みなさまと共に歩む…… (*個人的な感想です)

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今日のおさむらいちゃん

おさむらい185
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社長のショートストーリー『笑い声』

社長1 入り日が早くなって、寂しさがつのる秋の黄昏時、突如、笑い声が響くのである。
 あたりは神田のはずれ、武家地と町屋の多いところの境目くらい。
 
とある武士の息子が遊蕩にに身を持ち崩し、そのあげく座敷牢に押し込められ、ついに発狂した。こいつが屋敷の外にまで響くような大声で笑うのだ。
 ・・・という話がまことしやかにされているが、単なる噂である。誰も確かめた者はいない。だが、いかにも本当のことのように色々尾ひれがついて噂された。最後は腹を切らされたが、嫌がって暴れたので父親による手打ち同然の切腹であった、という見てきたような嘘までくっついた。

 笑うのは男ではない、女だ、という話もあった。
 さる大名屋敷に奉公している上品な女が、辺りが暗くなり始める頃、裏口からそっと抜け出て、大きな口を開けて笑うのだ、という。
 息が詰まるようなお屋敷勤めだから、そうやって憂さを晴らしているのだ、というのだが、その口の開け方が尋常ではない。額の生え際から喉元まで、まるで顔全体が口になってしまったかのように、大きいのだそうだ。べろんと出た舌は座布団のようで、歯は獅子舞の頭のようだという。
その大名屋敷の名前まで○○様と具体的に上がっているという念の入った噂話であるが、その出所を根問いしていくと、すかしっ屁のように消えてしまう。

笑い声に笑われた、という話もある。
とある武家で、筋骨たくましく、剣の方も相当腕が立つという人だそうな。(これまた、某家の某だとか某々家の某々だ、などと名前が挙がることもある。だが、実在の人物では無いようである)
こういう御仁が笑われるのだから、たまったものではない。
「なにものだ。物陰から笑うとは卑怯なやつ。正々堂々と尋常に勝負せい」
すでに刀の鯉口を切っている。武士が笑われたとなれば、問答無用で斬り合いにならざるを得ない。
油断なく構えて、笑い声の聞こえてきた方を睨みつけていたが、誰も出てこない。気配さえない。
聞き違いかとも思ったが、あんな大きな声を、と思うと合点がいかない。仕方なしに構えを崩して歩き出す。するとまた、
「あははははは」
今度は間違いない。それもすぐ後ろだ。
彼は振り向きざま、刀を抜いた。そこに人間がいれば、首か腕が飛んでいただろう。
 だが、誰もいなかった。薄暗がりの中で、向こうの板塀の下の方で、何かがちらりと動いたようだった。
 駆け寄ってみると、何のことはない、白い小さな子猫が塀の破れ目から向こう側へ隠れたところだった。
「なんだ、猫か」
 猫なら仕方がない、と、刀を収めて、そのまま屋敷へ戻った。
 このことは誰にも言わずにおこうと思った。武士ともあろう者が、小猫相手に大声を挙げたとあっては面体に関わる。
 その晩、彼は高熱を発して倒れた。小猫が人間のような大きな声で笑ったことの怪に、ようやく気付いたのである。
 苦しい熱の下で、だいぶうわごとを言ったらしい。おかげで、笑い声の一件が人に知られるようになってしまった。
 ・・・ということなのだが、これまた、誰やら、もしくは複数の誰かさん達の想像力の産物にすぎない。

 こう、噂が噂を呼ぶようなことになると、必ずおっちょこちょいが出てくる。
「俺が、その正体を突き止めてやろう」
 その笑い声なるものが本当にあるのかどうかも曖昧なのだから、正体も何もあったものではないが、物好きというやつは、どうしたって出てくる。必ず出てくる。
 とある長屋の若い者、八五郎と熊五郎ということにしておこう、この二人が、
「誰かのいたずらに違えねえ。とっ捕まえてやろう

「化け物だって噂もあるぜ」

「化け物なら、なおさらいいや。浅草の奥山の見世物に売り飛ばしてやろう」
 というわけで、連れ立ってその「現場」と目される付近へ出かけていったのである。
 もちろん、明るいうちは何もない。だが、秋の日はつるべ落とし、ちょっと離れたところの人の顔なんぞは、だいぶぼんやりしてくる、といった時分、
「あははははは」
 大人とも子供とも男とも女ともつかない異様な声が聞こえてきた。
 八っつあん、熊さん、顔を見合わせたが、
「あっちだぜ」
 木立に囲まれて小さな社がある。どうも、その裏手あたりのように思える。社を回って、後ろの木立の間を窺ったところ、
「あははははは」
 また、笑い声が響いた。もう少し向こうだ。意外に、この木立は深いものらしい。
「おい、行ってみようぜ」
 と、八っつあんが熊さんを振り向くと様子がおかしい。顔色が変わっているようだ。
「おい、熊公、どうしたい」
「ぞっとした」
「なんでえ、だらしねえ。たかが笑い声じゃねえか」
「おい、八、おらあ帰るぜ」
 声が震えている。
「なんだよ。もう少しじゃねえか、何をびくついているんだい」
 八っつあんが引き留めようとするのだが、どうしても熊五郎は帰ると言って聞かない。
「へっ、帰れ帰れ、弱虫め。俺ひとりでたくさんだ。おめえなんざ、いたって足手まといってやつだ。だが、もう俺の前では偉そうな口を聞くんじゃねえぞ」
 熊五郎が行ってしまった途端、
「あははははは」
 今度は、八五郎もぞおっとした。一人になってしまったからだろうか。
 だが、熊さんにああ言ってしまった手前、ここで逃げ出すというのも、決まりが悪い。
 恐れと見栄でどっちつかずになっていたところ、
「おや」
 木立の奥で、何かがちらと動いた。もうだいぶ暗いというのに、不思議と夜目が利く。
 八っつあんは重い足を引きずるようにして、そちらの方へ行ってみることにした。
(笑うなよ、もう、笑うなよ)
 勇気は完全に挫けてしまっている。内心行くのがイヤなのに、そっちの方へ足が動く。何をしに来たのか、わからない。怪の正体を突き止めたいのか、突き止めたくないのか、わからない。
 できれば、すぐに帰りたい。だが、それでは熊公の手前が悪いから、どこかで時間を潰して、遅くなってから帰ろうか。なにか化け物に関する武勇譚をこしらえあげて、すんでのところで、惜しくもやつを取り逃がした、とかなんとか言うことにしておこう。
 そんなことを考えながら、なぜか不思議なことに足は声の聞こえた方へ動いて行ってしまうのである。

「あははははは」
 怖いと思いながら、気持ちとは逆の方へむかってしまう、そんなことをもう何度も繰り返していた。八っつあんは、くたびれきっていた。もう休もう、もう帰ってしまおう、そう思うたびに、
「あははははは」
 なにか笑い声に引きずり回されているようだ。もうどれくらいの時間、こんなことをしているのだろう。いずれ夜が明けてしまうのではないか。
 だいたい、こんなに長い間、彷徨い続けているなんて、どんなに広い森なんだ。そんなものが、江戸市中にあったのか。それとも、同じところをぐるぐる回っているのか。
 だんだん、考える力もなくなってきた。足なんぞは、くたびれきっている上に木の枝や何かで、あちこち引っ掻き傷ができて、つらくて仕方がない。
「おや」
 木の根元に、なにか小さいものが、小猫程度の大きさのものがうずくまっているように、ぼんやりと見えた。
 たしか、噂話の一つでは、小猫が笑ったことになっていたなあ、と濁った頭で思いだしていた。今、足下に見えるのが、それだろうか。笑う小猫なのだろうか。
(笑わんでくれ。俺がここにいる間は笑うのは止しにしてくれ)
 もう完全に混乱している。自分で自分をうまく動かせなくなっている。考えも振る舞いも、ごちゃごちゃになっている。
「あはははは」
 その小さなものが、びっくりするような大きな声で笑った。
 八っつあんは思わず尻餅をついてしまった。その小さなものが目の前に来た。
 すっと辺りが明るくなった。木立の中に、日が差し込んできた。夜が明けてしまったのだ。ついに八っつあんは夜通し、笑い声に馬鹿にされながらうろうろしていたことになる。
 小さなものも光の下ではっきり見えた。
 細い糸のような垂れ目。ぷっくりとした頬。丸い腹。何だか、浴衣のような粗末な着物。そして、傍らの大きな袋に寄っかかって座っている。口は、今にも笑い出しそうに、開けられている。
「なんのことはねえ。こりゃ、布袋さんの泥人形じゃねえか」

