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2016年04月

社長のショートストーリー『文福磯だぬき』

社長1「ちっくしょう」
 たぬ吉は忌々しげに呟いた。今日も、海に転げ落ちてしまった。俺も、そろそろ年貢の納め時か。

 「文福磯タヌキ」に属するたぬ吉の身体は鉄で出来ていて、羽釜の形をしている。羽釜の両脇から首とシッポが出て、回りに四肢がついている。全体の形は亀に似ていなくもない。
したがって、潮風にも海水にも弱い。若い頃はそうでもなかったが、だんだん身体に錆が回ってくるのを感じている。
 日本に生息するタヌキは、通常我々がタヌキと呼んでいる種と、胴体が鉄製であるのが特徴の文福タヌキの2種に別れる。文福タヌキの存在が人間によって認識されたのは比較的新しく、14世紀の終わり頃、群馬県館林市の茂林寺の住職によるとされている。
 文福タヌキは、また様々な亜種に別れる。形態別には、茂林寺で発見されたのは文福茶釜タヌキであったが、その他、鍋タヌキ、釜タヌキ、茶瓶タヌキ、片手鍋タヌキなどである。いずれも背中に出来た空洞で湯を沸かせるのが特徴である。
 また、生息場所によっても亜種がある。山野に棲むもの、平地に棲むもの、様々であるが、中に海岸に生息域(ニッチ)を見いだしたのが、文福磯だぬきである。。海岸の岩場に巣を作り、貝類や海草、小魚を食物とする。甚だ厳しい環境ではあるが、外敵による捕食圧を受けにくいという場所ではある。
 一般に臆病とされているタヌキだが、文福磯だぬきは取り分け気が弱く、本来火に強く水に弱いはずの彼らが、いわばタヌキ界を追い出されていくように、海岸に生きる場を見いだしたのである。
 こういう環境と身体であるから、文福磯だぬきの生涯は忙しい。というより、はかない。
 忙しく生まれ、忙しく成長する。大きさも羽釜としては小ぶりである。そして、忙しく子孫を残すと、身体に錆が回ってきて、赤茶けた骸を海岸に晒し、波か風に掻き消されてしまうのである。
 
 たぬ吉は、じっと沖を見つめていた。この湾の入り口である。その狭い海峡に、煙を上げているでかいクジラみたいなのがいる。
 見た事のない生き物である。四匹いるようだが、煙を上げているのは、うち三匹である。
「文福タヌキの仲間ではないか」
 たぬ吉は直感した。煙を上げ、白い湯気を出しているからには、中で湯を沸かしているに違いない。
 文福タヌキの中で海に進出したものはいないはずだった。たぬ吉の一族の間に伝わっている叙事詩『移民の歌』では、苦難の旅の果て海に生きる決断をした磯だぬきの先祖を讃えているが、それはあくまで海岸線にまで進出したことを指しているのであって、海上に悠々と浮かぶということを意味しているのではない。
「あいつらの秘密は何だろう」
 彼らが平然と海に浮かんでいられる理由がわかれば、そしてそれを磯だぬきの生活に利用することが出来れば、錆と戦っては虚しく死んでいくという我々の苦難の歴史に終止符を打つことが出来るかもしれない。
 たぬ吉は、命がけで泳ぎだした。あの四匹が遊弋する浦賀水道に向けて。

 確かに命がけだった。羽釜の形なので、浮力には事欠かないはずだが、波が荒ければひっくり返ってしまう。磯だぬきにとって、もっとも恐るべき事態である。
 だが、遠浅の海は凪いでおり、引き潮は彼を、あの四匹のところへ都合良く運んでくれるかのようであった。
「おーい、おーい」
 たぬ吉は必死で声を上げた。彼らの巨大な身体に当たる波が、意外に強くたぬ吉を揺さぶっていた。このままでは転覆である。
 すると、真っ黒い身体の端の方がにゅるりと動いた。つづいて巨大なワカメのような目蓋が開き、その後ろから青い目玉が現れた。
「助けてくれ。このままじゃ、溺れ死んでしまう」
 鼻っ柱のようなところから、何か降りてきた。たぬ吉にはわからなかったが、それは鎖に吊された碇だった。
「これにおつかまりなさい」
 たぬ吉は、なんとか碇によじ登ると、その上に腰掛けた。
「大丈夫?震えているわよ」
「ありがとう、助かった。おいらたぬ吉っていうんだ

