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社長の業務:ショートストーリー『ロバのパン屋』

社長1  畑の中の道を、ロバが車を引いて歩いている。ロバが背負っている雲は、もう夏が近いことを告げている。
 車は普通の荷車だが、屋根がついていて緑色のペンキが塗られている。屋根の横っ腹には花文字で『ロバのパン屋』と書いてある。屋根の後ろの方にはベルがくっついていて、荷車が揺れるにつれ、からんからんと音を立てる。それを聞くと、村の子供達は「ロバが通る、ロバが通る」と言って走り寄ってくる。おかみさん達もパンを買いにやってくる。
 このパンは、ロバ自身が粉をこねて、焼き上げるのだ。ロバという動物がいかに賢いかわかるだろう。

 だが、今日のロバは心配事を胸に秘めているような顔つきだ。
(ロバに心配事なんかあるものかって? そりゃ、ロバにだって心配事も悩み事もある。嘘だと思ったら、その辺にいるロバに聞いてみるがいい)
「おい、どうしたんだ、ロバ。浮かない顔つきでねえか」
 そう話しかけたのは、向こうから鍬を担いでやって来た百姓のトム・土左衛門だ。ロバはこう答えた。
「うん。おらのご主人様がどっか行っちまって行方不明だ」
(ロバが言葉を話すわけがないだって? そりゃ、ロバだって言葉くらい話すさ。嘘だと思ったら、その辺にいるロバに聞いてみるがいい)
「おめえのご主人? ああ、あの怠け者のマイケル・抜け作か。あんな役立たず、いなくたって困らねえではねえか。パンを作るのも売るのも、おめえが一人でやっているんでねえか」
「でも、おらのご主人であることに変わりはねえだ。なあ、トム、ご主人様を見つけたら、おらに知らせてくんろ」
「ああ、わかっただ。おめえのパンには村の者が、みんな世話になっているからな」

 ロバと別れて歩き出すと、トム・土左衛門は、こりゃロバのために一肌脱いでやらなきゃと思った。
 なにしろ、この村では米も麦も野菜も取れない。取れるのは、ヤマモハケローという植物だけで、これは実はまずいし、葉は苦いし、繊維から糸が紡げるわけではなし、引っこ抜こうとすると大声で呪いの言葉を叫ぶという、どうにもしょうがない作物なのだ。だから、人々は食べ物をロバのパンに頼っているのだ。

 すると、向こうから商人のルイス・伝兵衛が歩いてきた。
「ヘイ、ルイス」
「ハロー、トム」
「ルイス、儲かってるべ」
「何を言うか、トム。おめえらの作るヤマモハケローを全部買い上げては町の市場に運んで売るだが、ひとっつも売れやしねえ。お前たちのお陰で、毎年、大損だ」
「まあ、そのうちいいこともあるべ。あの呪いの言葉をみんな好きになるとかな・・・ところでルイス、マイケル・抜け作を見なかったか」
「いや、見ねえな」
「パン屋のロバが心配して捜しているだ。見かけたら知らせてやってくれ」
「ああ、わかった」

 トム・土左衛門と別れたルイス・伝兵衛が歩いていると、向こうから自転車に乗った郵便配達のジャン・ピエール五郎太がやって来た。
「おい、ジャン・ピエール、いやに慌てておるな」
「いんや、おら、この手紙を配達しなきゃいけねえんだが、どこの家だかわからねえで困っとる」
「宛先はどこだ」
「ロンドンとしてある」
「そりゃ、遠い。外国だ」
「外国というと、この村にあるだか」
「いんや、もっと遠いな」
「町の方か」
「いんや、もっともっとだ。なんぜ、外国だからな。まんず、馬車に乗って駅のある町まで行って、汽車に乗って港のある町まで行って、船に乗っていかねばならねえな」
「今日中に行って帰ってこられるだろうか」
「まあ、行ってみねえとわからねえな。なんせ外国だから。そうだ、そんなに遠くまで行くんだったら、途中でマイケル・抜け作を見かけたら、ロバが捜しておったと伝えてくんねえか」
「そりゃま、いいが、はてさて、えらいことになったもんだ」

 ルイス・伝兵衛と別れたジャン・ピエール五郎太は、船に乗るのは大変だから、自転車で行くことにしてこぎ始めたが、向こうから脱獄囚のフョードル・ミハイロヴィッチ・杢兵衛が囚人らしく大きな赤い縞の入った服を着て、走ってくるのに出会った。
「おう、フョードル・ミハイロヴィッチ、今日も逃走か、大変だな」
「お、おらの後ろを警察が追い掛けてこねえか」
「うんにゃ、何にも見えねえ」
「そうか、おら、捕まったら首刎ねられるからな」
「おめえは、いつも追い掛けられると言ってるが、その追い掛けている警察ちゅうものの姿を見たことがねえ。本当に追い掛けられているのか?」
「あったりめえだ。おら、正真正銘の脱獄囚だ。警察に追い掛けられない脱獄囚だなんて、恥ずかしくて世間に顔向けが出来ねえ」
「そうかなあ。駐在のガルシア・マルケス・留っこは、さっき駐在所で昼寝こいとっただが。まあ、いいや。おめえ、そうして村中を走り回っているんだったら、マイケル・抜け作を見たらロバに知らせてやれ。いなくなったと言って捜しているらしいから」
「ん? あの役立たずのマイケルか?」
「脱獄囚に役立たずと言われるようになっちゃ、おしめえだな」
「マイケルだったら、西の丘の上で昼寝しておったぞ」
「そうか。じゃあ、ロバに会ったら、そう言ってやるといいだ」

 さて、ジャン・ピエール五郎太と別れたフョードル・ミハイロヴィッチ・杢兵衛が歩き出すと、折しも向こうからロバが荷馬車を引いて歩いてくるのが見えた。
「おーい、ロバ」
「やあ、フョードル・ミハイロヴィッチ」
「ちょうどいい。お前が捜しているマイケル・抜け作だがな。西の丘で昼寝をしておったぞ」
「ん?」
「お前のご主人のマイケル・抜け作は、西の丘で昼寝をしとったんじゃ」
「誰じゃ、それは」
「おめえ、捜しているんじゃなかったのか」
「覚えてねえな」
 ロバという動物は、ここまでの話でわかるように、とても利口だ。誠に賢い。
 だが、唯一の欠点は、非常に忘れっぽいということだ。(嘘だと思ったら、その辺にいるロバに聞いてみるといい) 
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