 長屋では、大家が苦虫を噛みつぶしたような顔で、熊公の話を聞いていた。いや、話を聞いていなくたって、この大家はいつだって渋面を作っているやかまし屋の因業大家で、一年中にこりともしないのだが、今日の顔は、ことさらにひどい。
「まったく、馬鹿なやつらだ」
 夕べ熊公と一緒に笑い声の怪の正体を突き止めに行った八五郎が、夜が明けても帰ってこないのである。
「何か、あったんじゃねえかな」
 心配そうに言う熊五郎に、
「そんな下らねえ噂話の正体を確かめに行こうなんて料簡を起こすからだ。おかげで、こっちまで厄介ごとに巻き込まれかねねえ」
 長屋から行方不明者が出たとあれば、町役人である大家にも関わりが出来ざるを得ない。
それが、大家の苦虫の主要原因である。
そこへ、ふらふらと八五郎が帰ってきた。くたびれた顔をして、体中、木の葉やら小枝やらで、蓑虫みたいな姿である。ふところが膨らんでいる。何か入れているようである。
「おい、八。一晩中、何やってやがったんだい」
「ひい。笑い声の正体をな、とっ捕まえたぜ」
 そう言って、ふところから出したのが布袋様の人形である。
「こいつだ。こいつが笑っていやがったんだ」
 そこへ、大家の一喝が飛んだ。
「この馬鹿野郎。何をふざけていやがる。こんな人形が笑うなんて、嘘もたいがいにしろ」
「い、いや、大家さん、嘘じゃねえ。本当なんで」
 その時、布袋さんの細い細い目がちらと開かれた。かと思うと、八っつあんの手のなから、ぴょーんと飛んだ。そして、すぽりと大家の口の中に入ってしまった。
八五郎も熊五郎も我が目を疑った。小猫大とはいえ、そんなものが簡単に人間の口にとは思えない。だが、確かに大きくなった大家の口から、布袋の足が二本、にゅっと覗いてばたばたしている。
大家は、むうむうという唸り声を上げて苦しんでいたが、やがて布袋の足はその喉の奥に消えてしまった。すると早速、
「あははははは」
渋い顔のままの大家の口の中から、大きな笑い声が聞こえてきた。
「あははははは」
笑い声はなかなか止まらない。そのうち、熊の胆でも舐めたような大家の口元も緩んできた。笑いというのは伝染するらしい。
「あははははは」
涙を流して笑い始めた。もはや、布袋様が笑っているのか大家が笑っているのか、わからなくなってしまった。
長屋中のものが、あの因業が笑うとは珍しいこともあるもんだというので見物にやって来たが、こちらにも笑いが伝染して、その日一日、長屋一同、笑いに笑って過ごしたそうである。

・・・・・・というのも、微に入り細に入り、念の入った話だが、やはり噂話のひとつに過ぎず、どこの長屋のことか、確かめたものはいない。


今日のおさむらいちゃん

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社長のショートストーリー『遊園地の王国・クジラの旅人シリーズ3』

社長1  旅人の頭の上には、相変わらずクジラが遊弋していた。
 だが、地上の風景は次第に変化していった。歩くにつれて、高い木が少なくなり、低い木もなくなっていき、灌木も希になり、草ばかりになったと思ったら、その緑もなくなっていった。
 風が吹くと砂埃が舞い上がり、顔にぱちぱち当たって舌がざらついた。いつまでも口の中に砂が残っているようで、何度も唾を吐いた。
 こんな地方を旅したことがあっただろうか。
 見渡す限り赤茶けた大地だった。はたしてこの先に宿があるのだろうか。それとも、この吹きっさらしの大地に野宿しなければならないのだろうか。
 心細くなって空を見上げるとクジラは消えていた。薄情なやつだ。

 遠くに何か見えてきた。平べったい台のように見える。それでも、旅人の心ははやった。まわりに何も見えず、自分がどこにいるのか、自分がどこへ向かっているのかの手掛かりがまるでないのは不安である。早くあそこへたどり着きたい。
 近づいていくと、その平べったいものは、意外にも大きなものだった。
 石で組み上げられた城壁のように見えた。この石の壁で囲まれた空間は相当に広そうだが、中には何があるのだろう。一個の都市になっているのだろうか。
 城壁の真ん中にアーチ型にくり抜かれた入り口があった。そこからちらちらと覗ける内部には、賑やかな色彩が動き回ったりうずくまったりしているようだった。
 入り口にたどり着いて、アーチの上を見上げると大きな額が掛かっていた。
 「王国」と書いてあった。
 入り口の前に男がひとり、棒を地面に突っ立てていた。門番だろうか。頭には兜、胸には胸当てをしている。
 よく見ると、兜は鍋を被っているのだった。胸当てはボール紙だ。棒も武器ではなく、地面に打ち込んであって、男はよろけないようにつかまっているだけのようだ。
 遊んでいるのだろうか。
 これが王国なら、ここは国境ということになる。あの鳩時計男が言っていたのはこれなのだろうか。
「入っていいですか」
 聞いてみると、男はそっぽを向いてしまった。なぜか涙を流していた。
 旅人は、そのままアーチをくぐったが、何も咎められなかった。

 警官のような帽子を被った男が近づいていた。無表情、というより、やや不愉快そうだった。やはり、何か咎められるのだろうか。
「チケットを買いなさい」
「ここは何ですか」
「ここは王国です。我が王国は、遊園地を主要産業とし、国土のほとんどは遊園地に覆われています。あなたも我が王国に来たからにはチケットを買わねばなりません。チケットを買えば、全ての遊具を利用することができます。さもなければ、不法侵入者として逮捕します」
 そういえば、あたりにうごめいている物は、何なのかよくわからないが、遊具にも見える。しかし、不法侵入というのは穏やかではない。
「我が王国には、国王、従業員、客からなる厳格な階級制度があります」
「客が一番下なのですか」
「そうです。チケットを買えというのは、従業員階級に属する私から、最下層の客階級であるあなたへの命令です。命令に服しなさい。そして、楽しみなさい。楽しめというのも命令です」
 チケットを買うと、旅人は別の男のところへ連れて行かれた。髭剃りあとの濃い、いかつい顔をした男だった。従業員は、みな、深緑の制服と帽子を被ることになっているようだった。
 今度の男の胸には「案内係」というネームプレートが付けられていた。ぎょろりとした目で旅人を睨むと、
「貴様が客か」
 と怒鳴るように言った。
「客であれば、吾輩の案内の下に行動し楽しむように。勝手な振る舞いは許さん」
 しばらく旅人の顔を覗き込んでいたが、やや怒気が顔に表れた。
「返事は?」
「は、はい」
 最初に旅人が連れて行かれたのは、台の上に乗ったオレンジ色と青と金色と灰色に塗られた、大きな魚のようでもあり、樹木のようでもあり、ドアノブのようでもある物の前だった。
 案内係に促されて、その前にあるボタンを押すと、それは台の上を1メートルほど右へがくがくと動き、また左に戻ってきた。それを何回か繰り返して、止まった。
「これは何ですか」
「これは、『左右に動くもの』だ。楽しいか?楽しいな?では次」
 次は、丸いカタパルトと安全ピンとサーチライトに似たもので、ボタンを押すと上下に動いた。
「これは『上下に動くもの』だ」
 その後、『回転するもの』『ねじれるもの』『光るもの』『存在するもの』『存在しないもの』『現れるもの』『消えるもの』を立て続けに案内された。
 ひとつごとに、案内係は「楽しいな?」と恐ろしい顔をして訊くのだった。旅人は力なく頷いたが、だんだん苦しくなってきた。

「よろしい。では次は見世物だ。この小屋に入れ」
 入ると、学校の教室くらいな広さの部屋が土間になっていて、中央に棒が立っていた。中ほどに板きれが打ち付けてあって、『見世物』と書いてあった。
「この棒は、我が国に無断で侵入してきて、しかも従業員の指示に従わなかったので、こうして晒し者にされている。貴様も反抗したら、こういう目に合うのだ。わかったな」
 旅人が頷くと、満足げに
「この見世物は、楽しい上に教育的な効果もあるのだ。特に貴様のような新入りの客には、刑罰の恐ろしさを徹底的に叩き込む必要がある。教育とは恐怖のことだ

 と言いながら、小屋を出た。旅人も後についていきながら、
(しかし、リピーターでない限り客というのは皆、新入りに決まっているのではないか)
 と思い、この先何が待っているのか不安になった。

