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2016年06月

社長のショートストーリー『走れカメロス』

社長1 カメロスは激怒した。必ず、あの傲慢なウサギに勝たねばならぬと決意した。
 確かにウサギは、後足が大きく生まれついている。身も軽い。それ故、風のように駆けることが出来る。だが、親にもらったその身体を誇って、
「もしもし、カメよ、カメさんよ。世界のうちでお前ほど、歩みののろいものはない。どうしてそんなに遅いのか」
 などと、満座の中で、人を辱めていいものか。
 自分は勇者である。いかに強きものの前からも逃げたことのない漢である。もっとも、逃げるにも逃げられない足の遅さだから、などというものもいるが、そんなことは問題ではない。カメロスは高らかに答えた。
「なんとおっしゃるウサギさん、それなら私と駆け比べ。向こうのお山の麓まで、どちらが先に駆け着くか」  カメロスがウサギに競走を挑んだという噂は、たちまちシラクスの市民に広まった。そして、彼らはカメロスを嘲笑した。
「これは面白い話だ。勝負という点では、ギリシャで一番の走者、ウサギが勝つに決している。しかし、挑戦者のカメロスが、自分を勇者の如く思っているらしいのが滑稽ではないか。『勇者は侮辱されて黙っているわけにいかぬ』とのたまったらしい。難が訪れるや、手も足も首も甲羅のうちに引っ込めて嵐の去るのを待っているばかりのカメのどこが勇者なのだ」
 だが、こういうシラクスの市民に対し、敢然と反論したのがカメロスの親友、セリヌンティウスであった。
「諸君は勇者というものを、どうお考えか。車輪の前で斧を振り上げるカマキリのように、やたらと自分の勇を誇りたがる連中のことか。あるいは小事を大事であるかのように騒ぎ回って、自分の見せ場を作りたがるやつのことか。ウサギなどは、こんな連中の一人ではないか。
 東洋の漢信という武将は、若い頃、町のチンピラに絡まれて、あえてチンピラの言いなりに、その股ぐらをくぐり平然としていた。そんな小事の向こうに大事が待っているからだ。大きな志を持っているからだ。
また東洋では臥竜という言葉がある。龍は、いつか天に飛び上がる時を待って、水の底にじっと潜んでいるのだ。
 私はカメロスは、そんな男だと思っている。甲羅の中の彼は、いわば淵に潜んだ龍だ。
 だが、今回、彼はウサギの嘲笑の中に、彼一個人のみならずカメ全体への侮辱を読み取ったのだ。さらには、弱き者、貧しき者、虐げられた者一般への侮辱を感じたのだ。彼一人の問題ではないのだ。

 カメロスは、びっくりした。いつの間にか、自分が世界を背負ってウサギと戦う者のようになってしまっている。
「セリヌンティウス、私は君が言うほどの男ではない」
「そんなことはない。私は君以上に君のことをよく知っている」
 もはや絶対後には引けぬことをカメロスは悟った。

 この話が、暴君ディオニス王の耳に入った。彼は人間への不信にさいなまれていた。いや、人間だけではなく、ほ乳類やは虫類への不信にもさいなまれていた。たぶん、両生類や昆虫類や魚類や腔腸動物への不信にもさいなまれていたであろう。
 彼は、それゆえ孤独であった。彼は、人間やほ乳類やは虫類の下劣さを証明するようなことを探し出して、彼らを処刑する血の喜びによって、その孤独を満たそうとしていた。
「その競走、わしの主催としよう」

