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2019年10月

日本アクション純文学シリーズ8「大雪女対大河童」

「がおー!」
 深夜の住宅街に突如として身長50メートルの巨大な雪女が出現した。大雪女は暗い街の空を見回して、「がおー」と溜息をつき、その場にしゃがみこんだ。
 しばらくして、「がおー!」と身長50メートルの巨大な河童が出現した。大河童は大雪女の近くに駆け寄り、「がおー」と頭を掻いて苦笑いをした。
「がおー」と大雪女は大河童の顔を見ずに、うつむいたまま答えた。
「がおー」と大河童は両手を小さく広げて言い、その両手でぱたりと下ろして太腿の脇を叩いた。
 これに対して大雪女は「がおー」と、あまり興味なさそうに小さく答えると、ゆっくり立ち上がった。
「がおー?」と大河童は大雪女に声をかける。
 すると大雪女は、地面に向けていた目線を、初めて大河童に顔を向けて
「がおー」と静かに言い、またすぐに目をそらして遠くでまたたく街の明かりを眺めた。
 しばらく沈黙が続く。街はほとんど寝静まっていた。まばらな街路灯が道路を冷たく照らしている。家々の窓の明かりはほとんどが消え、コンビニの看板が平たい街から立ち上がり、薄い夜霧の中に頭を突っ込んで光っている。
 二匹の怪獣たちが立っている場所は、市内を流れる大きな川の脇にある市民公園の野球グランドの中だったので、まだ建物に被害はなかった。 
「がおー」と大河童は、大雪女に話しかけた。
「がおー」と大雪女が小さく答える。
「がおー?」と大河童は次の言葉を促す。
「がおー」と目線を遠くに向けたまま、大雪女は話し始めた。
 その一部始終をすぐ近くから注視していたのは、一台の戦車だった。地球防衛隊だ。

 戦車の砲塔上にあるハッチからは隊長が顔を出していた。戦車前部の操縦席の上にある小さなハッチからは、迷彩色のヘルメットをかぶった隊員が顔を出して、大河童と大雪女の様子を覗っていた。
「なんか、大切な話があると大雪女に呼び出された大河童が、待ち合わせの時間に遅れて来て謝ってるって感じですかね」と隊員が怪獣たちから目を離さずに、大きな声で言った。
「この二匹は知り合い同士だったのか」と隊長は誰にともなく言った。
「攻撃しますか?」
 隊員は隊長に聞いたが、隊長は少し考えて答えた。
「いや、込み入った話のようだから、しばらくそっとしておいてやろう」
 そう言うと、ハッチから頭を引っ込め、静かにハッチを閉じた。それに続いて、隊員も音を立てないようにそっとハッチを閉じた。
 地球防衛隊の戦車は、最新式ではないが、内部に小さな座敷とトイレ(和式)を備え、怪獣との長期戦を戦えるよう、居住性を向上させてある。  
 ハッチを閉めた隊長は、砲塔のハシゴを下りて、100円ショップで買ったプラスティック製のサンダルを蹴飛ばすように脱ぐと座敷にあがり、自分の所定の位置に置かれた座椅子にどっかりと座った。
 隊員もヘルメットを脱いで、操縦席の操作桿にかぶせるようにして置くと、戦車の後方を向く形でちゃぶ台の前に正座し、畳の上の丸い木の盆の上に置いてあった茶筒を手に取った。
「なんの話をしているんでしょうね」
 隊員は茶筒の蓋を取って、中を覗き込みながら何度か軽く振り、底の方にわずかに残った茶葉の量を確かめながら言った。
「大雪女はちょっと涙ぐんでいたみたいだったぞ」
 隊長は隊員がお茶を入れるのをボンヤリと眺めながら答えた。
 二匹の怪獣は動かずに立ち話をしているだけなので、ときどき「がおー」と張り上げた声が聞こえてくるものの、あとは遠雷のようにかすかに会話が響いてくるだけで、比較的平穏だった。
 隊員は、茶筒の底から苦労して茶さじを取り出すと、それをちゃぶ台に置き、急須の上で茶筒を斜めにして、半分粉状になってしまった番茶の葉を流し込んだ。
 そんな隊員の手元を見ていた隊長だが、隊員がポットから湯を注ぐときには、ちゃぶ台の上にあったリモコンに手を伸ばし、テレビを付けた。