「次の見世物だ。これは今日入ってきたものだ」
 今度は、中でサーカスでもやりそうな大きなテントだった。
 入ると大きなものがうずくまっていた。黒い巨人が膝を抱いて泣いているようだった。大きな目がひとつあって、確かに涙を流していた。
 目が馴れてくると、それがクジラであることがわかった。いつも頭の上を飛んでいるあいつだ。クジラも色々いるのだろうが、こんなところにいるのは、あいつ以外には考えにくい。それがここに鎖で繋がれているのだ。
「こいつは今日、上空から無断で侵入してきた。我が王国の建国以来、かつてないことだ。いずれ我らが国王陛下からなんらかのお言葉があるまで、見世物として留置しておく」
「助けてやることはできないでしょうか」
「なに?」
「解放してやることはできないでしょうか」
「助ける?解放する?何のことだ?そんな言葉は知らないぞ」
 この国には、助けるとか解放するとかいう言葉が無いらしい。
いつから、どういうわけで一緒に旅を続けることになったのか思い出せないし、このクジラのことを好きなのか嫌いなのかもわからない。しかし、棒に比べれば遙かに助けるに値すると思う。
「王様に会わせていただけないでしょうか」
「我が国王陛下に会いたい?」
「会って解放してもらえるようにお願いしたいんです」
「なんのことかわからんが、いずれにせよ順路から言うと、次は国王陛下の謁見ということになっておる」

 クジラのテントを出た二人は、となりの掘っ立て小屋の前に来た。その入り口には乱暴な字で「王」と書かれた板が打ち付けられていた。
 中へ入ると、薄暗い部屋で、やせさらばえた白髭の老人が向こうの壁にもたれて裸のコンクリートの上に座り込んでいた。頭に王冠を被り、マントを羽織っていたが、その下はパンツ一丁の裸だった。足下には空の皿が転がっていた。
「国王陛下、客でございます」
 王は動かない。
案内係はじっと様子を窺っていたが駆け寄ると、手首に触れて脈を診ているようだった。そして、
「死んでいる」
 と呟き、小屋の外へ駆け出て、
「みんな集まれ。王が死んでいるぞ」
 と大声で怒鳴った。
 あちこちから従業員達が集まって来た。
 案内係は、その中の「飼育係」というプレートを胸に付けた男の胸ぐらをつかむと、頬桁をぶん殴った。飼育係は、何の抵抗もせずに倒れた。酔っているようだった。
「この野郎、また餌をやり忘れやがったな」
 飼育係は殴られた顔を撫でながら小狡そうに笑うと酒臭い息で、
「一週間くらい大丈夫だと思ったんだ」
「忘れたんじゃなくって故意だというのか。また、酔っぱらって寝ていたんだな・・・・・・おい、みんな、こいつは王殺しだぞ」
「王殺しだ、王殺しだ」
「王殺しには、それなりの罰を与えなくてはならん」
「見世物にしよう」
「見世物だ、見世物だ」
「いや、それよりも、一番面倒な仕事を押しつけた方がいいな」
「なんだ、それは」
「飼育係だ」
「そうだ、飼育係だ。こいつに飼育係の刑を科すことにしよう」
 王殺しに対する罰というから、どんなことになるのかと旅人は思っていたが、結局、何もないのと同然のことになってしまった。

 王の死体はどこかへ運ばれていった。「さて、王殺しの処置は済んだが・・・・・・」
「王がいなくなってしまった・・・・・・」
「王国に王がいなくていいものだろうか」
「それはいかん。王国ではなくなってしまう」
「王位の継承者は?」
「わからん。王には子供がいない。他所の国から養子を迎えようにも、周囲にどんな国があるのか、わからん」
「今までの王はどうやって選ばれたのだ?」
「確か、金を払わずに侵入してきたやつを王ということにしたんじゃなかったっけ」
「今、不法侵入者は?」
「いない。客がひとりいるが、やつはチケットを買ってしまった」
 従業員達は、急に名状しがたい不安に襲われ始めたようだった。皆、怒鳴るように口々に何か言い始めた。それは、何かを提案したり議論したりと言うより、ただ単に自分の不安を叫んでいるだけのようだった。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう」
 この混乱に旅人はいつまでも付き合っているわけにはいかなかった。これでは「王国」から出て行けないし、旅を続けられない。クジラを救うこともできない。

 旅人は思いきってひと芝居打つことにした。小屋の前にあった台を持ってくると、その上に乗って、できるだけ大きな威厳ありげな声を出した。
「臣民どもよ、静まれ。新国王陛下はあそこにおられるではないか

 従業員達は水を浴びせられたような顔をして静まりかえった。
「あのテントの中、あそこにお前らが恐れ多くも幽閉したお方が国王陛下である。なぜなら、そのお方は前国王と同じくチケットをお買いになっていないからだ

 従業員達は、身体を震わせながらざわざわし始めた。不意打ちを食らって、動揺しているようだった。旅人は、さらに畳みかけた。
「王を繋いである鎖をはずせ。はずせば、前国王、新国王に対する様々な無礼は許してやる」
「カギは飼育係が持っている」
 旅人は、飼育係から鍵を取り上げ、テントの中のクジラの鎖をはずしてやった。
「臣民どもよ、王のお出ましである。ひれ伏せ」
 従業員達は、なんだかわからぬままに土下座をして地面に頭をこすりつけた。
 テントの屋根がクジラ型に膨らんだ。と思うや、それを突き破って大空に舞い上がった。
「あ、王が」
「王様が行ってしまう」
 再び王を失った従業員の中から、今度は怒号が上がった。彼らは、今度は旅人に迫ってきた。
「一日のうちに二度も王を失ってしまった。こうなったら、こいつを引っ捕らえて王にしよう」
「絶対逃がすな。小屋に入れて厳重に鍵を掛けるのだ。そして、飼育係をぶん殴ってでも、餌やりをさせるようにするのだ」
 どうやら、別の人物を飼育係に任命する気はないようだった。
 旅人は逃げ出した。いったい連中が王というものをどのように考えているのか、さっぱりわからない。いや、よく考えたことがないのかもしれない。その場その場で、いい加減に考えているだけなのかもしれない。

 後ろから従業員達が追いかけてきた。もっとも走ったり追いかけたりということに慣れていないらしく、隣にいるやつを捕まえたり、後ろ向きに走って転んだり、右足と左足を同時に出して転んだりしていた。
 旅人も走ることになれていないのは同じだった。ちょうどそこへ走ってきた遊具のひとつ『こっちからあっちへ移動するもの』(空き箱に蝶結びにした王様をくっつけたような形)につまづいて転んでしまった。
 じわじわと追っ手が近づいてきた。『こっちからあっちへ移動するもの』にぶつかった足が痛んだ。なんとかよろよろと立ち上がり、足を引きずりながら出口の方へ向かう。
 その時、空が暗くなった。大きな雲が下りてきたかと思うと、旅人を乗せて再び上空へ舞い上がった。
 雲はクジラだった。

 王国は、一日に三度、国王を失った。
 従業員達は、茫然自失の体であったが、そのうち、一人がいいことを思いついた。
 やはり不法侵入で見世物になっている棒である。こいつなら、逃げ出すこともないし、餌をやらなかったからといって死ぬこともない。
 こうして、遊園地は棒を王として戴いて営業を続けたが、その後、砂嵐がひどくなって、この王国に近づく客もいなくなったということだ。

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おさむらい180

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おさむらい179

社長のショートストーリー『鳩時計男の上昇と下降(クジラの旅人シリーズ2)』

社長1 旅人の頭の上をクジラの大群が越えていく。旅人と同じ方向を目指しているのだろうか。
いや、俺はどこを目指して旅しているのかな。旅人は自問した。
だが、すぐに「やめておこう」と気を変えた。
ひとつ自問するや否や、「なぜ?」「なぜひとりで?」等々、自分で背負いきれないほどの自問の山が覆い被さってくるのがわかっているからだ。
クジラの大群と見えたのは雲だった。いわし雲。あるいはクジラ雲。
雲は刻々かたちを変えた。
だが、ひとつだけ変わらないのがあった。本物のクジラだった。いつも旅人と一緒に、ふわふわ空を飛んでいくんだっけ。
あのクジラは、いつから俺と一緒に旅を続けているんだっけ。
と、自問した旅人はすぐに「やめておこう」と頭を振った。
ひとつ自問するや否や、WHY、WHERE、HOW・・・5W1Hどころではない、50W10Hくらいの問が自分から自分めがけて飛んでくるのはわかっている。

50W10Hから逃げようとへとへとになって歩いているうちに、次の村の宿屋に着いた。
この地方の宿屋は、どこも同じようなものだ。階下に食堂兼酒場になって、旅行者だけではなく、村の酔っ払いどもにも飲食を提供している。
二階が客室で、旅人が泊まるのはベッドがあるだけの狭っ苦しい部屋だ。見晴らしのいい箇所には金回りのいい連中向けの部屋がある。どんな造りになっているのか、旅人は泊まったことがないから知らない。よく陽気に酔っぱらった男が女を連れて階段を上がってきて、その部屋の方へ向かう廊下の物音が聞こえるが、まあ、そういうことをするための造りになっているのだろう。

