜子であった。全社をあげてのプロジェクト始動に伴い、急激に事務量が増えたので雇われたのである。
既婚。子供はいない。30代初め。長いまっすぐな黒髪。涼しい目元。上品な仕草の中に自然な媚びがある。はっきり言うと色っぽい。パワハラ課長は、ただちに自分の隣の席を空けさせ、蜜子の席とした。
この蜜子が、なぜかやたらに山田に話しかけたり、お茶を入れてくれたり、仕事のことで質問しに来たりするのである。そのたびにパワハラ課長は、呼び戻し、
「だめよ、山田の近くに寄っちゃ。バカがうつるから。私のそばに来なさい。ここ、ここ
そして蜜子の腰を抱かんばかりにして、
「ふんふん、で、蜜子ちゃん、お酒とか飲むの?なんか、いける口じゃない?蜜子ちゃん、酔ったところ見てみたいな。うふふふふ」
まるで仕事とは関係ない話を始める。挙げ句の果てに、
「ああ、その件ならね、山田に訊きなさい。あいつ、バカだけど、そのことだけは知っているから。ほら、バカのひとつ覚えって言うでしょ。でも、会話は一分以内にね。一分過ぎたら席に戻りなさい」
ところが、蜜子は到底一分では戻ってこない。
「山田さんの教え方は、とてもわかりやすいわ。これからも、お願いしますね。ところで、山田さん、お酒とか飲むの?なんか、いける口じゃない?山田さんが、酔ったところ見てみたいな。うふふふふ」
「僕、酒は弱いんです」
「あら、じゃあ、今度酔わせちゃおう」
それを見る課長の手は震え、目は嫉妬に燃えていた。「こ、殺してやる・・・」
昼休み、蜜子は、とある公園に一人でいた。携帯電話を耳に当てている。
「はい、隊長。潜入に成功しました。第一段階は順調です。すなわち、山田に対するパワハラ課長の嫉妬心は最高度に達しつつあります
「よろしい。引き続き、任務を遂行してくれたまえ
蜜子の通信先は宇宙空間に浮かぶ謎の宇宙人のUFOであった。蜜子との連絡を終えた隊長は隊員に向かって言った。
「諸君、我々は地球時間15年に渡って、この国際山田救助隊(IYR)という謎の組織の偵察を続けてきたが、その正体はついにわからなかった。なぜ、巨額のコストをかけて、イチロウ、ユリコ、ダイスケの山田家を救助し続けるのか。彼らにそれだけの価値があるのか。なぜ、多くの人類がそれに協力しているのか。結局、わからない」
「謎は深まるばかりです」
「うむ。そこで、我々はあらたなステージに立った。直接、山田に働きかけることで、相手の出方を見るのだ」
「つまり、山田に意地悪をするのですね」
「わかりやすく言うと、そうだ。幸い山田には、パワハラ課長という強敵がいる。これを利用して、山田を危機にさらすのだ
「こいつ、パワハラ課長だけじゃなくて、セクハラ課長でもあるみたいです」
「うむ。そこで、秘密兵器・団蜜子を送り込んだというわけだ。我々は今まで消極的に過ぎた。これから山田とIYRに揺さぶりをかけ、正体を我々の前に引きずり出すのだ
「なにせ、今まで15年もじっと見ているだけでしたからね」
パワハラ課長は、その夜、社を出ると、とあるドラッグストアに立ち寄った。
「欲しいものがあるのだが」
「何を差し上げましょう」
「毒薬をくれ」
「どんなのを」
「なんでもいい。ちょっと舐めただけで死ぬぐらいの強いのがいい」
「では、これなんか、お勧めです。一瓶、三千円です」
「ふふふふ、山田。明日がお前の命日だ・・・・・・」
翌日、いつもより早く出社すると、給湯室に入った。
その課では、課長の命令で、毎朝女子社員が、課員全員に茶を入れて配ることになっている。
茶碗のひとつを取り上げると、昨晩買った毒薬を内側にたっぷり塗った。そして、女子社員が間違わないように茶碗の横っ腹にマジックで「ヤマダ」と書いた。そして、内心ワクワクしながらも素知らぬ顔で席に戻り、一番先に配られた自分の茶を飲みながら、山田を注視する。
