社長のショートストーリー『クジラの旅人シリーズ5・行商のおもちゃ屋さんのお手伝い』

宿屋の一階の食堂兼酒場で、その男は旅人の前になにがしかの金を置いた。
「はあ」
旅人は事情が飲み込めないと言った顔つきで金を見つめている。
「遠慮することはない。約束した金じゃないか。ピエロの格好をして、私のおもちゃの宣伝をしてくれれば、売れた分に応じて報酬を払うという約束だ。いや、君はよくやってくれた。おかげで町の広場に大勢子供が集まってきて、いい商売になった。いつもは私だけでやっているのだが、君を雇ってよかった。次の町でも一緒にやらないか」
「署長さんはどうしたんですか」
「署長さん?」
「僕、市長兼警察署長という人に招かれたように思うんですけど。スーフェンバーグさんというお婆さんに泥棒と間違えられて」(何を言っているんだかわからない方は、クジラの旅人シリーズ4をご覧下さい。作者より)
おもちゃ屋の男は訝しげに旅人の顔を覗き込んだ。
「そりゃ、なんのこったい。少なくとも、今日のことじゃないだろう。今言ったように、今日、君は私と一緒に商売をしていた。でなきゃ、こんな金を君に払うわけがないだろう」
「そうですよ・・・ね」
旅人は戸惑ったような悲しげな目で金を見て言った。
「僕、最近、どうも記憶が怪しいんです。いろんなことがごたまぜになって。きっと署長さんのことは、もっと前の記憶なんでしょう。でも、なんだか今日のことのような気がして」
「よほど印象に残ったんだろうね」
「そう、とても親切な方でした。食事を出してくれ、一晩泊めてくれたんです」
「一晩泊めた?じゃあ、ますます今日のことであるはずがないね。今晩、今、私と君はこの宿で酒を飲んでいる。これは認めるね?それなら、同時にその署長さんとやらの家にいることは出来ないだろう」
「それもそうですね」
「まあ、ともかく今日は儲かった。改めて乾杯だ。よかったら、明日も一緒にやってくれないかね」
「何を?」
「今日と同じ事だよ」
「何をやったんでしたっけ」
「ピエロの格好で愛嬌を振りまき、子供達を引き寄せ、大人達も笑わせて思わず財布の紐をゆるめさせる、ってことだ」
「僕が?そんなことやったんですか?」
おもちゃ屋は一瞬、むっとした顔になりかけたが冷静に戻って
「やった。それも見事に」
「信じられない」
「信じられなくともやったんだ。このテーブルの上に載っている金は誰のものだい?」
「このテーブルの上にあるからには、あなたのか、僕のでしょうね」
「いい推論だ。付け加えれば、これは私から君に払った報酬だ。所有権は君に移動している。早いところ仕舞っておき給え」
「そこまでおっしゃるなら、そうなのでしょう。いただいておきます」
「で、明日もやってくれるかな」
「何を?」
おもちゃ屋は明らかにイラッとしかけたが、それを抑えて、
「君、さっきの金を出し給え」
「何の金です?」
おもちゃ屋の顔は再び、引きつり掛けた。
「君が仕舞った金だよ」
「何のことかわかりませんが、わけもわからず他人の前に自分の金を出してみせるなんて、おかしいですよね」
「だから、私が報酬として君に渡した金だ・・・・・・そうか。じゃあ、これならわかるか?」
そういうとおもちゃ屋の男は足下に置いた大きなカバンから、子供の手に収まる大きさの人形を次々と出して、テーブルに並べた。
「ほら、これを見て思い出さんか。今日、君が見事な口上とともに売っていたやつだ。口上だけじゃない。君はこれを使って、ちょっとした寸劇つまり人形劇をやってみせた。大受けだった。私は帽子をひっくり返して、それに見物料を集めて回った。
いいか。この五体の男の人形、みんな一癖ありげな顔だろう?君はこいつらにハンズ、ヒンス、フンス、ホンス、ヘンスという名前を付けた。そして表面上は仲良く見せているが内心は馬鹿にしあっているという設定にした。
こいつらの珍妙な会話に、見物人は腹を抱えて笑っていた」
「へえ」
「君が今日、やったことなんだぞ」
「そういえば・・・そんな記憶があるような・・・でも、それは人形じゃありません。僕が実際に話をした人たちです」
「いや、人形だ。現にここにあるじゃないか」
「あの人達は人形だったんだろうか」(これも、何を言ってんだかわからない方はクジラの旅人シリーズ最初の『仲のよい村人達』をご覧下さい)
「これはどうだ」
おもちゃ屋は、顔の真ん中にアヒルのような口嘴をつけた男の人形を取り出した。