 そして、王は三人、すなわちウサギとカメとセリヌンティウスを召し出した。王は、この中に必ずや卑怯者が交じっているに違いないと信じていた。それゆえ、この三人の中から、次の血の犠牲が現れると思っていた。
「ウサギよ、汝はギリシャで一番の走者じゃそうな。それが、何故、カメなどと競走をするのかな」
「その者が、あまりにもおのれを知らぬ増上慢でありまするゆえ」
「さようか。汝が負けることは、よもやあるまいと思うが」
「けっして、ございませぬ。それどころか、それがしは自らに大きなハンデを負わせることにしております。 その日に故郷で妹の結婚式があることになっておりますが、それに寄ってから、ゴールに向かっても勝つでありましょう。なに、わざとその日にするように、妹と許嫁に申しつけたのでございます。 万が一、負けるようなことがありますれば、死罪をお申しつけていただきとう存じます」
「ふむ、汝は勇者であるな」
 次に王の前に進んだのはカメロスであった。王は言った。
「どうじゃ、カメロス。ウサギは負ければ命を差し出す、と言っておる。誠に殊勝なことであるのう」
「王様、わたくしも命を差し出しまする」
「意地を張るではない。汝が苦手な競走で命をかけることはないではないか。今なら、この勝負、やめにしてもよいぞ。そのかわり、お前の甲羅には一生、『私は勝負から逃げた、ドジで間抜けなカメなんです』と書いておくことにしよう」
「王様、しかし、そのようにはならぬでしょう」
 一瞬、王が鼻白んだように見えた。が、それを一層皮肉そうな嘲笑の微笑みが覆い隠した。
「ふん。負けるとわかったら、途中で何処かへ逃げるつもりであろう。よいぞ。逃げよ。どこへでも。だが、我が国の民は、末永くカメロスは卑怯者であったと言い伝えるであろうな」
 そこへ進み出たのは、セリヌンティウスであった。
「王よ、私には勝利の栄光と共にシラクスの丘の元にやってくるカメロスの姿が見えるようでございます。カメロス、負けはいたしませぬ。ウサギ殿は、確かにギリシャ一番の走者なれど、今その心はうぬぼれに充ち満ちております。それが落とし穴でござりまする。かならずカメロスが勝ちましょう」
「ふむ、では、カメロスが負けて、しかもどこかへ逐電したとすれば?」
「私の命を取って下さいませ」

 ウサギとカメロスは走り始めた。ゴールのシラクスの丘の麓は、遙か彼方である。そして、ウサギはあっという間にカメロスの視界から消えた。あとには、 赤い大地と、その上に点々と続いているウサギの足跡が残された。
 カメロスは王に命を捧げるつもりはなかった。ただ、少数の人たちに捧げるつもりであった。多くの市民がカメロスへの嘲笑を隠さなかったのに、ある人びとは、「あなたに共感する」とこっそり伝えてくれた。そう思う理由はそれぞれ違ったが、カメロスはその人達に誇りを感じた。そして、多数の市民に軽蔑を覚えた。なにはともあれ、最後まで走ろうと思った。
 色々なことが起こった。
 ある時は、鷲に捕まえられて、大空高く運び上げられた。鷲は、カメロスの甲羅を何とか割って中味を食べようと思っていた。下に、ぴかりと光るものがあったので、あれなら固そうだと思って、その上にカメロスを落っことしたが、これがアイスキュロスという劇作家のはげ頭だったので、さすがにはげ頭はカメの甲羅に敵せず死んでしまい、カメロスは一命を取り留めた。
 ある時は、村の子供に取り囲まれいじめられそうになった。だが、ウラシマと名乗る男が現れ助けてくれた。しかし、その男は『竜宮城に連れて行け』という変な要求を持ち出し、カメロスを海辺に連れて行き、無理矢理、その小さな背中に乗って海に入っていこうとした。
 カメロスは、溺れそうになったがようよう岸に戻り着いて、元のコースへと急いだ。ウラシマが、その後どうなったかは、定かではない。

 カメロスはさすがに疲労した。がくりと膝を折った。自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほども前進かなわぬ。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。私は走ったのだ。君を欺くつもりは微塵もなかった。けれども、私はこの大事な時に精も根も尽き果てたのだ・・・。
 ふと耳元に水の流れる音が聞こえた。岩の間から清水が流れ出しているのである。ひとくち飲んだ。ほうと長いため息が出て、夢から覚めたような気がした。
 ともかくカメロスは、コースへ戻ると必死でシラクスへの道を急いだ。途中、ウサギの足跡が見えなくなったことに気づいたが、それを詮索している場合ではなかった。

