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2020年09月

金井哲夫の入院日記 その6「もう一回入院しましたー!」

入院日記6何かと楽しい入院生活を無事に終えたものの、石が詰まった胆嚢を放置しておけば、いつかまた確実に激しい腹痛に襲われる。病院勤めの女房はナースの友人たちに事情を話すと、「えー、なんで取っちゃわないの?」と口を揃えて言うそうで、やっぱり胆嚢とは取っちゃうものらしい。石だけ取り除くという芸当はできないので、外科的な処置は胆嚢摘出しかない。そんでもって決意して、主治医の先生に話すと、さすがに外科医だけあって、ニヤリと嬉しそうな顔をした。やっぱり、外科医と生まれたからには、すべての患者の腹を切って臓器を手にしなければ気が収まらないのだろう。

そうしたわけで、9月2日にまた入院することになった。朝、病院へ行って手続きをすると、コロナのPCR検査と、検査抗体検査を兼ねた採血が行われた。いつものごとく、担当者はボクの腕をなで回して、少々困惑しつつ血管を探す。「あ、ありました」とやっと目標地点を発見すると、「ちょっとチクッとします」と決まり文句を口にするや針を突き刺した。痛さは中程。そこから成否を推測するのは微妙な感じ。

針を刺して少し待つが、ぜんぜん血が出てこない。「あれー?」とまたしても他の看護師と同様の反応。この「あれー?」も「ちょっとチクッとします」とセットの決まり文句になってきた。「すいません、やり直していいですか?」と聞くので、ダメだとは言えず承諾した。そうして腕をかえて、なんとか採血に成功。しかし、採血後の大きな絆創膏が両腕に付いているという、通常ならあり得ない馬鹿みたいな形になってしまった。

その格好のまま病室に案内された。前と同じのお馴染みの部屋だ。だけど、ベッドは前回ポケモン少年が寝ていた場所。カーテンを閉めちゃえばどこも同じなので、ベッドがひとつズレても大して変化はない。しかし、身の回りのものを片付けて病衣に着替えホッしたころ、婦長さんがやってきて「折り入ってお願いが……」と切り出してきた。なるべく入口に近いところに高齢の整形の患者さんを入れたいので、ベッドを移ってもらえないかとのことだった。今なら、窓際と、このひとつ隣が空いてますと言うので、ボクは「隣でいいよ」と答えた。

ボクは電車でもなんでも窓際派なので、1週間滞在するこの病室で窓際がゲットできればさぞ快適だったろうと思うのだけど、どうも「じゃあ窓際で」とは、なんか厚かましいようで、がっついているようで言えなかった。そして、半分後悔しつつ前回と同じベッドに収まり、さっきの場所には足を骨折したじいさんが入り、すぐその後に、もしかしたらボクが陽光を浴びつつ、おもての野球グラウンドで少年たちが白球を追いかける様子を眺め心を癒やしていたかも知れない窓際のベッドには、別のじいさんが入った。

ボクが前回と同じベッドに収まり本を読んでいると、窓際じいさんの担当になった若い女性看護師さんの声が聞こえてきた。
「窓際でよかったね」
するとじいさんも「うん、よかったよー」と、なんだかすごく嬉しそうだった。それを聞いて、ボクはこっちのベッドを選んでよかったと思った。

2回目の入院は、かくして無事に、というか想定内のあれこれを含みつつ始まった。今回は、ゲロゲロじいさんもいない、うるさい少年もいない、気になる青年もいない。昼間はじつに静かな病室で、ちょいと拍子抜けだと感じていたのだけど、いやいや、世の中そう甘くはなかったのであります。

つづく


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金井哲夫の入院日記 その5「点滴がめちゃくちゃ下手だけど陽気な看護師さん」

