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2019年08月

日本アクション純文学シリーズ7「大山椒魚対大河童」

「がおー!」
 夏の避暑地として賑わう湖畔の街に、突如として巨大な山椒魚が現れた。
「がおー!」
 すると、街からそう遠くない湖の中から巨大な河童が出現した。
 湖に面したお洒落な街並みを踏みつぶし、のし歩いていた大山椒魚は、大河童の咆哮に反応して振り返った。そのとき、大きな尻尾が高くそびえる高級リゾートホテルのタワー部分をなぎ倒した。
 大河童は大山椒魚の存在に気がつくと、両手で水を掻き分け、ざぶざぶと街に近づいてきた。大河童が立てた大きな波にもまれて、係留されていたボートが次々と沈んだ。
 湖底を歩いてきた大河童は、腰のあたりまで水上に姿を現した。すると大山椒魚は、尻尾と両足を使ってジャンプし、大河童に飛びかかった。
 大山椒魚は短い手足を広げ、大河童めがけてボディープレス。大河童は背後に倒れ、大山椒魚もろとも湖に没した。
 少しして、大河童と大山椒魚は上体を起こし、水面に上半身を表すと、今度は大河童が反撃に出た。大河童は水かきのある両手を使って、ばしゃばしゃと大山椒魚に水をかける。
 大山椒魚も負けずに、短い両手をぐるぐる回して大河童に水をかける。
 大河童を大山椒魚が追いかける。大山椒魚は短い両手を必死に動かして逃げる。二匹は輪になって浅瀬でばしゃばしゃと走り回る。
 そうかと思うと大山椒魚が大河童を追いかける。河童は深いところへ逃げると、大山椒魚は大きな尻尾を動かして泳いで追いかける。
 そんな繰り返しが続き、湖畔の街は水浸しになってしまった。しかし、それに構うことなく両者の激しい戦いは続いた。大山椒魚に水をかけられた大河童は、水がかからないよう片手で顔を覆いながら、もう片方の手で水を掻いては大山椒魚に水をかける。
「きゃー!」
「きゃははは」
 楽しそうな咆哮が響く。もしかしてこいつらは、戦っているのではなく、遊んでいるのか……?