旅人は荷物を部屋に置くと、階下に下りて酒を注文した。
とある草原に生えている草を乾燥させたものをパイプに詰め、火を点ける。酒のグラスが運ばれてくる。結局、この一瞬のために、自分は来る日も来る日も報われない旅を続けているのかもしれない。
グラスの縁に口を付ける。冷たいガラスが唇に触れる。鼻は、早くも豚みたいに伸びてグラスの中の香りを貪っている。
「ぶーっ」
旅人は今日一日の意味であり、報酬である一口の酒を吐き出してしまった。
妙なものが目に入ったのである。改めて、あたりを静かに見回してみると、視線は再び旅人の心を騒がせるものを捕らえた。ある男だった。
あまり他人の外貌について云々することは、往々にして、下品でもあり、非倫理的でもあると思っているのだが・・・。
 遠慮がちに描写するならば、その男の顔の真ん中には、大きなアヒルのような口嘴が屹立していた。
なぜ、どのようにして・・・再び旅人の頭に5W1Hが殺到しそうになっていると、自分に向けられた視線は、すぐには釈放してやるわけにはいかない、といわんばかりの表情を浮かべ(口嘴の端に、そんな感じが現れた)、大きなずだ袋を持って、立ち上がった。
そして奥へ口嘴をいや、顔を向けると、よく通る、しかしいささか押しつけがましい声で、
「このお客さんに、おなじものをもう一杯。私のせいで酒を無駄にさせてしまったようだからね」
そして、旅人の懸念した如く、こちらのテーブルに来て、腰を掛け、足下にそのずだ袋をどさりと置いた。
「わかってますよ、旅のお方。なぜ、あなたが酒を吹き出したかって。これでしょう?(と、男は口嘴を撫でた)確かにね、ちょっとばかり変わっている。まあ、これについてはひとくさりの物語がある。
さ、あなたの酒が来ました。今日は、私が奢りますよ。ま、乾杯。あなたと私が出会った偶然への。いや、運命への」
旅人は、あまり乾杯したくなかった。
「さて、話は私の幼少時にさかのぼりますよ(そんな昔の話から始まるのか、と旅人は青ざめた)」

「両親は、俺を大事にしてくれましたよ」
 と彼はしみじみ言った。
「なにせ、俺は生まれたときは一個の砂時計に過ぎなかったからね」
 旅人は、砂時計?と自問した。5W1Hよりも、強力な問いだったかもしれない。頭の中で、なにか割れる音がした。
「自分で時を刻むこともできない。誰かが気まぐれにひっくり返してくれるまでは、時計じゃなくて、単なる置物さ。
 何度も繰り返しひっくり返されていると、今度は自分でも、どちらが頭でどちらが足だかわからなくなる。気がついてみると、足でものを考えていた、などということも、たびたびだ。
何の因果でそんな風に生まれついたのかわからない。物心ついたときは、すでに砂時計だったんだから、心細い子供時代だったよ。

 親父は腕のよい時計職人で、両親で町の一等地に時計屋を開業していた。町中の名士が時計を注文したり、修理を頼んだりした。市役所と学校の時計台の調整も引き受けていた。
俺は小さい頃から元気がなくて、泣いてばかりいたんで、親父とお袋も心配だったんだろうな。ある誕生日に、歯車やクランク、ゼンマイ、針、そしてぴかぴか光るボディーをプレゼントしてくれた。親父が腕を振るってくれて、俺は立派な懐中時計に姿を変えたのさ。
 
 懐中時計になった俺は、市会議員をやっている伯父さんのお気に入りとなって、しょっちゅう、あちこちへ連れ回された。おかげで市役所や議会場にもよく出入りしたし、お偉方の顔を拝むこともできた。
そのまま伯父さんの懐中時計として生きてもよかったんだが、俺はもっと強くなって自分の力を試したくなった。たぶん、砂時計から懐中時計になることで、眠っていた野心が目覚めたんだ。父さんに頼んで、目覚まし時計に改造してもらった。時が来ればベルも鳴るし、日付や曜日も表示できるんだ。俺の声は、よく通ったし人びとを快活にさせることができたと思うよ。
 まずは、ある会社のメッセンジャーボーイとして働き始めた。部門間のメッセージや郵便物、書類などを届ける役だ。俺の仕事は正確きわまりなかった。遅れるなんてことは、一回もなかった。まるで会社全体が俺を中心として、俺に合わせて動いているようだった。
 そのうちメッセンジャーボーイから大抜擢されて、副工場長になった。時間に正確な上に、鳴り響くベルが人びとの動きに弾みをつけることが評価されたんだ。
まだ少年の俺を、と危ぶむ声も無くはなかったが、工場の生産性はぐっと上がったさ。かつてないほどの成績を上げた。ボーナスもたんまりもらった。そのまま会社で出世の階段を上がってもよかったんだが、自信を得た俺には、むくむくと独立心が生まれてきた。それに、会社には俺の顔の長針と短針の髭を見て笑うやつや、若いのに生意気だと陰口をきくやつもいたしな。
 そこでバイクを何台か買い入れると、バイク便の会社を始めた。
もちろん、会社の売りは時間の正確さだ。なんせ、時間と共に生きている時計の俺が経営しているんだからな。お客に届ける時間は何時何分何秒まで指定できた。ばっちりだ。なに、遅れそうになったら、ちょっと時間と話をつけて、そのお客の所だけ、少々遅く流れてもらえばいいのさ。もちろん、礼はたんまりはずむ。時間と時計はWin-Winの関係じゃないといけねえ。そこんとこをわかっていないで、時間に引きずり回されてる時計が多いんだ。馬鹿なやつらさ。
 会社は順調すぎるほど順調。他社の買収を重ね、瞬く間に大企業へと発展していったよ。
ライバルの会社を蹴落とすのはわけはない。時間にちょいと握らせて、そこの時間だけ早く流れてもらうのだ。やつらは遅配の続出だ。そこで評判が落ちたところを、正確で鳴らしている我が社が買収する。再び正確無比となる。ウチの評価は高まり規模は大きくなる。俺の経営者としての名も上がる。
 富も地位も手に入れた俺は、次に愛を手に入れる。各界の著名人が出席した盛大な結婚式。
 相手はオルゴールだった。その愛らしい歌声。しかも、さらに魅力的なことは、何回演奏しても、正確に間違えなくメロディーを奏でるところだ。ゼンマイが切れかかると、甘えたようにゆっくりとなるところも可愛い。
 もはや、手に入れられるものはすべて手に入れてしまったように思えた・・・。

いや、まだだ。それどころか、一番肝心なものが手に入っていない。人間の身体だ。どんなに金を儲けても、会社を大きくしても、でかい家に住んでも、人間の奴らは密かに俺を馬鹿にしている。そのお追従笑い、揉み手、歯の浮くようなお世辞、その裏で、『なんだかんだ言っても、所詮は時計じゃないか』と舌を出しているのが透けて見える。どうせ、俺じゃなくて金にたかってくるアリみたいな奴らだからな。
 俺は、金に飽かせて最高級の身体のパーツを集め始めた。
 カルティエの心臓、サンローランの肝臓、グッチの腎臓、ジバンシーの肺、アルマーニの膵臓、セリーヌの十二指腸、ヴィトンの小腸、ブルガリの大腸、スヴァロフスキーの直腸、エルメスの肛門、プラダの膀胱、頭蓋骨はとある日本の名陶工に頼み、大静脈と大動脈はミラノに特注した。脊椎を形成するひとつひとつの骨には大粒のダイヤモンドが埋め込まれた。
チンチンと金玉は、特に張り込んだ。小さな国の国家予算規模といっていいな。誰に作らせたかは秘密だ。世界経済を指先で動かす某投資家も、そいつに作らせたらしい。
 最高のパーツばかり集めて作られた俺の身体は、当然、最高の美貌を誇ることになる。
 ところが、その頃から心境が変化し始めた。
最高の女だと信じて疑わなかったオルゴールが、つまらない女に見え始めてなあ。歌うことしかできないし、それも毎回同じチンケな歌だ。外を見れば、世の中にはヨダレの垂れるようないい女がごまんといるじゃねえか。
 彼女との間には協議離婚が成立。そしてプレイボーイとして社交界に名を馳せることになるが、そのうち、ある一人の女に首ったけになる。
いや、顔が美しいのボディが素晴らしいのという女だったら、いくらもいるさ。
でも、何というか、あの女はたっぷりしているんだ。濃厚で甘ったるくてミルクみたいだ。それでいて、お洒落で適度に下品だ。
 マレーネといった。俺は、彼女に溺れていった。マンションでも車でも宝石でも現金でも、何でも与えた。
もっと人間らしく生きたかったんだ。以前は、正確正確って、そればかり気にしていたけれど、俺はもう時計じゃないんだ。俺は人間なんだよ、人間。それを俺自身に証明したかったんだ。あの女、あれこそが人間だと思った。時計でもオルゴールでもない、海から生まれたばかりの人間の女だよ。
 俺は事業を整理した。会社をすべて売り払った。金は有り余るほどあった。いささか長い余生を、マレーネとの結婚にすべてを賭けて生きようと決心した。

