みなさまと共に歩む…… (*個人的な感想です)

社長のショートストーリー『松濤の美術館で展覧会を見て』

社長1 松濤の美術館で展覧会を見て、渋谷駅の方へ戻る途中だった。東急百貨店の前まで来ると、 
「ちょ、ちょっと、ちょっと」 と呼び止められた。
 振り返ると、私と同い年くらいの中年男がにこにこしながら近づいてくる。中肉中背、ちょっと猪首で、ノーネクタイに紺色のズボン。手に何も持っていないところを見ると、この近くで仕事をしている人かもしれない。
 「よーお」 と声をかけてきた。親しげ、というより馴れ馴れしい。
 妙に口吻がとがっていて、鼠かモグラモチのような顔である。こちらを下から覗き込むような目つきで、三白眼が目立つ。 
 何か、私とのあいだに悪い秘密でもあるかのように、変な笑いを浮かべて、 
「よ、あれからどうしたのよ」 
 と、肘でこちらを突いてくる。言っていることが不明であり、なにが「あれから」で、なにが「どうした」のか、わからない。 
 私は男の顔をまじまじと見た。知り合いにこんな顔、いただろうか。私は、人の名前と顔を覚えるのが決して得意ではない。 
 人脈の広い人の中には、一度会っただけで、驚くほど沢山の顔と名前を覚えてしまう才能の持ち主がいるものだが、そういう人の記憶力が信じられない。 私など、大して広くもない付き合いの中で、その狭い世間をちゃんと把握しているかどうか自信がないくらいなのだ。 
「あれから」と彼が言うのだから、私は最近、この人に会ったらしい。私は、この一ヶ月ほどの間にあった人を思い浮かべてみた。ついで、検索範囲を三ヶ月半年、一年と広げてみた。が、この人に会った記憶はない。 
 それより以前に会ったのだとすると、この人は、今、私に対してある種の懐かしさを感じているのかもしれない。そうとなると、なおさら頑張って彼のことを思い出してやらなければならないような気がしてくる。 
 だが、そういった私の驚きや苦悩は、彼にとっては関心の外であるらしく、
「いや、こっちも大変でさー」 
 と、勝手に話を続けた。 
 何が、どう、大変だったのだろう。その大変さは、私になんらかの関係とか責任があることなのだろうか。だとすれば、事態を明らかにして、善処する、謝る、言い訳する、逃げる、などの処置が必要になるかもしれない。 
「ど、どう大変だったの?」 
 私が、このひと言の反問に、全神経、全注意力を賭けた。 
 この短い問いに対する答えから、彼の問題とするところを探り、彼と私の関係を推測し、彼が私に対して、親しみを感じているのか、敵意を隠しているのか、これから食事でも奢ってくれようというのか、訴訟に訴えるつもりなのか、ただ愚痴をこぼそうとしているだけなのか、そもそも、この男はいったい誰なのか、等々を探り出さなければならない。 
 さらに、質問の言葉をどう選ぶべきか。 日本語は難しい。敬語もあれば、くだけた言葉もある。話し方によって、彼との関係性が自ずから表れてしまう。例を挙げれば、 
「どのように大変だったのですか」 
「大変って、何だよ」 
「またまた、大げさなんだから。なによ」 
「殿の一大事とあらば、拙者、身命を賭ける覚悟。ささ、お話しくだされ」 
 答え方によっては、相手にヘンな感じを抱かせたり、からかったり、喧嘩を売っているように聞こえるかもしれない。 
 その中で、この場合、もっともあたりさわりのなさそうな言い方を選んだのが、 
「どう大変だったの」 
 で、あった。この選択に賭けた私の神経は、張り詰めたロープのようになっていた。 
「それがさあ、はりはりふれてか、こりけって、くれがぼろぼろ」 
 と、彼は答えた。途中から、妙に早口になり、おまけになんだかふわふわした口調であった。 
 相手の日本語がヒアリングできないという事態に私は慌てた。 
「え?」 
 と、思わず聞き返した。 