 ウサギは、故郷の村に立ち寄って、妹の婚礼に出席していた。このような寄り道をしてでもカメロスには勝てる、とディオニス王の前で大見得を切ったことを実行していたのである。
 純朴な村人はウサギを大歓迎してくれた。王と謁見したことがある大人物だと言うことに感激してしまったのである。こいつらは、俺の手下として使える、と思った。
 妹の夫は、賢そうなやつだった。これも使える、とウサギは思った。
 そもそも、彼がカメロスとの競走に応じたのは、王に近づく機会を捉え、上昇するためだったのである。
 「ありがとう、皆さん。妹夫婦を、よろしくお願いします。それから、私が今やっている競走、いや、勝つに決まっている競走なんだが、これに勝って帰ってきた時、私はディオニス陛下の最も信頼する臣下となっているでしょう。いやいや驚くことではない。これは、皆さんにとっても、よい結果をもたらすでしょう。我らが村の繁栄と、皆さんの富貴を祈って、いや、祈るまでもなく、確定的なことなんだが、ともかく乾杯をしましょう」
 シラクスへ着いて、みじめに歩み着くカメロスを見届けたら、いや、カメロスが逃亡して、がっかりするセリヌンティウスを見届けたら、ウサギは王に彼らの命乞いをしてやるつもりだった。
 栄光の頂点にいる者の言うことを聞かないという事はあるまい。そうして、今の無慈悲で暴虐な王に比べて、寛大にして慈悲あふれるウサギという構図が国の隅々まで行き渡るのだ。
 すでにディオニス王の暴政に疲れている民たち。そこへ、正義のウサギが兵を率いて革命の戦いを起こしたとすれば、何となる。そう、この村は、最初の挙兵の出発点となるのだ。
 ゆっくり休み、御馳走を腹いっぱいに詰め込み、人びとの別れを惜しむ声を背に、ウサギは再び、カメとの競走の道に戻った。
 ・・・・・・という夢を、途次、居眠り中に見ていたそうな。

 傾く陽は、すでにシラクスの大地を赤々と照らしていた。ウサギはすでに、ゴールしているのかもしれない。だが、自分は行かねばならない。親友の信頼に応え、彼の命を救い、自分の卑怯者でないことを証明するために、死を覚悟の上で行かねばならないのだ。
ウサギとカメの勝負を見届けようと、大勢の人が王宮前の広場に押しかけていた。
「カメロスは一向に現れぬ。やはり命惜しさに逃げたのに違いない」
「聞けば、もうすぐ罪人の処刑が行われるそうな」
「セリヌンティウスとかいう、カメの身替わりになって殺されるバカな男だとか」

 カメロスは人びとをかき分けかき分け、といえば聞こえがいいが、小さいので人びとの足下をちょろちょろとすり抜けつつ進んだ。
 わたしを待っている人がある。わたしは信頼されている。わたしを信頼する人のために、わたしは進むのだ。走れカメロス!
「今頃は、あの男も磔に掛かっているよ」
 ああ、その男のために急がなければならない。急げ、カメロス!遅れてはならぬ!最後の力を振り絞ってカメロスは走った。もう、頭の中は空っぽだ。
「待て、その人を死なせてはならぬ!殺されるのは私だ。彼を人質にした私はここにいる!」
 セリヌンティウスの縄はほどかれたのである。