入院日記5
入院の間、何度も注射針を刺された。まずは採血。ボクの腕は血管が出にくくて、針を刺しにくいらしい。他の病院でも、採血のときはいつも看護師さんを戸惑わせてしまう。でも、「やりにくいでしょ」とどの看護師さんに聞いても、そこはプロのプライドなのか、「ぜんぜんそんなことないです」と言い切る。でもその言い方が、ちょっと慌てた様子を含んでいて、漫画で描けば、汗がピュッピュと頭から飛び出てる感じ。

でもやっぱりボクの腕は厄介で、一度針を刺して血が出ず、もう一度別の場所に刺すなんてことがよくある。採血が終わると点滴。この入院では、なかなか針が血管に入らず難儀した。仕方なく手の甲にしたり、肘の近くにしたり。どこに入れてもらってもいいのだけど、腕が曲がらなくなってご飯を食べるのに苦労したこともあった。

この病院は、看護師さんがみんな陽気で明るく、とっても優しい。中でもボクの担当になった若い女性の看護師さんは、ゲロゲロじいさんにも、少年にも、青年にも、その他の普通のおじさんにも、態度を変えることなく明るく陽気に対応していた。若いのに立派なことだと感心した。

だがその娘さんは、ひとつ弱点があった。注射が下手なのだ。それがボクのような面倒な右腕に挑まなければならくなって、ひと騒ぎとなった。まずはいつもどおり「ちょっとチクッとしますよー」と針を刺した。ちくっとじゃなかった。グサっときた。薬がちゃんと落ちるかどうか確かめている間に、針を刺した先あたりがぷっくり膨らみ出した。「ああっ」と看護師さん。慌てて針を抜く。

「すいません、もう一度やります」と、また血管を探り、「よし、ここだ」と決めて針を刺した。気合が入った看護師さんは、「えい、うーん」と声が出る。以前にも増してグサグサとくる。非常に痛い。だが、そこも失敗だった。それから数回グサグサ刺して、5つぐらい無駄な穴が空いただろうか。彼女は意を決して言った。

「これでダメならベテランさんを呼んできます。もう一度だけ、やらせてください」

最初からベテランさんを呼んで欲しかったが、「痛いからダメ」なんて大人気ないことは言えない。とってもいい子なので、注射もうまい看護師さんに成長してもらおうと、ボクは練習台になる覚悟を決めた。

だが、応援虚しく最後の1回も鉱脈に当たらず、ベテランさんの出番となった。やってきたのは、見るからにベテランそうな男性看護師だった。彼もボクの腕を指で探る。さすがにベテランだけあって、じつにソフトに慎重に探っていった。そして、ここだと決めたところに針を打つ。何度聞いたか知れない「少しチクっとしますよ」の合言葉とともに針が入る。しかし痛くない! ベテランが適切な位置に針を刺すと、ぜんぜん痛くない。さすがだと感心した。

だけど少ししてベテランさん、「あれー?」と言った。針は刺さったものの、血が出てこないのだ。「すいません、もう一度やらせてください」と、新たな無駄穴を増やして、別の場所に針を打つ。これでやっと成功した。ここまで来るのに、どんだけ針を無駄にしただろう。ボクの腕にも、たくさん穴が空いた。散弾銃で撃たれたキャラクターが水を飲むと体中の穴から噴水のように水がピューっと吹き出すアメリカのテレビアニメが昔あったけど、おそらくボクも水を飲んだらそうなったに違いない。

そんなこんなで、ボクの緊急入院の1週間は楽しく過ぎたのでありました。

さらにつづく

金井哲夫の入院日記 その4「感じのいいヤツは腹が立つ」

入院日記4
ボクの右隣のベッドには、どうやら交通事故で足を怪我したらしい若者がいた。顔が見えないので年齢はわからないものの、小学生でもじいさんでもない、30歳代と思われる。こいつがやけに感じがいい。直接話したわけではないが、看護師との会話を聞いていると、馴れ馴れしくすることもなく、丁寧で、にこやかで、はきはきしている。