 そのときだ、一台の戦車が水浸しの街に現れた。地球防衛隊だ。
 しかし、戦車は大砲を発射することなく、じっと大河童と大山椒魚の動きを伺っている。同時に二匹の巨大生物が出現して暴れ回るという、前代未聞の緊迫した状況を目の前にして、戦車の中ではこんな会話が交わされていた。
「たいちょー、お茶、ここ置きますね」
「うん」
 戦車内の座敷では、隊員と隊長が ちゃぶ台を挟んで番茶を飲んでいた。作戦会議だ。
「二匹もいたんじゃ、どっちを撃っていいかわかりませんね」
  ちゃぶ台に向かってあぐらをかいた隊員は、湯飲みを片手に持ち、後ろの茶箪笥に寄りかかっただらしない態勢で言った。
「そうだな」
 隊長は隊員の顔を見ずに、お茶を一口すすってから、うわのそらで答えた。
 作戦行動の前、隊長はいつも無口になる。作戦を考えているのだ。今度は二匹。かなり高度な技が要求される。
 隊長はもう一口、お茶をすすった。
 隊員は、それとなくハッチの方を見ると、開けたままにしていたハッチから、パラパラと雨が落ちてくるのが見えた。
「あ、降ってきたかな」
 隊員はゆっくりと腰を持ち上げ、ハッチを閉めた。
 やっぱり雨だ。湖のほうを見ると、それまで激しく動き回っていた大河童と大山椒魚は、慌てて岸に上がってきた。
 大河童は岸から少しあがったところの地面に、湖に向かって腰を下ろし、両手で膝を抱えた。
 大山椒魚はその脇に並んで、やはり湖に向かって横たわった。
 その様子を戦車の窓から見ていた隊員は言った。
「面白いもんですね。プールで雨が降ると、みんな上がってくるじゃないですか。水の中で泳いでいるのに、雨に濡れないように水から上がってくるって、おかしくないですか? だけど、なぜか雨が降るとプールに人がいなくなるんですよね。大河童と大山椒魚も、雨に気がつくと慌てて湖から上がってきましたよ。あいつらも同じなんですね」
 隊員は笑いながらそう言うと、元いた場所にあぐらをかいて冷めたお茶を飲み干した。
「今のうちに攻撃しちゃいましょうよ」
 隊員はそう持ちかけたが、隊長はあぐらをかいたまま、両手を後ろの床について天井を見上げ、ふんと鼻で息を吐いてから、隊員の顔を見ずに答えた。
「何もしてないんだろ?」
「ええ、雨が止むのを待ってるみたいです」
「じゃあ気の毒だ。無抵抗の相手を撃つのは気が引ける」
「それもそうですね」
 隊員は同意して、 ちゃぶ台の上の菓子鉢から柿の種を左手でひとつかみ取った。あぐらをかき、背中を丸めて両方の腕を ちゃぶ台にのせた姿勢で、手の中から、右手で柿の種をいくつか取り出し、肘をついたまま口に放り込む。カリカリと柿の種を噛む。
 また、握った手から柿の種をいつまみ出し、口に入れ、カリカリと噛んだ。
 戦車の中では、カリカリが続いていたが、あるとき隊員は左手を開き、握っていた柿の種を見た。やっぱりだ、ピーナッツがない。
「隊長、ピーナッツだけ食べたでしょ」
 座椅子にもたれかかり、何かを考え込むように目を閉じている隊長からは返事がない。そうだ、隊長は作戦を考えているのだ。こんな話で邪魔をしてはいけない。隊員は思った。
 そのとき、「んが」と鼻を鳴らす音がして、隊長の体がぴくりと動いた。
 隊長は目を開けて言った。
「あ、イビキかいてた?」
 寝てたみたいだ。
「いやー、自分のイビキでビックリして起きちゃうことって、あるよね」
 誰にともなく、照れ臭そうに言うと、隊長は上体を起こして菓子鉢の柿の種をひとつかみ取り、そのまま口に放り込んだ。
 しばらくカリカリと柿の種を噛んでいた隊長は、ちょっと眉を寄せた。
「おい、お前、ピーナッツだけ食べただろう」
 隊長からの意外な言葉に隊員は慌てた。
「えー! 食べてませんよー。それ隊長でしょう」
「そんなはずがあるか。無意識のうちに食ってんだよ、ピーナッツだけ」
 そう言うと隊長は、菓子鉢の柿の種を人差し指でかき混ぜて、ピーナッツを探したが、ひとつも残っていない。
「やっぱり」
「ええー、食べてませんから」
 まったく身に覚えがなく、濡れ衣を着せられた気分の隊員は、少し腹を立てた。
「じゃあ、最初からピーナッツの量が少なかったということか。どこの柿の種だ」
「蒲田の東急ストアで買ったやつですけど」と言いながら、隊員は座ったまま茶箪笥に手を伸ばし、いちばん上の小さな引き戸を開けて柿の種の袋を取り出した。
「ほら、いつものやつです」
 隊員は柿の種の袋をぽんと ちゃぶ台に置いた。
 隊長はそれを手に取り、眉間にしわを寄せてやや顔を上げ、遠近両用メガネの下の方を通して袋の裏書きの細かい文字を読みながら言った。
「柿の種とピーナッツは五対五が理想なんだ。ピーナッツが少ないなんて、おかしいじゃないか」
 五対五って……、『そりゃなくなるよ!』と隊員は心の中で叫んだ。柿の種とピーナッツの比率は、大抵、柿の種のほうが多い。今は柿の種とピーナッツは六四が黄金比とされ、メーカーもそのあたりの配合にしている。だから五対五で食べ続ければ、ピーナッツが先になくなるのは当然だ。
 犯人は隊長じゃないかー、と隊員は思ったが、口には出さなかった。言ってはいけない。そんな雰囲気が隊長にはあった。隊長が怖いからではない。むしろ、隊長には傷つきやすい雰囲気があった。傷つきやすいであろうと思わせる雰囲気があるだけであって、実際に傷つきやすいかはわからない。それは隊員が勝手に感じているものであったのだが、そう感じさせる何かが隊長にはあった。 
「苦情係に電話してみるか」
「いや、そこまでしなくても」