山田の机にも茶が置かれた。「ども、ありがと」などと言いながら、その目はデスクのPCのモニターに注がれている。
(飲め、早く飲め)
山田が茶碗を取り上げて、口を付けた。途端に、眉間に皺が寄った。課長は、歓喜で飛び上がりそうになる自分を押さえつけながら、なおそちらの方を見つめていた。
次第に山田の顔が険しくなる。
「苦しんでる。明らかに苦しんでいる」
うう、という呻き声が漏れる。頭を抱える。
「いよいよだ」
その時、山田の表情が緩んだ。
「ああ、よかった。また、ミスしちゃったかと思ったけど、そうじゃなかった」
そう言って、穏やかな顔で茶を飲み干した。その瞬間、別の方角から、「うがーっ」という叫び声があがった。同じ課の矢亜田社員だった。彼は苦悶の表情でが何かにすがろうとするように腕を伸ばし、二、三度虚空をつかもうとして息絶えた。
「ちくしょう、失敗か」
課長は、給湯室で茶碗に名前を書いたとき、興奮のあまり手が滑って「ヤマダ」のマの字をアに見えるように書いてしまったのである。
さて、矢亜田社員の死体も取片づけられ、課が平穏を取り戻したとき、課長が山田を呼んで言った。
「山田くん、君は今日、来客があるんだったな」
「はい、10時に(株)デクノボーの方がお見えになります」
「そうか、しっかりやってくれたまえ」
10時少し前、課長は再び給湯室に忍び込んだ
「今度こそ、やってやる」
茶碗の内側にたっぷり毒を塗り込むと、女子社員が間違わないように、漢字で『山田』としっかり書いた。
10時。面談室に来客を通して、型どおりに名刺交換が始まった。
「はじめまして。山田と申します。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。(株)デクノボーの山田と申します」
そこへ女子社員がお茶を運んできた。
「いやあ、同じ苗字とは奇遇ですね」
「案外、ご先祖が同じなのかもしれませんね。ははは」
「ははは、同じ名前同士ということで、よろしくお願いします。まあ、お茶でもどうぞ」
「ありがとうございます・・・・・・ぐわーっ」
来客は、のけぞるように苦しみはじめた。
さて、来客の死体も取片づけられ、社内が平穏を取り戻した午前11時、課長は最上階にある社員食堂の調理室にいた。スープの大鍋の傍らに立つと、例の毒薬を取り出して、ドボドボと注ぎはじめた。調理係が、
「あの、パワハラ課長さん、何をなさるんで・・・・・・」
(注・パワハラ課長の本名は波゜和原というのだった)
「うるさい。これは社長命令だ。社員が健康になる健康食品を入れているのだ。口を出したらクビだぞ・・・・・・山田一人を狙うのは難しい。こうなったら、多少の巻き添えは覚悟で、山田を網にかけるのだ」
12時になった。課長は、広い社員食堂の隅に座って、どきどきしながら待っていた。やがて社員達が賑やかにやってきて、そこここで食事が始まった。数分とたたないうちに、
「ぐわーっ」「ぎゃーっ」「ひえーっ」
あちらこちらから悲鳴が上がり、ばたばたと社員が倒れていった。
「すごい。すごい威力だ。こんなものが街中のドラッグストアで買えるなんて」
課長は興奮して死体の間を走り回った。山田が転がっているのを期待しているのである。だが、彼はいなかった。
「し、しまったー!やつは、毎日弁当を持ってくるのだった」
屍累々の社員食堂を後にすると、課長はエレベーターに向かいながら、
「くそう。毒薬はみな使ってしまった。どうやって、どうやって山田を亡き者にしたらいいのだ」
ぶつぶつひとり言を言いながら、やってきたエレベーターに乗り込んだ。ふと気がつくと、エレベーターの方向を示す矢印が、上に向かっている。
「あ、いけねえ。下に行かなきゃいけないのに、間違ってボタンを押しちまったかな」
下の階のボタンを押したが、点灯しない。相変わらず上向きの矢印が光っているだけである。
