社長のショートストーリー『二代目・天地玄黄斎』

その長屋には、近所で評判の怠け者が二人、隣り合って住んでいた。
一人は若い男で彦さんという。本当は彦三郎と言うらしいが、当人が面倒くさがりなので、彦だけで済ませていた。
決まった仕事はなく、頼まれて使いっ走りをしたり、荷物運びを手伝ったりして駄賃をもらうと、後は長屋でゴロゴロしている。
今一人の名は、いささか大仰で天地玄黄斎という。中年の易者である。よく当たるらしいのだが、これまた働くのが嫌いで、ほどほどに稼ぐと帰ってきてしまう。
二人は怠け者同士、気が合った。ふたりとも仕事に行かないので、しょっちゅう長屋で顔を合わせていたせいもあるだろう。
唐突ではあるが、この天地玄黄斎が死んだ。
質素ながら長屋中が手伝い葬式も終わった数日後、玄黄斎の女房・お三千が彦さんの戸を叩いた。ちょっと色っぽい年増である。
「やあ、お三千さん。玄黄斎先生、残念だったね。まだ落ち着かないだろう」
いくら怠け者でも、これくらいの人間並みの挨拶はした。
「仕方ないのよ。あの人の易に出ていたんだもん」
「先生、自分の死ぬのがわかったのかい」
「あの朝、易の本をじっと見ているから、どうしたんだろうと思ったら、
『おい女房、俺はどうやら今日死ぬ』
って言うのよ。そして、朝ご飯終わったばかりだけど、布団を敷いてくれ、っていうから、ああ、この人今日死ぬんだって思ったわ」
「さすが名人だね。それにしちゃ貧乏だったが」
「怠け者だもん」
「で、お三千さん、どうするんだい」
「亭主の面倒も見終わったからね。故郷に帰ることにするわ」
「お三千さん、江戸の人じゃねえのかい」
「まあね、ちょいと遠いけどね。彦さんの知らないところよ」
そう聞いて彦はがっかりした。お三千が美人なためだけではない。今まで、毎日、握り飯やらオカズの残りやらを恵んでもらっていたのだ。怠け者のくせに生き延びてこられたのは、なかばお三千のおかげだったのである。
「そんなことより、これ」
と抱えていた風呂敷包みを彦の前に置いた。
「なんだい」
「あけてご覧」
結び目をほどくと、中から筮竹やら算木やら『易経』という本やらが出てきた。
「これは、玄黄斎先生の・・・・・・」
「そ。占いの道具。死ぬ間際に、『そうそう、あれは彦さんにやってくれ』って言ったのよ。形見分けね」
「先生に取っちゃ大事なもんだろう」
「だって、死んだら使えないじゃない。玄黄斎も子供や親戚がいるわけじゃなし、彦さんを弟か甥みたいに思っていたのかもしれない」
「しかし、こんなもの、俺がもらってもなあ」
「あたし考えたんだけど、彦さん、これからは易者をやって食っていけっていうつもりだったんじゃないかしら。それに、あたしだって、もう彦さんの世話をすること出来なくなっちゃうから、そうなさいよ」
「だって、易なんて全然わからねえ。第一、この本、四角い文字ばかりじゃねえか。おいら、仮名じゃないと読めねえよ
「当たるも八卦当たらぬも八卦って言うじゃない。それらしい格好して、もっともらしいことを言っていればいいのよ」
亭主の職業をなんだと思っているんだ、というような発言である。
「例えば、こうよ」
と言って、筮竹をいじくり始めた。ふたつに分けたり、数えたり、一本抜いて小指にはさんでみたり、今度は算木を並べてみたりした。
「ふむふむ、サンスイモウと出ました。これが変コウしますと、ゴインサンになります。失せ物は天井裏にあるとみました」
「うまいもんだね。お三千さんも出来るのかい」
「あたしが出来るくらいなら、占いの道具、彦さんにやりゃしないわ。亭主がやっているのをマネしただけよ。あたしにだって、なんのことか、さっぱりわからない」
ひどいものである。彦さんも、いい加減に筮竹やら算木やらをいじくって、
「ふむふむ、サンスイモウと出ました。これが変コウしまして、ゴインサンとなります。旅立ちは伸ばした方がいいですな」
「うまいうまい、それでいいのよ」
「しかし、サンスイモウとゴインサンだけじゃ、間が持たねえ」
「いいじゃない、アンポンタンでもトウヘンボクでも重々しく言っていれば、そんな感じになるわ・・・・・・ん?待って。そのなりじゃ、変ねえ。三尺締めている易者ってのはいないわ」
お三千は、自分の部屋に戻ると、しばらくして衣類を抱えて持ってきた。
「着てご覧なさい」
易者がもっともらしくなる、十徳だの頭巾だのである。
「うん、まあまあね。これなら直さないでもいいわ」
そう言って、なお、しげしげと見ていたが、
「だめよ、その髷じゃ」