 そこへ、あの事故が起こった。高速道路をバイクでぶっ飛ばしていた時だ。俺はカーブの側壁にバイクごと激突した。
 サンローランの肝臓もグッチの腎臓もぐちゃぐちゃだった。かろうじて残っていたのは「命」だけだった。特殊な容器に入れられた俺の「命」は、ただちに非合法医療の専門家ジャック氏の秘密病院に運ばれた。再び美形パーツの収集が企てられたが、ジャック氏の診断は、
「それは、いけない。衝突のショックで『命』の質が変わってしまって、美形に拒否反応がおこる可能性が高い(以下、この現象に関する極めて高度で専門的な説明が続いたが、省略)」
 ジャック氏の「神の手」と呼ばれる、ぎりぎりの綱渡りのような手術によって俺は身体を取り戻した。
だが、許せないのは、この顔だ。なんで、真ん中にアヒルみたいな口口嘴がついているんだ。おまけに腹には鳩時計が埋め込まれていた。時が来ると、「ポッポ」と声を上げながら機械仕掛けの鳩が出てくる。ジャック氏によれば、こうするしか俺の命を救う方法はないのだそうだ。

 退院してみると、マレーネは居なくなっていた。
 というより、俺の方が居なくなっていたというべきだろうか。いつの間にか、彼女との間にはなぜか離婚が成立しており、すべての財産は慰謝料として彼女のものになっていた。
 俺の手元には、がらくたの入った大きなずだ袋がひとつ、残されただけだった。
 袋にはマレーネからの最後の手紙がついていた。
「燃えないゴミの日に出しておいてね。M
・・・・・・

旅人は呆然とした。これだけ長々とした話を一気にしゃべりきるアヒルの口がぱたぱたと上下動しているのを見ていると、自分の目の方が話に出てきた懐中時計の歯車になってしまうようだった。
語ることなど何も持たない旅人に比べて、いくら語っても飽きることがないようだった。彼の話していることは全部本当のことなのだろうかと疑いたくなった。だが、その顔の真ん中にアヒルの口が堂々と構えていることだけは疑いようがない。
ポッポ、ポッポ・・・・・・
突然、男の胸が開いて、中から機械仕掛けの鳩が飛び出して時を告げた。旅人は、ひっくり返ってしまった。
よく見ると、セーターを着た胸に見えたのは、木でできていて、その上に毛糸の布を貼り付けてあるのだった。
「これが、マレーネの置いていった袋ですよ」
「ゴミに出したのじゃないんですか」
「惚れ込んだ女がただひとつ置いていったものだ。簡単に捨てられるものか。それにね、中を見ると、いろんなガラクタに混じって、金貨が三十枚入っていた」
「金貨がゴミ?」
「ゴミかどうかの基準は、彼女がゴミだと思ったかどうかだ。全く同じような金貨でも、その時彼女が気にくわないと思えばゴミなんだ。そういう女なんだ。だが、おかげで俺はこうやって旅をしている」
「あなたも旅を」
「俺は国境に行く」
「国境?国境って、どこにあるんですか」
「俺も知らない。国境では戦争をやっているという噂もあれば、交易をやっているという話もある。俺は、交易をしに行く。このガラクタを売るんだ。
ヒントはマレーネがくれた。あいつにとって、金貨はある時には金だし、ある時にはゴミだ。つまり、見る目によって変わる。このガラクタだって、見る人間によってガラクタにもなるし、宝物にもなる。ちなみにこの中には、貝殻をちりばめた箱だの、香炉だの、かぎ煙草入れだのが入っている。うまく売れれば、俺にはもう一度チャンスが回ってくるんだ」
旅人は、国境って何だろう、と思った。長いこと旅を続けているが、一度もそんなものに出くわしたことはなかった。国境の話をしたのも、この鳩時計男が初めてだ。
本当にそんなものがあるのだろうか。だが、男はそれに人生をかけるつもりになっているようだ。
酒の酔いも手伝って、頭がぐるぐるしてきた。その途端に、
ポッポ、ポッポ!
再び、鳩が男の胸から飛び出してきた。旅人は、ひっくり返ると、それきり目を回してしまった。

朝、起きるとベッドの中にいた。宿の亭主は力持ちの太っちょだから、担いできてくれたのかもしれない。
陰気な曇り空に、クジラが浮かんでいた。
鳩時計男は、もう出発していた。奢ると言っていたのに、忌々しくも酒場の代金はすべて旅人に付けられていた。

今日のおさむらいちゃん

おさむらい178

今日のおさむらいちゃん

おさむらい177

社長のショートストーリー『大日女房』

社長1 善公は怠け者である。月に十日ほどしか働かない。あとは長屋か湯屋の二回にゴロゴロしている。
 この善公が、
「彦さんは、もう少し働かなきゃいけねえ」
 と嘆いてみせるのだから、彦さんはただ者ではない。したがって、この話の主人公は善公ではなくて、彦さんである。
「なにせ、働いているのを見た事がねえ」
 と善公は証言する。
 何か荷担ぎや荷車を引っ張るのを手伝ったり、頼まれれば棒手振の物売りをしたりしているようだが、四畳半一間、九尺二間の裏長屋の店賃、あとは湯銭と床屋代くらい稼げば、もう働かない。大川の土手に座ってぼうっとしているか、長屋でごろごろしているか、である。
 この彦さんの隣に住んでいるのが易者である。天地玄黄斎という茫漠たる名前であるが、やはり住まいは四畳半である。
 時々、風呂敷包みを抱えて出かける。この中には、筮竹、算木、『易経』という本、それに細い棒が何本かと薄い板が入っていて、これをうまく組み立てると小机ができる。これに風呂敷を広げてかけると表に『易』という文字が出て、店開きとなるのである。
 しがない易者のようであるが、これが知る人ぞ知る、よく当たるという評判なのである。それが、なぜ裏長屋なぞに逼塞しているか。
 玄黄斎が店開きするのは、小さな目立たない神社の境内であったり、人通りの少ない武家屋敷の裏の道だったりである。
 あまり客が来るのを好まないのである。何人か見ると、さっさと店じまいする。それどころか、風呂敷包みを持って家を出ても、そこらをふらふらと歩いて、そのまま帰ってきてしまったりする。
 早い話が、玄黄斎も怠け者なのである。
長屋にいるときは、表に「留守」と書いた紙を貼っておく。占いの評判を聞いて訪ねてくる者を追い払うためである。それでも、「たのもう」などと声をかけると、
「留守だ!」
 と不機嫌そうな声を聞くことになる。
 この玄黄斎に、なんと女房がいる。三千さんという。これが、美人でまめで親切だ、と近所で評判のおかみさんだというのだから、世の中はうまくできている。いや、できていない。
 音に聞こえた怠け者の嫁に来るぐらいだから、よほど物好きなのだろう。
 実は、この三千さんが隣の彦さんの生存にも関わっている。
 彦さんは、店賃と床屋と湯銭とを取りのけた残りの銭を、三千さんに渡す。といっても五十文あるかないか。荷売りの蕎麦が一杯十六文だから、たいした銭でないことはわかるだろう。
 すると、三千さんは毎日、巨大な握り飯を配給してくれるのである。これを少しずつ囓って彦さんは生存するのである。その他にも、繕い物や洗い物もしてくれるし、オカズの残り物をくれたりする。
 三千さんは怠け者を飼うのが趣味なのかもしれない。

