弟子を葬る

芥川龍之介:作家。1892(明治25)―1927(昭和2)自殺
内田百閒:作家。1889(明治22)―1971(昭和46)
芥川龍之介の死体がいやにびろびろと伸びて、護謨で出来ているようで、持ち扱うのに苦労した。油断すると、腕の間からすり抜けて落ちてしまいそうな気がする。
「しっかりと持ってやれ」
前を歩いていた夏目先生が振り返って言われた。私は恐縮して、力を入れて芥川を抱えようとする。だが、そうするほど、鱗のない大きな魚を抱えているようで、とりとめがなくなるようだった。
どこかで犬がびょうびょうと鳴いていた。
黄昏時かかわたれ時か、本当はあたりがほんのりと明るい筈なのに、汚い紙をちぎって切り取ったような雲が空に貼り付けられてしまって、その隙間から漏れてくる光のせいで、薄暗かった。
漱石先生は普通の着物に羽織を引っかけて、書斎から其の儘出て来られたような格好をしている。腕組みをして、時々、こちらを振り返られるのだが、暗いのでどんな表情なのか、よく見えない。薄暗がりの中で、先生の小柄な立ち姿がうごうごしている。
道はどこまで続くのだか、わからない。まわりに家があるようにも思われない。私は遅れないように付いていこうとするのだが、芥川を抱えているので、中々、埒が明かない。
彼は、ただでさえ長身なのに、死んで妙に海蛇のようにのめのめと伸びたようで、たしか田端の彼の自宅で会う時に来ているような紺の無地の着流しなのに、変にぬめって、すぐに足下にわだかまってしまいそうになる。
こんな芥川は生前は見たことがない、と思っていると、時々目を開けそうになる。
目を開けては困る。こんなになってからの芥川の目を見たくないと思った。
生前の冗談や諧謔を飛ばす時のような生き生きとした目だったらいいが、今、目を開けたら、なんだか嫌らしいような気がした。
「おい、内田。重いかい」
先生が声をかけてくだすった。私の不器用なのに呆れたのかもしれない。私は、ますます恐縮するばかりで、ますます、うまく力が入らなくなった。
私は、漱石山房で、机に向かって座っておられる先生の前で、ただ一人、かしこまっていた。昼までよく晴れていたのに、急に暗くなってしまった。
木曜会なら、周囲に小宮豊隆氏や鈴木三重吉氏ら、諸先輩がいて、私は隅の方で縮こまっているのだが、その日は一人だった。
一人で来たことは、何度もある。先生の御本の校正を引き受けていたし、生活がどうしようもなくなって、借金の相談に来たことも一度や二度ではない。
先生の前に出るたびに、気ぶっせいな思いをして、言葉がうまく出てきたためしがない。今日は、また、いったい何の用でかしこまっているのだろうと、なんだか不思議な気がした。
「内田」
と先生が口を開いた。
「死んだ芥川のことだが」
そこまで言って、あと言い淀んでおられるようだった。いつもはっきりと物をおっしゃり、へんな思わせぶりを嫌う先生にしては珍しいと思っていると、
「君は確か、彼が亡くなる直前に会っていたんだったな」
昭和二年七月二四日、芥川龍之介が死ぬ二日程前、確かに私は芥川の家を訪ねて、二階の書斎で対面していた。後から考えると、彼は睡眠薬が相当効いていたのだと思うが、口元が定まらないようで、その癖、しゃべり始めるとべらべらととりとめもないことを、よく喋った。
どうしようもない貧乏の底にいる私は、帰りの電車賃もなく、その小銭さえ彼に借りる始末だった。芥川はいったん引っ込むと、両の掌の上に硬貨を山のように盛り上げて持ってきて、掌ごと私の前に突き出した。
「欲しいだけ持っていきたまえ」
一枚二枚の硬貨だと、指が震えてうまく摘まめないので、そうやって持ってきたのだと言った。
硬貨をつまんで拝借した、その時さえ、私は目の前の彼が二日後に死んでしまうのだとは思っていなかった。
「芥川のことは、ちゃんとやっているのかね」
と夏目先生が尋ねられた。ちゃんとしているというのが、どういうことかは咄嗟には、わからなかった。
毎年、芥川の命日には「河童忌」として、縁のあった人びとが集い、真夏の暑い盛りに、ぱたぱたと扇子で懐に風を送りながら、酒を飲むことになっている。
ふと、そういえば、河童忌の席上で一度も、漱石先生の姿をお見かけしたことがないと思った。
なぜ、ご出席にならないのだろう。弟子の、そういう席に出るのは、師匠として苦しいものがあるのか、と想像した。
そのわけを尋ねようとしたら、急に目がぱちぱちと痛んで、まともに先生を見ることができなくなった。頭の中に釣り針のようなものが降りてきて、何処かに引っかかっているような痛みを感じ、漱石山房の室内が灯籠流しの水面のようにきらきら光りながら流れていくような気がした。
漱石先生は、大正五年に亡くなっている。青山葬儀場で行われた葬儀には、芥川も私も勿論参列した。芥川は、まだその春に帝大を卒業したばかりだったと思う。
亡くなっている先生が、芥川の河童忌にご出席になれないのは当然である。