再び隣家に戻ると、今度は剃刀を持ってきた。
「お、おい、ちょっと」
「そこに腰掛けて」
抵抗する暇も与えず、頭をしめらせると、器用につるりつるりと剃り上げてしまった。そして、青光りする坊主頭に頭巾を載せて、
「だいぶよくなったけど、まだ貫禄がないわねえ」
「いいよ、貫禄なんて」
「この商売、貫禄が命よ・・・そうだ、貫禄作ったげる」
そう言って、今剃ったばかりの彦さんの髪の毛を掃き集めた。そうして、湯を沸かすと、その髪の毛のひと束をよく洗って、糊と端切れとで付け髭を拵えた。これすなわち、貫禄の完成である。
「出来た出来た。じゃ、これで大家さんに挨拶に行ってきましょう」
「おい、俺は今、どういうことになっているんだ」
てなわけで、お三千は「貫禄」のついた彦さんを大家の家に引っ張ってきた。
もちろん大家は、その彦を物珍しいような薄気味悪いような目で見ている。
「お三千さん、彦、これはどういうこったい」
「はい、実は亡くなった亭主の遺言通り、彦さんに二代目・天地玄黄斎を継いでいただくことになりまして」
「二代目?」
と大家は言ったが、彦もあやうく声を揃えるところであった。
「実は、初代・天地玄黄斎、隣り合って彦さんを見ているうちに、これは素質ありと見抜きまして、密かにその道を教え込んでおりました。亭主が、商売からさっさと帰ってくるのは怠け者ゆえと、皆様には思われておりましたが、さにあらず、実は彦さんに易の秘伝を伝えていたのでございます。また、彦さんが仕事にも出ず、のらくらのらくらしているように見えたのも、内で必死で修行するゆえ、また、秘伝を他に漏らさぬよう、修行していることを世間に知らせぬためでございます。わたくし、端でその様子を見ておりまして、その荒行のすさまじさに、何度目を覆ったことか、どれだけ涙を流したことか、また寒中、夜中に神社にお百度を踏んで、彦さんの大願成就なることを祈ったことか。
これからは、怠け者の彦さんではなく、易の秘伝を伝える二代目・天地玄黄斎として、よろしくお願い申し上げます」
立て板に水、まさに流れるような口から出任せである。こうして、大家も二代目本人も口をあんぐりと開けている間に、天地玄黄斎襲名の事実(?)を世間に知らしめてしまった。
数日後、お三千は長屋から姿を消した。
かくの如くして、二代目・天地玄黄斎、実は彦さんが世に出ることとなった。世に出るったって、歌舞伎役者じゃないんだから、人通りのありそうな辻なぞに店を出すだけである。
それでも、初代が名人として少しは知られたものだから、二代目はどうだろうとやって来る物好きもいた。
そして、占いはことごとくはずれた。それはそうだろう、
「ええ、アンポンタンという卦が出ました。これがステレンキョーとなりまして、ナンジャモンジャだから、テケレッツのパアとなります。失せ物は床下にありますな」
なんてのが当たるわけはない。たちまち客は離れた。
「まあ、忙しくないってのは有り難いけどよ。ちょっと、飯が食えなくなると困るなあ」
怠け者ならではの矛盾を抱えて、それでも、他にやることがないから毎日店を出していたが、そのうち、今度は「二代目・天地玄黄斎の易は当たる」という奇怪な噂が立ち始めた。
ある人は、失せ物は床下にあり、と言われて天井裏を探してみたら、見つかったそうである。
ある人は、尋ね人は江戸の北の方、浅草とか王子の辺、とご託宣をいただいて、芝や品川など南の方を探してみたら、見事巡り会ったそうである。
二代目・玄黄斎に占ってもらった人たちが出した結論は、
「あいつの易の逆を行けば、必ず当たる」
というものだった。
再び客が来るようになった。というより、押し寄せるようになった。
「こいつはたまらねえ。玄黄斎先生の苦労がわかる」
彦さんの二代目は、初代同様、なるべく人の来そうもないところを選んで店を出すこととなった。
「だからと言って、墓場で易者をやることもあるまい」
ある日のこと、耳元でそういう声がした。彦さんが振り向いてみると、初代・玄黄斎がにやにや笑いながら立っている。
塔婆や石塔が並ぶ墓地の入り口であった。
「ひっ、先生、化けて出やがった。こんなところで店なぞ広げて、悪かった。謝る。成仏してくれ
「怖がることはないよ。別にたたりも何もありはしない」
「先生、死んだんじゃなかったのかい」
「死んだよ」
「じゃあ、なんで大人しくあの世にいかねえんだい」
「うん、わしも極楽だの地獄だのに行くのだろうなと思っていたんだが、なんてことはない、相変わらず江戸の街をふらふらしている。お前さん達、生きているものには見えないだけだ」