「はりはりふれてか、こりけって、くれがぼろぼろ」 
 相手は、多少、ゆっくりと声を高めて繰り返した。その目に、こんなこと、繰り返させるなよ、という色が浮かんでいる。 さて、もう聞き直すわけにはいかない。 
「あ、ああ・・・」
  私は、肯定とも否定とも驚愕とも喜びとも感嘆とも同情とも失望とも安堵とも、いずれにも聞こえ、いずれにも聞こえないような、ため息のような音を漏らした。 
「ノザワなんて、あれだよ、やばかったんだよ」 
 ノザワ。突然、人名が出てきた。 ノザワさんなら知っている。 
 私の先輩に当たる人だ。とても温厚で博識な人で、ずいぶんと世話になったものだ。今は、故郷の山梨に住んでいるが、半年ほど前、用事で松本に行った帰りに会ってきた。家族で歓迎してくれた。去年、孫が生まれて、俺、おじいちゃんになったよ、などと人のよさそうな笑みを浮かべていたのを覚えている。 
 共通の知人がいたと言うことは、やはり、私はこの男と何処かで面識があったのだ。 
「へえ、ノザワさんが?」 
 私は、一縷の望みを見いだしたつもりで、そのノザワさんについて、彼が知っていることを聞き出そうとした。 
「それがよう、ノザワ、やべえんだってば・・・」 
 妙に話をぼかしてみたり、例の早口になったりして、細かい事情はよくわからないのだが、どうもおぼろげに見えてきたのは、あのノザワさんが、犯罪まがいのことをやって私腹を肥やしており、それがとある筋にばれそうになって、慌てて揉み消した、ということのように思えるのである。 
(あの、ノザワさんが・・・) 
 あの、誠実で優しいノザワさん、その包容力に後輩としてずいぶん甘えたものだが、あのノザワさんが、なにやらいかがわしいことに手を汚していたなんて。 
 私の中で、ノザワさん像がガラガラと音を立てて崩壊していった。 
「そんなんで驚いてんじゃねーよ。ワカバヤシなんかよお・・・」 
 ワカバヤシ?また知人の名が出てきた。 まだ若い知り合いだが、元気がよくて行動力があり、一方で困った人を見ると捨てておけないという正義漢でもある。年下ながら、ずいぶんと学ぶことの多い好青年だ。
 「ワカバヤシよう、あいつ、スケベだろ」 
 スケベ?ま、まあ、若いのだから、そういう方面に関心があるのは自然なことだ。それに彼なら、女性から人気があっても当然だと思う。 
 それが、そういう穏やかなスケベとスケベが違うのだという。 
 例によって、この男の話は、ぼかしたりはぐらかしたり、小声になったり早口になったり、意味不明になったりするのだが、断片的なことをつなぎ合わせてみると、なんでも、仲間と共に、薬物を使って女性の意識を失わせ、一室に連れ込んで・・・。 
「ウソだろ?」 
「ウソじゃねえよ。まあ、どう思おうとアンタの勝手だけどよ」 
 脳裏のワカバヤシくんの明るい笑顔に、鋭い亀裂が入った。その奥に人間の底知れぬ悪の暗闇がちらちらと・・・。 
「ま、俺なんか、その辺はうまくやってっからな。へへへ」 
 なにやら自慢しているらしい。その妙に下卑た調子が気にくわない。とはいえ、彼はノザワさんやワカバヤシくんの知り合いで、しかも私には知り得ない彼らの一面を知っているらしいのだ。 
 誰だろう。誰だったっけ。 
 ふと、この顔に思い当たるものが出てきた。そうだ、確かにこんな顔を見たことがある。 
 あれは、たしかタカハシ君の家で会ったのだ。タカハシ君の家の二階でごろごろしていた、親戚の何とかという人がいた。それが、この男に似ているような気がする。 
 でも、タカハシ君って、昔の友だちだったが、あれはいつ頃のことか。 
 六歳の頃だ。何十年も昔のことである。あの人だとしたら、もう相当の老齢になっていなければならない。 
 どうも、違うようだ。 
「で、今日は何よ?」 
「へ?」 
「今日は、こんなところで何してるんだよ」 