 ある日、彦さんが例の如く、四畳半でごろごろしていると、薄い壁の向こうから

それ青陽の春になれば、四季の節会の事始め~

 今日も、玄黄斎のうなり声、じゃなかった謡の声が聞こえてきた。さっき厠に行ったとき、「留守」と貼ってあるのは見たから、在宅であるのは知っている。
「また、酔っぱらって謡か。気楽なもんだね」
 と呟いたところで彦さんは、がばと飛び起きた。
 彦さんと玄黄斎は互いに認め合う怠け者である。従って、互いに認め合う貧乏人でもある。
 然るに、自分が握り飯を少しずつ囓って一日を暮らしているのに比して、なぜ玄黄斎は日々、昼っぱらから呑んでいられるのだろうか。
 そのことに、今日初めて疑問が生じたのである。
 別に彦さんも酒が嫌いなわけではない。飲めるものなら、毎日飲んでいたい。ただ、その分を稼ぐのが嫌なだけである。余計に働くくらいなら、飲まずに我慢した方がましだと考えているのである。
 なぜ、玄黄斎はあんなに機嫌よくなるまで日々、飲めるのであろうか。もしや怠け者同士の盟約・・・は、していないが信義を裏切って密かに働いているのではあるまいか。
 だとすれば、裏切り者は懲らしめてやらねばならぬ。珍しく彦さんは立ち上がった。
 もし、占い者というのが、怠けていても酒が飲めるようなうまい商売であるのなら、その秘法を教えてくれれば許してやろう。
 酒の相伴に預からしてくれるのなら、今日のところは大目に見てやってもよい。
 お膳の上にお銚子と刺身と小鉢が二、三品、そしてお三千さんのお酌・・・という図が想像された。「ちくしょう」と呟いて、彦さんは「留守」と紙の貼られた戸口に声をかけた。
「おい、玄黄斎先生、いいご機嫌じゃねえか。俺も、一杯ご相伴にあずからしてもらいてえもんだな」
「なんだな、彦さんかい。入ってきたきゃ、来るがいいぞ」
 今日のところは血祭りに上げるのは勘弁してやろう、と、にんまり微笑んで戸を開けた。
 四畳半の古ぼけた畳の上に占い者と女房が座って、こっちを見ている。玄黄斎の顔は、酔いで真っ赤である。
それはいいのだが、あるべきお銚子やお刺身が見当たらない。
「か、隠しやがったな」
「隠したって、なにを」
「酒をさ」
「隠しやしないさ。ほら」
 見ると、なるほど、玄黄斎の前に小さな盃が置いてある。だが、これで酔っぱらうのは、いくら何でも無理だろう。
「なに、無理なことはない。これで、浴びるほど飲めるな」
「馬鹿なこと言っちゃいけねえ。先生、俺に飲まれるのが嫌で隠したんだろう。ケチ」
「ケチといわれては、拙者の沽券に関わるな。貧乏だの怠惰だのは、わしの誇りとするところだが、ケチは気に食わん。よし、じゃあ、彦さん、お前さんにも御馳走してやろう。浴びるほど呑ませてやる」
 言うと、女房殿が入り口の脇の流しから、同じように小さな盃を静々と持ってきて、彦さんの前に置いた。
「こんなもんで、浴びるほどとは、笑わせるよ」
 と盃を取り上げてぐっと呑もうとするのを制して、
「おい、呑んじまうのか。なくなっちまうじゃないか」
「そりゃ、呑むさ。呑めばなくなるさ」
「そこを、まあ、お待ち。下へ置きなさい。そして目をつぶって。悪いようには、しないから」
「いいようにも、なりそうもないぜ」

 あたりには、もわーんと濃厚な気が漂っている。空間を押さえつけて、ちぎって手の中に丸められそうなほどである。それでいて、とろけそうな空間である。
もうもうと湯気が上がっている。風呂に入っているのだった。この湯というのが、また、いい女が裸で百人ほど押し寄せてきたような妙な湯である。すくって呑んでみる。
「酒だ。それも、とびきり上等な酒だ。おらあ、酒風呂に入っているんだ。なるほど、浴びるほどと玄黄斎先生が言ったのは嘘じゃねえや」
 すると、湯気の向こうから嬉しそうな声が聞こえてきた。どうやら、となりにもう一つ風呂があって、そこに占い者が入っているようである。
「わしが嘘を言うとでも思ったか。わしゃ易者じゃぞ。本当のことしか言わんのじゃ」
「当たるも八卦当たらぬも八卦、今日は当たったね」
「馬鹿にするもんじゃない。浴びるほどに呑んでいるのは本当だろう」
「いや、そいつは謝る。玄黄斎大先生のおっしゃるとおりだ。しかし、先生、四畳半のどこに、こんな風呂桶を据え付けておく場所があったかね」
「風呂桶じゃない。お前さんやわしが入っているものの形をよく見てみなさい」
「なるほど、桶じゃねえや。すべすべしているね。真っ白だ。瀬戸物みてえだ

「何かの形に似ていないかな」
「うん?そういえば、盃をでかくしたような・・・・・・」
「ご名答だな。ただ、違うところは、盃を大きくしたのではない、わしらが小さくなったんじゃ。これは、お前さんの目の前にあった、あの盃じゃよ。わしらは、盃の酒風呂につかっているんだ」
 なるほど、こりゃいい考えだ、酒を大量に買い込まなくても、俺たちが小さくなれば、あの噂に聞いた酒風呂に漬かれるわけだ。こりゃあ、理屈だ。俺のまわりは酒ばかり、なるほど酒飲みの天国だ。
彦さんは早くも酔っぱらったのか、酒風呂に有頂天なのか、自分たちが盃に入れるほど小さくなったという異常事態については、さほど気にならないらしい。
 とっぷん、と酒の中に潜ってしまった。頭だけ酒に浸かっていないのは不公平だと思ったのかもしれない。上を見ると、とろとろと酒が揺れていて、波がきらきら光って見える。
赤やら青やら黄やら紫やら、いろいろな色の光の波である。
 うん、いい感じだ。うんと身体を丸め込んで、このまま眠っちまおうか。

 反射する光が、いやにゆらゆら燦めいていると思ったら、小舟に乗って川を下っているのらしい。舟の上にいるのは、自分だけだ。そういえば、玄黄斎先生は、さっき「帰る」と言って、何処かへ行っちまったなあ。
 目の前にあの盃がある。こうしてみると小さな盃だ。そのくせ、口を付けてみるとたっぷりとした酒が上唇と前歯を濡らしながら、たっぷりと舌の上に乗ってくる。ちょっと転がしてから玉のような酒を飲み込むと、いい酒だ。なんども言うがいい酒だ。
 向こうには霞んだ山並みが見えて、胸が開けるような野っ原が広がっている。どこなんだろうなあ。江戸の市内じゃないようだ。
 いやに川面がきらきらする。大川で船遊び、なんぞしたことはないが、こんなにまぶしいものなのだろうか。
目を細めて再び遠くを見やると、野の向こうの方で、なにやらうごうごしているのが見えるようだった。虫だろうか、蟻だろうか。いや、そんな小さなものがこんな遠くから見えるわけはない。
どうやら、人間らしかった。大勢の人間が、なにか盛んに動き回っている。もっとも、こんな日和の下、ひろびろとした景色の中に見晴るかしていると、むしろのどかに見える。
と思った途端、にわかに人間達の顔も身体もよく見えるようになった。そうなってみると、のどかどころではない、何かが剥き出しになったような顔ばかりだった。
盛んに争っているのだった。棒やら鍬やら、それどころか刀やら槍やらまで手にして争っているのだった。鎧を身につけているものもある。褌だけの裸体もある。片腕が切り落とされているものもある。足が切られて、地面に転がっても下から槍で突こうとしているものもある。相手の耳を食いちぎっているものもある。髷を引っ張って、頭の皮を剥がしてしまったものもある。顔は、どの顔も血しぶきを浴びて、目の玉をぐりぐりさせていた。
大将があって、その統率の元で戦さをしているわけではなかった。誰が味方とも敵ともつかず、ただ無暗に目についたものを攻撃しているようだった。
彦さんは恐ろしくなった。さっきのように、遠くから見ているような景色に戻りたかった。だが、目が離れなかった。早く舟が川を流れて、この場を過ぎ去ってしまえばいいと思った。が、川は流れを止めてしまったのだろうか。いつまでも、眼前の光景は変わらなかった。
何を争っているのだろう。
そのうちに、なんとなく彼らの求めているものがわかったような気がした。彼らは、この川に向かって走りたいのだ。だが、他人が行くのはイヤであるらしく、行こうとするものを引きずり戻したり、斬りかかったり、殺したりしているようだった。
この状態で膠着していてくれれば、彦さんは安全である。だが、誰かがあの群れから脱出し得たとしたら、どういうことになるのだろう。川を渡って、この舟に乗り込んできたらどうしよう。髻の切れたざんばら髪の、血まみれの、殺戮の狂気に酔ったやつが目の前に迫った時の恐怖を彦さんは思った。
そう思うと、互いに邪魔し合いながらも、少しずつ争いの群れは、こちらに近づいているような気がした。殺し合っても殺し合っても、人数があとから増えてくるので、こちらに押し出されてくるようにも見えた。群れが焼いた餅のように膨れてくる気がした。
いったい、なぜ彼らは、この川に来たいのだろう。喉が渇いてるのだろうか。泳ぎたいのだろうか。釣りをしたいのだろうか。水浴びをしたいのだろうか。
いずれも殺し合ってまで、やることではない。だいたい、なぜ他の者が川に向かうのが、殺し合う理由になるのだろうか。それとも、人間というのは、何かの拍子で、そんな巡り合わせになるのだろうか。
「舟よ、彦さん。お前さんが乗っている、舟」
原っぱ中に、というか、山の向こう川の果てまで、というか、この世の果てまで、というか、この世そのものが鳴り響いたようだった。
もっとも、鳴り響いたのは、天狗の声でも、天籟地籟でもない。鳴り響いている割りに、耳元に心地いいのである。おまけに長屋の女房の口調だった。
「舟?こんな二、三人乗れば一杯になっちまいそうな、ちっぽけな舟が、そんな命と引き替えにするほど大事なもんなのかい?」
「まあね、そう見えても、それは運命の舟だからね。そして、浮かんでいるのは命の川

