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2016年02月

社長のショートストーリー『娘盗賊』

社長1牛田六斎といえば、刀の鍔だの小束だのを拵える彫金師として、その道では知る人ぞ知る存在だが、元はといえば禄を食む武士だったのである。
それが何のきっかけだったかわからぬが、禄を返上して自ら浪人してしまった。もともと余暇の楽しみにやっていた彫金や刀の目利きで食っていくことになったのである。
もっとも江戸時代も後半になると、武士階級もお偉方を除いては貧乏侍ばかりで、皆、内職の傘張りなぞに精を出していたというから、別に浪人したことを悲しむでもなかった。むしろ傘張りよりは余程実入りがよく、あまつさえ「先生」などと持ち上げられたりもするのだから気分も悪くない。
江戸の南、芝の御刺身町の八畳、六畳、三畳に小さいながら庭もあるという借家に住みついて齢を重ねてきた。人呼んで「御刺身町の六斎先生」である。
それが数年前より一人暮らしになった。ふとした病で妻を亡くした。やはり芝の御造町で独立して一人前の彫金師になっている倅が一緒に住むように勧めたが、当分は気ままに暮らすことを選んだのである。飯なども自分で炊いていたのだが、年のせいか、なんだか面倒くさくなることもあった。 
六斎の元に出入りする刀屋で上州屋という商人がいた。先生もご不自由そうだから、身の回りの世話をする者を置いてはどうか、と言うのである。ちょうどいい心当たりがあるのだそうだ。
こんな小さな家に、そのような使用人を置くまでもあるまいと思ったが、熱心に説かれるうちに、だんだんそんな気になった。
なんとなく婆さんがやってくるものだと思い込んでいたのだが、上州屋が世話をしたのは、もうすぐ十五歳だという可愛らしい娘だった。
名を可与という。上州屋で働く女中頭の遠い親戚だという。
父は死んで、母と姉がいる。姉は仕立てものなどで稼ぎながら病気の母の面倒を見ている。母の世話は姉にまかせて、自分は奉公して少しでも家に仕送りをしたいというのだ。おそらく相談を受けた上州屋の女中頭が主人に話をして、六斎の家なら上州屋の目も届きやすいから、押し込むことに決めたのだろう。
そうなると、一種の人助けのようなものだ。六斎は可与を雇い入れることにした。
三畳の部屋を女中部屋として与えた。可与は炊事、洗濯、針仕事まで陰日向なくよく働いた。もっとも、こんな小さな家で六斎一人の世話をするのだがら、仕事は多いとは言えない。
彫金の方の使い走りもさせた。朝、八畳の仕事部屋の机の上を整えておくのも、可与の仕事になった。実際の仕事の上でも、道具の手入れなど、何かと手伝わせるようになった。
覚えのいい子で、いつの間にか弟子のようになってきた。そばで六斎の仕事ぶりをじっと見ていることもある。女彫金師に育て上げてみようか、と思うこともある。
用事を済ませて空きが出来ると、『論語』の素読なども教え込んでみた。
これにはかなり戸惑った様子だったが、目をぱちくりさせながら六斎の後について「子のたまわく、学びて時にこれを習う、また、たのしからずや」などと、蚊の鳴くような声で読んだ。
だいたい、ひどく無口な娘だった。六斎の記憶では、可与が「はい」「かしこまりました」以外のことを言うのを聞いたことがないような気がする。あとは細々と読む論語の言葉が耳に残っているだけだ。