「いや、松濤の美術館で○○展を見てきたんだけど」 
 けーっと、彼は怪鳥のような声を上げてせせら笑った。 
「美術館ってタマかよ、笑わせるよ。どうせ、フーゾクでも行ったんだろう。昼間っから、このスケベ」 
 なんだか、もう、この男と話をしているのがイヤになってきた。 
 その時、突然、天啓のごとくに、 
「この男は、私を誰かと人違いをしているのではないか」 
 と、頭の中にひらめいた。 今まで、相手のあまりに自信満々な態度に押され、また自分の自信のなさから、ひたすら、この人が誰だか思い出さなければならない、という考えに捕まえられていたが、なんだ、知らないであれば思い出せないのは当たり前だ。 
 ノザワさんだって、私の知っている人と彼の知っている人物は別人だろう。別に珍しい苗字でもない。第一、ノザワさんが、男の言うような薄汚い小悪党であるわけがない。 
 ワカバヤシくんまで、同姓の知人がいたとは、偶然にも御念のいったことだが、まあ、そういうことだろう。そう考えれば、得心がいく。ワカバヤシくんが、そんな卑劣な性犯罪者であるはずがないのだ。 
 私は、ようやく自信を取り戻した。 
「人違いじゃないですか」 
「へ?」 
「あなた、人違いしているんでしょう。私はあなたなんか知らない」 
 男は、その金壺眼をとんがらして、ついでに鼠のような口もとんがらして、まじまじと私を見つめた。 気がついたか。わかったら、あっちへ行け、無礼者。 
「けーっけっけっけ」 
 再び、怪鳥のような笑い声を立てると、 
「人違いでしょうって、よく言うよ。え?何よ、俺に会うとまずいことでもあるの?なあ、なんだよ、言ってみ。ねえ、白状しちゃいなよ。けーっけっけっけ」 
 始末に負えない。私はもう振り捨てて行ってしまおうかと交差点の方へ顔を向けると、人混みの中に見知った顔が交じっているのに気がついた。 人一倍大きな体躯。灰色のもじゃもじゃの髭、トレードマークの丸い眼鏡。 
 ノザワさんだ。ノザワさん、東京に出てきてたんだ。 
「おーい、ノザワさん」 
 私は思わず、交差点の向かい側に向かって声を上げた。聞こえたのか、ノザワさんは不思議そうにこっちの方を見ている。 
「ノザワさん、こっちこっち」 
 こんどは気がついたらしい。ぱあっと光り輝くような、人なつっこい笑顔。 信号が青に変わったので、こっちへ向かって大股で歩いてくる。こんなごみごみした都会の中で、彼の回りだけ、山巓の清浄な空気が漂っているような気がする。 
「いやー、奇遇だね」 
「東京に来てたんですね」 
「うん、今朝着いたばかりだ」  
 横断歩道の真ん中を過ぎたあたりから、すでに大声で会話が始まっている。
 私は、話しながら、例の男をちらちらと横目で見ていた。このノザワさんこそ、お前が勘違いしている証拠だ。 
「いやー、どうもどうも」 
 渡り終えたノザワさんは、大きな手を前につきだして握手を求めながら、近づいてきた。 
 私も手を差しだし、その包容力の塊のような手が、私の手を包むのを待った。だが、それはなかなかやって来なかった。 
 ノザワさんは、ぎくりとしたように足を止めた。視線の先には例の男がいた。 
「よう、ノザワ」 
 男は皮肉そうな笑いを浮かべて言った。 
「久しぶりだな。なにしてんだ、こんなところで」

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いらっしゃいませ。中川善史(自称社長)と金井哲夫(自称編集局長)が2人でしこしこ書いているふざけた電子書籍本を販売する「蕪」式会社文豪堂書店です。(社名は予告なく変更することがあります) (なおこれは個人の感想です)(効能を保証するものではありません)(おだてると調子に乗ります)

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