「イノチの皮?よくわからねえな・・・・・・それより、お前さんの声、となりのお三千さんによく似ているね」
「やっと思いだしてくれたのね。わからなかったら、もうオニギリこさえてあげるのよそうかと思ったよ」
「そうかい。思いだしてよかった。お三千さん、どこにいるんだい」
「いやだねえ。すぐここにいるじゃないか。上を見てご覧よ」
 言われて上を見ると、巨大な三千がいた。天を覆うばかり、というよりも、天そのものが三千だった。なにかの本に出ていた「山越え阿弥陀」という絵を思いだした。山の向こうから、阿弥陀さんがぬうっと上半身を出して、こっち側を見下ろしている図だった。確か玄黄斎が見せてくれたんだっけ。だが、今の三千はそれより遙かに大きい。
「そうか、俺が縮んだんだったな。するてえと、山も野もあそこで争ってる人間も、皆、縮んじまったってことになるかな」
「なにを言ってるんだか。縮むも伸びるも、あたしは宇宙だから。三千は、三千大世界の三千さ」
「じゃあ、この舟がどこへ流れていくかもわかるかね」
「もちろんよ。あたしの目からは、川がどこでどんな風になっているか、お見通しだよ」
「お三千さん、あの原っぱで殺し合いしている連中が怖くって仕方ないんだ。なんとかならないかね」
「踏みつぶしちゃおうか?」
「それも、可哀想だなあ」
「じゃあ、こうしましょ」
お三千のでかい手がするすると伸びてきて、舟をつまんだ。舟と思ったのは、あの盃だった。彦さんは、やはり酒風呂に入っていた。
「うーん、いい香りだねえ」
「お三千さん、どうするんだね」
「お前さんとうちの人が楽しそうに呑んでいたから、あたしもお相伴するの」
「おい、俺は呑まれるのかい」
「どうってことないわよ。大宇宙に生まれてきた者が、大宇宙に呑まれるんだもの。生まれる前に戻るようなものだわね」
「そっちの大宇宙は面白いところかね」
「どこにいたって、本人の心がけ次第。じゃあ、いただきます」
ぬめぬめとした赤い巨大な唇が近づいてきた。彦さんは酒となって、その間を通り抜けた。へえ、これがお三千さんの舌かい。妙なもんだ。なんだか、気持ちがいいや。
こうして呑まれて、いずれお三千さんの糞となってひり出されるのかなあ。
舌の上を転がって遊んでいるうちに、なんだかわからなくなり、やがて宇宙大の光に包まれた。

目が覚めると、自分の部屋に掻い巻きを掛けられて転がっていた。見回すと、頭のあたりに、今日の分の握り飯が置いてあった。
「どうして、あたしはこう、怠け者が好きなんだろうねえ」
どこからか、お三千さんの呟きが聞こえてきた。

今日のおさむらいちゃん

おさむらい176

今日のおさむらいちゃん

おさむらい175

今日のおさむらいちゃん

おさむらい174

今日のおさむらいちゃん

おさむらい173

社長のショートストーリー『仲のよい村人達』

社長1(「クジラの旅人シリーズ」と銘打って不定期に続けたいと思うのですが、思った通りになるかどうかはわからないのです)

旅人はクジラを飲み込む夢を見た。朝になると、そいつが喉をするりと抜けて、宿屋の窓から出ていったらしい。大きな尾がひらりとはためいて、部屋の中が一瞬暗くなったのを覚えている。
 ベッドに腰掛けて、また今日も旅を続けるのだと思い、いろいろな草原のいろいろな草の詰まったパイプをくゆらせる。
晴れの日は、雲の隙間からクジラの姿が透けて見える。雨の日は、目深に被ったマントのフードの中の暗闇にクジラが浮かんでいるのを見ながら歩き続ける。これは幻影に決まっている、幻影が南氷洋から俺をからかいに来たのだ、と腹を立てながら。

丘を越え森を通り抜け、雨に濡れ冷え切った身体をようやっとのことで運んで、次の村の宿に着く。部屋に荷物を置き、階下の酒場を兼ねた食堂に下りていき、煮込み料理と強いウィスキーを注文する。
向こうの隅の席にいた、鼻を真っ赤にした大男の酔漢が、話し相手が欲しくてたまらない、という感じで近寄ってくる。なんだか、オコゼに似た顔だ。歩きながら、もうしゃべり始めている。
「やあ、なんです?旅のお方ですか?この村にようこそ。世界で一番の愚か者揃いのこの村へ。あなたは幸運です。今晩、村でただ一軒の宿のお客はあなた一人です。ということは、今宵、この村で過ごす人間の中で、一番の利口者という事になりますから。いや、お顔を見ればわかります。賢いお顔をなさっていらっしゃる。
そして、二番目がかく言うこの私です。あなたの方が、少しだけ賢くていらっしゃる。
だが、三番以下は、もう十把一絡げの馬鹿者揃いです。何の役にも立たない。ロバよりうんと頭が悪い」
胃もほっぺたも、ニンニクのきいた煮込み料理とがりがりする味のウィスキーのせいで、かっかと火照っていたが、男の演説を聴いていると頭の芯だけが冷え冷えとしてくるのを感じた。
「旅のお方、私はあなたが羨ましい。私も旅をしたいですよ。そりゃ、つらいこともいっぱいあるでしょう。
だが、本音を言えば、私はこの村を出たいのです。他所の土地で一勝負したいのです。なに、やれますよ。自信はあるのです。この頭脳の中には、素晴らしいビジネスプランが、ふつふつと煮えたぎっています。火傷をしそうです。
ところが、この村が私を離してくれんのですよ。出ていかないでくれと、村長に泣いて頼まれます。いや、村長ったって馬鹿ということでは他の村民と全く変わりません。あの連中、私がいないと何もわからんのです。何も知らんのです。何をどうしていいか、うろたえるばかりです。私が相談に乗って、ああしろこうしろと言ってやらないと、困り果ててしまうのです。
これじゃ、私も出るに出られない。ちょっとした神様扱いですよ・・・神様、お許し下さい。
神様と言えば、日曜には毎週教会に行って、そこの坊主にお祈りの仕方、説教の仕方、皆、私が教えてやらにゃいかんのです。毎週ですよ。日曜に教えてやったことを月曜には忘れているのです。話にならん。
今日も、ここである男を待っているのです。馬鹿な村人の中でも、飛びきり馬鹿な男です。自分の妻の名もよく覚えていないのです。なぜ、そんなやつを待っているかって?
お願いだから、相談に乗ってくれと泣きつかれたのです。どうせ愚にもつかない話でしょうけどね。
旅のお方、もうしばらくここに座っておられれば、この村の連中の馬鹿さ加減を見ることができますよ。それにしても遅いな。まあ、一杯いきましょう」
そう言うと、男は自分のボトルのワインを、旅人のウィスキーの入ったグラスにどぼどぼと注いだ。
その時、重たい木のドアが開いて、ウツボに似た顔の男が入ってきた。今まで、悪口を言いまくっていたオコゼ顔の男は立ち上がると、腕を一杯に広げてウツボ顔を抱擁した。
「やあ、ヒンス、待っていたよ。会いたかったよ」
「やあ、ハンス、待たせたんじゃないかい。今宵、君に会えるなんて僕はなんて幸せ者なんだろう」
ハンスと呼ばれたオコゼ顔男はヒンスと呼ばれたウツボ顔男を旅人のテーブルに引っ張ってきて、
「旅のお方。この男はヒンスと言いまして、村一番の利口者なのです。この利口者揃いの村人の中で、一番ですぞ。おまけに義理に固くて、人情に厚い、いいやつなんです。こんな男が、相談に乗ってくれってやって来るんです。私は幸せ者です。
ところで、ヒンス、君の相談事ってなんだい?君の力になれるくらい、僕にとって幸せなことってないからね」
なんだか、さっきとまるで言うことが違う。ウツボ顔が答えていった。
「それがね、ハンス、今からここにフンスが来るんだが、やつが僕らに何か相談事があるっていうんだ」
「なんだって?村一番の馬鹿のフンスが?」
「そうさ。途方もない馬鹿の相談だから、さぞ途方もなく馬鹿馬鹿しいことだろうと思うが、一人であまり途方もない話を聞くと目まいがするかもしれないと思って、友情厚き君の手を煩わせることにしたんだ。すまないね」
「いいとも。君の頼みならいつだって大歓迎さ」
そこでドアが開いて、ヒラメのような顔の男が入ってきた。
「やあ、ハンス、ヒンス、君たちに会えて嬉しいよ」
「僕らもさ、フンス。何か相談事があるんだって?」
「それがね、村一番の馬鹿のヘンスのことさ。あいつが何か相談したいことがあるらしいんだが、あの馬鹿のことだから、とんでもない厄介事を持ち込むんじゃないかと思って心配なんだ。ここはひとつ、君たちの助力を得たいと思ってね」
「いいとも、フンス。君の力になれるほど嬉しいことはないからね」
そこへドアが開いてカニのような顔をした男が入ってきた。
「やあ、ハンス、ヒンス、フンス、待たせたかい」
「やあ、ヘンス、村一番の賢者の顔を拝めるなんて、僕ら幸せ者だな」
「なに、僕なんか君たちの足下にも及ばないよ。ところで、君たちの知恵と力と勇気に頼りたいんだが、村一番の愚か者のホンスが、なにか相談があるって言うんだ。また馬鹿なことを考えているんじゃないかと思うんだが、君たち、やつを諭してやってくれないかね」
そこへドアが開いて、イソギンチャクのような顔をした男が入ってきた。
「やあ、ハンス、ヒンス、フンス、ヘンス、これは村の賢者の勢揃いだね。いや、聖者かな。こんな僕が加わっても迷惑じゃないだろうか」
「やあ、ホンス、君がいなくちゃ、僕たち寂しくって仕方がないよ。待ちかねていたんだよ。ところで、君は何か相談事があるんだって?村一番の知識と知恵を持った君に、何か困ったことがあるというんで、僕たち、大変心配していたんだ。君の不幸は僕らの不幸だ。助け合っていこうじゃないか。さあ、何でも言ってくれ。相談事ってなんだい?