「セリヌンティウス、私の頬を殴れ。私は一度、君を裏切ろうとした」
「カメロス、それでは私の頬も殴れ。私は一度、君が来るのを疑った」
 暴君ディオニスは、二人をまじまじと見つめていたが、やがて二人に近づき、顔を赤らめてこう言った。
「お前らの望みは叶った。また、ウサギも許そう。わしの負けだ。お前達は、わしの心に勝ったのだ。信実とは、虚妄ではなかった」
 どっと群衆の間に、歓呼の声が上がった。
「王様、王様万歳」
 一人の少女が、カメロスに洗面器をかぶせた。カメロスはまごついた。佳き友は、気を利かせて教えてやった。
「まっぱだかじゃないか。必死で急ぐうちに、甲羅が脱げてしまったのだ。この娘さんは、カメロスの裸体をみんなに見られるのがたまらなく口惜しいのだ」
 勇者は、(洗面器の下で)ひどく赤面した。

*参考(つーかパクリ元)文献 太宰治『走れメロス』新潮文庫
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金井哲夫のあたくし小説 『いつもの駐車場』

いつもの駐車場

 いつもの場所に立っていた。いつものように、どっちへ行くべきか考えていた。
 空には黒と灰色の渦卷が、押しつぶされた海苔巻きのようにいくつもひしめき合って、それぞれがぐるぐる回っている。
 ボクは焦っていた。もうすぐ夜が終わる。どっちの道だったのか。車のキーを握りしめて、車を置いた駐車場の方向を、いつものように探していた。
 そこは駅前の広場なのだが、同じような駅が2つ同居している。駅と反対側の広場の正面は石垣になっていて、その上はうっそうとした森になっている。その両側に道があり、森を囲むように緩やかな上り坂になっている。
 車を置いたのはどっちだったか。いつもの駐車場は右だったか左だったか。
 頭がぼやけて、そんなことすら思い出せなくなっていた。
 広場には、自分の他には誰もいない。周囲は暗闇なのに、建物や森の輪郭が白黒写真のネガのようにはっきり浮き上がって見えている。音も聞こえない。ひんやりとまとわりつくような夜の空気の中で、あらゆるものが眠っている。動いているのは空の渦卷だけだ。もうすぐ夜が終わってしまう。
 ボクは右の道を行くことにした。左側は石垣、右側は階段を下りるともうひとつの駅に出る。駅のホームに列車が見えるが、すべての電気を消して眠っているようだ。
 少し坂をのぼるにつれて、左手の石垣がだんだん低くなり、それは古びた石の門で途絶えていた。二本の大きな石柱でできた門の間は広く空いていて、そこから石畳が真っ直ぐと続いている。その先には、寺の本堂が、鳥が羽を広げるようにして座っている。屋根と空の渦卷との間には、くっきりと輪郭線が見えるが、地面は暗く闇に飲まれている。
 そうだ、ここだ。この寺の隣の駐車場だ。ボクはそう思い出した気がした。この寺の隣に駐車場があるはずだ。
 石の門の前を通り過ぎると、思った通り、駐車場の入口があった。明かりもなにもついていない。車一台が通れるほどの入口を抜けると、車が20台ほど駐められそうな、アスファルト敷きの広場が出現した。地面には白い線で車の置き場所が示されている。しかし、ボクの車がない。3台ほど見慣れない車が置かれてるだけだ。おかしい。ここではなかったのか。
 ボクは小走りに駅前に戻った。急がないと夜が終わってしまう。今度は左側だ。もうひとつ同じような駐車場があったはずだ。いつもの駐車場はそっちだったかもしれない。石垣の左側にまわりかけたとき、なんとなく思い出したような気がした。この先に駐車場の入口があると。
 少し坂を登ると、右手に駐車場の入口があった。こちらも車一台が通れるほどの細い急な坂の通路を上ったさきにゲートがあり、奥が広くなっていた。
 しかし、ここにも自分の車はなかった。さっきとはまた別の知らない車が何台か夜露をかぶって眠っていた。
 どこだろう。どこに車があるんだろう。早くしないと夜が終わってしまう。夜が終わるとどうなるのか、不安に思えてならない。ボクはまた石垣の前に戻ってきた。さっきより空が低くなってきたようだ。渦卷が大きく見える。
 そのとき、ボクの手に握られていたキーが、雪が溶けるようにすーっと消えた。そしてわかった。最初から車なんかなかったんだ。

