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みなさまと共に歩む…… (*個人的な感想です)

社長の業務:ショートストーリー『メタモルフォーゼ』

社長1 だいたい、このアパートは造りのよくわからない建物なのだ。長方形の建物に整然と部屋が並んでいるわけではない。箱が組み合わさっているとか円筒形とか、そういうわかりやすい形ではない。
 ひと言で言うと・・・いや、ひと言では言えない。そう、ひと言で言うと、形がないのだ。言いかえると、いつも形を変えているのだ。

 最初、つまり僕が入居した当初は、よくある団地のような、つまり、わかりやすい形だった。
 それが少しずつ変形していったのだろうか、ひと月も経つとニワトリのような形になっていた。ゆっくりとした変化なので、日々の移ろいの中では、それがわからない。そういえば、廊下が歪んだかな、とか壁が曲がっているのかな、と、むしろこちらの目の錯覚のせいにしてしまう程度の変化なのだ。
 僕が、その変化に気づいたのは、友達を連れてきた時だ。
「お前、ここに住んでいるのか?ずいぶん奇妙な形じゃないか」
 友達は言った。
「なんだか、ニワトリの銅像の中に住んでいるみたいじゃないか」
 何を馬鹿な、と初めは思ったが、改めて虚心坦懐に見てみると、なるほど、ニワトリに似ていないこともない。
 部屋へ入っても、友達は落ち着かなそうだった。ごく普通の部屋に小さなキッチンがついただけなのに、
「変だ。この部屋は変だ」
 と繰り返している。もはや、ニワトリともカエルとも、形容の仕方が思いつかないくらい変な居心地の悪いものに感じるらしい。
 缶ビールを出すと、どこにでも売っているありふれた銘柄なのに、ためつすがめつ缶を眺め回したり、匂いを嗅いだり、何度も何度も怪訝な表情で味を確かめたりしていた。

 友人のおかげで、僕はこのアパートが刻々姿を変えていることに気がついた。ある時は、長い蛇が何匹も絡まり合っているように見えたし、ある時は、蜘蛛のように見えた。
 他の住民は、このことを知っているのだろうか。
 そう言えば、この頃、アパートで人を見かけない。いや、見かけるのだが、それは郵便や宅配の配達人だったり、集金人だったりと外部の人ばかりだ。
 もちろん、そういった人は、時々は僕のところにも来る。落ち着かないか様子で荷物や書留を渡し、伝票にサインを受け取ると、逃げるようにして立ち去る。一度、こちらがトイレに入っていて、ドアを開けるのがおくれた時など、真っ青な顔をして、顔中にぐっしょりと汗をかいていたので、僕の方がびっくりしたくらいだった。
 引っ越した当初は、廊下で、エントランスで、前庭で、よく住人に会った。隣の部屋の人とは、毎朝挨拶をしていたのだ。
 彼ともこの頃会っていない・・・彼? 彼だったっけ、彼女だったっけ。
 不思議だ。さして昔のことでないはずなのに、その隣人が男だったのか、女だったのか、思い出せない。若かったのか、年配だったのか、はっきりしない。顔かたちなど、もちろん、濃霧の中のように漠然としている。
 だいたい、僕は彼、あるいは彼女と会ったことがあるのだろうか。それさえ、夢の中のように、怪しくはかない記憶に思えてくる。

 外で一人で軽く酒を呑み、食事をして部屋に帰ると、もう零時を回っていた。ネクタイだけ外して、ワイシャツのままベッドに身体を投げ出した。
 天井の電灯が目に映っている。この部屋も、形を変えているのだろうか。あの友人の、気持ち悪そうな様子とか、郵便や宅配の人が逃げるように去っていく姿から推すと、僕が今見ていると思っている様子とは、かなり違った異様な姿をしているのかもしれない。
 
 コツ、コツ、コツ、コツ・・・

 どこからか、固い音が聞こえてきた。小さいがはっきりした音だ。だが、どの方向から聞こえてくるのか、わからない。
 軽い苛立ちを感じながらも、僕は音に神経を集中させた。
 手の拳の背の側の、骨の突き出たところで、テーブルか何か固いものを叩くような音。
 仮に叩く音だとして、誰が何を叩いているのだろうか。
 その疑問が、僕の背中に震えをもたらした。何故かわからないが、気味が悪かった。
 僕は、すねたような怒ったような自分を感じながらベッドから起きあがって、キッチンの方に向かった。そんなことをしても意味がないと知りながら、そこにあったテーブルを叩いてみた。
 あの音に近い音だ。だが、それが何になる。
 続いて入り口へ向かって、ドアに耳をつけてみた。何の音も聞こえない。それから、トイレ、バスも関係なし。

