社長の業務:ショートストーリー『王と石つぶて』

先週も、国の反対側の国境でクリミジア国の兵と戦って勝利したという報が入ったばかりだ。このところ、毎週のように戦勝報告が届けられ、その度に民衆は王宮前に集まっては、
「ヘルニア王国万歳!クルエル三世殿下万歳!」
と歓呼の声を上げる。そして、次の吉報が早くもたらされるよう、新たな期待に膨れあがっていく。
それは、国王クルエル三世とても同じだった。自分を讃える民衆の声が、強い酒のように頭の芯をしびれさせてくれる。自分が強国の英雄的な王だという確信を運んでくる。
去年、彼が王位を継いでから、戦争へ出掛ける回数が目立って増えた。出兵理由は隣国が侮辱的な態度を取ったらしいとか、敵対的な発言があったとかいうものである。
そして、連戦連勝の報がもたらされた。国民は自国の軍隊がこんなに強かったのか、と目の覚めるような思いをした。クルエル三世の軍事的天才を崇拝した。
彼の方針に逆らったり疑問を呈したりするものは、ただちに処刑された。公開処刑である。
ありとあらゆる残酷な方法で行われるそれは、また国民の熱狂に膨らみきった気持ちに適うものであった。国民は戦争と公開処刑を心待ちにするようになった。
中でも人気のあった刑罰は、集まった群衆が鎖でつながれた死刑囚に死ぬまで石つぶてを投げるというものであった。最初の日で死ななければ、死ぬまで何日も続けられた。大抵は、一時間経たないうちに死んでしまったし、中には一発こつんと当たっただけで、あの世に行ってしまい、群集をがっかりさせるやつもいた。
国民は、王に異議を唱えた者に石を投げる時、自分が強国の一部であることを強く感じ、強国の正義がなされることに参加しているという気分に浸ることが出来た。
王も国民も雲の上を歩いているような気持ちでいた時、クルエル三世は国中を行幸することを思いついた。中央のみならず地方の国民にも我が勇姿を見せて回ろうというのである。
その計画が練られた。道筋の整備、宿舎の手配、各地での行事の日程。
念入りに考えられたのは、いかに、その行列を美しく飾り立てるかであった。王の前後に付く兵隊のために、装飾のついた甲冑が新しく手配されることになった。供揃えの帽子を飾る羽毛を取るために、湖から水鳥が消えてしまった。衣装のために国中の仕立屋が徹夜の目を赤くしていた。
中でも、王自身をいかに勇者として演出するかが問題であった。
そんな時、王宮の庭に、美しい白馬が現れた。どこから来たのかわからないが、雪のように純白な光り輝かんばかりのその馬こそ、王を乗せて国を巡るのに相応しい馬ではないか、と思われた。
王は一目見てそれを気に入った。というより惚れ込んでしまった。馬に向けて右手を差し出すと、馬の方も甘えるように頭を差し出すのだった。
相思相愛。
王は、ただちに宝石をちりばめた鞍を装着させ跨った。もちろん取り巻きの者達は賛嘆し止むことがなかった。
宮廷詩人は、地上で最高の王と天から使わされたかのような馬を、歯の浮くような言葉を並べて讃えた。
涙を流すものさえいた。もっとも、彼が立ち去った後、皮をむいたタマネギが落ちていたのだが。
駆けよ、と王は命じた。
すると、馬は、ふわっと宙に浮いた。あっと驚く臣下達の声を後に、王を乗せたまま天の彼方に飛び去ってしまった。
王は上機嫌だった。あの宏壮な宮殿が小さく見えるほどの高みから地上を見下ろしているのである。もしや、自分は神と等しいような存在になったのではないか。
白馬は、山巓の頂上に降りた。あたり一面の銀世界の中でも、この馬はひときわ光り輝いていた。その身体がプリズムになってしまったかと思われるような虹色の光を放っていたのである。
「王よ」
驚いたことに馬は言葉を発した。
「あの鏡を見よ。あの天上の氷で作られた鏡を」
すると岩壁が鏡に変わった。
「その鏡こそは汝の真実の姿を映すものなり」