社長のショートストーリー『ゴー・ウエスト』

社長1 「なうなう、お坊様、どちらへ行かれます」
「西へ」
「西といえば京、大坂」
「西でござる」
「では、山陽道から九州へ」
「西、西・・・」
「なぜ西へ」
「わかりませぬ。ただ、胸の内、腹の内で西へ西へと拙僧を急き立てる声がいたしまする」
「はて、どこぞの者は西の海の果てに、にらいかないという極楽のようなところがあるとかいう・・・いや、それとも阿弥陀様が待っておられる西方浄土か・・・はたまた唐天竺か西洋にでもいらっしゃるおつもりか

 問う人がごたごたと話しているうちに、僧はすでに遠く西へ去っていた。
 四十を少し出たばかりの筋骨たくましい大男だった。眉毛太く、口も鼻も大きく、太い息を轟々と吐いているあたり、とても悟り済ましたようには見えない。それが獣道を行く野獣のようにがむしゃらに歩いた。
 カメを追い越し、ウサギを追い越し、鬼ヶ島へ赴く桃太郎一行を追い越し、お城から逃げ帰る途中のシンデレラを追い越し、森の中で出会った熊さんから逃げている歌のうまい娘を追い越し、山姥と山姥から逃げている若者を追い越した。

 着いたところが崎陽。と言ってもシューマイ屋ではない。長崎である。
安政の条約で、箱館、横浜、長崎が開港し、横浜などは江戸に近いだけに、たいそう繁盛しているようだが、ここ長崎だって西国にとってはまだまだ重要な港である。
 それまで狭いところに閉じ込められていた和蘭陀人も清国人も大手を振って市中を歩いている。
 とはいえ、この町にたどり着いた僧には、西洋人も清国人も、ちゃんぽん麺も舶来品も関心はない。ただ、西へ、という思いがあるだけだが、日本国内としては、もう西の果てに近いところまで来てしまっている。
 これ以上、西へ行くには船にでも乗るしかない。
 ここへ来て、初めて「さて、西へ来てどうするのか」という疑問が胸に湧いた。
 同時に「西へ、西へ」と彼をせかしていた声が聞こえなくなった。彼は途方に暮れた。
「はて、拙僧を急き立てていたのは魔であったか?」
 ただ、来る日も来る日も西へ沈む太陽を虚しく見送って過ごすしかなかった。

 ある日、耳元でしくしくと子供がすすり泣くような声が聞こえた。誰の声かとまわりを見回しても、泣いているものなどいなかった。
 雑踏の音、人びとの話し声、しかし、その中から泣き声は聞こえ続けていた。長崎の市街を外れても、すすり泣きは耳を離れない。郊外の高台の中腹にある古い忘れられたお堂を寝床として使っている僧だったが、一晩中、夢の中まで泣き声はついてきた。
「わしに用があるのじゃな」
僧は夢の中で声に語りかけた。ただ、泣き声のみ返ってくる。

翌日から、僧はぐるぐるぐるぐるぐるぐると長崎を歩き回った。かといって、観光目的で歩き回っているのではない。
平和公園も中華街も見向きもしなかった。ちょっと佐世保方面に足を伸ばして、ハウステンボス見物でも、などとは露ほども思わなかった。
ひたすら泣き声の主を探していたのである。なにか手掛かりがあるわけでもない。ただ、イノシシのような丈夫な身体にものを言わせて、足が動かなくなるまで歩き回るのである。
あるところでは、しくしく声は小さくなる。あるところでは大きくなる。近づいてきたなと思うと、また遠ざかる。