「この人形を仕入れてしまったときは、私もこんなもの売れるんだろうか、と危ぶんだんだが、君はこれを、もと時計だったのが、人間のような感情を持ち始めて、人間の身体を手に入れて動き回るうちに、憐れな失恋劇を演じるという話に仕立て上げた」
「待って下さい・・・・・・その話も聞いたことがあるような気がする」(読者の皆様へ。気が向いたら、クジラの旅人シリーズ2をご覧になって下さい)
「聞いたんじゃない。演じたんだ。君自身が」
「そうなんですか」
「そうとも。私が目撃者だ。今日一日、仲間として商売を供にしたんだから。
さて、お次は遊園地の遊具と人形のセット。君はこれを、遊園地を産業とするある王国という設定にした。(読者諸姉諸兄、これはシリーズ3ということになります)
それから、このフロックコートの紳士。腰に警棒をつけているのが変だろう。だが、君がこの人形に託したキャラクターはなかなか詩人でね。放浪の旅に憧れているんだ。(これは、さっき出たシリーズ4ですね。作者)
この紳士の人形が空に向かって、何かを呼びかける。見物人達も思わず上を見る。すると、君の相棒のクジラが空に浮かんでいるって寸法だ。クジラに紳士の憧憬を象徴させたって事になるかね。素晴らしい演出だ」
旅人は、しばらく黙って男の顔を見つめていた。
「クジラは・・・・・・いたんですね、現実に
「いたどころじゃない。人びとが上空にクジラを見る。あれはなんだろう、と寄ってくる。その下には君がいておもちゃを宣伝している。皆さん、私の人形をお買い上げだ。上出来のビジネスだよ」
「クジラは、いつからかわからないけど・・・いつも僕の近くにいてくれる」
「親友ってやつかね」
「クジラだけは本当らしい。署長さんも遊園地もアヒルの口嘴を持った男も、僕がでっち上げたものかもしれないけど」
「でっち上げというなかれ。創作と呼び給え」
「でも、創作にしちゃ、本当にあったことのような気がするんですけど」
「まあ、なんらかのヒントになったことは、あったかもしれんがね。でも、考えて見給え、アヒルの口嘴の男なんて、どう考えても現実にありっこないだろう。遊園地の話しにしたってそうだ。そんなもの、どこにあるって言うんだ。あるとすれば、君の頭の中だよ。そうだろう」
「僕は、だんだん現実と想像が混乱してきてるんだろうか。僕の頭はどうなっちゃうんだろう
「まあ、そう悲観するなよ。それは、才能の証拠かもしれないぜ。
ある作家の話だが、彼のところには、毎晩、自分の書いた小説の登場人物がやってくるというんだ。作品中の彼の運命を悲惨な結末にしてしまったんで、それに憤慨して抗議しにくるらしいんだね。
心配した奥さんがある晩、書斎のドアの外で立ち聞きしてみた。確かに、二人の人物の声が聞こえてくる。一人は聞き慣れた夫の声だ。もう一人は、若い男でその作品の主人公の設定通りに思われる。
夫は努めて冷静になろうとしている。一方、若い男はかなり興奮しているようで、激しい口調で作家を責めている。夫人は、彼が夫に殴りかかったりするのではないか、と思った。そこで、ドアを細く開けて隙間から書斎を覗いてみると・・・・・・。
いるのは夫一人だった。彼は、自分の声で話をしたかと思うと、次の瞬間立ち上がり、あの若い男の激高した声で、今まで自分の座っていた椅子、つまり作家がいると思われる位置に向かって、激しく抗議する。
言ってみれば一人二役の芝居をしていたわけだが、作家自身は、本当に作中の人物が論争にやって来ていると思い込んでいたんだ」
旅人は、しばらく黙った後、
「なんだか、悲しい話のような気がします」
「でも、創造とはそんなものかもしれないよ。例えば、今の君がそうでないとは言えないだろう」
旅人は自分が迷路に入り込んでしまったような気がした。今までの旅も迷路だと言えば迷路だった。しかし、迷うことなどなかったといえばなかった。どんな道を辿ろうと、どこかへ着くことができたなら、それは迷ったと言えるのだろうか。
「まあ、それはいい。それより、明日の話だ。頼むよ。今日と同じようにやってくれ・・・といっても、覚えていないんだったな。じゃあ、ともかく私と一緒に行動してくれ。約束すると言ってくれよ。よし、報酬を増やそうじゃないか。場合によってはボーナスも出そう
おもちゃ屋は懸命に旅人を口説いていたが、旅人の耳には入っていなかった。おもちゃ屋の肩越しに向こうの方に見える男に目を引きつけられていたのだ。
その男は、こちらに背中を向けて座っていたが、連れの青年に向かって、酒を飲みながら滔々と何事かを語っていた。