「相談事?」
「なにか、僕らに相談したいことがあるんじゃないのか」
「いや、ないよ」
「君が何かで困っているって、もっぱらの評判なんだが

「ないね」
「僕たち、親身になって、君の立場に立って、満腔の同情を持って相談事を解決しようと思って集まったんだが」
「そりゃ、ありがたい。ぜひ、そうしてもらいたい。君たちの友情に感謝する。だが、あいにく相談したいことがないんだ」
「それは残念だなあ。せっかくこうして集まったのに」
「だが、考えてみれば、相談事がないというのは、相談事が解決したあとと同じようなものじゃないかね。とても、おめでたいことだね。お祝いしたいな」
「そういえばそうだ。それに、相談事がないのは僕たちも同じだ。僕たちもお祝いしなきゃ

「そうかい、こんなにめでたい日は他にないね。じゃあ祝杯だ。大いに呑もうじゃないか」
酒や料理がどんどん注文された。楽隊や女達が呼ばれた。みな、おめでとうおめでとう、と言いながら抱き合い、ダンスが始まった。

旅人は、とぼっとしてしまった。
この村の人びとは、仲がいいんだか悪いんだかわからない。馬鹿なのか利口なのかわからない。嘘つきなのか正直者なのか、わからない。
いずれにしても、自分はよそ者である。自分には関係のないことである。夜が明ければ、また旅に出て、明日の晩は違う村の違う宿で違う酒を飲んで違うベッドに潜り込むのだ。
旅人は、グラスの酒をぐっと飲み干して立ちあがった。さっきハンスがウィスキーの上からワインを注いでしまったので、実に妙な味だった。

食堂から出て行くとき振り返ると、偶然、ハンスと目が合った。いや、偶然ではなかったかもしれない。
ハンスは実に恐ろしい目で旅人を睨んでいたからだ。怒りと憎しみの火が瞳の奥に燃え上がっていた。明らかに、旅人の視線を捉えようと待ち伏せしていた目だ。
 旅人は水を浴びせられたような気になった。ハンスの視線を背中に受けながらも、ゆっくりと食堂を離れ、そろりそろりと階段を上った。急ぐとハンスが後ろから追いかけてくるような気がした。
 なぜ、ハンスがあんな恐ろしい目で睨むのかわからなかった。村人達の悪口を言っていたのを聞いてしまったからだろうか。だが、それはハンスが勝手にどんどんしゃべったことだ。
 旅人が、ヒンスやフンスやヘンスやホンスに告げ口をするとでも思っているのだろうか。
 とんでもない。そんなことをして、なんの得になるというのだろう。
 それとも、自分がどんちゃん騒ぎに加わらなかったことを不快に思っているのだろうか。
 旅人は、自分の部屋に入ると顔を洗ってからベッドに入り、毛布を頭まで引き上げて眠ろうとした。自分と外界を遮断するような心持ちだった。
 階下では、まだどんちゃん騒ぎが繰り広げられているようだった。風邪声みたいな風琴やら、酔っ払いの足取りみたいなタンバリンやら、気の狂ったニワトリみたいなバイオリンの音やらが、枕の底から聞こえてくる。
 その中に、ハンスのあの恐ろしい目玉がぐりぐりと炎を上げているような気がして、なかなか寝付けそうになかった。

 ふと気づくと階下の騒音が消えていた。少しまどろんだのだろうか、いつ静かになったのか、わからなかった。
 静かになったら静かになったで、眠れないような気がしてきた。もう一杯、ウィスキーをもらえないかな、と思った。また、食堂に下りて亭主に頼んでみようか、とも思った。
 ドアの向こうに、人がいるような気がした。いや、濃密な気配があった。今にも入ってこようとしているのか、それとも何かを待っているのか、いずれにせよ、ただならぬ気配だった。
「ハンスだ」
 と旅人は思った。ハンスがたった一人、深夜に旅人の部屋の前の廊下にいて、様子をうかがっている。ハンスが自分を殺そうとしている。
何が気に入らなかったのか、何を恨みに思ったのか、あるいは告げ口を恐れているのか。理由はわからないが、ともかく、ハンスが自分を殺そうとしていることだけは間違いないように思えた。
 ある憎悪の念を持って、ドアの向こうにうずくまっている男。その姿を想像しただけで、背骨がばらばらになりそうに怖かった。
 声を出さねば、と思った。叫び声を上げれば、誰か目を覚まして上がってくるだろう。
 それとも、冷静にハンスに話しかけてやろうか。
 おい、ハンス、そんなところにいるのはわかっているよ。何を考えているんだね。今日のパーティーは楽しかったかい。なんだかんだ言って、君は村の人たちとうまくやっているじゃないか。すべてはうまくいっているじゃないか。僕は、何もしゃべりはしないよ。安心したまえ。明日になったら、朝飯を食って、また旅に出る。それだけだ。僕は旅人だ。だから旅をする。それだけだ。お互い、なにも不都合はない、そうだろう?
 だめだ、そんな長々としたセリフを器用に口にできるわけがない。現にさっきから震えが止まらない。
 がたっと、ドアの外で音がしたようだ。いよいよだ。いよいよ、ハンスがドアをこじ開けて入ってくるのだ。そして、ピストルかナイフか棍棒か、あるいは紐で首を絞めるのか、あるいは何かで口と鼻を塞いで息を止めるのか。
 なにか、獣のうなり声のようなものが聞こえる。犬だ。犬に違いない。巨大などう猛なやつを連れてきているに違いない。ハンスが「やれ」と合図を与えるだけで、その大きなやつが俺の上に飛びかかってくる。のど笛が食いちぎられる、生温かい血が吹き出て、シーツをぐしょぐしょに濡らす・・・。

 叫び声が、ついに旅人の喉を通過していった。この叫び声は、なんとも不思議な感触だった。紐に似ている。いや、蛇かウナギか、そんなものを吐き出している感じである。
 クジラだった。透明なクジラが、長々と旅人の喉を擦過していく。いつまでも止まりそうにない。自分ながら呆れるような思いだった。
 クジラは部屋一杯に充満すると、ドアの隙間から少しずつ廊下側へと漏れ出ていくようだった。ドアの外の獣のうなり声が止まった。
 ひいひいという男の泣き声が聞こえてきた。部屋一杯だったクジラは、半分以上、外へ漏れ出てしまった。廊下は今、どんなことになっているのだろう。ハンスは今、どんな目に合っているのだろう。

 翌朝は晴れていたが、風が強そうだった。窓の外を雲が流れていく。その雲に混じってクジラの姿があった。
 夕べは変な夢を見た。変じゃない夢なんてないのかもしれないが。
 旅人は階下へ下りていった。コーヒーの匂いが鼻先に漂ってきた。

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文豪堂

Author:文豪堂
いらっしゃいませ。中川善史(自称社長)と金井哲夫(自称編集局長)が2人でしこしこ書いているふざけた電子書籍本を販売する「蕪」式会社文豪堂書店です。(社名は予告なく変更することがあります) (なおこれは個人の感想です)(効能を保証するものではありません)(おだてると調子に乗ります)

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