主人と奉公人としての生活がもうすぐ一年になろうというある日のことだった。
六斎の前に手をついた可与が自分から、
「旦那様、もうすぐ一年でございます」
と言った。六斎は珍しい声を聞くような気持ちでぽかんとした。が、すぐに気がついた。この頃の女中奉公をするものなどは、大抵、一年契約だったのである。雇う側も雇われる側も双方気が合えば、更新という事になる。
「ああ、そうか・・・いや、お前さえよければ、引き続き居てもらいたいと思っておる」
いつの間にか、可与との生活が六斎にとって大事なものになってしまった。なんだか孫娘と暮らしているような気持ちになっていたのである。
「ありがとうございます。それにつきまして、旦那様に申し上げておかなければならなことがございます」
「なんだい」
「実は私、盗賊でございます」
六斎はぼんやりと娘の顔を眺めた。冗談を言っているようには見えない。だいたい、可与が冗談を言うどころか、はしゃいだ声を上げるのさえ聞いたことがない。
「馬鹿なことを言うものではない」
柔和な六斎の顔が引き締まり、声が厳しくなった。
「自分で盗賊だなどと言うものを置いておけると思うか」
「それでは、お暇を出されるのでしょうか」
可与が盗賊であるなどと言うことは信じられるものではない。それに、彼女を手元から離すのは寂しくもあった。
「いったい、いつ盗賊になるというのだ」
問い詰めてみることにした。
「夜中でございます」
「お前は寝ているではないか」
「でも出ていくのでございます」
乱心しているのか、と思った。しかし、目の色は至極尋常であり、口調もはっきりとして涼しい。
「わしのところが嫌になったか」
「とんでもございません」
この質問には目を見開いて、かぶりを振った。
「おおかた、お前は夢でも見たのだろう。このことは、少し落ち着いてから、また話すといたそう」

その夜、六斎は眠らなかった。床には入ったが、目は開いていた。可与が、先ほど自室に入ったのはわかっている。狭い家のこと、出ていくなら、すぐに気づく。もし本当に彼女の言う通りだったらひっ捕まえる。悪いものであれば、自分の手で成敗する。
まんじりともせず長い夜を過ごすうちに、夜が明けた。可与が起きて、台所に入る音が聞こえた。
「出て行かなかったではないか」
朝餉の給仕をさせながら、そう聞いた。
「わしは昨晩、ずっと起きていたのだ。おかげで眠くてかなわん」
可与は黙って控えている。毎朝見慣れた姿だ。
「今日は昼寝をする」

その夜のことである。昼寝をし過ぎたのか、妙に目が冴えた。なんだか、忌々しい気がする。床の中で寝返りを打ったり、溜息をついたりしていると、不意に物音もしないのに、空気中に濃厚な気配が感じられた。
「誰だ」
起き上がって刀に手を伸ばそうとしたところで、ふわりと押さえられた。女の手である。
「私でございます」
「可与か、何事だ」
「旦那様、今日はご一緒に参りましょう」
すると、ふわりと身体が浮いたような気がした。すうすうと風を切って飛んでいくようである。大きな十六夜の月の中を可与とともに飛んでいくのである。寝間着のままなので、少々寒い。
月の光に照らされて、眼下に瓦屋根が続いて並んでいるのが見える。絵で見た竜の鱗のようにも見える。日本橋あたりらしい。
不思議に恐いという感じはない。むしろ心地よい。
「こうやって可与は遊んでいるのか」
返事はなかった。
自分が雀にでもなったような感じで、とある屋根の上に降りた。どこか物持ちの家らしく、立派な鬼瓦が光っている。
今度は蛇になったように、隙間からするすると天井裏に抜けた。
可与が、天井板の一枚を細めにずらした。どういう表情でこんな事をしているのかは見えない。
「ご覧なさいませ」
促されて板の隙間から下を覗いてみると、寝間のようである。中年の夫婦が布団を並べて寝ている。女房は狐のように痩せていて、亭主はでっぷりと太った男である。鼾がうるさい。六斎はなんだか見覚えがあるような気がした。
「行って参ります」
「おい」
止める間もなく、すでに可与は主人の枕元にいた。男の頭の上あたりに小さな壺のような香炉のようなものが置いてあった。可与がその蓋に手をかけたと思った次の間に、すでに天井裏に戻って来ていた。煙のような娘だと思った。
「物を盗ったのか」
あの壺の中に入っていたものは何だったのだろう。このような大胆なことをやって盗み出すからには、小さくとも、さぞかし価値のある物なのだろうか。宝玉か仏舎利か。
加代の指が伸びてきて、六斎の唇に触れた。そして、上唇と下唇の間に何か入ってきた。固くてごつごつした小さな物だった。甘かった。