時々、見せる横顔が気になった。普通なら鼻があるべきところに、ちらちらと変なものが見える。鼻にしては高すぎる。それに形がおかしい。色も奇妙だ。
・・・アノ男、クチバシガ付イテイルノデハナカロウカ・・・
見れば見るほど口嘴に見えた。それもアヒルの口嘴だ。
あの男だ。自分が旅の途中で出会った、いや、おもちゃ屋に言わせれば、自分が創作したアヒルの口嘴の男だ。
彼が宿の亭主に向かって酒の追加注文をしたとき、はっきり見えた。間違いない。
なんだ。こうして立派に実在しているじゃないか。創作だなんて嘘だ。そっちの方が馬鹿げた創作だ。
あの男、国境の方へ行くと言っていたようだ。まだ着かないのだろうか。もう、戻ってきたのだろうか。それとも国境などないということがわかって、引き返してきたのだろうか。
いずれにせよ、取り憑かれたように語り続けるあの話し方は、僕が聞き役としてとっ捕まったときと同じだ。
見れば、今、相手になっている若者も僕と同じくらいの年格好に見える。僕は、さんざん身の上話を聞かされた上で、やつの胸に仕掛けられた鳩時計でびっくりされたっけ。
結構、僕の記憶も鮮明に甦ってくるな。まだ、捨てたもんじゃないぞ。
今の話し相手の若者も、そのうち鳩時計を食らうんだろうか。僕と同じように気が弱そうだから、そうなるだろう。顔もなんとなく、どこかで見たような青年だな。よく知っている顔のような気がする。でも、全然見かけない顔のような気もする。
そうだ、僕は、たぶん彼を知っている。僕と同じ旅人だ。だったら、「おい、鳩時計に気を付けろよ」と言ってやろうか。
あれは僕かもしれない。背格好といい、着ている服といい、僕のようにも思える。それなら、この僕はいったいどこの誰だろう。後になって、彼がアヒルの口嘴の男を思い出すとき、その記憶の視覚の端っこに僕はいるだろうか。
彼に忘れられたら、僕はどうなるんだろう。消えてしまうんだろうか。
そうなったら、抗議に行ってやろうかな。さっきの作家の話の作中人物みたいに。記憶中人物となって、おい、なぜ俺を忘れるんだ、と言ってやったら愉快だろうか。将来の彼の奥さんを心配させるだろうか。
何だか、愉快になってきた。さて、そろそろアヒルの口嘴の男の胸から鳩時計が飛び出す頃だ。あれは、喧しいから嫌いだ。それに眠くなった。
記憶中の人物が眠くなるなんて変かな。どんな夢を見るんだろうか。再び目覚めるという事はあるんだろうか。第一、彼に忘れられたら、僕はもう存在しないんだからな。そういう意味では、このおもちゃ屋も同じだ。いや、覚えていてもらえるかどうかもわからない。ざまあみろ。
僕は、寝るよ。
旅人は立ち上がった。おもちゃ屋が、
「おい、寝るのか。約束を忘れるなよ。明日の朝、ここで集合だからな」
と言っているのを背中で聞き流した。
約束なんて、したっけ。たとえしたにせよ、僕の記憶力を盾に、知らなかったことにすればいいさ。
階段を上っているとき、食堂から「ポッポ、ポッポ」という鳩時計の声が聞こえた。
翌朝、宿の階下で、おもちゃ屋の男が宿の亭主と話をしている。
「おい、親父。チェックアウトだ。
私の相棒はどこにいるかな?あいつだよ。誰って、昨日の晩、私と酒を飲んでいた若い旅人を覚えているだろう?そうそう、そいつだ。彼は、まだチェックアウトしていないのかな?
え、とっくに済ませた?どこにいるんだ。とっくに出かけたって?それも二時間も前に?
私のことは何か言っていなかったか?全然?
ちくしょう。あいつ、忘れちまいやがったのか。まったくしょうがないな。
あいつを今日も使うとしたら、今から急いで追いかけなきゃならんが。
親父、どこへ向かうとか言っていなかったか?わからない?ちぇっ。せっかくいい商売ができると思ったのに。残念だなあ」
ぶつぶついいながら、大荷物を担いで宿を出た。
いい天気だった。四方を見渡して、ある方角におもちゃ屋の視線が定まった。
ぽつんと、何かが浮かんでいた。雲ではない。鳥ではない。飛行船でもない。
さらに目をこらしてから、おもちゃ屋は笑い出した。
「ははは。クジラだ。クジラが浮かんでいるのが見えるじゃないか。旅人くん、頭隠して尻隠さずというやつだな。クジラの下に君がいるのはわかっている。さて、ゆるりゆるりと、おもちゃを売りながらクジラ目指して進んでいくかな」
さて、いつになったら追いつけるか、誰にもわからない。
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