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金井哲夫の入院日記 その2「イノセント昭和野蛮ゲロゲロじいさんの美人局事件」

入院日記2
日頃の不摂生が祟って知らぬ間に胆嚢の中に石が詰まってて、それが暴れて炎症を起こし、入院とあいなった。予定期間は1週間。最初の2日間は絶食で、点滴による水分補給と抗生剤投与を行うことになった。

病院から渡された変なパジャマを着て、点滴棒をコロコロ押しながらトイレに行くという、言うなればフルスペックの、本寸法の入院だ。入院なんてのは、小学校1年生のときに扁桃腺の摘出手術で一晩だけ入院して以来のこと。あのときは、たった一晩だけなのに、用もないのに家族全員が病室に集合し、父は自慢のポータブルテレビを「どうだ!」と嬉しそうに持ってきてくれて、なんだかわーわーやってた記憶がある。

今回はコロナもあって、面会はいっさいなし。外界とは物理的に切り離された、ごく静かな1週間を過ごすことになった。幸い痛みもなにもないし、せっかくだから、仕事のことは頭から追い出して、なーんにもしない1週間を満喫しようと決めた。

たまたま運び込まれたこの病院は、新しくはないけど清潔で、変な匂いもしないし、看護師さんたちもみんな明るくて優しくて、大変に居心地がよかった。ひとつ気になったのは、斜め向かいのベッドに入院していたじいさんだ。

今どきの多床室では、プライバシー保護のためか感染防止のためか、どこもカーテンをきっちり閉められる。ちょいとでも開けておくと、通りすがりの看護師さんにチャッと閉じられる。だから、他にどんな顔をした人がいるのかはわからない。わかるのは、その人たちが発する言葉や生活音だけだ。

そのじいさんは、足を骨折して手術をしたようなのだが、聞こえてくる病院スタッフとの会話から、なかなかわがままな人だとわかる。血栓防止のためのサポーターを足にしているらしいのだが、何度もナースコールを押しては、痛いから外してくれとせがむ。ここの看護師はとっても優しいので、やんわりと外してはいけないと伝えるのだが、納得しない。じいさん、怒って声を荒げるようなことがないのは幸いだけど、やんわりとしつこい。

とうとう看護師はドクターを連れてきた。医者は厳しい口調で、血栓ができて頭に飛んだりしたら大変なことになるから我慢なさいと諭す。さんざん脅されて、じいさんは「わかりました」と引っ込んだ。しかし、ドクターが帰って少し経つと、またナースコールを押す。じいさんに恨みがあるわけでも、迷惑を被ったわけでもないし、決して悪人とも思えないのだけど、「いい年しやがって、すこしゃ我慢しろい!」と、そのやりとりを聞いていてイライラさせられた。嫌なら聞かなければいいのだが、どうしても聞こえるのだから仕方ない。聞こえれば気になるというのが人情なので、イライラの半分はこちらに責任があるとも言えるのだけど、原因は確実にあっちにある。

もうひとつ、このじいさんの困った点は、食事中にぺちゃぺちゃと音を立てることだ。この21世紀に、咀嚼音高らかに食事をするような野蛮人がまだ生き残っていたことに驚かされる。ボクだって決して完全無音で食事をしているわけじゃないのは承知しているし、おそらくお上品な西洋人の病院に入院したなら斜め向かいのベッドのジェントルマンに野蛮人と思われても不思議はない程度ではあるけれど、咀嚼音が四方に鳴り響かないように気をつけてはいる。ボクが子どものころは、まだそういう人がたくさんいたのを覚えてる。でもこの数十年間で日本人も進化を遂げたと見えて、まったく出会わずに済んできた。すっかり油断していた。こんな身動きが取れない状況で遭遇するとは。

さらに、食後、自立歩行ができないのだから仕方ないのだけど、ベッド上で歯ブラシをして、ガー、ゲロゲロ、ペッと、これまた懐かしい昭和の下品なおやじの定番であったあの音を部屋中に轟かせる。まだ食事中の患者もいるにも関わらず、まったく気遣う気配はない。何一つ悪びれることなく、当然の権利だと言わんばかりにガー、ゲロゲロを3回ほど繰り返す。

無自覚であるだけに、じいさんに罪はない。こうした僅かの生活音から人格を査定されては不条理に思うだろう。他所では尊敬されている人なのかも知れないし、家族からは愛されているに違いないが、カーテンに囲まれて相手の顔が見えない世界では、その人が立てる音がすべてであり、その僅かな生活音がその人そのものなのだ。だからそこからその人となりを特定せざるを得ない。気の毒だが、じいさんはイノセントな昭和の野蛮人と断定された。

そんなイノセント昭和野蛮ゲロゲロじいさんに天罰が下る日が来た。じいさんはナースコールを鳴らす。スピーカーから「はい、どうしましたかー?」といつもの若くて優しい女性看護師の応答が聞こえると、じいさんはちょいと鼻の下を伸ばしたような声で「背中のクッションをね、変えて欲しいんですよ」と訴えた。すると次の瞬間、「なに、どーしたの?」と、若くて優しい女性看護師の代わりに、若くなくて優しくない女性だけどずいぶん年配の看護助手がぞんざいに現れた。近くにいてナースコールのやりとりを聞いて、看護師の負担を減らそうと対応したようだ。

「いや、背中のクッションが違うんでね」と、少々うろたえた声で答えるじいさん。
「なに、いつものやつよ」と看護助手はつっけんどんに言う。「違うんだよ、いつものは細長いやつなんだ」と食い下がるじいさん。「細長いわよ」と、まったく様子は見えないのだけど、じいさんの背中のクッションの形状をしっかり確認したという誠実さが微塵も感じられない、なぜなら確認する時間はほとんどないはずの即答で、ぞんざいに応答した。だが、じいさんはこのおばさんと長い時間関わっていたくないと思ったのだろう。それ以上は言いつのることなく、黙ってしまった。おばさんも何も言わずに立ち去った。

これって、入院病棟版の美人局だなと思った。ちょっと気分がよかった。

つづく
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