 部屋の中を歩き回っているうちに、音が聞こえなくなっていることに気づいた。
 釈然としないながら、一件落着という感じもして、今度はワイシャツもズボンも脱いで、ジャージに着替えて、再びベッドの上に転がった。
 コツ、コツ、コツ、コツ・・・
 また聞こえてきた。
 今度は、ベッドの足の方の壁際からだ、という確信が湧いてきた。隣の部屋からだろうか。
 僕は、その壁に耳を付けた。確かに、その向こうからだ。
 以前、僕と挨拶を交わしていたらしい住人は、今、この壁の向こう側で、ずっと単調に壁を叩き続けている。何のために。こんな真夜中に。
 僕は急に無力感にとらわれた。そんなこと、絶対にわかるはずがないじゃないか。
 隣の住人って、何なんだ。誰なんだ。そんなもの本当にいるのか。いたところで、何か僕には認識できないものに変化してしまっているのではないか。
 この部屋でさえ、かつてあった部屋ではないし、僕が、そうと思っている部屋ではないのだ。
 僕は、どうなんだろう。僕は、かつての僕だろうか。立ち上がって、バスに行き、洗面台の鏡を見る。一応、僕だ。だが、そんなことが何になるんだろう。僕にとって、鏡っていったいなんだろう。
 思わず鏡を叩き割りたくなって、腕を振り上げる。だが、そういう行為さえ無意味なものに思えて、再びベッドの上に寝転んだ。
 コツ、コツ、コツ、コツ・・・

 この世にいるのは、僕だけだ。
 毎日、オフィスに一番先に出社して、毎日、同じような味の仕出し弁当をデスクに座って仕事を続けながら食べて、毎日、一番遅くにオフィスを出る。それもだんだん、遅くなる。
 仕事を仕上げる、上司に提出する、上司からケチがつく、修正して再提出する、翌日になってNGだという、上司の上司がOKを出さないという、小さな修正に時間がかかる、なんとか再々度提出すると、今度は別の誰かが駄目だと言っている、ということで戻ってくる、最後には結局、一週間かかって最初に提出したものが採用になる。
 なんで、こんなに仕事をしなければならないんだろう。もう、何週間も休んでいない。友達にも会っていない。ましてや、恋人なんか作る暇もない。
 以前は、それほどでもなかった。きっと、僕が変容してしまったのだ。じゃなきゃ、なんであんなに仕事が増えていくのか、わからない。
 僕は、僕が誰だか、わからない。この世界で何をやっているのか、わからない。この世から出て行けと言われているような気がする。

 コツ、コツ、コツ、コツ・・・
 いる。確かにいる。
 この向こうに人がいる。人がいるのだ。僕と同じ人・・・同じ体温を持っているはずの同じ人・・・いいや、もう人じゃなくてもいいや、誰か、何か、いてくれ。

 少し眠ってしまったらしい。たぶん10分か、そこらだろう。30分は越えていないだろう。窓の外の夜は、まだ深い。
 ふと、あの音が変わっているのに気づいた。それまでの時計の秒針が刻んでいるようだった硬質な音から、そう、もっと曖昧な、だけど静かで、そのくせ、なにかとてつもない力を秘めていて。
 そうだ。心臓の鼓動だ。息せき切ってもいない、泣きわめいても怒り狂ってもいない、だがなにか、しみじみとした感情を底の方に、手のひらに載せるように保っている。
 壁も心なしか、温かく柔らかくなっているような気が、馬鹿な、錯覚だろう、馬鹿だなあ、俺は、弱っちくって、気がちっちゃくって、でも案外、可愛いやつなのかもしれない、夜明けまでこうやっているよ・・・
 俺、実はぐっすり眠っているのかもしれないなあ・・・

 今朝もいつもどおり、アパートを出た。寝不足の筈なのに、なぜか朝の空気が気持ちいい。光りがまぶしくってさ。
 振り返ると、アパートはニワトリでも蛇でもない、入居当初のような至極、当たり前の形をしていた。
 出勤するらしい他の住人の姿も見えた。
「おはようございます」
 振り向くと、若い女性が僕に挨拶をしていた。そうだ、この人だ。隣の部屋に住んでいる人だ。なぜ、思い出せなかったんだろう。なぜ、昨日まで見えなかったのだろう。
 あの聞こえてきた鼓動は彼女のものだったのだろうか。
 僕は、断然決めた。今度の週末は彼女を食事に誘おう。何があろうと仕事を休もう。上司が喚こうが、会社がどうなろうが、僕の知ったことじゃない。
 

 
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いらっしゃいませ。中川善史(自称社長)と金井哲夫(自称編集局長)が2人でしこしこ書いているふざけた電子書籍本を販売する「蕪」式会社文豪堂書店です。(社名は予告なく変更することがあります) (なおこれは個人の感想です)(効能を保証するものではありません)(おだてると調子に乗ります)

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