「私の名前はサスケハナ。アメリカのノーフォークってところからやってきたの。マシュー・ペリーって人間のおっさんを乗っけてね」
「升?ぺろり?おっさん?なんだい、そりゃ」
「なんでも、この国、あなたが住んでいる国に開国を迫るとか言ってるみたい」
「なんのことか、俺にはさっぱりわからねえ」
「なんであんな、危ない事したの」
「見てたのかい?」
「そう、あなたが陸から私たちの方をじっと見ているときから気づいていたわ。いつでも、陸に近づくときは、人間達から注目されるけど、あなたのような小さな動物に見つめられるのは初めてよ。可愛いと思ったけど、なんで、そんな必死な顔で見ているのかは、わからなかった」
「俺は、文福磯タヌキなんだ

「イソダヌキ?

「おいらの仲間は身体の中で湯を沸かせるんだが、どうも、その辺のところが、お前さんと似ているんじゃないかと思って会いに来たんだ」
「仲間だと思った、それだけ?それだけで、あんな危ないことを?」
 サスケハナを改めて見ると、クジラのようでもあるが、奇妙な巨大な輪っかが同体の真ん中に着いている。手足はないらしい。その輪っかで水を搔いて進むのか。そうしてみると、陸上で移動する手段を持っていないように見える。
「お前さんは、陸には登らないのかい」
「そうね、時たま、身体の手入れをしてもらうために、ドックに入るわ。でも、だいたい海に浮かんでいるわね」
「するてえと、お前さんはタヌキじゃないのかな」
「タヌキ?よくわからないけど、人間達は私のことをShipって呼ぶわ。Sheを使って呼んだりする

「そう言えば、上の方で人間の声が聞こえるな。それも、大勢いる」
「そう、私たちShipは人間や、その荷物を載せて海の上を運ぶために作られたのよ」
 たぬ吉は失望した。あれほどの危険を冒して、磯だぬきの仲間だと思えばこそ海を渡って会いに来たのに。
今来た凪いだ海面が霞んできた。思わず涙がこぼれた。すると、あとからあとから止まらなくなって、鎖にすがって男泣きに泣いた。
「あら、どうしたの?泣くのはおやめなさい。何か、わけがありそうね」
 たぬ吉は、磯だぬきの苛酷な生活、また、先祖が亜種としての地位を確立するまでの苦難の歴史を語った。
「俺は、お前さんを磯だぬきの仲間だと思ったんだ。海にずっと浮かんで波しぶきを受け続けても錆びない磯だぬき。鉄張りの身体のお前さんが、なぜ平気でいられるのか、その秘密を教えてもらえれば、俺たち海岸に棲む磯だぬきの苦しみが終わると思ったのさ」
「そう・・・あなた達の生き方がかかっていた・・・

 サスケハナは目を細めた。
「あなたが、海岸から海の上に飛び降りるのを見て、なんて無謀なことをするんだろうと思った。だけど、必死に泳ぎ始めたのを見て、小さいのに、なんて勇気があるんだろうと思った。なんどもひっくり返りそうになるたびに、ハラハラしたわ。私を操縦する人間が気づいて、助けに行ってあげればいいのにとも思った。なんとか、あなたが私にたどり着いて、抱き上げたとき、ほっとした。長い航海の果てに、初めてやったことがそれ。私、正直言うとちょっと感動してたのよ

 サスケハナは、陸の方、つまり三浦半島の海岸線を見渡した。そして、視線をぐるりと転じて湾の奥の方、すなわちエドと呼ばれるこの国の首都があるらしいあたりも見やった。
「私ねえ、実は鉄で出来ているんじゃないの。もちろん、湯を沸かすためのお釜や、その動力を伝える部分は鉄製だけどね。外側は木造なのよ」
「木?じゃあ、俺たちの国の人間が操っている船と同じじゃないか。なんで、そんなに黒いんだ。そして腐らないんだ?」
「そう、あなた方へのアドバイスになるといいんだけど、ピッチというねばねばしたものを塗っているのよ」
「ピッチ?」
「石油や木から作るらしいんだけど。ある種の木をお釜に入れて蒸し焼きにするの。そう、もしかすると、あなたの身体に向いているかもしれない

