社長の業務:『暗くて楽しいバスツアー』

「ホリデー・ミステリー・バスツアー 次の休日、あなたはやることがありますか? 行くところがありますか? 一緒に出かける家族がありますか? 恋人がいますか? 友達がいますか? ・・・なにもないあなたに、ミステリー・バスツアーはいかがでしょう。行き先は、着いてみなくてはわかりません。考えるのが嫌いなあなたにぴったり。全ては私どもにお任せ下さい」
いったい何に惹かれたのかと言えば、すべて俺に当たっていたことだ。まるで、俺個人に向けられたような広告だ。気がつくと、ネットで申し込みを済ましていた。
その日曜日、天気は上々だった。ちょっと楽しみなような不安なような気持ちを抱いて、集合場所に向かった。
こんなバスツアーには、どんな人が集まるのだろう。可愛い女の子とかも来るんだろうか。
「俺と同じような人間だとしたら、そんな子が来るわけないだろう」
急に気持ちが暗くなった。
「しかし、つき合う相手もやることもないけど、可愛い女の子というのも考えられないわけではない」
うすうす無理だと思っても、自分を浮き立たせるために、そう考えてみる。
集合場所である駅前のロータリーに着くと、ツアーの団体らしい人達は見あたらない。それどころか、観光バスも見あたらない。
「来るのが早すぎたかな」
そう思って時計を見てみると、早すぎたどころか5分過ぎている。
「ういっす」
陰気な声が聞こえたので顔を上げてみると、俺の前に、その声に相応しい男が立っていた。
いかにも安物そうなパーカーとジーパン、若いんだか年取っているんだかわからない顔立ち、猫背でがに股・・・俺そっくりだ。俺が痩せているのに比べて向こうは太り気味だが。
「ミステリー・バスツアーにようこそ」
あまり歓迎しているとは思えない口調で、決まり文句らしいのをぼそっと言う。
「じゃあ、あんたが」
「はい。俺、ツアコンっす」
なるほど、白地に赤と青の縞が入って緑色で「ミステリー・バスツアー」と書いた、あまり趣味のよくない旗を持っている。
「他の人は」
「お客さんだけっす」
一人だけでバスツアーって成立するのだろうか。人数が足りない場合は中止とかいうのが普通じゃないか。
「バスはどこにあるんだ」
「これっす」
と、一枚のカードを渡された。そこには、
「○○市営バス 一日乗り放題乗車券」
と書いてあった。
「おい、こんなバスツアーがあるのかよ」
「市営バスだって、バスっすよ。お客さんは行き先知らないからミステリー・バスツアーっす」
言われてみればそうだ。市営バスがバスでないという人はいないだろうし、俺に「行き先わかってんのか」と迫られれば一言もない。論理の破綻はない。
何故だか、俺は感心してしまった。
俺の前には緑色をした金属のネットがある。並んで立っているツアコンは、そのネットに寄りかかって、
「あのショート、うまいっすよね」
「知り合い?」
「いや、知らないっす」
駅前のバス停から15分ほど乗って降りたところは、市営運動公園だった。その中の野球場のバックネット裏に立っている。
「これ、どこのチーム?」
「さあ、市内の草野球チームっすね」
「なんで、おれ達、これを見ているの?」
「いけませんか」
「いや」
そう言われると、確かに今日、おれ達がここで草野球を見ていて悪いという理由はない。(いいという理由もないが)
「あ、エラーだ。あ、こりゃあ、一点入るなあ」
陰気な声でそんなことを言う。盛り上げようとしているんだか、なんだかわからない。
「このランナー、結構足速いよね」
俺まで、そんな感想を述べる。
「あ、駄目だ、バッターランナー、欲張りすぎ」
「あああ、挟まれちゃった」
一応、二人で盛り上がる。結局、一イニングの表裏を見た。得点は例のエラーによる一点だけだった。
俺は、ミニ牛丼とうどんのセットを食っていた。派手な色のテーブルの向こうで、ツアコンは大盛りカツ丼と大盛りラーメンを食っている。太っているだけによく食う。
さっきの球場からバスで五分ほどのショッピングモールの中のフードコートである。広い空間に変な色合いのテーブルと椅子が並び、その周囲を外食のチェーン店が取り囲んでいる。日曜の昼時だけあって、混んでいる。
「ガキ共、うるせえんだよな」
