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金井哲夫の入院日記 その4「感じのいいヤツは腹が立つ」

入院日記4
ボクの右隣のベッドには、どうやら交通事故で足を怪我したらしい若者がいた。顔が見えないので年齢はわからないものの、小学生でもじいさんでもない、30歳代と思われる。こいつがやけに感じがいい。直接話したわけではないが、看護師との会話を聞いていると、馴れ馴れしくすることもなく、丁寧で、にこやかで、はきはきしている。

だけど、なぜか違和感がある。非難すべき点は何もない。だけど、その「感じがいい」感じが、なんだか感じ悪い。

ボクは、感じのいい人間を目指して日々努力している。長年の研鑽の甲斐あって、それなりに感じのいい人の体裁は整っていると自負していた。なので、この6人部屋の患者の中では最も感じのいい男だろうと決め込んでいたのだけど、もしかしたら自分より感じのいいヤツが現れたわけで面白くない。こんな小さな部屋のたった6人のコミュニティーで、しかも隣合わせに、ほぼ24時間ずっとライバルが居座っているわけだ。不愉快極まりない。腹が立つ。

正直なところ、ボクはあくまで外見上の「いい人」を演じているだけで、本当のいい人ではない。本当のいい人とは、何も意識せずに「いい人」感が人格から滲み出てくる人のことだ。いい人であろうとなど考えた時点で、もうそれは作為となり、偽物と化す。四六時中意識していということは、常に人の顔色を覗って、相手に嫌われないように取り繕い続けていることで、人間はどんどん卑屈になっていく。卑屈者に魅力はない。それを理解しているから、さらに相手の顔色を覗う。卑屈を悟られまいと取り繕う。苦労が絶えない。

もし隣の若者が真性のいい人だったら、ボクは違和感を覚えたりしないはずだ。「ああ、いい人だな」とむしろ尊敬し憧れる。もしかしたら、同類なのかも知れない。直感的な同族嫌悪だと思えば、この感情に説明が付く。そうだ、同類に違いないと、ボクは勝手に決めつけた。そうして改めてお隣君の言動を観察するに、「いい人」を取り繕う人間のコミュニケーションが俯瞰できた。面と向かって話すと、うかつな人は彼の作戦にはめられて気がつかないかも知れないが、横から見ると、彼が装着している「いい人」の仮面の厚みだけ、相手から遠ざかっているのがよくわかる。

仮面を使用するということは、相手に心は開かないぞと決意を固めている証拠であり、相手から遠ざかるのは対人関係が苦手な本人が意図するところなので、極論すれば、コンビニの店員が無機的な敬語を連ねて情を通わせることを断固遮断するように、「お前なんかと話はしたくない」と宣言しているのと同じだ。つまり、いい人どころか、まったく無礼なやつだ。

「いい人」を意識しない自然体の対話が望ましいのは、重々わかってる。その意味では、あのゲロゲロじじいのほうが、コミュニケーターとしてはよっぽど上等だ。好き嫌いは別として、本当の会話ができる。だがそれは、嫌がられることを厭わず素直な自分を相手にさらすのは、嫌がられことが最大の恐怖である人間には、地獄の炎に身を投げるほどの勇気のいる行動だ。

だけど、家族と話すときとは自分を隠さない。それで何ら恐怖を感じたりはしないし、むしろお出かけ用の仮面を外して楽になれる。それと同じことをすればいいのだ。できないことはなさそうだ。頑張ってそっちに切り替えないと、あとちょっとの短い人生を豊かに暮らせない。

頭ではわかっていたことだけど、こうして他の同類の言動を端から見ると、それが実感できて大変に勉強になる。人生の大きな決断を促してくれた隣の卑屈君、ありがとう。

こうして、お隣君を出しにして、一人お先に解脱した気になり、あと何十年かすればキミもこの段階まで登れるようになるさと上から目線で励ましの念を送っていたボクの耳に、携帯電話の呼び出し音が響いてきた。彼はすぐに電話を取り、「はい、もしもし……」と通話を始めた。えー、病室は通話禁止だぞ。ボクは電話が鳴ったとき、周囲を気にして点滴棒をコロコロさせながら慌てて携帯エリアまで行ってかけ直していたのに。まったく近ごろの若者は、そういう気を遣わないのがけしからん。

おや、待てよ。てことは、お隣君は、ボクが思っていたような卑屈君ではなかった? あれま、自然体さんでしたか。失礼しました。くそっ、腹が立つ。

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