 サスケハナは知っている限りの知識を伝えた。たぬ吉は、賢そうな丸い目をして訊いていたが、次第にその目に熱が籠もってきた。
「ありがとうよ、サスケハナ。俺、早速戻って、試してみるよ」
「どうやって戻るの」
「もちろん、泳いでさ。さっきと同じだ」
「おやめなさい。あなたは疲れているわ。とても、泳ぎ着けやしないわ。しばらく待ちなさい。やがて、こちらの方からボートを下ろして上陸を試みるか、陸の方からあなた達の国の人がやってくるか、そのどちらかになると思うの。その時、ボートに紛れ込んで戻るほうがいいわ」
「俺、腹ぺこになっちまう」
「私の身体には海草や貝がこびりつくし、サカナも飛び込んでくるかも知れないから、それを食べて過ごすのよ」
 その後、ことはサスケハナの忠告通り進み、たぬ吉は礼を言うのもそこそこに陸への帰路についた。
 もちろん、ただちに海岸に隣接した林に入り、木を採集すると、それを背中に放り込み蓋をした。そして、とある農家に忍び込み、素知らぬ顔をしてかまどの上に乗った。
 その後、農家の人びととの多少の、いや、大変なすったもんだはあったものの、たぬ吉は文福磯タヌキ界で初めてピッチの精製に成功したのである。
 磯だぬきの錆との戦いの苦難の歴史に終止符が打たれた。嘉永六年六月三日、西暦でいうところの一八五二年七月八日である。
 人間にはミシシッピ号、サラトガ号、プリマス号と共に「黒船」と呼ばれて恐れられた蒸気外輪フリゲート艦サスケハナは、磯だぬき界ではピッチをもたらした恩人、いや恩船として長く語り伝えられることになった。

 翌年、寒風吹きすさぶ三浦半島の海岸で、たぬ吉は浦賀水道の方を凝視していた。
 昨年、サスケハナは10日に満たない日々をエド湾で過ごして、浦賀水道の彼方に姿を消した。それを見送るたぬ吉の目には、サスケハナが「また来る」と言っているように思えてならなかった。
翌日から、たぬ吉は岩山に登り、じっと浦賀水道の彼方を見つめる日々が始まった。磯だぬきを救ってくれたサスケハナへの礼をまだ述べ尽くしていないような気がしていたのである。
いや、礼だけではない。自分の思いを、もっともっと伝えたい。それを受け止めてくれるのは彼女だけのように思えた。そして、彼女が見てきた自分の知らない世界のことを話してもらいたい。
八ヶ月のあいだ、来る日も来る日も、雨の日も嵐の日も、風が綿雪をちぎってぶっつけてくる日も、たぬ吉は待った。磯だぬき仲間では、彼が気が触れたのではないかという噂が立った。
 そして、ついに嘉永七年一月一六日、西暦一八五四年二月一三日にサスケハナは、その懐かしい姿を現した。サスケハナの同僚は六匹に増えていた。(その後、さらに三匹加わることになる)
 もう、たぬ吉は海に飛び込むようなことはしない。
いや、実は、ピッチを身体に塗って海に強くなった自分を、サスケハナに見てもらいたいような気が少しばかりしたのだが、また彼女に心配をかけるのは気が引けた。それに、人間共のボートに密航するのはお手の物になっていた。
 サスケハナは前回より遙かに長く、数ヶ月エド湾にいた。その間、たぬ吉は機会を捉えては、彼女に会いにいった。そこで、何を話したのか。サスケハナが湾を離れたとき、たぬ吉の姿は、もはや三浦半島にはなかった。
 その後、サスケハナは箱館に寄り、下田に寄港し、琉球へと向かい、やがて永久にこの国から姿を消した。海鳥の群れが、その甲板上をたぬきがちょろちょろと駆け抜けるのを目撃した。
 たぬ吉は、磯だぬき界にピッチを紹介した偉人、いや偉狸として名を留めたが、初めて海外渡航をした磯だぬきでもあったはずである。だが、そちらの方は「文福磯だぬき年代記」には記載がない。
 アジアを離れたサスケハナは地中海での任務に就き、さらには南北戦争のアメリカで北軍艦として働き、南米大陸へも赴いた。そして、一八六八年に退役した。日本では明治維新の年にあたる。
 たぬ吉が、どうなったのか、わからない。人間の栄光と愚劣をしっかりとその丸い目に収め、上記のいずれかの場所でサスケハナに看取られて生涯を終えたのだろうか。
 サスケハナは一八八三年に売却されスクラップにされたそうである。

 参考文献:Wikipediaの各項目、および「文福磯だぬき年代記」(磯だぬき刊行会)
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社長のショートストーリー『能三郎の舟』