「あれ、故障かな。どこでもいいから、早く止まらないかな」
そこで、気がついた。
「あ、社員食堂は最上階の筈なのに、上へ向かっている?ど、どこへ昇っていこうっていうんだ」
課長が乗り込んだのは、エレベーターに偽装された国際山田救助隊の宇宙ロケット『ヨンダーバード3号』の内部だったのである。3号は、やがて成層圏を突破し、宇宙空間に浮かぶステーション『ヨンダーバード5号』にドッキングし、課長はエレベーターの箱のまま5号内部に送り込まれ、箱には「課長在中」という札が貼られて、そのまま放置された。
さて、ここは謎の宇宙人UFOの内部。
「お、恐るべし。国際山田救助隊。我々の切り札とも言うべきパワハラ課長が拉致されてしまった」
「しかし、それ以上に彼らの恐ろしいところは、山田を守ること以外は、何人社員が死のうとも一切、興味を示さないことです」
「だが、まだ打つ手はある。団蜜子を使う。山田を誘惑させて、家庭不和を引き起こしてやるのだ。作戦コードネームは『お色気大作戦』だ」
「まんまじゃないですか」
夕刻、山田は蜜子に屋上に呼び出された。
「団さん、相談事って、なんですか」
蜜子は、しばらくためらうように黙っていたが、やがて決意したように、
「わたし、夫とうまくいっていませんの」
「そ、そんなことを僕に相談・・・?」
「こんなことを話せるのは、山田さんしかいないと思っていました」
そう言いながら身体をすり寄せてきた。まるでわざとのように、胸が山田の腕に押しつけられる。
「山田さん、二人だけで、何処かへ行きましょう」
「いや、そんなこと言われても困るなあ」
「山田さん、私が欲しくない?」
蜜子の指がブラウスのボタンに掛かると、上からひとつ、ふたつと外されていく。
山田は立ち上がると素っ気なく、
「旦那さんとは仲良くした方がいいですよ。僕は、仕事が残っていますので、これで」
立ち去ってしまった。あとに、あっけに取られた蜜子が残された。
「おかしい!」
謎の宇宙人の隊長は叫んだ。
「なぜ、山田は蜜子に誘惑されないんだ。蜜子の造形は、この資料に基づいて作ったはずなのに」
隊長は『山田の好みの女』と名付けられたデータファイルを開いた。そこには、団蜜子そっくりの女性の身体的特徴、仕草、話し方等々の綿密なデータが載っていた。
だが、最後に「資料提供:国際山田救助隊」と記されてあったのに隊長は気づかなかった。
山田は、郊外にあるマンションに帰ってきた。ドアを開けると、不機嫌そうな妻のユリコの声が待っていた。
「遅かったじゃないの。ご飯とっくに冷めちゃったからね。自分で勝手に温めて食べてね」
「ダイスケは」
「とっくに寝ちゃったわよ。あ~あ、あんたが帰ってきたから、やっと本格的に飲むことができるわ」
そういう妻の前のテーブルには、すでに数本のビールの空き缶が転がっていた。さらに、日本酒と焼酎の一升瓶、ウィスキーのボトルを、どんどん音を立てて、酒の飲めない山田が飯を食っている前に並べた。そして、コップに注いでは、片っ端から飲み始めた。
「はあ~、よいっとなあ、ほいほい、あんたもあたしも、ほいほいほっとな」
酔っぱらうと、下品な声を上げて、卑猥な歌を歌いながら踊った。
さんざん大騒ぎした末に、床に転がっていびきをかいて眠ってしまった。
山田は食事を終えて食器を片付けると、いぎたなく寝ている妻を寝室に引きずっていって、布団を掛けてやった。
妻の顔は、団蜜子に生き写しだった。山田は、毎日、会社で蜜子に会うたびに、「はあ~、よいっとなあ、ほいほい、あんたもあたしも、ほいほいほっとな」という妻の歌声を思いだしていたのだった。
(なお、この作品は完全にフィクションであり、実在の団体、人物、山田さんとは一切関係がありません)
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