そんな風に声に引きずり回されていたある日、見晴らしのよい丘の上にたどり着いた。きらきら光る海とゆったりと浮かんでいる西洋船と、それら湾を抱きかかえるかのような緑に輝く丘陵が見えた。
美しく手入れされた西洋風の庭を持つ一軒の洋館があった。アルファベットの表札がかかっていた。
「ここじゃ」
なぜ「ここ」なのか、自分でもわからなかったが、僧は躊躇せず、その玄関先へと歩いて行った。
「こらっ。乞食坊主の来るところではないわ」
と出てきたのは、脇差しを腰に差した日本人である。
「ここで働いている方ですかな」
「主人の用心棒などしながら、英語を勉強しておる」
数年前までは、攘夷一辺倒の世の中だったが、だんだん変わってきていると見える。
「ご主人にお会いしとうござりまする」
「ならぬ。帰れ」
押し問答の最中に現れたのが、パイプを手にした長身の西洋人だった。亜麻色の髪と髭を持ち、一見穏やかそうな風貌だが、妙に目が冷たい。
「ヤマダ。何の騒ぎだ」(英語)
早速、ヤマダという日本人は得意の英語で答えた。
「これ、来る。お前、会いたい。私、ペケ言う。これ、また来る。私、またペケ言う。これ、ペケない、言う・・・」
残念ながら、ヤマダの英語はこの西洋人に通じたためしがない。
西洋人は僧の炯々たる眼光に気づいた。なにやら自分を刺し殺しかねない気配さえ感じる。西洋人の命を狙っている攘夷浪人とかいうやつがブッディズムの僧に化けてきたのではないか。
「ヤマダ!」
一声叫ぶと、彼は家の中に走り入ろうとした。逃げるためと拳銃を手にするためである。その途端、僧の鬼気迫る声が西洋人を捉えた。
「お願い申す。貴殿が市中でお買い求めになった市松人形、お返しいただきたい」(日本語)
西洋人の動きがぴたりと止まった。日本語であるにも関わらず、僧の言葉、いや叫びがなにやら伝わったらしい。
僧の方では、なぜ、そんな言葉が自分の口から出てきたのか、はっきりとはわかっていなかった。どうも、腹の中にもう一人の自分がいて、そいつはすべてを了解している、そんな具合に思えた。
「その人形、西洋には行きたくないと申しております。どうぞ、お返し下され」
西洋人はヤマダに何か耳打ちした。これはヤマダに無事通じたようで、彼は訝しげながらうなずくと、家の中から一尺余りの木の箱を持ってきた。
開けると、中からおかっぱ頭をした可愛らしい市松人形が出てきた。僧は、それを抱きしめると泣き崩れた。
「あつ殿、すまぬ」

僧は、もと熊谷某といって、ある藩の武士だった。気の荒い性分で酒癖が悪く、ちょっとした口論から、同じ藩の平田という武士を斬り殺し、そのまま逐電してしまった。
平田には二人の子供がいた。姉のあつと弟の盛の助である。姉が一四、弟が一二という、まだ幼さの残る姉弟であるが、二人は早速、藩に敵討ちを願い出た。姉が弟を引き立てるようにして願い出たのである。
願いは聞き届けられることとなり、二人の叔父である三右衛門という腕に覚えのある武士が助太刀をすることになった。
仇などと言うものは、滅多なことでは見つからないそうだが、熊谷の行方は一年後、案外早く見つかった。江戸で、その当時群がり出てきた尊皇攘夷を叫ぶ浪人の群れに身を投じていたのである。
もっとも彼が本当に、そういう思想を奉じていたかは怪しいものであった。だいたい、彼のいたグループそのものが、思想などどっちでもよく、ただ「攘夷の軍資金を寄越せ」という口実で商人などを吊し上げて金を巻き上げたり、辻斬りをして持ち物を奪ったりということを、もっぱら熱心にやっていた、いわばごろつきの集まりで、本当に元武士だったのは熊谷だけだったかもしれない。
酒と暴力に明け暮れ、そんな危ないことをしているのだから却って目立ち、姉弟の探索は逆に楽だったかもしれない。江戸の護持院ヶ原というところで、果たし合いをすることになった。
ところが、腕に覚えのある叔父も、人を斬りなれている熊谷の相手ではなかった。姉弟に至っては、大根かキュウリのように斬られてしまった。
だが、その日から攘夷浪人の熊谷も姿を消してしまった。