社長1「能・・・てめえってやつは・・・」
 そう言ったっきり、政五郎の口から次の言葉が出てこない。 政五郎は大工の棟梁である。
 能三郎は、政五郎の前で膝に手を置き、腰をかがめたまま動かない。額に脂汗が湧き出てきて、ぽたぽた地面に落ちた。彼は政五郎の下で働く大工である。
「棟梁、すまねえ」
「能よ、てめえってやつは・・・」
 政五郎は、また同じ言葉を繰り返した。言うべきことがいっぱいありすぎて、頭の中でこんぐらかっている。
 ここは両国橋の東側のたもと、橋の下である。見上げると太い柱に支えられた巨大な橋の裏っ側が見える。あの上には、今日も大勢の江戸の市民が行ったり来たりしているのだ。その足音がどろどろと雷様の腹っ下しのように聞こえてくる。
 その橋桁の下に巨大な・・・城のようにも見える、神社仏閣のようにも見える、須弥山のようにも見える、という建造中の舟がある。並みの千石船より、遙かに大きい。この馬鹿でかい代物を能三郎が一人で作っていたというのか。
 近ごろ、でかい舟の話と言えば四年前、嘉永六年に浦賀にやって来たペルリの黒船ということになる。実は政五郎自身、神奈川あたりまで出掛けていって、遠くで煙を吐いている鯨のような蒸気船を見物してきた物好きの一人なのだが、なんだかあれよりも、これの方が大きいような気がする。 
 両国橋の裏側ははっきり見えているのだが、この舟のてっぺんの方は、ぼうっと霞んでいて、どう橋の下に収まっているのか、よくわからない。収まっていないようにも見える。橋の上に突き抜けて、その先の天空まで伸びてしまっているようにも見える。その辺がはっきり見えないというのは大工としては情けないところだが、どう目をこらしても見えない。いや、目をこらす勇気が挫ける。
「おめえは、黒船見物には行かなかったクチだな」
「へ」
 蚊の鳴くような声をさらに飲み込んだような返事だった。もともと真面目なやつだ。物見高い連中に混じって騒ぐよりも、現場に残って守る方を選んだはずだ。
 その真面目なやつが、このところちょくちょく仕事を休むので政五郎としても気になるのだ。
 去年、つまり安政二年の大地震からこっち、江戸は却って復興景気に湧き、大工どもは有卦に入っていた。普段、銭を持ちつけないやつらの金回りがよくなると、やることはきまっている。仮営業をしている吉原の上得意は大工を初めとする職人どもとなり、二日酔いで仕事に出てこないやつが続出する。政五郎は腹も立て、呆れもし、困惑もしたが、能三郎だけはちがうと思っていた。むしろ、やつこそ最後の頼みの綱だ。それが、ぽつぽつ出てこない日が目立ってきたので、棟梁も焦った。やつまで茶屋酒の味を覚えやがったか。
 そこで、今日は気が進まないことではあったが、能の跡をつけることにしたのだ。道具箱を担いで長屋を出た彼は、現場の方には向かわず、両国橋の下に姿を消した。それを追って土手を下ってみると、幻のようなものが姿を現した。
「能・・・てめえってやつは・・・」
 三度目である。まだ、言いたいことが言葉にならない。
 こんなもの、お上に知れたらどうなる。幕府は長い間、大船の建造を禁止してきたが、黒船が来て以来、その禁を解いた。雄藩は建造に向かっているという。とはいえ、それは、あくまで大名相手を想定してのことではないか。能三郎のような一庶民が、こんなことを始めるとは思ってもいないに違いない。これが知れたら、能の家族はおろか、俺の方までどんなお咎めがあるかわかったものじゃない・・・。
ふと政五郎は首をねじって大川の水面に目をやった。何艘もの舟が上り下りしている。中には昼っぱらから浮かれ騒いでいる能天気な屋形舟も出ている。その向こうには、もわっとした水蒸気の中、復興めざましい江戸の屋根屋根が見えている。
「おかしかねえか」
政五郎は誰にいうともなく呟いた。あれらの舟に乗っている連中は、能三郎の大船を見て、何とも思わないのだろうか。驚く様子もなく行き来している。それとも、連中の方が俺より肝が据わっているのだろうか。今、屋形舟の舳先に出てきて真っ赤なだらしない顔をして踊り狂っているやつの方が、江戸でもちょっとは名の知れた、この政五郎より度胸があるというのか。それはいくらなんでも、飲み込めねえ。
舟だけじゃねえ。橋の上からだって、両岸からだって見えなくちゃならねえはずのもんじゃねえか。いや、それなら、この俺だ。この十日ばかりの間に、二度や三度は両国橋を往復したはずだ。その俺の目にあたりの景色は変わりなく写っていたのだ。
「飛んだ酔狂だぜ」
「へ」
能三郎はそれだけ言って、さらに身を縮めた。汗があぶくのように顔面を覆っている。
政五郎はなんだか酔っぱらったような足取りで土手の方へ向きを変えると、身体が一尺ばかり浮かんでいるような足取りで登っていった。
そして、どこをどう歩いたのか、日暮れに家に帰ってきたときには、その日にあったことをすっかり忘れていた。