だけど、なぜか違和感がある。非難すべき点は何もない。だけど、その「感じがいい」感じが、なんだか感じ悪い。

ボクは、感じのいい人間を目指して日々努力している。長年の研鑽の甲斐あって、それなりに感じのいい人の体裁は整っていると自負していた。なので、この6人部屋の患者の中では最も感じのいい男だろうと決め込んでいたのだけど、もしかしたら自分より感じのいいヤツが現れたわけで面白くない。こんな小さな部屋のたった6人のコミュニティーで、しかも隣合わせに、ほぼ24時間ずっとライバルが居座っているわけだ。不愉快極まりない。腹が立つ。

正直なところ、ボクはあくまで外見上の「いい人」を演じているだけで、本当のいい人ではない。本当のいい人とは、何も意識せずに「いい人」感が人格から滲み出てくる人のことだ。いい人であろうとなど考えた時点で、もうそれは作為となり、偽物と化す。四六時中意識していということは、常に人の顔色を覗って、相手に嫌われないように取り繕い続けていることで、人間はどんどん卑屈になっていく。卑屈者に魅力はない。それを理解しているから、さらに相手の顔色を覗う。卑屈を悟られまいと取り繕う。苦労が絶えない。

もし隣の若者が真性のいい人だったら、ボクは違和感を覚えたりしないはずだ。「ああ、いい人だな」とむしろ尊敬し憧れる。もしかしたら、同類なのかも知れない。直感的な同族嫌悪だと思えば、この感情に説明が付く。そうだ、同類に違いないと、ボクは勝手に決めつけた。そうして改めてお隣君の言動を観察するに、「いい人」を取り繕う人間のコミュニケーションが俯瞰できた。面と向かって話すと、うかつな人は彼の作戦にはめられて気がつかないかも知れないが、横から見ると、彼が装着している「いい人」の仮面の厚みだけ、相手から遠ざかっているのがよくわかる。

仮面を使用するということは、相手に心は開かないぞと決意を固めている証拠であり、相手から遠ざかるのは対人関係が苦手な本人が意図するところなので、極論すれば、コンビニの店員が無機的な敬語を連ねて情を通わせることを断固遮断するように、「お前なんかと話はしたくない」と宣言しているのと同じだ。つまり、いい人どころか、まったく無礼なやつだ。

「いい人」を意識しない自然体の対話が望ましいのは、重々わかってる。その意味では、あのゲロゲロじじいのほうが、コミュニケーターとしてはよっぽど上等だ。好き嫌いは別として、本当の会話ができる。だがそれは、嫌がられることを厭わず素直な自分を相手にさらすのは、嫌がられことが最大の恐怖である人間には、地獄の炎に身を投げるほどの勇気のいる行動だ。

だけど、家族と話すときとは自分を隠さない。それで何ら恐怖を感じたりはしないし、むしろお出かけ用の仮面を外して楽になれる。それと同じことをすればいいのだ。できないことはなさそうだ。頑張ってそっちに切り替えないと、あとちょっとの短い人生を豊かに暮らせない。

頭ではわかっていたことだけど、こうして他の同類の言動を端から見ると、それが実感できて大変に勉強になる。人生の大きな決断を促してくれた隣の卑屈君、ありがとう。

こうして、お隣君を出しにして、一人お先に解脱した気になり、あと何十年かすればキミもこの段階まで登れるようになるさと上から目線で励ましの念を送っていたボクの耳に、携帯電話の呼び出し音が響いてきた。彼はすぐに電話を取り、「はい、もしもし……」と通話を始めた。えー、病室は通話禁止だぞ。ボクは電話が鳴ったとき、周囲を気にして点滴棒をコロコロさせながら慌てて携帯エリアまで行ってかけ直していたのに。まったく近ごろの若者は、そういう気を遣わないのがけしからん。

おや、待てよ。てことは、お隣君は、ボクが思っていたような卑屈君ではなかった? あれま、自然体さんでしたか。失礼しました。くそっ、腹が立つ。