 戦車の中の四畳半ほどの座敷、とは言え正式な四畳半ではなく、いわゆる団地サイズの小振りな畳による四畳半だが、その中央にはちゃぶ台があり、隊長の席は進行方向に向かって右側と決まっていた。反対側の壁には小さな茶箪笥が置かれていて、その上に20インチの聞いたことのないメーカー名の液晶テレビが載っている。 
 テレビでは、大河童と大雪女が出現したと臨時ニュースを流している。
「おい、今何時だ?」
 隊長はテレビの画面から目を離さずに隊員に聞いた。
「十二時五分です」
 隊員は自分の腕時計を見て答えた。
「十二時十分に何か起きるらしいぞ。テロップに、じゅっぷんに気をつけろと書いてある」
「ええ?」と隊員は頭を横に向けて、右側に置いてあるテレビの画面を覗き込んだ。
「あ、違いますよ、隊長。怪獣が出たから十分に気をつけろと言ってるんです」
「『じゅーぶん』なのか? じゅっぷんではなく」と隊長はあまり納得できていない様子だ。
「ええ、それは十二時十分のことじゃなくて、今の話ですよ。今、気をつけてくださいって」
 隊員は念を押した。
「じゃあ、今が『じゅーぶん』なんだな?」
「そうです」
「じゃあ、五分後は『じゅーごぶん』か?」
「いえー……」
 隊員は返事に困ってしまった。隊長は本気で言っているのだろうか。からかっているのだろうか。それとも、自分を試しているのだろうか。だとしたら、いい加減は受け答えはできない。隊員は緊張した。
「ちがいます……」と隊員は言葉を慎重に選んで返答した。
「ふん」と隊長は釈然としない様子で、ずっとテレビに向けて持っていたリモコンを、静かにちゃぶ台に置いた。

「がおー」と大きな声が戦車の中に聞こえてきた。笑い声のようにも聞こえる。
「がぁおー」と女の声も大きく聞こえてきた。
「やだー」と言ってるようだ。
 深夜のコンビニの駐車場にしゃがんで話をしている若者たちの声が窓越しに聞こえてくるときのような、ぼそぼそと低い声が続いたかと思うと、ときどき大きな声が響いてくる。 
 隊員は、黙って隊長の湯飲みに茶を注いだ。
「ちょっと薄いですけど」と笑顔を作って隊長の前に湯飲みを差し出した。
 隊員は話題を変えたかった。しかし隊長は、テレビから目を離さず、湯飲みをゆっくりと持ち上げて言った。
「今がじゅーぶんだとしたら……」
 隊長は何かを考えながら、ゆっくりと言った。
「実際の十二時十分には、いったい何が起きるんだ?」
 隊長は目を小さくして、ちょっと困ったような顔で隊員を見つめていた。どうも隊長は本当に悩んでいるようだ。となれば、こちらとしても真剣に考えるべくだろう。なんと答えればいいのだろうか。十分が今なら、十分後には何がある? 改めて考えてみると、わからない。自分ではわかっていたような気になっていたが、自分には何もわかっていないことに気がついた。どこにも答の手がかりがない。何ひとつ、とっかかりがない。どこから何をどう考えればいいのかすらわからない。何が問題なのかすらわからない。

 気がつくと、外の「がおー」が聞こえなくなっていた。その場に居づらくなった隊員は立ち上がり、運転席のハッチを少し開けて様子を見ると、大河童と大雪女はまだそこに立っていた。
 大河童はちょっと顔を上げて、小さく「がお」と言った。隊員にはそれが、「そっか」と言っているように聞こえた。
 大雪女はうつむいたまま、ちょっと頷く。また沈黙が流れる。話が終わったならとっとと帰ればいいのにと隊員は思ったが、話すことがないから「じゃあ」と別れられないのが微妙な関係だ。何かきっかけがないと、なかなか帰りづらい。
 大河童はあたりをキョロキョロと見回す。時間を気にしているようだ。そして、「がーお」と両手を高くあげて伸びをした。
「さてと」と言っているように聞こえた。ここで帰るきっかけを作りたかった大河童だが、「がおー」と大雪女に言われて、はっとしたような顔をした。
「がおがお」
 大河童は何かを思い出したように、額に手を当てて言った。
「がおー」と大河童が大雪女に言うと、「がおーがおがお」と大雪女は、そうそう、そうだったわね、みたいな感じで答えた。また二匹の会話が活発になった。今度は雑談というより、表情が真剣だ。少し早口にもなっている。
 帰り際になると大切な用事を思い出すというのは、怪獣でも同じようだ。今までよりも、やや早口の事務的な口調で「がおー」と話し合っている。

 隊員は、二匹の怪獣に気付かれないように、そっとハッチを閉じて座敷に戻ってきた。
「どうだった?」と隊長が小声で聞くと、隊員は自分の場所に座り直して答えた。
「なんか、打ち合わせっぽいですね」
 隊員もつられて小声になる。
「怪獣がなんの打ち合わせだ?」
「さあ。同窓会の連絡をどう回すかみたいな雰囲気です」
 再び戦車の中は静かになった。
 隊長はリモコンを取り、右手の人差し指をリモコンの上に浮かせたまま、しばらくあちこちのボタンのラベルを見て、「画面表示」と書かれたボタンを押した。
 画面の右上に時刻が現れた。十二時八分。隊長は十分に起きる何かに備えて画面に見入った。
「何が起きてもいいように、攻撃態勢を整えておけ」
「はい」
 隊員は咄嗟に返事をし、急いで立ち上がって砲塔に向かおとしたが、隊長の「十分に何かが起きる」説にすっかり乗ってしまった自分に気付き、また座り直した。やっぱり隊長は、十分に何か特別なことが起きると思い込んでいる。

