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社長の業務:ショートストーリー『学校の神様』

社長1  ここは、どこだろう。廊下だと言うことはわかっているけど。前にまっすぐ、長く続く廊下だ。なんだか見覚えがあるような気がする。
 この廊下を見ただけで、ここがどこか当てなくちゃならないんだ。そういうルールを決めたような気がした。
 例えば、この右側は、ずっと窓が続いている、だから、外からの光りで、この廊下は明るい。
 でも外になにがあるか見ちゃいけない。どうしても、前に続いているし、その窓ガラスの向こうにちらちらなにか風景が見えるような気がするけど、首を動かして、そっちを見ちゃいけない。目はまっすぐ前に向いていなきゃいけない。それは、ここがどこか当ててからじゃないと見ちゃいけない。
 そういうルールなんだ。
 左側には、部屋が続いている。それも見ちゃいけない。まっすぐ前だけを見て、なるべく左右の窓や部屋の中を見ないようにして言い当てなきゃいけない。
 そう、これは、もうどうしたって知っている場所だ。だけど、本当に確かにそうだという証拠を発見してから、言い当てなきゃいけない。
 そういうルールなんだ。

「ひとり遊びだね」
 どこからか、そういう声が聞こえた。低くて、ぼんやりした声だ。それが、左側の部屋の中から聞こえてくることはわかっている。でも、そっちの部屋の中は見ちゃいけないルールだ。
「君は、いつもひとり遊びだ」
 また、声が聞こえてくる。この声に答えていいんだろうか、いけないんだろうか。
 ぼくは、どぎまぎした。見えるものについてのルールはあるけど、聞こえる音や声についてのルールは、まだ、なかったような気がする。
 ただ、見えるものから、ここがどこかを言い当てるってのが、ルールなんだ。
「うるさいよ」
 思わずぼくは、こう答えた。ルールを守るためには、この声を黙らせなくてはいけない。
「黙っていてよ。ぼくは、まっすぐ目の前に見えるものから、ここがどこかを当てなきゃいけないんだ」
 すると声がこう言った。
「俺が誰だか、知りたくないかい」
 知りたい。すごく知りたい。確かに知りたい。
 でも、ここがどこかを当てる方が先じゃないのか? そう決めたんじゃないのか? いや、ぼくが決めたのかどうか忘れたけど、そういうルールだったんじゃないのか。
 ぼくは、足の裏からジャックの豆の木が生えてきたような、焦った気持ちになった。

「見なきゃいいんだよ」 
 と声はずるがしこそうに言った。
「目をつぶってごらん。そして、そのまま、こっちを向いてごらん。そうすれば、ルールに違反しないよ」
 そりゃそうだ、目をつぶって見るのは見ることにならないものな、と思うより先に首が動いていた。目をつぶっても、ぼんやりとだけど目蓋を通して向こうが見えた。そして、ぼくは左側の部屋の中、廊下に面した窓ガラスを通して、黒板の前、教壇の上に胡座をかいて座っているそいつを見た。
 そいつは、像の顔をしていた。頭にターバンみたいなものを巻いていた。鼻の下には牙が生えていたが、鼻の横にはウナギみたいな黒い髭を生やしていた。丸いお腹。
「ガネーシャ!」
 思わずぼくは叫んでいた。この間の日曜日、お父さんと行った博物館に、こいつの石像が置いてあった。インドの神様で、なにか頭がよくなる神様だったような気がする。
 
「そう」
 とガネーシャは答えた。
「もう、目を明けてごらん」
「目を明けたらルール違反だよ」
「じゃあ、ここがどこだか言ってご覧よ。わかるだろう」
 そういえばそうだ。目をつぶっても見えるのだもの。わかり切っている。学校だ。なんだか、面白くない。せっかく苦労して守っていたルールを蹴飛ばされてしまったような気がする。
「ほら、いつも君は楽しいことよりルールが気になっている」
 ガネーシャは言った。
「だから、いつも、ひとり遊び」

「ちがうよ。みんなだって、ルールを守って遊んでいるよ」
「それは、みんなで遊んでいるんじゃない。ひとりひとりがルールを守るごっこをしている。ルールから外れたヤツをとがめるごっこをしている」

 なんとなく面白くなかったので、ぼくは目を明けた。白い光りが一杯入って来て、急に明るくなった。目の前の廊下はずいぶん長かった。こんなに長かったっけ。廊下の果てが見えないようだ。
 誰もいない。その分だけ、ますます廊下が長く見えるようだ。
 今日はお休みなのかな。休みの日には、廊下は伸びるのかな。
 ぼくは、さっさと足を大きく広げて歩き出した。
「どこへ行くんだい」
 また、ガネーシャだ。さっきの教室は通り過ぎたのに、左を見ると、そこの教室の教壇の上に、さっきのように胡座をかいている。
「うちへ帰る」
「どうして」
「休みの日の学校にいたって仕方ないもの」
「休みの日の学校にいるから面白いんじゃないか」
「見つかったら叱られちゃうよ」
「そうかな」
「そうだよ。決まっているじゃないか」
「学校なんてのは、学校が休みの日に来るにかぎるよ。俺なんか、ずっとそうやっているんだ」
 もしかして、ガネーシャも学校の生徒なのかな、と思った。生徒の癖に休みの日にばかり来るから、誰にも知られないんだ。
 先生にも生徒にも知られないんだ。
「休みの日ばかりに来ていたら、誰とも会わないだろう」
 と僕は聞いてみた。
「今、俺と君が会っている」
「そうじゃなくて、先生にも会わなければ、授業も受けないし、友達とも会わないし、給食だって食べないし」
「それがどうした」
 ガネーシャは大声で笑った。
「まったく、君は嘘ばかりついているな。君は先生には会いたくないし、友達なんていないし、授業なんてさっぱりわからないし、給食なんて食べたくもないものを無理に食べているんじゃないか」

 飛行機が落ちてくるような音が廊下に鳴り響いた。でも、気がついてみると、ぼくが泣いているのだった。
「自分が泣いているのくらい気がつけよ。じゃなきゃ、誰も気がついてくれないぜ」
「ぼく、泣いてなんかいないよ」
 といっているぼくは、やっぱり泣いていた。
「だから、自分に嘘をつくな。泣きたいなら泣け」
「ぼくは泣きたくない。泣いてなんかいない。絶対に絶対に」
 ぼくは泣いていない泣いていない、と思いながら泣き続けた。ときどき、ガネーシャがどこかへ行ってしまったのではないかと心配になって上目遣いで見てみると、ガネーシャは困ったような顔をしてぼくを見下ろしていた。だから、ぼくは泣き続けた。そしてまたガネーシャを見上げた。ガネーシャがそこにいるのがわかると、また泣き続けた。

 泣いているうちに、ずらりと並んだ教室のむこうからも、こっちからも泣き声が聞こえてくるような気がした。誰か泣いているのだろう。泣いている子それぞれにガネーシャだか、他の神様だかがくっついているのかも知れない。
 でも、ぼくはぼくが泣くことに忙しくて、そっちの方には構っていられない。
 もうだいぶ泣いて、目なんか雨に濡れたハンケチみたいにくしゃくしゃになっているのに、まだ泣き声が身体の底から湧き上がってきた。
 ちらりと上を見ると、まだガネーシャはこっちを見ていた。
 ぼくは、いつまで泣いているんだろう。

 それから、だんだん誰もいない学校に来る子供が増えてくるような気がした。いろんな神様も増えてくるような気がした。
 でも、それは誰もいない学校なんだ。だって、誰もいないんだから。
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