能三郎には、三人の息子がいた。一二歳の仙助、一〇歳の半助、八歳の弥平である。すでに仙はある職人に弟子入りし、半は御店の小僧、弥平は寺子屋に通っていたが、ある時、それらをすべて辞めさせた。
そして、末っ子の弥平はもっぱら、虫けらだのネズミだの小さな生き物を出来るだけ多くの種類、生きたまま捕まえてくるように言われた。捕まえた動物は、両国橋の下に持っていくことになっていた。
 真ん中の半助は、イヌ、猫、ウサギ、イタチなぞを出来るだけ多くの種類、生きたまま捕まえてくるように言われた。捕まえた動物は、両国橋の下に持っていくことになっていた。
 長男の仙助は大変だった。毎日、どこかから、牛やウマ、シカやイノシシ、はてはオオカミまで大きな動物を出来るだけ多くの種類、出来るものなら虎や象まで、両国橋の下に持っていくことになっていた。
しかし、両国橋の上では、行き交う人びとの喧噪は聞こえてきても、動物の声は、にゃんともぷーとも聞こえなかった。

能三郎はやがて、政五郎の現場には行かなくなった。長屋も引き払ってしまった。女房は、三人の息子と共に舟の上部の部屋に入り、もう、とか、がー、とか賑やかな動物たちの世話に明け暮れることになった。箱船の中は、多くの部屋に仕切られ、それなりの秩序を持って動物が分類された。
舟の長さは300キュビト、幅は50キュビト、高さは30キュビト。
「能ちゃーん、どう?もうすぐだよー。だいぶ、出来たー?

といって、両国橋の下に降りてきたのは、ずいぶん小さい男で、烏帽子に水干、沓という神主のような格好をしていた。もっとも衣裳は擦り切れているし、沓には穴が空き、烏帽子もだいぶずっこけている。
「うん、だいぶ出来ているねえ。さすが、能ちゃん、腕がいいや

「ありがとうございやす。もう仕上げに掛かっております」
「よろしくね。『その日』は、必ず来るんだからねー」
「しかし、あっしでいいんでございやすか」
「なにが?」
「あっしは、船大工でもねえ、家を建てる方の大工なんですが」
「だって、こうして立派に舟が出来上がっているじゃない」
「でも、舟を作るなら、そっちの方でもっと腕のいいやつが・・・」
「あのね、能ちゃん、腕だけの話じゃないの。お前じゃなきゃだめなの」
「なぜ、あっしが・・・」
「お前だからだよ」
「でも・・・」
「お前が、ああだこうだと言えないの。お前は選ばれる方で、選ぶ方じゃないんだから」
能三郎は問うのを諦めた。
「八月二十三日から降り始めるからね」
「は?」
「雨だよ、雨。二十五日の暮れ方から大雨になる。それまでには、動物は全部舟に入れ、食べ物なんかも積み込んでなきゃだめだよ。あ、もちろん、家族も入っていてね」
「それまでに、親父やお袋の墓参りに行ってもいいでしょうか」
「もちろん、舟さえ仕上がれば、能ちゃんの勝手だよ」
「恩になった政五郎棟梁にも挨拶に行きてえ」
「行きたければ、そうするがいいさ」
「いや、そうすると、別れが辛くなる・・・ねえ、あっしらの代わりに政五郎棟梁の一家を舟に乗せるってわけにはいかねえんですかい」
「だめだね」
「棟梁はいい人なんですよ」
「そうかもしれないけどね、選ばれていないんだからね。もう一度言うけど、選ぶのはお前じゃないんだからね。お前があれこれ考えるべき事じゃないんだよ


暑さの中に秋があり、透き通った秋の空を背景に眩しい花をお咲かせている百日紅は夏の名残だった。
きらきらする陽光の差し込む庭を背にして姐御、つまり政五郎棟梁の女房が座っている。
「え、棟梁は成田に?」
 と能三郎はうろたえた。
「そうさね。あっちの方で揉め事が起きて、棟梁にどうしても顔を出してもらわなきゃならないってんで、旅に出たんだよ」
「そ、それは・・・」
「能さん、挨拶に来たって言うけど、何の挨拶だい