「え、ずっといたのかい」
「どうも死んでも遠くに行くわけじゃないみたいだ。そうだなあ、例えて言うと、江戸の街の絵を描いて、そこにお前さん達を描くとする。その上に、吾輩なんぞの亡者を描いた薄い紙を重ねてご覧。同じ場所にいるのに、違う紙の上にいるから、互いに会わないことになる
「よくわからねえけど、そうすると、この辺に亡者がうろうろしているってわけかい。今まで江戸で死んだ人は、みんな、ここにいるのかい」
「うん、理屈じゃそうなる筈なんだが、あまり見かけないなあ。なんか、がらんとした感じだよ。亡くなった両親に会えるかと思ったが、どうも会えない。わしに易を教えて下さった先生を見かけたんで、駆け寄って生前のご恩の御礼を言おうと思ったら、『そうか、来たか』と言っただけで、すたすたと歩いて行ってしまった。どうも、亡者というのは、よほど恨みを飲んで死んだのでなければ、ごく淡泊なものらしい
「じゃあ、あんまり面白くねえね」
「だから、毎日、お前さんの横に立って占いを見ていたよ」
「えっ、先生、そりゃ人が悪い。いや亡者が悪い」
「いや、初めは、よくあれだけ出鱈目が口から出てくると感心したよ。彦さんの襲名を大家に紹介した女房の口上に勝るとも劣らないな」
「お三千さん、郷里に帰っちまったよ」
彦さんの口調はちょっと寂しそうだった。
「はは、あいつの里は、これが広大無辺でね」
「なんだい、そりゃ」
「お三千の三千は『三千大世界』の三千」
「へ?」
「まあ、いいってことさ。占いの話だが、お前さんの出鱈目さに感心したんで、途中から助太刀をした」
「助太刀?」
「お前の耳元で、ちょいとささやいたのさ」
「何にも聞こえなかったぜ」
「亡者のささやきなんざ、聞こえるとは思わないさ。でも、そっと耳に入っていたんだよ。近ごろ、お前の易が当たると評判になったのは、そのせいさ。自分で思いついたつもりでも、わしの言う通りに言っていたのだ。だが、当たることをそのまま言ったんじゃ、つまらんと思って、わざと正反対のことを耳に吹き込んだんだよ」
「おや、先生、死んでも易を立てるかい」
「なに、そんなことしないでも、死ぬとよく見えるもんだよ。たぶん、生きることへの執着とか欲得とか、すっぽり抜け落ちてしまうからだろう」
「そいつはありがてえ。先生、これからも頼むぜ」
「うん、だが、まあ、止めにしておこう」
「なんで」
「あんまり亡者とこの世の者が付き合いすぎるというのもよくない」
「じゃあ、おいらの占いは終わりかい」
「大丈夫だよ。そのまま、口から出任せを言っておいで。そうだな。それも、ちょっとわかりにくくした方がいいな。床下だの、北だの、はっきりした答えじゃなく、曖昧にぼんやりと言うんだ」
「どうしてだい」
「今だって、人びとはお前さんの言うことの逆、逆と考えるようになっているだろう。言ってみれば、お前さんの占いをもとにして、ああでもない、こうでもない、と一生懸命考えるのさ。そこへ、なんだかわからないことを言い出してご覧。連中、なおさら考え出すよ。そうしてみれば、案外、いい考えが浮かんでくるものだよ。考えて考えて、わけがわからなくなるほど考えて、くたびれた時分に、ふっと思いがけない方角から浮かんでくるのさ」
「いいのかねえ、そんなんで」
「占いなんて、本当はそんなもんなんだ。人に答えるんじゃなくて、謎をかけるんだよ。占ってもらって終わり、じゃなくて、占ってもらったところから始まるんだ」
「わかったような、わからねえような話だが、やってみるよ」
「じゃ、わしはこれで行くよ。彦さん、達者でな」
「おい、もう行くのかい。そこらで一杯やっていかないか」
「さっきも言っただろう。亡者とこの世のものが、付き合いすぎるのはよくないって」
「なんか、先生も死んじゃうし、お三千さんも行っちゃうし、寂しいなあ」
「わしは、江戸をうろうろしている。お三千は、三千大世界に充ち満ちている。寂しがることなんざ、ないよ」
そう言って、初代・玄黄斎は寺の門の方へ歩き始めた。しんと静まりかえったはずの境内なのに、いろんな音が充満しているような気がした。何かを呟いているようにも思えた。なんのことだか、耳を澄ませようとしたが、結局わからなかった。ただ、鴉が騒いでいるだけなのかもしれなかった。
いつの間にか、初代の後ろ姿は消えていた。
途中の居酒屋で一杯やって帰ることにした。
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