 隊員は慌てた。柿の種とピーナッツは五対五で入っているものと思い込んでいるのは隊長のほうで、メーカーは何も悪くない。それなのに苦情の電話なんて入れたら、恥をかくのは隊長だ。そんなことを隊長にはさせられない。
「お前、電話してみろ」と隊長が言った。
「自分っすか?」
 隊員はすっとんきょうな声をあげた。
「えー、そんな、隊長が電話してくださいよー」
「うーん、知らない人に電話するのは苦手なんだよね」
「でも、苦情があるのは隊長でしょ。自分はまったく文句ないんですから。誰かの代わりにケンカするみたいなの、いやですよ」
「ケンカしろとは言ってない。苦情を伝えてほしいだけだ。じゃあ、私が電話をかけるから、かかったら、あとは替わってくれ」
「おんなじですよ」と隊員が言っている間に、隊長はもう自分の携帯電話に番号を打ち込んでいる。
「ほらかかった!」と隊長は、時限爆弾でも渡すように、携帯電話を隊員に放り投げた。
 隊員は慌てて携帯電話を拾い上げ、耳に当てた。
『お電話ありがとうございます。鶴山製菓お客様係担当の米田でございます』
 感じのいい女性の担当者が出た。
「あ、すいません。あのじつは、柿の種のことで、ちょっとおうかがいしたいのですけど」
『はい、どのようなことでしょうか』と担当者が言うのと当時に、隊長が「おうかがいじゃなくて、苦情だぞ苦情」と小声で口を挟んだ。
「あ、はい?」
 両方の耳にからそれぞれ違う人間の話を同時に聞かされたので、隊員はすっかり混乱してしまった。
『私どもの柿の種に何かございましたでしょうか』と担当者が聞き返すのと同時に、隊長が「ピーナッツの量が少ないと言え」と言った。
 たまらず隊員は、電話のマイクを手で覆い、隊長に向かって「ちょっと黙ってて」とほとんど声を出さずに、その代わりわざと大きく口を開けて言った。
 隊員はすぐにまた電話を耳に当てた。
「あの、柿の種はとてもおいしくて、いつも愛用させてもらってるんですけど」
『それは、いつもありがとうございます』と担当者。するとまた隊長が同時に「下手に出ると舐められるぞ」と言った。
 隊員は隊長の声を聞かないようにして話を進めた。
「あの、柿の種とピーナッツの配分なんですけど、ピーナッツがちょっと少ないような……」
『はい、当社ではお客様のご意見をもとに』
「おいおい、ちょっととはどういうことだ」
『柿の種とピーナッツの適正な割合を求めておりまして』
「五対五じゃないといけないんだ、そこをハッキリ言え」
『現在は柿の種六に対しましてピーナッツ四の割合でご提供しております』
「お前のところでは厳格に五対五の割合を守っていないのかと問い詰めろ」
 苦情係の担当者の話が右の耳から、隊長の話が左の耳から同時に聞こえる。何を聞いているのかわからなくなり、「ええ、はいはい」と隊員はやっと答える。
『もちろん、それですべてのお客様にご満足いただけないことは、承知しています」
「甘い甘い、不良品を掴ませやがって、ピーナッツが足りない分、金を返せと言え」
 担当者の一言一句に隊長の言葉がかぶる。隊長がモンスタークレーマーのようになってきた。
「はい、そうですね」と答えるのが隊員にはやっとだった。
『ピーナッツが少ないというご不満ですが、そうしたご意見にも添えるよう、今後とも精進して参ります』
「甘い顔してりゃつけあがりやがって、お前じゃ話にならないから、もっと上の人間を出せと言ってやれ」
 誰もつけあがってなんかいない。隊長には担当者の声は聞こえていない。勝手に妄想を膨らませて怒っている。
「あ、はい。今後ともよろしくお願いします。頑張ってください」と、隊員はなんだかよくわからない挨拶をして電話を切ると、携帯電話を ちゃぶ台の中央に叩きつけるようにして置き、隊長を睨み付けた。
「わかんないですよ! 電話中に横からあれこれ言われても。あっちも話してるし。なんのために電話したのか、ぜんぜんわかんないですから」
 興奮する隊員に、隊長は小さく言った。
「だから、もっとガツンと言ってやればよかったのに」
「ガツンとかなんとか、そういう話じゃないし。だいたいピーナッツの数は……」
 そこまで言いかけて、隊員は口をつぐんだ。隊長が隊員の剣幕に押されて、少したじろいだように見えたからだ。ビックリしたモグラのような顔をしている。
「外の様子を見てきます」
 隊員は深く息を吐いて立ち上がり、ハシゴを登ってハッチを開いた。
 雨はまだ降っていた。 
「あれー?」
 隊員は周囲を見回した。そして、ハシゴに登ったまま頭をハッチの中に入れて、隊長に向かって大きな声で言った。
「二匹ともいなくなっちゃいました!」
 隊員はハッチを閉めてハシゴを下り、あらためて隊長に報告した。
「どっか行っちゃいました」
「あら、そうなの」
 隊長は少し考えて言った。
「たぶん、雨が止まないから、諦めて帰ったんだな」
「なーんか、緊張の糸が切れちゃいましたね」
「まあ、とくに被害がなくてよかった」
「そうですね」
「帰るか」
「はい」
 隊員は操縦席に向かった。
 隊長は、菓子鉢に残った柿の種を掴んで口に入れた。カリカリという音が、操縦席に座った隊員の耳に届いた。
「あれ、隊長、ピーナッツの入ってない柿の種でも食べるんですか」
「ん? ああ。ピーナッツなしでもうまいな」
 じゃあ、さっきのアレはなんだったんだ、と隊員は思ったが、それは自分の胸に納めておくことにした。これでいい。今日も一件落着だ。
 隊員はそう自分に言い聞かせ、戦車のアクセルを踏んだ。

おしまい




  
 



  


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