先生は暗い中を歩き続けていた。
うねうねと動き回るようだった、腕の中の芥川は静かになっていた。
急に、私の前を、腕組みをしながらいつまでも歩き続けているこの人は、いったい誰なんだろう、ということが不思議に思われてきた
「俺は夏目金之助だよ」
先生の顔のあたりだけ光が差して、鼻の脇に皺を寄せて、にやりと笑うのが見えた。自分の考えていることを見透かされて、私はひやりとした。
「俺が、お前の腹の中くらい俺にわからないと思うかい」
先生の御作の『夢十夜』の第三夜の中では、「自分」の背負っている目盲の無気味な青坊主が、これから起こることや「自分」の思っていることを皆言い当ててしまう。あの子供は実は先生自身であったのか、と思った。
なんだか、先生がとても遠くにいるような気がした。
道は上り坂になっていた。先生は、身軽に前を登っていく。
気がつくと、芥川の身体は、だいぶ軽くなっていて、運ぶのが楽になった。
私は芥川自身も、楽になったのではないかという気がした。楽になった分、身体も軽くなったのだと考えた。
先生が立ち止まったのは、小高い丘の上のようだった。空一面にかかった雲の裾の方が切れていて、そこから明るい光が細く覗いていた。地上と空の間に、その光がぐるりと一周して続いていた。先生の横顔がよく見えた。
「ここだ」
と、先生はおっしゃった。
「内田、ここを掘ってくれ」
見ると、土の上に、まるで墓標のようにスコップが突っ立っていた。私は、芥川の死体を傍らに置くと、そのスコップを抜いて黒い土を掘り始めた。
土はさくさくと掘れていった。どんどん掘れて、どんどん穴が深く大きくなっていくのが面白くて、私は夢中になって掘った。
先生は、そばの石に腰掛けて、袂から「朝日」とマッチを取り出し、一本加えると、火をつけて吹かし始めた。薄暗い中に、先生のくわえた煙草が吸うたびに、明るくなり、また、光を落とした。私は、穴を掘る傍ら、そのちらちらする光を眺めていた。
「内田」
と先生は話しかけた。
「はい」
「君も知っての通り、芥川は、僕が『鼻』を強く推したのがきっかけで文壇に押し出した」
「はい」
生活がうまくいかなくなる一方で、精神も変になりかけていた私の目からは、その当時の芥川はぴかぴかと光り輝いて見えた。その芥川の世話で海軍機関学校の独逸語を教えることにもなったのだが、私の貧乏は一向によくならなかった。
私は、穴を掘りながら、先生が次の言葉をおっしゃるのを待っていた。しかし、先生はなかなか話し出さなかった。穴は、いつの間にか私の身体が丸々入ってしまいそうなほど、大きくなっていた。
「内田」
「はい」
「その穴に芥川を埋めてやれ」
「はい」
私は穴の底に芥川を横たえた後、足下の方から土をかけていった。だんだん、腹から胸へと埋めていき、最後に、目をつむった芥川の端正な顔に土をかける段になると、急に悲しくなって、汗と一緒にぽたぽたと涙が落ちてたまらなくなった。
「いいだろう」
芥川が完全に土の中に埋まってしまうと、先生はその傍らに立って、じっと土の表面を見つめておられた。
「内田」
「はい」
「自分が文学界に推し出してやった男が、ああやって死んでいくのは師匠として耐えられないのだよ」
「・・・・・・」
「だから、せめて葬ってやりたかった」
生前、先生とこんな話をしたことがあっただろうか、と不思議な気がした。先生の前に出ると、身体が突っ張ってしまって、妙なことばかり口走っていたような気がする。もしかしたら、先生は私に言い忘れたことがいっぱいあったのではないか、と申し訳ないような気持ちがしてきた。
「内田」
「はい」
「お前は案外、死なない男だよ」
「はあ」
「確か、僕が死んだ前の晩、お前が家に詰めていたのだったな」
先生の亡くなったのは大正五年一二月九日である。先生の病が重くなってからは、弟子達が交代で徹夜で夏目家に詰めていた。亡くなる前の晩が私の当番で、先生の最後の晩を、そうやって過ごしたのである。
「芥川の時と言い、僕の時と言い、君は妙な運を持っているようだ」
そういったきり、先生は黙ってしまった。
私はどうしていいかわからず、また、何かを話しかけていいのかもわからず、スコップを足下に立てたまま、ぼさっと佇立していた。
頭の上を大きな流れ星が流れ、向こうの森の中に落ちた。森の中が、少し揺れたようだが、すぐ静かになって、それっきり何も起こらなかった。
「君は先に帰りたまえ。私は、もう少し、ここにいる」
私は、先生にお辞儀をすると、シャベルを担いで、もと来た方へ坂道を折り始めた。涙が後から後から流れて止まらなかった。
どこかで鷺の鳴くような声が聞こえた。
振り返ってみると、先生は芥川を埋めたあたりにしゃがんでおられるようにも思えたが、もう暗がりがひどくなって、よくわからなかった。
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