 さて、そう言われてみると、何の挨拶と言っていいのかわからない。ただ、どうしても政五郎に会っておかなければならないような気がしたのだ。
「いえ、それなら、またいずれ参りやす・・・できれば・・・」
「なんだい、できればってのは。お前、どこかに行っちまうような言い方だねえ」
責めるような言い方だが、目には笑みが宿っている。
「棟梁は、能さんを若い頃から大工として育て上げてきたんだ。腕もいいが真っ直ぐな気性のいい職人になったってんで、喜んでいたんだよ。それが、ここんとこ仕事場に姿を見せないんで、あれで内心しょげていたんだよ

能三郎は姐御の顔を見上げることができない。目を上げれば、そこには、少々トウが立ったとはいえ、美しい顔があるだろう。小股の切れ上がった江戸前の女というのは、姐御のことだ。肌は、少々浅黒いが、黒曜石のように光る瞳、気の強そうな口元、娘の頃から、いざとなれば男顔負けの啖呵がその口からぽんぽんと飛び出してきたものだ。口は悪いが心根は優しくて・・・・・・。
「どうするんだい。旅にでも出るってのかい。旅に出ても、しょうがなかろうよ。棟梁の元で、もっといい仕事をおしよ」
能三郎の唇が震えた。両国橋の下では、今頃、女房や息子達が最終段階の準備に大わらわだろう。そして、八月二十三日には雨が降り始めるのだ。そうなれば、この姐御も棟梁も・・・。
「男が決めたことなら、あたしが言っても無駄かも知れないけどね、どっちにしてもね、能さん、黙ってほかの棟梁の下で働くような、政五郎の顔を潰すことだけは、しちゃいけないよ。わかっているだろうけど・・・・・・あら、どうしたんだい。能さん、いけないよ、泣いているのかい」


『武江年表』安政二年の項には、「八月二十三日、微雨。二十四日、二十五日、続いて微雨」とある。
それが、
「二十五日、暮れて次第に降りしきり、南風烈しく、戌の下刻より殊に甚だしく、近来稀なる大風雨にて、喬木を折り、家屋塀牆を損ふ。又海嘯により逆浪漲りて、大小の舟を覆し、或ひは岸に打ち上げ、石垣を損じ、洪波陸へ溢濫して家屋を損ふ。この間、水面にしばしば火光を現はす。此の時、水中に溺死怪我人算ふ(かぞう)べからず」
安政大地震の翌年、再び江戸を襲った天災である。大地震の時には、下町に被害多く、山の手は「安泰」だったが、今度の洪水は江戸中に被害をもたらしたとある。
そして、翌二十六日の朝には晴れ始めたとあるが、実はそうではなかっただろう。むしろ、次の文章の方が真実を伝えているのである。
「洪水四十日地にありき是において水増し方舟を浮めて方舟地の上に高くあがれり。而して水瀰漫り(みなぎり)て、大に地に増しぬ方舟は水の面に漂へり。水甚大に地に瀰漫りければ天下の高山皆おほはれたり・・・・・・凡そ地に動く肉なる者鳥家畜獣地に匍ふ諸の昆蟲および人皆死り・・・・・・」(旧約聖書・創世記)
水は百五十日の間、地にはびこったという。時期が来ると能は、舟の窓を開けて鴉を放った。さらに、鳩を放ったが、それは留まるところを見いださなかった。その七日後に再び鳩を放ったところ、暮れになって若葉の生えたオリーブの枝をくわえて戻ってきた。能三郎は、水の減りつつあるを知った。

 従って、その二年後から三年後に起こった、安政の大獄という事件は実はなかった。主導した井伊直弼も、処刑された橋本左内も吉田松陰も頼三樹三郎も、すでに水中に没していたからである。
従って万延元年の桜田門外の変もなかった。その後の幕末の混乱もなく、大政奉還もなく、明治維新もなかった。
これを書いている私も、これを読んでいるあなたも、実はいるのかどうだか、よくわからない。
能の方舟の一家は、その後、どうなったか。いずれ何処かの地に降りて、動物たちを放ったのだろう。
そして、数千年を経て、ベツレヘムの地にてヨセフの妻・マリアは、イエスと名付けられることになる男の子を身ごもったのである。西暦紀元元年ということになる。