金井哲夫の編集日記 「お義父さんはパラリンピックで銅を狙う」

お義父さんは外資系の大手メーカーに定年まで勤めていたので、英語が得意だ。のぶちゃんの家では、よくアメリカ人のお偉いさんを招いてディナーをしていたそうな。そんなお義父さんは、数年前、突然、「英語教室を開くからビラを撒いてくれ」と言い出した。聞けば、小学校で英語教育が始まるから、小学生向けに英語教室を開くというのだ。開くったって、どこで? マンションは狭いし、場所を借りるもの大変だ。そういうことは、あまり考えてない。
どうしたら英語教室が開けるのか、ボクはちょっと本気で考えていたのだけど、それをのぶちゃんは一蹴した。
「八十過ぎのじいさんに英語を習おうなんて子どもはいないわよ!」
たしかに、そこは微妙だ。お義父さんはそう言われて、「え、なんで?」みたいな、きょとんとした顔をしていたのだけど、なんだかのぶちゃんの剣幕に押されて、英語教室の話はしなくなった。
それから少しして、東京オリンピックの開催が決まると、「ボランティアの通訳をやる」と言い出した。これを聞いたのぶちゃんは、「誰が現場に連れて行くのよ? 歩行器のじいさんの通訳なんて、誰も頼みたくないわよ!」とこれまた一蹴。一人で東京の街に出すわけにはいかないので、当然、誰か(おもにのぶちゃん)が付き添うことになる。介護者付き添いの歩行器の通訳というのは、使うほうも使い辛いだろう。というわけで、これも消えた。
するとその後すぐに、お義父さんはなんと「パラリンピックに出る」と言い出した。アーチェリーで出場するというのだ。「アーチェリーなんて、やったことあるの?」とのぶちゃんが聞くと、「昔やって心得はある」と答えた。たぶん一回アーチェリー場に行ったことがある程度だと想像する。お義父さんの口からアーチェリーの話を聞いたことは一度もないし、アーチェリーが好きだという話も聞いたことがない。のぶちゃんと結婚して30年以上になるけど、その間、お義父さんがアーチェリーに行った試しはない。「心得がある」程度でパラリンピックに出られると思うその超絶的な自己肯定感は、ほんのちょっとだけでも分けて欲しいぐらいだ。
しかし少し時間が経つと、今度は「射撃で出る」と言い出した。アーチェリーは諦めたようだ。「射撃なんてやったことないでしょ! だいいち鉄砲も持ってないし」とのぶちゃんが喰ってかかると、お義父さんは平然と「やったことがある」と答えた。「ほら、葉山の海水浴場でよくやったじゃないか」と。海の家の射的か! あれとパラリンピックの射撃を一緒にしている。
でもどうして射撃なのかと、のぶちゃんが問いただすと、「あれなら座ってできるからだ」とのこと。さらに、「私は90歳なんで、多めに見てもらえると思うんですよ。まあ、金は無理だけど、銅ぐらいなら取れると思います」って、なんだかパラリンピックをデイサービスのお祭り程度にしか考えてないようだ。
だいたい、パラリンピックの選手って、障害があるぶん、オリンピック選手よりも凄いわけで、そこをどうも勘違いしている。パラリンピックを舐めきっている。
普通の人なら、冗談だと思うだろう。だが、お義父さんは冗談を言わない人だ。いつも温和でニコニコしているのだけど、お義父さんが冗談を言ったのを聞いたことがない。定期的に様子を見にやってくるケアマネージャーにもパラリンピックの話をしたらしく、ケアマネージャーも「どうも本気みたいです」と話していた。
のぶちゃんに怒られるのが嫌なのか、最近はもう言わなくなった。でも、次に何をやると言い出すのか、ボクはとても楽しみにしている。
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