 ずしんずしんという地響きが戦車に伝わってきた。それと同時にテレビのアナウンサーが言った。
「怪獣たちに何か動きがあったようですね。現場の西山さん?」
「えー、ただいま、一匹の怪獣が、大雪女のほうですが、もう一匹、大河童の頭にですね、冷凍光線を浴びせまして、大河童の頭の皿の水が氷かけて慌てるという場面が見られました」
「戦いが始まったということでしょうか?」
 スタジオでわざとらしく似合わない白いヘルメットを頭に載せたアナウンサーが深刻そうな面持ちで尋ねた。
「その前に、何か言い争っているように見えましたので、かなり緊張して様子を覗っていたのですが、大雪女は慌てる大河童の様子を見て、ケラケラ笑っています。大河童のほうは、ちょっと立腹した感じですね。何かを強い口調で言ってましたが、すぐにいっしょに笑い出しました」
 テレビの画像は暗闇でよくわからない。アナウンサーの解説でなんとなく状況がわかるだけだ。
「大雪女、ちょっと機嫌が直ったみたいですね」と隊員は少し嬉しそうに言った。
「ああ、大雪女が怒ってないと知って、大河童も安心したみたいだな」と隊長が答えたそのとき、ちょうどテレビ画面の時刻が十二時十分に変わった。
「おっ!」と隊長が小さく言って、何かが起きるのを期待するように戦車の天井を見上げた。だが何も起きない。
「みなさん、怪獣の動きが活発になりました。どうか、十二分にお気をつけください」
 そしてテレビの画面の下には、「十二分にお気をつけください」とテロップが出た。
「おい見ろ! 十二分に変わったぞ!」
 隊長は驚いて隊員に言ったが、隊員は即座に反応できず、言葉に詰まってしまった。
「二分延びたか……」
 隊長は、噛みしめるような低い声で言った。
 ますます状況が複雑になった、と隊員は感じた。状況と言っても、物理的な状況は何も変わらず、ただ、隊長にどう返事してよいかに関する状況だ。「延びた」とは、起きるべき緊急事態は、何かの都合で延びたり縮んだりするものなのか。隊長はいったい、どんな事態を想定しているのだろうか。隊員はますます混乱した。

 返す言葉が見つからなかったので、隊員は隊長の言葉が聞こえなかったふりをして、運転席の小さなハッチを開け、頭を外に出した。すると、大河童と大雪女がゆっくりと歩きはじめるところだった。二匹は川に沿って山に向かっていく。
 隊員はハッチから頭を引っ込め、座敷に向かって報告した。
「隊長、二匹とも帰っていきました」
「ん」と隊長はテレビから目を離さずに小さく答えた。すでにテレビで見て知っていたのだ。
「みなさま、ご安心ください。たった今、二匹の怪獣は山へ帰っていきました。街に出されていた怪獣警戒警報は解除されました」とアナウンサーが伝えた。
 隊員が運転席からテレビを見ると、画面の時刻はちょうど十二時十二分に変わった。一瞬身構えたが、何も起こらないことを確認して、体の力を抜いた。
「ふーん、十二分のアレは土壇場で中止になったみたいだな」と隊長は誰にともなく言った。
 十二分のアレとは、いったい何だったのだろう。隊長の頭の中では、本来十二時十分には、そしてそれが二分延びた十二時十二分には、何が起きることになっていたのか。なんの説明もなく中止されてしまった今、もう知ることができない。そうなると、隊員はなおさら気になった。ネットで調べたらわかるだろうか。
 隊員はちゃぶ台の前に座り、そこに置かれていた共有のノートパソコンを開いた。そして、検索サイトで「十二分に何が」とまで書き込んで、手が止まった。
 ちがうちがう。あれは隊長の単なる思い込みなのだ。十二分に気をつけろとアナウンサーが言ったことを、十二時十二分に何かが起きると隊長が勝手に妄想していただけなのだ。自分もそれにつられて、十二分に何かが起きると思わされていた。すっかり隊長のペースに巻き込まれてしまった。やはり隊長はただ者ではない。
 隊員はノートパソコンをパタンと閉じて立ち上がり、運転席に向かった。
「隊長、帰還します」
「うん」
 ガオンとディーゼルエンジンが始動し、車体がブルブルと震えた。戦車はその場で百八十度回転して、やって来た道を戻っていった。幸いなことに、今回の二匹の怪獣による街の被害はほとんどなかった。唯一の被害は、地球防衛隊の戦車によって押しつぶされた無数の自動車や道路設備だけだった。

おしまい


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