いつの間に戻ったのか、わからない。目を開けると朝だった。台所から可与の立ち働く音が聞こえている。
いつものように可与は盆を抱えて、飯びつの横に控えている。いつものように無口である。六斎は新香をぱりぱりと音を立てて食っている。年の割りに歯が丈夫である。
「夕べは夢を見た。お前が変なことを言うからだ」
そう言って、可与と共に月光の中を飛翔して、さる富家の屋根裏に忍び込んだ夢の話をした。
「それは下野屋さんの屋根でございましょう」
そういうと可与は珍しくにっこりと笑った。花のようだった。そして袂を探ると、何か小さい白い粒を取り出した。
 金平糖だった。
「下野屋さんのご主人の枕元の壺の中にあったのでございます」
 
可与は、もともとは悪くない家の生まれで、幼い頃から何不自由なく育ち、芸事なども習わせてもらっていた。
それが父が商売上の投機の失敗して没落してから辛酸を舐めることとなった。小さな頃はふんだんに食べていた甘い物も、滅多に口に入らなくなったのである。

六斎の元で働くようになったある日、上州屋へ使いに行った
その店先に、上等の着物を着て、でぶでぶと太った男がやって来て、腰掛けた。
「これはこれは、下野屋さん」
と上州屋の女将が愛想を言って、たばこ盆をその前に置いた。
「いや、私は煙草はやらない。もっぱらこれだ」
と懐から袋を取り出すと、中に入っていたものをつまんでは口に入れた。
金平糖だった。
さらに茶が出され、分厚に切った羊羹が出されるとぺろりと平らげ、お代わりまで要求した。甘い物に目がないようだった。
可与は上州屋の主人が六斎宛てに書いている書状が出来るのを待っている。その目は、じっと下野屋の口元に注がれていた。甘い物に飢えている自分が感じられて恥ずかしかった。そんな駄菓子を買う銭さえ惜しんで母の元へ送っていたのである。
太った男は、加代の顔をちらりと見た。可与は下を向いた。下を向きながら、
「娘さん、一粒いかがかね」
と下野屋が金平糖の袋を差し出してくれるところを想像していた。
だが、くれるどころか、彼はその大きな掌に袋の残りをざっとあけると上を向いて口をぱくりと開け、全ての金平糖を流し込んでしまった。
その夜、彼女の身体は布団も天井もすり抜けて空中に浮かんだ。足掻くと空中をすいすいと進んでいった。なぜか、行ったこともない下野屋の家がわかった。身体が伸び縮みするようで、紐のように天井裏に忍び込んだ。
下を覗くと、布団に座って、主人が女房と何かを話している。主人の丸々とした膝元には壺が置いてあって、ひっきりなしに金平糖をつまみ出しては口に運んでいく。
加代は待った。辛抱強く待って、夫婦が寝付くと、枕元の壺のところへ降りていった。そして、一粒だけ口に入れた。前にこのような甘味を食べたのはいつの頃だったか。天にも昇る気持ちだ。
そして、実際天にも昇っていた。月に近いところまで昇ると、口の中の金平糖が溶けてなくなるのに従うように降りていって、気がつくと元の六斎の家の布団の中にいた。外が白々と明るくなり、雀が騒ぎ出した。
それから毎晩行っては、下野屋の金平糖を一粒、失敬した。そのたびに、ちくりと心が痛み自分を恥じた。
だんだん夢見がうまくなり、それが夢なのかうつつなのか、はっきりしなくなるほどだった。昨日などは、主人の六斎を自分の夢の中に引き込んで、一緒に天井裏に出かけることさえやってのけた。

「そのような夢を見るのは行儀がよくない。今晩から、やめなさい。そうすれば引き続き家に置いてやろう。給金だって考えよう」
苦虫を噛みつぶしたような顔で六斎は可与に言い渡した。
可与は、
「もう、いたしません」
と頭を下げて、仕事に戻った。それを見送って、
「子供だのう」
六斎は声を殺して笑った。
そして、ふらりと出かけると、帰りには一袋の金平糖を買って帰ってきた。
それを貰った可与は、毎日一粒ずつ、食べたそうである。



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