王は、白馬に跨ったまま鏡の前に進み出た。国民の前に、なにより自分の心に見せるべき雄々しき姿は、どのように映っているだろうか。
王は、三日間戻ってこなかった。
その三日のうちに革命が起こっていた。きっかけは、第一日目に行われた政治犯の処刑である。
例によって、足に鎖をつながれた男が猛り立つ群衆の前に引き出された。例の如くに合図とともに、群集から石つぶてが飛んでくる。弱いものなら、一発目が当たっただけで頭を抱えてうずくまってしまう。だが、その日の男は、ぐっと足を踏ん張って倒れなかった。
それどころか血まみれになりながら、王の非を鳴らし、戦争の愚を叫び続けた。
初めのうちは、その不遜な態度は群集のさらなる怒りを誘うだけだった。しかし、いつまでたっても倒れない彼に、群集は底知れぬような恐怖を感じ始めていた。石を投げる手が縮こまり力が抜けるようだった。
いつしか彼の声は聞こえなくなった。飛んでくる石も弱々しく、数も少なくなった。まだ投げているのは役人が「投げろ、投げろ」と声を枯らして命令するからに過ぎなかった。
やがて、群集は彼が立ちながら死んでいるのに気づいた。彼らの足下が空っぽになるような不安に捕らえられた。
真に畏怖すべきもの、真に尊敬すべきものは何かと言うことを、その直立した死体が、お節介にも教えてくれているような気がした。
気が進まないながらも、彼らは彼らの真実の姿と向き合うしかなかった。
(それは、あの山の上でクルエル三世が見たものと同じであるわけだが)
第二日目に、最前線の戦場から逃げてきた二人の兵士からの報せがもたらされた。
連戦連勝と伝えられていた戦闘は、逆に連戦連敗だった。下級兵士は、乏しい食料や武器を持たされるだけで、前線に捨てられるように突撃を命じられていた。それに引き替え、将軍始め幹部は自分は戦場には姿を現さず、後方の幹部用営舎で美酒美食に溺れ、そこには娼婦がごろごろしていた。
前日の男の処刑が民衆の心に、なにか不安定なものをもたらしていたに違いない。この話が、瞬く間に「真実」として伝わった。
官吏は、ただちに二人の兵士を逮捕し、あの石投げの刑に処することになった。しかし、石を投げに集まってきた者は一人もいなかった。
第三日、あの処刑された男の弟を、リーダーとして担ぎ出した民衆が王宮になだれ込んだ。昨日までの支配層に対する凄まじいまでの殺戮と略奪が行われた。
革命の端緒となった死刑囚の弟は全国民の支持を得て、新国王・ミゼラブル一世として即位した。
新王の最初の仕事は、四日めにようやく帰ってきたクルエル三世の処刑に関する命令書にサインすることだった。
民衆は、刑場に引き出された前王を見て、そのみすぼらしい小男なのに驚いた。それまで自分たちが見ていたのは幻影だったのだろうか。
彼らは怒りをたぎらせた・・・フリをした。なにせ、気を抜くと、哀れみにとらわれてしまうほど情けない姿だったのである。こんな男を崇拝していたのかと思うと、普通なら恥ずかしくて強い酒でも呑んで前後不覚に酔っぱらわないといられないところだ。
だが、彼らは、その羞恥心を偽の怒りに転化するくらいの狡猾さは持っていた。
恥ずかしがるどころか、いつもより力を込め、いつもより大きい石を投げつけたのである。
怒ったふりをしているうちに、いつの間にか本当に怒っているというのは、人間、よくあることである。
ミゼラブル一世は、クルエル三世の処刑により、民衆の公開処刑熱が萎んでしまったのを見てほっとしたらしい。
だが、ほっとした後、深い溜息をつかなければならなかった。
国庫から、借金の証文の山が見出されたからである。前王の戦争と奢侈で借金の山が出来た上に、わずかな宝物も民衆の略奪によって、城はスッカラカンになっていた。
腹の虫が鳴くのを音楽の代わりに聞きながら、新王は国の立て直しに着手しなければならなかった。
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