他の家族連れを見やってツアコンは、汗だらけの顔で毒づく。そうかと思うと、カップルの方を見て、
「別れちまえ」
と呪いの言葉を吐く。
どうも、このツアコンは飯を食っていると機嫌が悪くなるらしい。汗のかきすぎだと思う。
ショッピングモールの前庭のベンチに二人並んでいた。俺は缶コーヒー、ツアコンはプラスチックのカップに入った毒々しい色の飲み物を飲んでいる。
「お客さん、仕事、忙しいっすか」
時々、思い出したように話しかけてくるのは、これでも気を使っているのだろうか。
俺は、職場のいやな上司の話をした。話しているうちにもムカついてきて、思わず口調がきつくなる。
「パワハラかあ」
とツアコンは、空を見上げていった。アザラシか何かが吠えているところを思い出した。
「実は、俺も前の仕事、それで辞めたんすよ・・・ちくしょう、あの糞オヤジ・・・」
何か思い出したらしく、靴のかかとで地面を蹴った。そして、また目を上げると、その先にはカップルが歩いていた。
「別れちまえ!」
ツアコンは呟くように言った。
ショッピングモールをぶらついてから、さらにバスで10分ほど、市立中央公園という広い公園に来た。
「この市もセコいのに、この公園だけは立派っすよね」
「あんたも、この市に住んでるの?」
「いや、昔・・・」
しばらく、芝生の上にごろんと転がって、黙って空を見上げていた。
「あ、飛行機だ」
と、ツアコンが言った。なるほど、小型機がぼんやり飛んでいた。
「お客さん、飛行機って乗ったことありますか」
俺は西の方の出身なので、帰省に使ったことはある。
「俺、ないんすよね」
と、ツアコンは言った。さらに、
「お客さん、外国って行ったことありますか」
それはなかった。
「俺もないっす」
それはそうだろう。飛行機に乗ったことがなければ、船旅しかないということになる。
「外国なんて、何がいいんだろうなあ」
なんだか、不満そうに言ってから、付け加えた。
「もっとも、日本だって冴えねえけどな・・・お客さん、ビールでも飲みませんか」
ビアレストランにでも連れて行ってもらえるのかと、ちょっとだけ期待した。だが、向かったのは公園内の売店の前のベンチだった。
缶ビールと袋菓子を買って戻ってくると、
「あ、いいっす。これはツアー料金内っす」
と言って、プルトップをぷしゅっと開けて、俺に渡してくれた。これもサービスのつもりなのだろうか。
「ああ・・・」
と、一口飲んで溜息をついたかと思うと、また、別のカップルを見つけて、
「別れちまえ」
と呟いた。恋人達を見ると、自動的にこういう反応をするらしい。
まるまるとした手でポテトチップを掴んでは、口に押し込み、あたりの人々を見ては不満そうに口を歪め、ビールを一口飲む。
缶が空になると片手で握りつぶし、黙って立ち上がり、俺の分も追加を買ってくる。
三本ほど開けたところで、
「あー」
とツアコンは声を上げた。
「日本は戦争するのかなあ」
と脈絡もなく言った。
「最初のうちは、若いやつが軍隊に取られるだろうから心配ないっすけどね。前の戦争の時は負けがこんでくると、30代のヤツも取られたらしいんすよ。鉄砲の撃ち方とか、ちょっとだけ訓練受けて。そうなると、やばいよなあ」
そういうことで言えば、俺もやばいことになる。
「実際、敵に撃たれて死んだよりも、飢え死にしたりマラリアにかかって動けなくなって死んだりした方が多いらしいんすよね」
なんだか、俺が考えたこともないようなことを知っている。
「今晩も部屋に帰って、テレビ見ながらチューハイ呑んで弁当食って寝るだけっす」
脈絡もなく、そんなことを呟く。
夕方、元の駅前に帰ってきた。
「はい、ご苦労さんした」
そういうと、ツアコンは俺に旗を渡した。
「じゃ、あとは、よろしくお願いっす」
「なんだ、こりゃ」
「来週は、お客さんがツアコンやるんすよ。HPに書いてあったっしょ。メールで申し込みが来たら、今日と同じようにやって下さい。じゃ」
それだけいうと、ツアコンは駅の人混みの中に姿を消してしまった。
「あのショート、うまいっすよね」
翌週、俺は市営運動公園の野球場のバックネットに凭れて、となりにいる冴えない顔色の男に話しかけていた。
やはりよく晴れた日曜だった。
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