西洋人は、長崎の街で見つけた市松人形をほんの気まぐれで買ったのである。ごく安かったが、桐で箱を作らせてみると、知らない人には高級品に見えたかもしれない。
こんなものでも、欧州の珍しもの好きの金持ちにはありがたがられ、思いがけなく高く売れることがある。
彼の本職は武器商人だった。幕末の動乱期の日本は、笑いが止まらないようなおいしい市場だった。徳川だろうが薩長だろうが、佐幕だろうが倒幕だろうが、相手構わず武器を売りつけた。
それも相手が無知と見て取るや、中古だったり時代遅れだったりの武器を驚くほどの高額で売りつけた。ゴミの山が日本に持っていくと宝の山に変わった。
日本人同士が殺し合うのは、いくらやってくれても構わない。この動乱が少しでも長続きしてくれるように、というのが彼の願いだった。
彼が金も取らずに僧に人形を下げ渡してやったのは、日本でやった唯一の善行だったのかもしれない。あるいは、その日本人に、気味の悪さを感じただけだったかもしれないが。

市松人形は見れば見るほど、熊谷が殺した姉のあつにそっくりだった。よく見ると、あどけない中に凜としたものが見て取れた。
「あつ殿」
人は死んで四十九日たつと、次の世に生まれ変わるという。だから、ひと頃流行った、「私の墓の中に私はいないのだから墓の前で泣かないでくれ
という歌は、本当なのである。
もっとも、人間のあつが死んで人形に生まれ変わったかどうかなどというのは確かめようもないのであるが、僧にとってはもはや動かしがたい事実であった。

その後、武器商人がどれだけ儲けたのか、ヤマダの英語はいかほど上達したのか、そんなことは知ったことではない。
翌日から僧の姿は長崎から消えた。
そして、人形を背負いながら旅を続ける僧の姿があちこちで見られたという。どの目撃譚の中でも、僧は泣いていたという。源平の昔なら弁慶にでもなっていそうな屈強な男が泣きながら旅を続けるのである。大男だから涙の量も多かったのかもしれない。
よほど事情があるのだろうと同情する人もいる。
あれは何かの修行なのではないかと深読みする人もいる。
明治になって廃仏毀釈なぞが流行った頃には、ダメな惰弱な坊主の典型例のようにいわれることもあった。

「なうなう、お坊様、何を泣いておられます」
「これは、わしが殺した娘なのです」
「や、人形ではありませぬか」
「生き写しなのです。今でも話しかけてくるような気がします」
「なにやらわけのありそうな・・・ふむふむ、敵討ち・・・あなたが返り討ちにした・・・・・・」
「わしは坊主の身でありながら地獄に堕ちます」
「まま、落ち着いて・・・しかし、お坊様、それがその娘だったとして、また西洋に行くのをいやがっていたとして、なぜ、仇のあなたに助けを求めるのでしょう」
「わかりませぬ」
「うむ、こうやって、お坊様と旅を続けることで、その娘の魂魄が癒やされるという事なのでしょうか。あるいは、お前様の罪業が滅消されるということは、ありませんか。そのために、呼んだのだとしたら、その人形は却って観音様が姿を変えたものかもしれませぬな。いや、お坊様に向かって、素人がこんなことを言うのは、まさに釈迦に説法・・・・・・」
問う人がごたごたと話しているうちに、僧は姿を消していた。

明治の中頃になると、もはや僧も老いさらばえ、人形の箱も薄汚れ朽ちかけ、それに老人が涙を流すなど珍しくもないので、誰も彼に注意を向けるものはいなくなった。
箱の汚れやしみが、十字を描いているように見えた。ゴルゴタの丘は果てしなく遠い。

*作者は長崎に行ったことがないので、ガイドブックを見て書きました。